第2話

『誓歌高校軽音楽同好会新メンバー募集


 軽音楽同好会は新しいベース担当を募集します。合同面接を行い、選考します。

 求める人材:経験不問 熱意のある奴 本気な奴

 開催日時・場所:4月XX日15時50分 誓歌高校多目的室C』


 掲示板に貼られたポスターを見て、修司の心は熱くなる。特に、『熱意のある奴 本気な奴』という文言は後から手書きで書き加えられていて、おそらくサラーさんが書いたのだろうと、修司は憧れの人物の熱気に当てられたように心の芯が反応した。

「よかったじゃん。チャンスは与えられたわけだ」

 隣りの誠一が声をかける。いつもと同じ平静な誠一を見て、この感覚は特別なものなのだと、修司は意識する。

「明後日の放課後か……これに合格すれば、とんでもないことになる」

「でも俺、ベースなんて触ったこともないんだけど……」

 修司は自分で言葉にしたことでその事実を目の当たりにし、絶望を感じさせる表情で誠一と顔を見合わせた。



『波紋はやがて歌へ変わった

 探してた音を見つけた気がした』

 修司は自室でフレアーの歌を聞いていた。

 市井に音源が流通してるなんて、何者なんだ、この人たち。と修司は思う。

 音楽の技術的なこと、理論的なことはわからない。でも、フレアーの歌で配される無数の音がなぜそこに在らねばならないのか、僕にはわかる気がする。メロディに乗ったサラーさんと伊角さんが紡ぐ力強い歌詞も相まって、僕って核、コアに直接響いてくる。

 聞いた歌たちはすぐに僕に馴染んで、自分の一部のような、二度と欠かすことはできないような気になる。

 それだけ、僕が惹かれてるってことなんだろう。

 明後日の面接、僕には何もできないかもしれない。でも頑張ってみよう。



 当日。

 誓歌高校の多目的室Cに、サラー、伊角、そしてフレアーでドラムを担当する松田(まつだ)の姿があった。

 3人で会場の準備を終えると、面接官が位置する席に座ってみた。

「今度は俺たちが採用する側か」

 伊角が呟く。

「なんか懐かしいな……1年前、ここからフレアーは始まったんだ」



――1年前

「では次の人、サラー・ヘッジホッグ。志望動機をどうぞ」

 面接官をやる誓歌高校軽音楽同好会の先輩が声をかけた。その隣りの席には松田と藤堂の姿もある。

 一方のサラーは、面接官のほうを向いてはいるが、そこではなくどこか遠くに視線を合わせて、真っすぐに見つめている。

「歌は、俺の世界を変えた。だから、俺の歌も、きっと世界を変える」

 その言葉は明らかに浮いていた。逆に会場は冷めて、しんとなった場をなだめるように面接官は目で次の志望者に話すよううながした。

「じゃあ、同上ってことで」

 伊角だった。

 会場は明らかに動揺していた。彼らを脅威と見たのかもしれない。

 新たな創造にはまず破壊がともなう、その破滅的な足音が聞こえたからなのか。松田と藤堂以外の全員が、異質なものを見る目で2人を見ていた。



「いい思い出みたいに言ってるけど、あれは相当ひどかったぞ」

 言ったのは、松田だった。

「松田さん、そんな水を差すようなこと言わなくても。なあサラー」

 水を向けたサラーは、それに全く気づかないように、これから行われる面接に集中を高めているようだった。1年前と同じように遠くを見つめて。

 伊角はやれやれと肩をすくめる。



 誓歌高校多目的室C。合同面接の会場。その扉を前にして、神木修司は自らの緊張と戦っていた。そして深呼吸をひとつして、修司は扉を開けた。

 数人から、自分を値踏みするような視線を感じた。散らけてこちら側の椅子に座る者たち――フレアーの新メンバーに名乗りを上げた面々の数は10を越えていた。ベースを持参する者、スマホをいじっている者、同じく緊張する者、他校の制服を着ている者、様々であった。

 そして室の最奥には、現フレアーの3人がいた。

『サラーさんと、伊角さんに、松田さん!本物だ!』

 歓迎ゲリラライブ以来の再会に、修司は胸を躍らせた。

 奥の3人に向かい合う形で参加者の席が用意されており、修司は端のほうの一席に座り、そのときを待った。

 そして伊角が立ち上がると、それはまさしくフレアー新ベース担当の選抜を開始する合図だった。

「えーみなさん、今日はフレアーのために集まってくれてありがとう。ギターボーカルの伊角です」

 伊角が松田に目でうながすと、松田は参加者の全員に何かを配り始めた。

 修司も受け取ると、それはボードに挟まれた1枚の紙と鉛筆だった。

「フレアー……誓歌高校軽音楽同好会の新しいベースを迎えるために、俺らは君たちのことを知りたい。簡単なプロフィールを項目に沿って書いて提出してください」

 言い終えて、伊角は座った。皆が書き終えるまで待つという意思表示だろう。

 すぐに、修司は目の前の用紙と格闘することになった。アピールはしたい、でも嘘は書けない。その狭間で修司は、できる限り誠実であろうと自らのプロフィールを書き込んでいった。正しい自分の姿を描いて、それで合格しないならば納得するしかないと。

 やがて配られたものが回収され、伊角は参加者のプロフィールが書き込まれた用紙だけをまとめると目の前の机に置いた。

「それでは順番に名前を呼ぶので志望動機を答えてください。それで選考を終わります。あとは俺たちが独断で選びますのでご了承を」

 最初の名前が呼ばれる。修司ではなかった。順番に、それぞれがそれぞれの思いでアピールを繰り返す。

 修司はその全てを聞いていたが、それらを参考に対策を練りたくなったとき、今さら揺れてどうする?と考え直した。正直に。正直に。

「次……神木修司」

 ついにそのときが来た。

「はい……えっと、はい!」

 修司は自分を落ち着かせるように考えをまとめる時間を取ってから、こう言った。

「フレアーの歌は、僕の世界を変えました。だから僕は、それを受け継ぎたいと思っています」

「ありがとう。では次……」

 坦々と続いていく選考。自分は結局その参加者のひとりで終わるかもしれない。でも、と修司は思う。行動を起こし、自分なりの回答を残したこと、それは誇れることだ。自分を褒めてやろう。

 参加者全員の聞き取りが終わり、伊角は選考の終わりを告げた。

「明日の同じ時間にここで合格者……新しいフレアーのベース担当を発表します。合格者にはこちらから声をかけますが、よかったら発表に付き合ってください」

 参加者たちが散らばって、去っていく。修司もその流れに乗り、会場を後にした。



 残ったフレアーの3人は、多数の用紙を机の上に広げていよいよ選考を開始した。

 ああでもない、こうでもないと、意見をぶつける。

「こいつはどうだ?ベースの腕は確かそうだぜ」

「それならこっちのほうがいいんじゃないか」

 しかし、実際に声にして意見をぶつけているのは伊角と松田の2人だった。それも一致を見ず、2人はサラーを見た。沈黙していたサラーがぼそりと呟く。

「神木修司……」

 伊角はそれを受けて机の上から修司の書いた用紙を見つけ出す。

「ベースの経験なし。プロフィールにも見るべきところはないな……」

「でもあいつ、俺たちが音楽に出会ったときと、同じ顔してた」

 サラーの一言は波紋となり広がって、3人は黙った。それぞれがそれぞれの表情で、何かを考え込んでいるようだった。



 翌日。修司ははやる気持ちで誓歌高校の多目的室Cに訪れていた。予定より早い時間だったが、同じような者が数人いた。やがて昨日の参加者の全員が集まったころ、最後にフレアーの3人が姿を現した。

「うん。全員いるか。感謝します」

 今日も伊角が進行をするようだ。

「ではまず、合格者を発表する前に、総評というかこの選抜の総括を、俺たちが何をやりたかったのか、新しいベース担当に何を求めていたかを示します」

 伊角は一度、ぐるりと参加者全員を見回した。

「それは、技術でも学識でもない。つまり、俺たちが求めていたのは、現在の実力ではないことに気づいた。俺たちの高い要求に負けずに着いて来られる人材。俺たちが探していたのは――」

 その最後をサラーが引き取った。

「俺たちが思い描く理想の未来に、並んで立っていられる奴だ」

 初めて、サラーはその視線を上げた。修司は目が合った気がしてドキッとする。

「です!」

 伊角ははっきりと宣言した。

「よって合格者は、神木修司!」

 すうっと修司に視線が引かれ、段々とその数が増えていき皆の視線が集まった。

 修司は頭ではその事態を理解できなかったが、身体は反応したのかすっと右手を上げた。

「はい。頑張ります……」

 誰にも聞こえない音量、何もわかっていない顔で修司は答える。

「頑張ります!」

 はっと表情にやる気が蘇って、修司ははっきりとそう答えた。

「今日からおまえはフレアー(仮)だ!」



 僕が望まずとも受け入れてずっと奏でてきたリフ。

 あのとき、フレアーのゲリラライブに出会ったあのとき、僕に予感が走った。

 それは現実のものとなって、劇的な変化をもたらした。

 強力な矢印に導かれて、僕は次のステージへ。



 B-side 開闢


「おい伊角、おまえ最近調子乗ってんじゃねえか」

 放課後、校舎裏でクラスメイトたちに絡まれた伊角は、苛立ちを表に見せぬよう注意した。こんな奴らの相手をするのは、自分の格をこんな奴らと同じところまで下げると思ったからだ。

 群れないと攻撃することもできない雑魚どもが、と伊角は思う。5人はいるだろうか。道端の小石につまずいた程度の障害だが、それで怪我をするのは馬鹿らしい。

 中学2年生の夏。学校生活がここまで過ぎると、住み分けとでもいうようにグループが出来上がっていくが、同時にそれはカーストをも形成する。伊角は自然とAクラスに入る人間だったから、どうやらこの5人はそれが鼻につくらしい。

「なんとか言ってみろよ!」

 長く黙っていたことが5人を苛つかせたようだ。

 伊角がいよいよ解決を迫られたそのとき。

「Ahhhhhhhh!!」

 とてつもなく大音量のシャウトが伊角と5人を襲った。びりびりと痺れるような感覚さえおぼえる。

 5人はその声の主を見つけると、威嚇する態度を見せたが、シャウトは一向に鳴り止まない。

「何なんだよ!」

 その騒音に嫌気が差したのか、5人が散っていく。

 やれやれ、助けられたのかな、と伊角も声の主を見やった。

 サラー・ヘッジホッグ。変人奇人の呼び名をほしいままにする、音楽に魅入られた同級生。

 伊角は礼を言おうとしたが、サラーは今の出来事を歯牙にもかけず、すでにエレキギターを爆音でかき鳴らしていた。伊角の『ありがとう』は届きそうもない。

 しばらく、伊角はかき鳴らされるギターの音を聞き、サラーを目の前にして茫然としていた。炎天下のもと、汗が飛び散ろうと一心不乱にサラーはギターを弾き続ける。

『そんなに面白いのか、それ』

 いつまでもサラーの様子を眺めていた伊角が衝動的に投げかけそうになったその問いかけは、ギターの音色に溶け込んで消えた。

 これが伊角とサラーの出会いであった。

 一部始終が過ぎて、伊角の頭に鳴り響くギターの音色はやがてぼんやりと、最後にははっきりとした思いを抱かせた。

『あいつの歌、聞いてみたいな』

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