参の昼
壱
祠の中は、外から見たよりも広々としていました。
全てが木で作られたその場所は、あちこち傷んでいて天井の一部からは陽の光が差し込んでいます。
その光が、祠の中まで伸びている木の根を照らしているだけで、他には何もありません。
桃子は仙人さんはどこだろうとキョロキョロ辺りを見廻します。
雉子が木の根の前に立って、「皆さんをお連れしました」と声を掛けました。
どこからかホッホッホッとおじいさんの様な笑い声がして、
「久かたぶりじゃのう。みな良い顔をしおって」と聞こえてきました。
桃子は相変わらずキョロキョロします。
「みな変わらず元気そうじゃ。じゃが雉子よ。そなたは随分と見違えたのう」
雉子は目を閉じてお辞儀をしました。
どうやら声はこの木の根から聞こえる様です。桃子は不思議そうに木の根を見つめました。
「そうか。そなたが皆をここへ導いてくれたか。名は何と申されるのじゃ」
姿は見えませんが声の主に「桃子だよ」と桃子は元気に答えました。
「ほう、桃子か。そなたの両親が授けてくれたのじゃな。愛くるしい頬っぺたは、生まれた頃のままじゃわい」
「おじいさんは桃子のおっ父さんおっ母さんを知ってるの?」
木の根の主は「会うた事はないがのう。ここで見守っておったわい。そなたは二人に愛されて育てられたようじゃの」と語りました。
「うん!おっ父さんもおっ母さんも桃子をすごく大事にしてくれてる!……今頃は、すごく心配してると思う」
桃子は少ししょんぼりしました。
「大丈夫じゃ、案ずる事はないぞ。わしが毎夜、夢でそなたの元気な姿を知らせておったからの」
桃子はホッとして「ほんとう!?良かった!」とニッコリしました。
「……そなたは、誠に愛に溢れておるのう。皆が導かれて集うたのがよう分かるわい」
姿は見えませんが、桃子は仙人のおじいさんが優しく笑った様な気がしました。
「ねぇ、この根っこが仙仁さん?」
誰ともなく尋ねる桃子に、織流が慌てて「無礼ですよ」と小さな声でいいました。
「このお方は、今は木にその姿を変えておられますが、ゆうに二千年は越えて存在されておられるとても偉いお方なのです」
織流がたしなめましたが、
「ふ~ん。長く生きてたら、偉くなるんだね」と純粋な気持ちで言った彼女に、雉子でさえ「桃子っ」と子どもを叱るような顔をしました。
「あ〜っはっはっはっはっ。実に愉快な子じゃのう。そなたの言う通り、長くおれば偉いという訳でもないわい。言うなれば、大海原に比べてわしなど赤子の様なもんじゃ」
織流も雉子も頭を下げました。
そういえば久留はどうしたんだろうと桃子が振り返ると、彼は小屋の隅で膝を抱えて固まっています。桃子が近寄って「どうしたの?クル」と声を掛けると、
「…は、話にだけは聞いた事あるけど、オイラは何か近寄れねぇ…」
と目を丸くして珍しく弱気です。
「どうして?確かに見たことないくらい大っきな根っこだけど優しいみたいだし、大丈夫だよ」
久留は上目遣いに桃子を見ます。
「そういうんじゃねぇ…。確かにでっかくて優しいだろうよ。でもそこがなんか得体が知れずおっかねぇんだ。あいつら二人、桃子も。よく平気だなぁ」
彼は動物的なカンが何かを畏れているようでしたが、桃子にはよく分からないのでとりあえずそっとしておいてあげようと思いました。
そうして木の根の仙人の元へ戻ります。
「桃子と申されたのう。そなたは天柱山に登り、何を求める」
桃子は無邪気に答えました。
「あのね、天柱山から海が見えるんだって!桃子、その海というのが見てみたいの!」
「ほほう。ときにそなたは、海を何と考える」
そう言われるとすぐには答えられません。大きくて広い、そう聞いているだけです。でも桃子は自分の思った通りに伝えました。
「あのね、海は、海はみんなのお母さん。それでね、全部のはじまり」
誰も何も言わなかったので、何か突拍子もない事を言ったのかなと桃子は思いました。
が、木の根の仙仁は
「無邪気に、そして素直に真(まこと)を見抜いておるようじゃな。そう、そなたの言う通り。海は母。海は全ての命の源じゃ。織流に雉子、そして久留よ。お主たちは大したお方に出会い申されたようじゃな」
と言いました。
桃子にはよく分からない言葉でしたが、どうやら正解を言い当てたみたいで、満足にニッコリしました。
「ところでのう、桃子とやら。ここ天柱山は卑しき者は入れぬ霊山じゃ。人は心に皆少なからず卑しきものを抱えている。それが他の生き物とは異なる処でもあり、人を育んでいく源でもある。それ失くして人は人として生きてはゆかれぬのでのう」
難しい言葉が続きますが、桃子は何となく分かる様で黙って言葉を聞きます。
「しかしながらここにおるもの達は、人でありながら皆ここに入られた。何故かのう」
桃子は少し考えます。
「みんな、卑しい気持ちがないから?みんな心が綺麗だもん」
その言葉に他の三人は思わず体が反応しました。
「そうじゃな。それは半分正解じゃ。皆の心は澄んでおり、卑しさが人間の欠片も無い。じゃがそれだけではないぞ」
桃子は何だかドキドキしてきました。仙仁さんが何を言おうとしているのか、心が落ち着きません。
「天柱山へ入るには、その者の真の姿で無くてはならぬ。ちょっと驚くかも知れんがのう、この者たちの、そしてそなたの姿を真のものとしたのちに、入山を許してしんぜよう」
仙人の木の根が、にわかに光り始めました。
それは天井から差す陽の光を受けてではなく、木の根そのものが輝きを放ち始めたのです。
眩いほどの綺麗な光りは、祠の中を満たします。
余りにも眩しくて桃子は目を閉じていました。そして光が次第に収まるに連れ、少しづつ目を開きました。
そこに織流たちの姿はありません。
その代わり白い犬と美しい羽根のキジ、そして隅の方には膝を抱えたサルが居るだけでした。
弐
「わっ!織流に雉子!それに久留まで!みんな動物に変えられちゃったの?」
桃子は驚いて話し掛けました。でも動物達は何も語らず、じっと彼女を見ているだけです。
「みんな、動物になっちゃった……。言葉も、しゃべれなくなっちゃった…」
地面に膝を付く桃子に、仙人の声が聞こえます。
「案ずる事はないぞ。皆、本来の姿に戻っただけじゃ。そなたも本来の姿になっておる」
そう言われて桃子は自分の手足を見ましたが、特に変わったところはありません。
「言葉は失うたが気持ちは通えるはずじゃ。最初に出おうた時、そなたは無意識にそうしているじゃろう」
…最初に出会った時。
桃子は白い犬の前足に自分の服の裾が巻きつけてあるのに気が付きました。
「あ!あなたはあの時の…!」
「そうじゃ。そなたが山で初めて織流に会うた時、この者は怪我を負うて動けぬようになっておった。おぬしが山から薬草を獲って来て噛み潰し、傷を手当てして木の実を与えたのが織流じゃった。その時に気持ちは通じたはずじゃ。他の者もそうじゃ。語らずとも、未だ心は通じておるぞ」
桃子は織流を見つめます。
会話は出来なくても、声にしなくても彼の想いが伝わって来ました。
(驚かせてすみません。あの時は、このまま傷口から病んで死んでゆくのだと思っていました。あなた様のおかげで命を繋ぎ止めることができた。お供をしたのは、そのお礼です)
桃子は雉子も見つめました。
(桃子。あなたは長い間私を苦しめていた呪縛から、その清らかな心で解き放って下さいました。私の身の上の事までどうしてお分かり頂けるのかその時は分かりませんでしたが、共に居させて頂いて今は良く分かります。本当にありがとうございます)
隅っこで座っている久留にも桃子は心を通わせます。
(まぁ別に、俺ぁ何にもしてもらってねぇけどな。……だけどよ桃子、お前に付いて来て良かったぜ。あんた大したもんだよ。見た目は変わったけど、こっからもよろしく頼むな!)
いつもの口調に桃子は思わず吹き出しました。
そうして笑っていると、自然に涙が出て来ます。
「あれ?おかしいな、何でだろ。…可笑しいのに、嬉しいのに、涙が出ちゃう…」
みんなが桃子の傍に集まりました。
「この者たちはそれぞれの山の神じゃ。近頃は祀る者はほとんど居らんようになってしもうたがの。それでも神々は、自分のおる山をずっと収めて守っておるのじゃ」
桃子は感激しながら、みんなを見渡しました。そしてまた涙が出ます。
「すごいよ。みんな、山の守り神様だったんだね。誰にも知られなくても、ずっとずっと山を守っててくれたんだね。ありがとう…。」
そしてその神様たちがどうして自分に付いてきてくれたのか、桃子には分かりません。だけどこの先も、みんなが一緒に居てくれる事が桃子は嬉しくて、元気になれました。
仙人様が改めて言葉を掛けます。
「今よりそなた達に、この霊峰天柱山へ向かう事を赦してつかまつる。達者で登るがよい。そこに在るものをその目でしっかりと見定めて、そなたの答えを探し出すがよい」
また難しい言葉で桃子は半分くらい分かりませんでしたが、元気に行って来い!と言われた事を理解して、
「うん!みんなで気をつけながら行ってくる!おじいちゃんも待っててね!」
と大きな声で応えました。
「ふぁ〜っはっはっはっ。ほんに愉快な子じゃ。迷うこと無きよう、見守っているぞ」
開け放たれた裏口の扉から祠を出て、桃子達はいよいよ天柱山を登り始めました。
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