雁楊郎
@umitoobake
雁楊郎
この学校にはうわさがある。 曰く、落ち武者の霊が出るそうだ。 なんでも、江戸時代ごろ、ここは有名な処刑場だった。 岩本雁楊郎は、豊後藩の武土であった。西条藩と豊後藩の交流という名目で、雁楊郎はこの西条藩に派遺されていたo 地元の藩士とのかかわりは薄かったが、早く丁寧な仕事ぶりに、次第に信頼を得ていった。そんな姿を見て、あるものは尊敬し、あるものは感心し、あるものは――
――危惧した。
ある日、酒の席でのことだった。雁楊郎の隣にいた西条藩の藩士の一人がそこから抜け出た。彼はとりわけ雁楊郎を呪っていた者の一人だった。罪人の処刑。それが彼の仕事であり、誇りであった。自尊心の高い彼は、そのような誉れのある仕事に就いたことを誇りに思い、日々剣術の鍛錬に励んでいた。しかし、雁楊郎が来て、すべてが変わった。
結論から言えば、これは嫉妬である。自分よりも仕事のできる存在の登場により、己の居場所を奪われた者の、健やかな嫉妬であった。その晩、彼は家族を斬った。迷いなく、斬った。理由は定かではない。人であれば誰でもよかったのかもしれない。雁楊郎のすべてを奪うために、自分が疑われることのない、家族を選んだのか、はたまたちょうどよかったのか。酒の席が終わったころ、酔いつぶれて寝ていた雁楊郎の近くに血まみれの刀だけを置いて、何事もなかったかのように寝た。雁楊郎が起きた時には遅かった。遅すぎたといってもいい。あれよあれよというままに、雁楊郎は無実の罪を着せられ、牢に捕らえられた。雁楊郎は
「俺はやっていない。ほかの者が殺したのだ」
と叫び続けたが、西条藩の藩士である者たちに声が届くこともなく
「疑わしいから殺してしまうのがいいだろう」
「初めて来たときからずっと怪しいと思っていたんだ」
「豊後に戻ったとしてもあちらの者たちがかわいそうだ。今、この場でお前を斬る」
そういった言葉を浴び続けた。
「お前が殺したのだ」
――違う。
「人殺し!近寄るな!」
――なぜだ。
「汚らしい、早く死んでしまえばいい」
――俺は殺していない!
雁楊郎は怒った。冤罪をかけられたこと、西条藩の者が同郷であるものを殺したこと、自分を信用したように酒の席に呼んだこと。叫びたいことは喉に詰まるほど多い。ただ、それは雁楊郎の冤罪が認められた後、ようやく伝えることができるものだ。だから彼は己の潔白を叫んだ。あきらめるべきではなかった。それは雁楊郎にとって、己を裏切る行為であったから。
しかし、多くの者が処刑を望んだ。雁楊郎は、薄れ行く意識の中で
「きっと、『彼』に脅されたのだろう」
と雁楊郎は考えたが、そんなものはもうどうでもよかった。ただ一つあるのは、深い憎悪のみ。渦のように雁楊郎の脳内にめぐるソレは、雁楊郎の心を砕くには十分だった。
処刑されることになった。あっけなく。己が何も言い返さなくなり、ピクリとも動かなくなってから、驚くほど早い死刑執行だったと思う。それが伝えられてから、雁楊郎は叫んだ。
「貴様ら、よく俺にそんな物言いができるなァ」
迎えに来た藩士は何も言わない。
「まァ、罪を擦り付けた貴様らに、俺を慮るようなモンはないだろうがな」
「……岩本雁楊郎、貴様は此処で死ぬ。」
「あァ、そうであろうな。俺は此処で死ぬであろう」
「……来い」
「貴様らは」雁楊郎がつぶやく。
「俺の名など忘れてしまうのだろう。明日が来れば酒でも飲んで己の心にへばりつく血を洗い流すだろう。だが――」
雁楊郎が黙る。
「……早く言わんか。……わからぬか。ほかの仕事もある。できればお前も手早く済ませたい」
そう藩士が言った。その瞬間、雁楊郎の目が迎えに来た藩士どもを睨みつける。鬼が宿ったかのように豹変した顔、すべてを恨んだ黒い瞳。やせ細った体からは想像できないほどのその気迫に、藩士たちは一歩も動くことができなかった。そして雁楊郎が重々しく口を開く。
「必ず貴様らを地獄へ送ってやる。必ずだ。覚えておけよ、屑ども」
そう、はっきりと言った。その後、処刑場に運ばれた雁楊郎は、斬首されるその直前まで藩士の顔を睨み続けた。雁楊郎の首を、刀を持った「彼」が見据える。
「まさかお前がここに来るとはな」
彼はなるべく平坦な声で雁楊郎に話しかけた。滲み出そうな高揚感を抑えたのは、久しぶりの仕事であったからだろう。
「……お前が一番望んでいたことだろう」
雁楊郎はそれだけ言った。それしか言わなかったが、「彼」にはすべて伝わったのだろう。刀を持つ手に力がこもる。そして、彼は斬った。雁楊郎の首からどろりとした血がこぼれる。
その刀にへばりついた雁楊郎の血は、どれだけ洗っても落ちることはなかった。
それから、原因不明の飢饉が西条藩を襲った。作物が『赤く』腐ったそうだ。それから西条藩の者の中に、「雁楊郎に殺される!」と狂ったように叫びながら死んだ者もいた。事態を重く見た藩は、祠を建てて、雁楊郎を祀った。雁楊郎の呪いは弱まったが、今でも、このS高校では、深夜に雁楊郎の亡霊が、校舎を徘徊し、自分の首を落とした「彼」を探しているそうだ。
その話を聞かされた時、学級委員である岩灘は居残りで、先生や、友人の数名と、近々ある文化祭の準備をしていた。先生がその話をしたとき、みな半信半疑だった。もちろん、その場にいた岩灘も半信半疑ではあった。そういう方便だと思った。砂いじりをすると足が遅くなる、だとか、ご飯を食べてすぐ寝ると牛になる、と同列の、居残りの生徒を早く帰らせようとする適当な言い訳だと思っていた。おそらく、ここにいる学生はそう思っていたはずだ。
「なぁ林田」
「なに」
岩灘は、友人の林田に話しかける。
「さっきの話さ、ちょっと怖いよね」
「そうかな」
林田はぶっきらぼうにつぶやく。林田は人づきあいが苦手らしい。「岩灘みたいなやつと友達になれたのが奇跡だ」と言うくらいには。
「もしかして怖かったりする?」
「そんなわけあるか。ただの作り話だろ」
林田は不服そうにそう言い放った。とげとげとした言葉遣いに少し傷つきそうにはなるが、岩灘は負けじと会話を続ける。
「林田はそういう話信じないよなぁ」
「そりゃあな。Society 5.0の社会で幽霊なんて信じるやつぁいねぇよ」
彼は少しおかしい。周りと合わせたくないとか言うくせして、友人が欲しいとか言ってみたり、一緒にご飯を食べる人が欲しいとか言うくせして、誰もいない外のベンチでご飯を食べてみたり。今でも、幽霊なんて信じないといいながら、早歩きで、寄り道をせずに、まっすぐ家に帰っている。
「まぁ、そうかもね」
そういいながらも、岩灘は彼と横並びで家に帰った。
次の日、岩灘は早く学校に来ていた。悪癖である二度寝を直したかったのと、昨日散らかしたままだった教室の机を直すためである。一階にある自教室に入ると同時に、時計の針は午前七時半ちょうどを指した。「ラッキー」と小さい声を漏らした。なんとなく、そう思った。それから、岩灘は自分の荷物を教室の隅に置いてから、作業に取り掛かった。作業は滞りなく進み、時計の長針は九の数字を指した時だった。
かちゃん、と音が鳴った。
岩灘は後ろを振り返った。本来なら、しないはずなのに。本来なら、『先生が来たのか』と思うはずなのに。音はかなり離れていて、かなり小さかった。教室でなれば、環境音として処理するような音。けれど、その音は、違う。音なのに、冷たい。体が芯まで冷えてしまうような、そんな音。誰が、どうして、なぜ、どこから?ぐるぐると思考が巡る。
『甲冑がぶつかる音だ。違う、花瓶でも倒れたのだ。あの話は本当だったのか、いや、違う、本当なわけがない。でももし本当だとしたら、僕は斬られる。いや違う、迷信だ。そんなはずが――』
ガシャン、ガシャン。
その思考を斬るように、また音が鳴った。さっきの音よりも近く、岩灘を見定めるように、鳴った。冷気は強まり、心を凍り付かせていく。頭が真っ白になったときみたいに、岩灘は眼や耳のあたりが熱くなる。唇が震える。音はさっきよりも大きく、近いところで鳴った。空気は口が開けないほど重く、沈黙が強制される。時計の長針は十を超えて、十一に触れ――
ガシャンガシャンガシャンガシャン!
岩灘は甲冑が激しくぶつかるような音を聞いた。『あの甲冑が僕の首を狙わんと走っている』その姿が鮮明すぎるほどに思い浮かんだ。岩灘はすでに正常な思考が残っているわけもなく、ただ命を奪われる恐怖におびえ、岩灘はその場に座り込み、気を失った。
岩灘が目を覚ましたのは、時計の短針が四を指したころだった。じわりと視界が晴れて、無機質な天井に張り付いた温かな蛍光灯の光が目に入った。岩灘はベッドの上でその事実をかみ砕いて、ようやく胸をなでおろした。延命処置のようではあるが、命だけは助かったから。先生の話によれば、岩灘が見つかったのは午前八時ごろで、教室の真ん中で気を失って、うつぶせになって倒れていたのを、朝の見回りに来ていた先生が発見して、保健室まで運んだそうだ。
まだ手足の動きが鈍い。「こちら」が夢なのか、あるいは「あちら」が夢なのか。悪夢を見た後の疲労感のようなものがじんわりと体に広がる。「大丈夫?」保健室の先生が岩灘の背中をさすってくれる。夢のようだ。もう死んでもいい。僕もさすりたい。
「多分、大丈夫です。」
どう言えばいいのかわからず、岩灘は曖昧な返事をした。
「…そう。体調がまた悪くなったら、いつでも来てね」
そう言われて、岩灘は少しだけ心が軽くなった気がした。
教室に帰ってから、朝の話を聞いたら、ちょっとした騒ぎになっていたらしい。早朝、生徒が教室でぶっ倒れていたと聞かされれば、なおさらだろう。そう結論付けた。少し経ってから、林田が岩灘の近くに来た。珍しかった。林田はいつも受け身だった。岩灘が自分の机に来ない限り、話をしない。その前提をクリアしてからようやく会話のキャッチボールが始まるのだ。林田は
「お前、疲れてたのか」
――と。……またまた驚いた。驚愕した。あの林田が、ここまで心配しているとは思わなかった。
「……昨日の文化祭の準備が、思いのほかきつかったみたい」
「そう」
淡白な反応だった。もう少し「今日は準備休むか?」とかちょっとした気の利いた言葉をかけてほしかった。岩灘はそう思いはしたが、そういった本音はそっと心に閉じ込めた。そこから少しの合間を挟んで、突然林田が
「――お前、見たのか?」
……と、明確に、言った。
言っている意味がよくわからなかった。心臓の鼓動が一気に早まる。
「見たって、何を?」
岩灘は適当に返した。林田が何を言うのかはわかっていたけれど、自然とそう返した。
「落ち武者」
林田は短く返した。瞬間、あの音が頭に響く。――かしゃん。甲冑のぶつかる音に、思わず耳をふさぎたくなる。耳と目がジワリと熱くなる。けれど、林田は言葉を投げつける。
「俺は信じちゃいないが、正直気になった。そんで、図書館の歴史書とかを調べたら、それっぽい奴が見つかっ――
かしゃん。
青天の霹靂のようだった。雷が落ちたような衝撃が二人に響く。周りのクラスメートは気づいていない。物音として"ソレ"を処理したのだろう。僕と林田だけが、その正体を知っている。僕と林田だけが――
「帰ろう」
林田が短く僕に言葉を投げる。声が震えていたのを必死に隠そうとしていたからだろうか、こちらに顔も向けてくれない。
「わかっ――」
ガシャン、ガシャン
またあの音だ。あの音が岩灘を見定める。低く体の芯まで響くような金属音が、僕と林田の心臓を跳ね上がらせる。さっきよりも近い。校舎の外からではなく、内から響いたように聞こえたその音に、岩灘は何とも言えない、喪失感にも似たような感情があると感じた。
「早く帰ろう」
林田が言う。さっきよりも強く、焦ったような色を混ぜて、岩灘に言葉を投げつける。岩灘はその声に応えようとした。足に力を入れ、走る。ただ走るだけ、そこまでの覚悟もいらないその行動コマンドを選択しようとした。
――はずなのに。
「足が動かない」
足に力が入らない。どう頑張っても動かない。体からバスケットボールの空気が抜けていくみたいに、力が抜けていく。本来なら一目散に逃げてしまいたいはずなのに、動かない。その事実に、岩灘は焦る。早く逃げなければならないことは、岩灘が一番よくわかっていた。けれど――
ガシャンガシャンガシャン!
「岩灘!」
林田が叫ぶ。甲冑の音が響く。雁楊郎が教室のすぐそばまで来ていると、確信した。
赤い。黒い。憎い――。とうとうストレスで僕はおかしくなったのだろうか。岩灘は、自分が殺されるかもしれないと感じていながら、それを『どうでもいい』と感じている。林田は泣きそうになっていた。必死に、岩灘の肩を揺らしている。普段の林田とは思えない行動に、岩灘は虚無感を覚えた。
――あァ、どうでもいい。――
体と心が乖離していく。逃げたいと心が叫んでも、身体が動かない。いや、身体を動かそうとしていないのだ。自分ではないナニかが自分の体を動かす感覚。その事実だけで岩灘は狂ってしまいそうになる。
――あァ、きっと、雁楊郎も――
「おい!岩灘!しっかりしろ!」
ガシャン。
瞬間、音が止まった。あの頭の奥まで響いていた音が、土砂降りの雨みたいに騒がしかったあの音が、ぴたりと止んだ。林田はまだ岩灘を呼んでいる。それとは別に、エコーがかかるみたいに、環境音たちが頭の中で騒ぐ。野球部の掛け声、ドアの閉まる音、トロンボーンの低い音。岩灘を取り囲むように、音がこだまする。
「岩灘!!しっかりしろ!」
そう林田が叫んでようやく、岩灘は体に力が入るようになった。林田は泣いていた。息も絶え絶えになり、まっすぐ僕を見据える。そこで、気づく。
周囲の目がこちらに向いている。何をするわけでもなく、じっとこちらを見つめている。いつも教室の扉の前で駄弁ってるグループも、仲のいい女子たちのグループも、何もせず、ただ、こちらを見る。
「「「「カエルノ?」」」」
無機質な声が、人形がしゃべったみたいな声が、教室を支配する。この教室で正気を保っている人など、一人もないかった。林田を含め岩灘を含め、彼らはそうするしかなかった。「音の主」に対しての行動コマンドは、もう決まっていた。
「うわああああああああああ!!!!!!!!」
岩灘が叫ぶ。叫ぶ。正気を失った岩灘は、窓から教室を出る。おぼつかないし、震えている足で、走り続ける。学校を出るまで走る。目的地もわからないみたいに、岩灘は走る。狂ったように
「雁楊郎に殺される!」
――と。彼は校門にたどり着くまで、大声でそう叫びながら。
林田が岩灘に追いついたとき、岩灘は校門の前で倒れていた。
「風邪ひくぞ」
ぶっきらぼうに投げつけた言葉に
「そうだね」
と、岩灘は言葉を返す。林田は、そこに違和感を覚えた。あそこまで叫び、狂ってしまった岩灘が、何事もなかったかのように言葉を返している。岩灘が放つ雰囲気は、なぜか妙に冷たさを感じる。その事実に目を背けたくなる。林田は理屈が付かないものを「見る」ことは好きだが「存在」することは好きではない。
「ほら、立てよ」
岩灘がその言葉に応えるように、林田の手を握り、体を起こす。
「『死んだ』って思った」
「うん。」
林田は適当に言葉を返す。岩灘の言葉は妙にからっとしていて、退屈のような印象を受けた。妙な空気が流れる。「言葉を出しにくいのに、言葉を出さないときつい」そんな空気。
「なァ」
岩灘が言葉を投げつけた。あまりにもぶっきらぼうに、少し怒っているような声で
「墓、行かないか?」
静かに、けれど確かに、そう言った。
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