異世界で試験を受けたなら

ひよっと丸

第1話

「ではみなさん、問題用紙はお手元にありますか?制限時間は三十分です。では始めます」


 会議室のような広い部屋に、テーブルといすだけが並んだ状態で、そこに十名ほどの人が座っていた。おおむねアジア人のような顔立ちがほとんどだ。基本的には暗めの髪色に、黒や茶色の瞳。みな真剣に渡された用紙に書き込みをしていく。だが、ただ一人鉛筆を持った手が動かない人物がいた。

 広井健太ひろいけんた

 小柄で童顔、短めの黒髪に太い眉毛に大きな目。これでも一応は二十歳も過ぎているのだが、この中では一番子供に見えている。何よりも、何も書き込みができていない時点でと詰んだと言ってもいいだろう。唯一書き込めたのは、最初の計算問題だ。小学生程度の算数の問題だったから、そこは書けた。だが、その後が問題だった。


(書いてあることが何一つわからねぇ)


 健太は頭を抱えるしかなかった。周りの人たちは、何か読んで納得したような顔をして書き込みをしている。


 (みんなこの文字読めるのかよ)


 健太の目の前にある用紙には、なんだかわからない文字が書かれていた。異世界あるあるなのか、アルファベットに似ているようで全く違う。読もうと思っても全く理解ができる気がしなかった。


(アラビア語みたいに実は右から左に読むとか?ないない、まったくわっかんねぇ)


 健太がどんなに読もうと努力をしても、そこに書かれた文字は全く理解のできない謎の言葉だった。


「では時間なのでこれまでです」


 試験官?がそう言うと、皆一斉に席を立ち、部屋を出ていく。全員に一応個室が与えられているので、自分の部屋に帰るのだ。何しろここは異世界で、健太は気がついたら広場に大の字で寝ていたのだ。背中に当たる冷たい石畳と、容赦のない太陽の光、それから自分を見つめる見知らぬ人たち。驚いて叫びそうになった時、軍服のようなものを着た人たちに抱えられるようにしてここに運び込まれたのだった。なにか身体検査のようなものをされ、ちょっとした質問をされた。言葉が通じたのはありがたかったが、いわゆる異世界転移をしたらしく、この世界ではわりとよくあることだと聞かされたのが三日前。自分以外にも転移者がいると知ったのはその日の夕食の時間、食堂にいたからだ。簡単な自己紹介をして、ほとんどがアジア人だと知ったと同時に、言葉が通じたことに驚いた。健太はギリギリ英語しかわからないのに、健太の耳に聞こえてきたのは日本語だったのだ。これなら簡単に異世界生活ができると思ったのもつかの間、いましがた、健太は打ちのめされたのだった。


「まったくわかんなかった」


 部屋のベッドで大の字になってみた。この世界はラノベなんかでよく見るナーロッパな世界だった。魔法があるらしく、便利な生活道具は魔道具と呼ばれていた。だから魔法が使えなくても魔道具を扱うことができる。現に健太がいる部屋の明かりは魔道具の明かりで、明るさの調節は頭の中で考えればできる優れものだ。

 だからこの世界にやってきて、健太は楽勝だと思ったのだ、だがしかし、文字が読めなかったのだ。スマホが動かなかったので、暇つぶしに本を読もうとしたら、まったく読めなかった。いきがって英字新聞を買ってしまったぐらいの衝撃だった。だって、他の転移者は読めていたのだから。これは困った。なんて思っていたら、試験なんかさせられて、異世界転移者はランク付けされてしまったのだった。試験の結果をもって、順番に身の振り方を決めるのだと聞いている。計算しかできなかった健太は、きっと落ちこぼれ転移者として、肉体労働に回されてしまうに違いない。


「入りますよ」


 絶望して頭を抱えていたから、おそらくしたであろうノックの音に気が付かなかった。健太は慌てて起き上がると、入ってきたこの施設の職員と目があった。


「あ、っと」


 表情とか、目の動きでわかってしまう。駄目だった。わかっていたけれど、この年になって試験に落ちるとか、結構へこむものだ。


「あの、健太さん」


 健太の解答用紙を持った職員がやってきて、健太のいるベッドの脇に椅子を置いて座った。どうやらこのまま話をするつもりらしい。


「試験の結果は素晴らしいものです。こんな難しい計算ができるだなんて」


 予想外のことを言われ、健太は驚いた。驚きすぎて表情筋が仕事を忘れてしまうほどに。


「ただ、この世界の文字が読めていないですね」

「はい。まったく読めません」


 健太は即答した。今更隠したって無駄なのだ。試験の結果に出ているし、この三日間でばれているだろう。


「健太さんは素晴らしい能力をお持ちです」


 突然がしっと両手を掴まれ、健太は焦った。


「な、何がです?」

「計算です。素晴らしい計算能力です」


 目の前に突きつけられたのは、健太の解答用紙だ。上の方の計算式にしか答えが書かれていない。


「計算をこんなに簡単に答えられるだなんて驚きです」


 どこからどう見ても、小学生レベルの計算式だ。二桁の掛け算は確かに難しかったが、九九を覚えていれば何とかなるレベルだったし、健太はそろばんを習っていたので、暗算は割と得意な方だったのだ。


「そうなんですか?」


 いやいや、他の人たちはもっとたくさん答えていただろう。なんて健太はかんがえていたのだが、どうやら違ったらしい。


「異世界から来られる方って、結構思想に偏りがあったりして扱いが大変なんですよね。その辺健太さんのようなニホンジンという種族は順応性が高くて、思想に偏りがなくてこちらとしては受け入れやすいんです」


 なんだか不穏な言葉が聞こえた気がしなくもない。


(なんか、やばい質問が書いてあったってことか?俺無神論者だからな)


 普通の日本人らしく、健太は正月にしか神社にお参りに行ったことがなかった。核家族だから仏壇もなく、墓参りも遠いからとここ何年も行っていなかった。クリスマスはケーキを食べるし、ハロウィンには仮装もした。そんな今時の日本人の健太である。


「世界が変わると神も変わるじゃないですか。それを受け入れられない方が稀にいるんですよね」


 ちょっとトーンダウンした言い方には、含みがあった。どうやら今回の転移者にいたらしい。


「それでですね。健太さんにはその素晴らしい計算能力を生かして会計課に就職していただきたいのです。そのために言葉を覚えていただきたいのですが、どうでしょう?」


 全く予想外のことを言われて、健太はしばしフリーズした。


「それでですね、健太さんには特別授業を受けていただきたいのですが、どうでしょう?」


 予想外すぎることを言われ、健太はその内容を理解するまでにしばし時間がかかった。就職先が肉体労働でない。事務職でそのためのサポートまでしてくれるだなんて、まるで職安のようではなかろうか?試験の結果がほぼ白紙だというのに、健太は試験に合格したということなのだ。全く予想外でありがたすぎる。


「と、特別授業ってなんですか?」


 語感が怪しすぎて警戒してしまうお年頃な健太であった。


「文字の勉強です。子どもの手習いみたいなものなので、誰かに見られると恥ずかしいと思いまして」


 その説明を聞いてなるほどと思いつつも、健太は考える。


「安心してください。受けるのは健太さんだけですから」


 それを聞いて安心しつつも、漠然とした不安が健太の心に広がった。そしてその不安は、その日の夕食のときに確定された。食堂に人がいなかったのだ。席に着いたのは健太だけで、他に誰もいない。ちょっとした町中の定食屋程度の広さに、健太一人がぽつんと座っていた。そして、そのことについて何も説明されないまま夕食が終わり、健太は談話室に移動してみたが、やはりそこにも誰もいなかった。


「何が起きたんだ?」


 やはり誰もいない食堂で、サラダを食べながら健太はつぶやいた。異世界らしい朝食は、焼きたてのパンにサラダ焼かれたベーコンにスクランブルエッグだ。味が薄いのは仕方がないこととして、トマトケチャップぐらいないものなのかと健太は思う。


「お答えしましょう」


 突然声が降ってきて、健太は慌てて顔を上げた。塩味しかしないスクランブルエッグをフォークでつつきすぎていたことは確かだった。


「他の人たちは、訓練ルームに入ったんです。試験の結果、この世界において危険思想の警戒有。と判定されたからなんですよね」

「危険思想って」


 それっていったい何なのか、知りたいけれど怖くて聞けないのが日本人なのである。


「昨日もお話ししましたが、世界が変わりましたから、神も変わりました。もう今までの世界の神への信仰は出来ないのです。他にもこの世界に置いての禁忌事項に触れるような考えを持っていると判断された人も訓練ルームに行きました。簡単に説明すると、そう言った思考がある人はこの世界の文字が読めるようになっているんです。魔法がある世界ですからね」


 そう言われて健太はぞっとした。何も考えずに魔道具を便利だと思って使っていたが、魔法のある世界だ。どこにどんな仕掛けがあるかなんてわからないのだ。もしかしなくても、最初にされた検査ですでに趣味嗜好思想に至るまで調べられていたのかもしれない。試験はたんなるパフォーマンスだった可能性だってある。そう考えると健太の背中になにやら寒いものが走った。


「そ、そうなんですね」


 健太はそう答えるのがせいいっぱいで、残りの朝食はもはや何の味もしなかった。


「あ、れ?」


 特別授業をするといって案内された部屋に入り、壁に貼られた紙を見て、健太は驚いた。


「読めるんだけど」


 五十音ではないけれど、目に入ったこの世界の文字が、読めてしまった。勝手に目に入ってきた文字が日本語に変換されていくのだ。しかもちゃんと漢字になっている。机の上に置かれた冊子の表紙に書かれた文字は、テキストとカタカナに変換された。


「どういうことだ?」


 呆然とする健太の肩を叩いてきたのは試験官だった。そう言えば、名前を聞いたことがなかった。


「健太さん、座ってください。説明しますから」


 笑顔の圧に負けて健太は席に着いた。当たり前のように試験官が正面に座る。


「では、改めまして健太さん。私はラオネルと申します。人事課の異世界人担当です」

「はい、俺は広井健太と申します。日本人です」


 思わず頭を下げたら机にぶつかった。


「ご丁寧にありがとうございます。単刀直入に言いますね。この部屋には魔法がかかっていないんです。いままで生活していたフロアには魔法がかかっていて、あえて文字が読めないようになっていました。それでも文字が読めていた人は、自分の思想を満たしたい欲求が大きかった人なんです。そういう人には情報が渡る仕様になっていまして、試験でその思考がどの程度危険かを判断しています。残念ながら、今回の試験では健太さん以外の人たちは危険思考の持ち主として判断されてしまいました。訓練ルームにて思考の修正を行うのですが……治らなかった場合、残念ですが魔道具にて強制更生を施します」


 見せられたのは孫悟空の頭につけられていたような金属の輪っかだった。変なことを考えたら頭を締め付けられるのかと思うとぞっとする。


「この世界、案外異世界人が落ちてくるんです。空からゆっくり落ちてくる人もいれば、空間に裂け目ができて突然落ちてくる人もいます。理由はいまだにわかりませんが、ひと月に十人前後ですね。元の世界に帰りたくて帰り方を探す人が一定数いますが、いまだに誰も帰り方を見つけられていないんです。こちらとしても、不要な異世界人を送り返すことができればありがたいので、その研究に支援をしています」


 これはだいぶ脅しが入ったような説明だったが、健太はとりあえずスルーした。 


「健太さんも元の世界に帰りたいですか?」

「え?いや、そんなことはないです。特に思い入れもないし……」


 予想はしていたけれど、改めて聞かれると返答に困る。結婚していて家族がいるとか、入れ込んでいたプロジェクトの仕事があったわけでもなく、年老いた両親が心配というわけでもなかった。


(そもそも元の世界で俺の扱いどうなってるのかによるよなぁ)


 ラノベでよくあるのは、存在そのものが消されているとか、行方不明者の扱いになっているとか、実は事故にあって死んでいるとか、様々だ。だが、この世界の異世界人はある日突然落ちてくるらしいので、死んではいないだろう。


「そうなんですか?皆さん元の世界の家族が心配とかおっしゃいますけど?」

「あー、でも俺一人暮らしだったし。両親は姉と一緒に住んでるから問題ないし、そもそも何年もあってないから」


 進学して都会に出て、就職して健太はあまり帰省していなかった。だって実家には離婚した姉が子どもを連れて帰ってきていたから。


「そういう人もいるんですねぇ」


 ラオネルは少し驚いた顔をした。話に聞いていた日本人は情に厚く家族を大切にしているそうだから。


「それに、元の世界で俺の扱いがどうなっているのかによるでしょ?戻れたって、同じ時間軸に帰れるかもわからないのに」

「そうですね。異世界人の方たちが、元の世界でどのような扱いになっているかはわかりません。調べようがないので」

「あ、やっぱり」


 帰り方がわからないのだから、調べ方もないぐらい予想はついた。元の世界に帰りたい人は、よほど未練があるのだろう。健太だって、白米食べたさに帰りたいと思う日が来るかもしれない。


(ラーメンとかからあげとか食いたくなるかもしれないけど、日本人が多いみたいだから誰かが作ってる可能性は多いよな。ナーロッパのお約束だと米は家畜のえさ説あるし。食いたくなったら帰るより探した方が早いし安全だろ)


 たった三日だけど、ナーロッパらしい食事には慣れた。一人暮らしをしていたから、あんまり米を炊かなかった健太なので、どちらかと言うとラーメン餃子の方が食べたいと思ったりもした。


「では健太さんはこの世界で生活したい。ということでお間違いないですか?」

「はい。働いて稼いで自由気ままに生きていきたいです」

「わかりました。ではテキストを使ってこの世界での常識を学んでいきましょう」


 そうして健太はこの世界の常識と、簡単な法律を学んだ。まあ、普通に日本人をしていれば当たり前のことを再確認したようなもので、これこそが日本人を受け入れやすいと言わしめる理由なのだろう。

 こうして健太は無事に会計課への就職試験に合格し、異世界おひとり様生活を満喫することができた。魔道具を使う生活は快適で、なんとこの世界にもスマホがあった。ずいぶん前にやってきた異世界人の持ち物を解析して魔道具として作られたらしい。おかげで健太の生活は快適そのものだ。


「異世界人が秘密裏に処理されてるって、聞いたことあるか?」


 ある日同僚の日本人が聞いてきた。


(処理?処理って、処刑のことか?)


 健太は同僚が見せてきたスマホの画面をガン見した。そこにはだいぶショッキングな見出しがあって、内容は危険思想の異世界人を次元のひずみに落としているということが書かれていた。


「次元のひずみ?」


 健太が思わず口にすると、同僚が慌てたが、時すでに遅し、笑顔のラオネルが立っていた。


「お久しぶりですね」


 有無を言わせない笑顔に負けて、健太と同僚はラオネルについていった。行った先は異世界研究室。


「ここって、元の世界に帰りたい人たちが働いてる部署ですよね?」

「はいそうです。今日は、ここの研究の成果を見てもらおうと思いましてね」


 そんなことを言われても、ラオネルの笑顔が怖くて興味なんかまったくわかない。案内されるままにガラス越しに研究室を見ていると、何か大きな装置が動き出した。


「あれは次元のひずみを生み出す装置です。異世界人たちが頑張って、ここまで作り上げました」

「じゃあ、元の世界に帰れるの?」

「いいえ、あれは入り口を作り出しただけなんです。だからどこの世界につながっているのかわかりません」

「行き先が、わからないってこと?」

「そうですね。でも、一応は成功なんです」


 ラオネルがそう答えた時、装置の前に誰かが連れてこられた。服装から異世界人だとわかる。健太と同じ黒髪だが、顔立ちはずいぶんと堀が深い。少し浅黒い肌で、体格もずいぶんと良かった。


「あっ」


 健太は余計なことに気が付いてしまった。その異世界人の頭に孫悟空がしていたような輪っかがはめられていたのだ。だが、両脇の職員が頭からその輪っかを外した。そうして、装置が作り出した三十センチほどの次元のひずみにその異世界人の頭を突っ込んだのだ。


「えっ」


 健太が驚いているうちに、その異世界人はどんどんひずみの中に消えて行ってしまった。そうして靴を履いた足が消えてしまうと、装置は動かなくなった。職員がスイッチを切ったのだ。


「い、まのって……」


 健太が思わず口にすると、ラオネルがさも当たり前のように答えた。


「あの異世界人はこの世界の考えが気に入らなかったそうです。いわゆる危険思考の持ち主でした。更生を試みましたが、かないませんでしたので次元のひずみに落としたんです。まあ、簡単に言うとお帰りいただいた。ってことですね」

「え、でも、どこにつながっているのかわからないって……」

「ああ、そうですね。でも、元居た世界がどこにあるかもわかりませんからよろしいんじゃないですか?」


 笑顔でそんなことを言われ、健太は返事ができなかった。


「ね?お二人ともせっかく試験に受かったんですから、この世界を満喫しましょう?」


 健太は隣に立つ同僚の横顔を眺めつつ内心で叫んだ。


(その試験、好きで受けたわけじゃありませんからぁ)

 

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