容赦なき世界

宮塚恵一

Permanent underworld

 かつて地下闘技場ドゥオモと呼ばれた巨大施設がこの街にはある。

 以前、裏社会を牛耳っていた偉大なる興行主ザ・グレイテストショーマンズが剣闘士と呼ばれる戦士を戦わせ、違法な賭博で利益を貪っていた場所だ。裏社会の抗争の末、偉大なる興行主ザ・グレイテストショーマンズが滅んだ後、組織崩壊後に施設は市政府セントラルにより解体、撤去され、今ではかつての姿などまるでなかったかのように、市政府機関による大学研究施設として生まれ変わった。

 だが、人というのは業腹だ。一度生み出された闇というのは、組織や施設がなくなったからといって簡単に消えるもんじゃない。市政府によって管理され、表向きはクリーンになった筈の研究施設もまた、新たなに繋がっている――。


「――商品番号百五番、ホール発生機序とその考察についての廃棄論文。一千万から」


 かつての地下闘技場ドゥオモの更に地下、剣闘士ファイターの傷を癒す場であった廃病院の一角。今ではコンクリートの壁と錆びた鉄骨だけが立ち並ぶ。だが、その中にカーボン繊維の簡易的な壁で設けられ、密閉された部屋だけは異様な雰囲気を醸し出していた。その簡易部屋の中では更に黒いカーテンが全てを隠し、外の光の届かない場所に、金をあしらった見るからに高級な椅子チェアが並んでいた。たちは皆、仮面や覆面で顔を覆い、目立たぬように静かにその椅子チェアに座り、それぞれ手持ちの電子パッドを凝視している。


「二千万――」


 これまた簡易的に作られた壇上で、仮面を被った司会者が、参加者に提示された金額を口に出す。参加者が手元のパッドで入力した金額は、司会者の持っているパッドに送られる。そしてその金額が打ち止めになった時、その金額を提示した者に後日、が届けられる。


「近頃この手のブツが増えたな」


 この怪しげなオークション会場で、他の参加者よりも頭三つ分は背が高く、全身にピッタリと引っ付いた真っ黒な強化スーツを身に包み、顔には牛の頭蓋骨を模した仮面を被った、更に怪しげな格好をしている俺の相棒がボソリと呟いた。


興行師ショーマンの失墜以来、奴と結びついていた市政府の権威も堕ちた。それに街では元傭兵が所長を勤めてる探偵だの、マフィアのボスを暗殺したとかいう噂のある全身義体サイボーグの爺さんのいる調査会社だのが、以前なら外に流出することのなかったような禁忌タブーを次々に流出している現状……。それでも本当に隠されるべき闇はそう簡単に流出しない。だからこそ、その闇には価値がある」


 俺は相棒の隣で、ブツブツと持論を口にするが、相棒は聞く振りすらせず、手元のパッドを操作するところだった。


「一億」


 急に金額が上昇したことで、会場の空気が少しばかりざわついた。隣で楽しそうに肩を震わせる相棒を見て、俺は溜息をついた。

 こいつの享楽癖には困ったモノだが、場を掻き乱してくれるのは、俺としても有難い。


「二億」


 司会者が続けて金額を述べる。会場のザワつきが段々と増していく。一度大きく競り上がった値段に対して吹っ掛けてくることはよくあることだ。だが、今競りにかけられている市政府の廃棄論文は今や裏社会の有力者にとっても垂涎物だ。市政府が隠蔽してきた闇のその根幹を記しているといっても過言ではない廃棄論文の確保は、偉大なる興行主ザ・グレイテストショーマンズが消えて空白となった席を獲る為に大きな優位性アドバンテージとなる。


「二億五千万」


 まだ値段が釣り上がる。とは言え、ここまでは想定内だ。手にすれば裏社会の勢力図を軒並み引っくり返しかねない──との触れ込みだ。実際の内容に俺も相棒も然程興味はない。


「三億」


 釣り上がる値段に思わず乾いた笑いが込み上がる。俺は鞄の中にあった義体者用飲料ロイドドリンクの入ったボトルを取り出して飲んだ。このボトルが外では百ダラー。軽食屋で飯を食えば大抵二千ダラーは掛かる。三億っつーと、何食分だ? 実際、億単位の金が動くのは、このオークションでも珍しい。


「五億」


 ザワめきが更に増していく。俺はボトルを適当に投げ捨てた。ボトルが他の参加者の頭に命中する。その参加者は立ち上がったが、直ぐに屈強なスタッフに取り押さえられた。この場では、どんなことがあろうとも、競りの値段が決まるまで椅子から立ち上がることは許されていない。


「次がなければ決まりです」


 司会者が念を押す。もう誰もパッドは見ていない。その代わり、何名かがモゾモゾと動き出している。


「──渡すかよ!」


 内一人が叫ぶ。驢馬ロバの仮面を被っていたその参加者は、仮面を脱ぎ捨てて、小型電磁銃ミニレールガンを取り出した。俺は冷静にそいつの顔を観察する。若い男、それも義体化はしていない。得物を隠す場所はなさそうだから、組立型か。先程立ち上がった男を取り押さえたスタッフが武器を持つ男を取り押さえようとするが、男はスタッフに向けて迷わず銃を撃ち込んだ。

 会場への武器の持込は当然、御法度だ。にも関わらず、こういうデカいブツを扱う時はこうした騒動が起こることもよくある。実際のブツは会場にはない。だから、こうした騒動を起こしたところで、ブツを手に入れられるわけもない。今回の場合、それでも騒動を起こす理由は、だ。ブツの場所も競り落とした参加者の情報も秘匿されているが、オークション後、競り落とした参加者の元に商品が届くのは確かだ。今回のブツを手に入れたい且つ実際に手に入れることのできる資金力を持つ組織は限られている。そうでない組織が、自分達は納得がいかないと、文字通りの鉄砲玉を送り出しているわけだ。額に青いイナズマを模した刺青タトゥーをしているのを見ると、新進気鋭だが実力を上げているザズマの若い衆か。もしくはその仕業に見せ掛けたい他組織か。まあ、可能性をあげつらっても仕方がない。


「無駄だと分からんかねえ」


 俺の隣で、相棒が立ち上がる。銃を持つ男は相棒の姿にビクリと身体を震わせて、銃口を相棒に向けた。先程と同じように、銃弾が放たれる。だが、その銃弾を相棒は掌で受けると、目の前で握り潰した。


「な……ッ!?」


 これには鉄砲玉に同情する。おそらく、下手な恐怖を与えない為に、上からはのことは教えられていないのだろう。


「悪いな、死んでくれ」


 俺は拳を空に突き上げる。そしてパチン、と指を鳴らした。


「あ」


 その瞬間、鉄砲玉の男は短く口から空気を漏らすと、ドサリとその場に倒れた。終わりだ。


 不動の猛牛ロックライクブル静かな暗殺者サイレントアサシン


 オークション会場で、こうした手合いを決して蔓延らせない番人として、俺達は動く。

 俺も相棒も、このオークションを主催するの狗だ。俺の身体は全身義体で、更に特殊な器官を脳に埋め込んでいる。他者の脳波と自身の脳波を同期させることで、同期させた人間の脳を遠隔で操作できる。勿論、制限は存在する。俺が能力を使う為には、密閉空間であることが必須だ。それと、俺が脳波を同期させる一瞬、そいつの思考を俺の干渉しやすいものにする必要がある。困惑や恐怖、または単純な興奮でも良い。そうした思考を生み出すのに、相棒の身体は打ってつけだ。当然、俺を遣っている市長は俺の能力が最大限に発現される環境を用意している。

 相棒は少し特殊だ。俺と同じ全身義体者サイボーグではある物の、相棒には。だが、機械ロボットってわけでもない。何を人間と定義するのか、この社会で答えを出すのは難しいが、相棒の根幹は間違いなく人間だ。当然、俺の能力の干渉も受けないし、その屈強な身体はちょっとやそっとの力自慢じゃどうしようもできない。


「──それでは次、百六番」


 会場床に倒れた鉄砲玉が、スタッフに引き摺られて外に出される。それにも動じることなく、司会者は次の商品の紹介に移った。相棒も椅子に座り直し、他の参加者も何事もなかったかのように、それぞれが自身のパッドに目を落とした。



🌙


「ご苦労だったな」


 俺と相棒は、市長の前で二人、敬礼した。今回の目玉商品であった廃棄論文も、当然市長による出品だ。


興業師ショーマンの失墜から数年。今や民に隠されるべき禁忌タブーが次々に暴かれている。ホールの情報などその最たるモノだ」


 市長は満足気にニコニコと笑う。

 ──怪物が。

 俺は心の中だけで呟く。普段であれば、市長も俺達の前に姿は現さない。だが、今日は特別だ。廃棄論文の出品は極秘中の極秘。市長に信頼されている俺達二人でなければ、この男は落札者の元へ運ぶことを許さない。


「本物なのか?」

「何がだ?」

「論文だ。外に出回っていたうちの一つをあんたが回収したんだろ。そのまま隠蔽すれば良いものを、わざわざ裏社会にオークションで出品する意味が分からない。大事な部分だけ、内容を書き換えたりしてるのか?」


 俺は市長に尋ねた。わざわざ自身のアキレス腱になる文書を、何の加工もなく裏組織に渡すか? そこのところが疑問だ。だが、市長は大袈裟に人差し指を振った。


「わかっていないな。もはや情報の流出は止められない。であれば、重要な情報こそ嘘があってはならない。真実であるからこそ、それをコントロールできる」

「……あんたの考えはようわからんね」


 どうでも良いことだ。とにかく、俺達は市長室で三人になれる、この時を待っていたのだから。

 

 俺はいつものように、指を鳴らす。市長室の作りは、普通の部屋と変わらない。市長は俺との会話で、自身の考えを興奮して語っている。それだけで、俺の能力の発現には充分だ。市長の信頼を勝ち取る為に、十年だ。俺は十年以上も、この男に仕えてきた。その間もずっと、俺はこいつを殺すことを諦めなかった──。


「────ッ」

「不思議そうだね」


 市長は溜息を吐いた。おかしい。脳波の同期は済んだ筈だ。しっかりと、感覚もあった。


「愚かだ。わざわざ君の力を存分に使用できる状況を作り、君達の今後を試したというのに」


 何故だかはわからない。だが、市長には俺の能力が通用していない。


「──待て。相棒は関係ない」

「知るかよ」


 市長はニッコリと微笑む。そして


 その瞬間、ふっと意識が反転するのを感じた。意識の外で、相棒が俺を「兄さん!」と呼んで叫ぶのが聞こえた気がしたが、そんなわけはない。相棒の脳がないのは、例のホールの失敗例。実験、その被験者だったから。相棒の魂は、知らぬ他人のモノ。だが、その身体は、レオのモノだった。

 レオが出品されたのも、オークションだった。あのオークションは、市長によるものではなく、当時の裏社会の支配者である興業師ショーマンによるものだったが、当時オークション会場で興業師ショーマンの部下として働いていた俺は、出品された相棒のデータを見て震えた。それはかつて、こんなロクでもない兄貴とは違い、市政府に勤務していた筈の弟の身体データだったから──。


「君達の経歴のことも私はよく知っていた。だから、私の用心棒として君達を雇ってからも、君が私に叛旗を翻すであろうことは、分かっていた。もっとも、私はそもそも誰も信用しちゃいないが」


 だんだんと薄れゆく俺の脳に、直接語り掛けてくる声が聞こえた。そういうことか、と俺は得心している。市長もまた、俺と同じ器官を持っていた。じゃあ、何故わざわざ俺なんかをオークションの番人として選んだ。


「あの時の顛末には、私も興味を惹かれてね。たかが脳味噌のないゾンビの商品の為にオークション会場で暴れ回ったチンピラ。身内の為なら後先を考えない愚か者。私とは正反対だ。私の身を守らせるなら、こういう男だと思ったよ。一生の友になれると、思ったんだが」


 その声は、心から残念そうに語る。実際、そう思っちゃいるのだろう。それはこいつと脳の同期をしている俺には、自分ごとのように分かる。


「はッ……! 最初から、ずっとピエロだったってことかよ」


 俺はそいつに語り掛け返す。クソッタレが。俺は目を開けた。今まで目を瞑っていたのも分からんかったな。ああ畜生。このまま死ぬのか──。


「兄さん──」

「──相棒」


 俺は目の前で俺を見下ろす相棒を見上げる。いや、こいつが俺をそんな風に呼ぶ筈がない。これは幻聴だ。

 ──本当に?


「悪かったな……」


 俺はパチン、と指を鳴らす。その瞬間、相棒がバタリと大きな音を立てて、その場で倒れる。


「最後まで愚かな」


 今度は頭の中でも幻聴でもなく、言葉が直接聞こえた。

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