透明な傷

「今日から美雨みうも小学生やね、いってらっしゃい」


「うん、いっぱい友達、つくってくる」


 新しいピカピカのランドセルを背負い、玄関を飛び出す。朝の光がキラキラ輝いていて、まるでこれからの毎日を祝福してくれているみたいだ。

 アニメのような友達との出会い、勉学、みんなで力を合わせる運動会――それらが私を待っている。あの幸せそうな教室の中に、自分も加わる。そう思うと、胸が高鳴った。


 集団登校の集合場所に行けば、大好きな幼馴染の顔が見える。


「おはよう!」

「おはよう、美雨。ランドセルかわいいね!」

「ありがとう!あかりのランドセルも綺麗!」


 ――これから私の学校生活が始まるんだ





 私には好きな言葉がある。


 ――笑顔は人を笑顔にするんだよ。


 テレビの中のヒロインが、いつも素敵な笑顔で困っている人を救う姿が好きだった。その笑顔は、見ているだけで心が温かくなった。






 どこで間違えたのだろう。みんなが私を小馬鹿にして遊び、どう扱ってもいいと思っているみたいだった。


「遊ぼう」


 大好きな幼馴染がリコーダーを手に持って笑顔で私にリコーダーを振り落とす。


 リコーダーで私を叩き、私がそれを奪うまで続ける。


 今、流行りの遊び――幼馴染が考えた遊びだった。


「やめてよ」


 笑顔で嫌なことを伝える。ちゃんと笑えてるかな。なんだか最近視界がぼやけることも増えてきた。


 泣いちゃいけない。これは「」だから。


 ――笑顔は人を救うんだよ


 私の好きなヒロインの言葉。笑顔でいるといいことがいっぱい起こるって書いてある本も読んだ。

 今日も私の笑顔はみんなをにする。


 それなのに心は苦しい。おかしい。私は楽しいはずなのに。だって、今も私は笑顔なんだから。



 




 もうダメみたい。自分が笑っているのかどうかももう分からない。私ってどういう性格だったっけ。鉛筆くんや消しゴムちゃんは悪くないのに私に使われているだけでボロボロにされちゃう。


 どうして、彼女たちは何にもしてないのに。これ以上彼女たちを傷つけないで。


 最近の流行りは私のを壊すこと


 今も目の前で筆箱くんが鉛筆くんに穴を開けられていく。鉛筆くんもこんなことはしたくないはずなのに。


 ――止めないと


 ――私が、私が友達を守らないと


 足がすくんで、言葉が詰まって声が出ない


 筆箱くんは体に穴を開けられて、鉛筆くんはが折れた状態で私の前に投げ捨てられる。


 手で穴を埋めようとしても頭をくっつけようとしても、戻らない


 どうして私以外を傷つけるの


 頬を冷たい雫が撫でる


 ――どうしてみんな笑っているの

 






『教えて、教えてよ。ヒーロー大好きなヒロイン


 帰ってテレビをつけて大好きなヒロインを眺める


 あれ?こんなに嫌な奴だったっけ?


 ヒロインはなはずなのに


 あんなに好きだったはずなのに、彼女の言葉が私の心を大きく揺らす。


 『ウザイ、ダマレ、嘘つき』


 醜い感情がグルグルと頭に回って堪らずテレビを消した。


 ――これじゃあ、ヒロインに殺されるじゃない




 お母さんが電話の向こうの相手に怒鳴っている。お父さんも帰ってきてまた電話をかけて怒鳴っている。


 「美雨、引っ越しましょう。次は仲良くなれる子がいるから」


 無理だよ


 私はヒロインの敵なんだから


 それでも、お母さんとお父さんは優しい。嫌われたくないから、笑顔で頷いた。


「うん、私、引っ越しする」


 笑顔で――ちゃんと笑えているだろうか。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[side:某クラスメイト]

 クラスに面白い女の子美雨がいる。その子は教科書が破けたときに声を出して謝っていた。


 「ごめん、破けちゃって、すぐ直すから許して」


 まるでそのものが生きているかのように話している。友人にそのことを話すと


「マジで、そんなことあるの」


 話は盛り上がってその子のものを壊してみようとなった。


『それはやめとこう』


 そう言う事ができなかった。もうみんな乗り気だったから。





 言わなければ良かった。はじめは彼女が落とした鉛筆を踏んで芯を折る程度だった。


「ごめん、踏んじゃった」

「大丈夫…………落としちゃってごめんね」


 小さく最後に呟くように聞こえた言葉が友人たちの興味を刺激した。


 今、目の前で彼女が壊された筆箱と鉛筆を手で直そうとしながら謝り続けている。彼女がこんな目に遭うのは私のせいで見ていられない。


 あの空間にいたくなかった。その日から学校に行くのをやめた。



 小学四年生に進級したとき、彼女の名前は学年になかった。


 彼女がいなくなった教室は、驚くほど前と変わらなかった。誰もが彼女がいない事を気にもしない。

 

 でも、ふとした瞬間に思い出す。筆箱が机の上から落ちた音や、うっかり消しゴムを踏んだときの小さな音が、彼女の姿を呼び戻すように響いた。


「……大丈夫?」


 無意識に彼女の言葉を口にしようとして、すぐに飲み込んだ。

 それは、彼女が私に残したものだろうか。それとも、私が忘れたかった何かなのだろうか。


 それでも教室は、まるで何もなかったかのように日々を続けていく。私の心に音のない、透明な傷を残して。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月19日 17:15
2024年12月20日 06:14
2024年12月20日 17:15

見えない傷・狂気と癒しの間で コウノトリ @hishutoria

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画