参の朝


            壱


 木々の間から朝日が差し込み、次第に高くなるお日様が少しずつ周りの森に色をつけます。

少し冷たく澄んだ空気と、早起きの鳥のさえずりが桃子は大好きです。


今朝はバサバサという羽音で目が覚めました。

横で添い寝していた雉子はもう起きてるのか、姿は見えません。眠い目をこすりながらそっとテントから顔を出すと、早起きの雉子が朝の支度をしておりました。今朝は山菜を獲って来てくれたみたいです。

「おはよー。二人は?」

桃子の問いかけに雉子はチラッととなりのテントを見てニッコリします。

「ふふっ、そっか。桃子よりお寝坊さんだ。雉子は一番早起きだね」

「ちょっとこの辺りを散策して来ました。もうすぐ野草のお吸い物が出来ますからね」

桃子は嬉しそうに口を横に伸ばし、大池に顔を洗いに行きました。


 果てしなく澄んだ青い湖。

これほど綺麗な水を湛えているのに魚は一匹も居ません。

神様が住んでいる特別な場所なのかな、と桃子は自分なりに思いました。

遥か向こうの対岸には天柱山の麓の森が見えます。

 (ついにここまで来たんだね…)

でもここからが最も難しいような、何となくそんな気が桃子はしました。


テントに戻るとお寝坊さん二人も起きていて、眠そうに火の側に座っています。

「良かったらどうぞ」と、雉子が注いでくれたお吸い物を「ありがとう」と目をしょぼしょぼしながら受け取る織流と、頬杖をついたまま目を閉じている久留。まだ二人とも眠そうです。

桃子は久留の傍にそっと近寄り、耳に息をふぅ~っと吹きかけました。

「ウヒッ!」と目を開けた彼を見て桃子がケタケタ笑います。

「おんめ〜、今度ぜったい仕返ししてやっからな」

「目、覚めたでしょ?おはよっ」

久留は返事もせずにまた頬杖をつきます。

様子を伺いながら、またそぉ〜っと近づいた桃子に

「クアッ!」と久留が振り返って目を見開きました。

「ひゃっ!」

桃子はびっくりして尻もちをついてしました。

ウキキキッとイタズラな顔で笑って

「寝てねぇよ。今、考え事してんだ」と久留はまた目を閉じました。

「ほんとう?なにを考え事してるの?」

久留に代わって、「湖を渡るのはいいとして、どの方向に向かうかが問題だ」と織流がお吸い物を頂きながら答えました。

 確かに。

これだけ広い湖、そして対岸は遠く離れた森です。イカダがつけれる場所があるのかも、登れる所がどこにあるのかも分かりません。やみくもに漕いでも無駄に体力を消耗する上に、目印がないので風に流されて遠回りすることもありえます。

「そっかぁ。どうしたらいい?」

全員黙っていましたが、雉子が意を決したように口を開きました。

「あの……行くときも大切ですが、帰ることも考えておく必要があります。でもそれは、このあたりの木を織流さんと久留さんがあらかた切って頂いたので、近付いたら見つけやすいと思います。」

「なるほど。近づいたら分かるとして、そこまではどうしますか?何か目印のようなものでもあると言うのなら話は別ですが」

桃子は織流が何となく意地悪な言い方をするなぁ、と思いました。まるで何か知っててわざと雉子の口から言わせようとしている様な、そんな気がするのです。

「目印は……あります。私たちが歩いてきた所に大きな木がありました。それは向こう岸からは無理ですが、ある程度近づいたら分かるほど他の木より飛び抜けています」

織流が何か含んだ様な笑い顔を見せたのが気になります。雉子がここに来る途中でそんな物に気づいていた事がすごいと桃子は素直に思いました。

「いいでしょう。では向こうへ行くのにはどうしたら良いですか。目印もなく、方角さえ分からない。あれほど遠くに見えるのですから岸はかなり遠いはずです。最短距離で最小限の体力でイカダを漕ぐ必要があります。見えない物を目掛けて行くのは全員を危険に晒しかねない」

たまりかねて、桃子は少し大きな声で言いました。

「ちょっとオル!雉子さんがせっかくいい事思い付いて教えてくれてるのにそんな言い方ないよ!織流は少し雉子さんにイジワルだよ。私いまのオルは少しキライ!」

桃子は織流にプイと背中を向けました。

久留も口を挟みます。

「俺もそう思うぜ。いや俺はもともとあんまりお前が好きじゃないげどな。さっきみたいな言い方だと、まるであっちに行くのが嫌なんじゃねえかと思っちまうぜ。オメーに何か考えがあんなら別だけどよ」

織流は久留を見て、それから視線を雉子に向けました。

「申し訳ない。ただ、私はあなたが何か確たるものを知っている、その上で提案をしている様に思えたものですから。不快にさせてしまったのなら謝ります」

雉子は目を伏せていました。そして地面を見つめたまま、「見えるんです」と言いました。

桃子も久留もどういう事だろ、と顔を見合わせましたが、織流だけは「やはり」という顔をしました。

「正確には、見て来ました。でも今は、その意味をお話しすることは出来ません」

雉子は顔を上げました。

「向こうへ着いて、仙人様にお会いできたら全てお分かりになると思います。それに…」

雉子は織流を真っ直ぐに見つめました。

「あなたが向こうへ行きたくないお気持ちも分かります。もしどうしてもというのであれば、桃子を連れて私だけ行って参ります」

 織流は首を横に振ります。

「すまない。そんな事をさせるためにこんな話をしたのではない。ただあなたが、目指す場所が分かるという事を確かめたかったのだ。みんなが安全にたどり着けるために。危険が及ばぬ様に」

織流は一瞬だけ桃子を見て、雉子に言いました。

「あなたを信じます。湖を越えて天柱山を目指す事はあなたの力無くしては叶わない。あなたと、そして仙人のはたらきが必要だ」

今度は少し目を細めて、雉子は織流を見つめます。

「あなたも、ご存知なのですね」

織流は目を閉じて頷きました。


ちっとも分からずちょっと置いてかれてる様な気持ちの桃子と久留が口を尖らせます。

「なんでぇなんでぇい!二人して秘密のおしゃべりみたいな真似しやがってよー」

「そーだそーだ!そもそも二人は知り合いなの?それも知らなかったし。な〜んかヤラしい!」

「なーっ!」

珍しく息のピッタリ合った二人を見て、織流と雉子は一緒に笑いました。

「すまない。向こうへ着いたら全て話す。いや、仙人に会えば全てがわかる」

「ごめんなさい桃子。意地悪じゃないの。信じて、本当よ」

桃子は久留と一緒に頷き合って

「分かったよ。今は話せないだけなんだね。信じる。そして向こうへ着いたら仙人のおじいちゃんに全部教えてもらうから」と言いました。

ありがとう、と二人は桃子に微笑みます。

「俺たちも何か二人だけの秘密を考えよーぜ」

久留は桃子にけしかけますが「何を?」と返されて「そ、それを考えんじゃねぇか。俺たちしか知らない、何か特別な事をよ」

「ん~~ ・ ・ ・ 。ん?」桃子はいまいちピンときません。

「たぁ〜っもういいよ。俺だけ秘密を考えよっ。だぁーれも知らねぇ俺だけの秘密だぃ!」

「そっかぁ。でも誰も知らないなら誰も気づかないし、誰にも知りたいとも思ってもらえないよね…」

久留は黙ってイカダの準備を始めました。

「あぁ!ごめん!そうだねつくろうか。一緒に秘密、つくろうよ!」

いいよ今さら、とふくれっ面で久留は黙々と作業を続けます。

その様子に織流と雉子も微笑み合って準備を始めました。



          弐


 行く手を遮る風もなく、イカダは順調に湖を渡ります。織流と久留が切って来た丸木は丈夫に括(くく)り付けられていて、長さも幅もあったので四人乗るには充分な大きさでした。桃子の思いついた水をはじく葉っぱはテントから外されて船首と船底に取り付けました。おかげでそんなに力を入れなくてもスイスイ漕いで行けます。更に桃子が怪我をしてまで採って来た枝は水に強く、雉子が大きな葉を重ねてしっかり結ってくれたおかげで交代で漕いでも良いほどでした。

久留と桃子が競うように漕いでいると「あんまりここで無理するともたないぞ。まぁ、速いけどな」と織流が言いました。

雉子は桃子のたんこぶが気になり

「痛みはどう?」と尋ねました。

「触ると痛いけど大丈夫だよ。でもまだ腫れてるみたい」

桃子は片手でそっとコブを確かめます。ぶつけた最初より脹らみは大きくなっているようでした。

「ちょっと交代しましょうか。布に水を浸して絞っておいたから、時々同じようにして冷やした方がいいわ」と漕ぐ係を雉子が代わってくれました。

「ありがと」

桃子は漕ぎ棒を手渡して、言われたとおりに布をたんこぶに当てました。ひんやりして痛みもちょっと和らぎます。

雉子姉さんと隣同士になれた久留は嬉しそうに張り切って漕ぎ始めました。


織流は「ちょっと傷を見せてくれないか」と桃子に声を掛けます。

「傷はないよ。たんこぶだけ」

桃子は何となく、織流に少し距離を置いてしまいます。

「いいから。ちょっと外しますよ」

そう言って彼は布をそっと退(ど)けました。

「痛いから、触らないでよ」

「大丈夫。触ったりしません」

織流はじっとたんこぶを見つめます。

チラッと見れば大きさなんて分かるのに、と桃子は思いました。

「向こうへ着いたら、仙人様にみて頂きましょう」

織流の言葉に「仙人さんってお医者さんなの?」と桃子が尋ねます。

織流は少し微笑んで

「医者ではありませんが、色々な力を持っている方です」と言いました。

よく分かりませんでしたが、痛みと腫れが治るようにしてもらえるのかな、そうだといいなと桃子は思いました。



「バサバサッ」というまた羽根の様な音で、桃子は目を覚ましました。うたた寝してしまった様です。

漕ぐ係はいつの間にか織流だけになっていました。久留は横になっていびきをかいています。

「まもなくです。もう少し左に」

雉子が方向を指差しました。

織流は頷いて、横になっている久留を起こします。

湖の水をちょっと顔に垂らすと、久留は「ヒャッ!」と言って飛び起きました。

「出番だ。しっかり漕いでくれ」

「…ったく。いいけどおめぇなぁ、普通に起こせよ」

雉子が乾いた布を久留に差し出しました。

「右側をたくさん漕ぐ必要があります。あなたのお力で、どうかよろしくお願いします」

久留は布を受け取ると顔を拭き、改めて雉子を見つめました。

雉子が「お願いします」と微笑みながらお辞儀をすると、

「おっしゃ!力が自慢の俺様にお任せあれ!」と、久留は張り切って漕ぎ始めました。


桃子はみんなを眺めてふっと想いに耽りました。

思えば自分のこの無茶な冒険に、この三人は付き合ってくれているのです。ただ海が見たい、それだけの思いで始まったこの無謀な挑戦に。

これまでは仲間が増えるたびに嬉しくて楽しい桃子でしたが、この人たちはどうしてここまでしてくれるんだろうと思いました。


織流は用事があると最初に言っていましたが、それがどこで何の用なのか桃子は知りません。ただ行く先の方角が同じで良かったと思っていただけでした。

でもこの先にあるのは天柱山、その先は何があるのかは知りません。桃子はそこで海を眺めることが出来たら目的を果たせるのです。

織流はその先に用があるのでしょうか。その先に何があるのでしょうか。そして久留や雉子は本当にただ自分に付き合ってくれているだけなのでしょうか。そのためにここまでしてくれるのでしょうか。

今まで考えてもみなかった事を、ここに来て初めて桃子は思い始めました。



          参


 反対側の岸は水面が直接森と同化しているためどこからも上がる事が出来ません。

でもたった一箇所、小さな祠(ほこら)がある所だけは、まるでその庭のように土が見えます。


四人を乗せたイカダは雉子のおかげで、おそらく一番近い距離でその場所にたどり着けました。

「ここが仙人さんのおうち?」

桃子が訊くと、織流は

「ああ、そうだ。人が近づいてはならない神聖な場所だ」

と答えました。

じゃあどうするのだろう、と桃子は思いました。

 (ここまで来たのに、これ以上進むことはでき

 ないの?人が近づいちゃだめなら、誰も入れ 

 ないよ)

「天柱山に登るには、ここを通るしかないの?」

桃子の問いかけに、織流は黙って頷きました。

「そんな ・・・」

雉子がイカダを降りて、祠へと近づいて行きます。

「雉子さん!ダメだよ、近づいちゃ!」

焦ってイカダを飛び降りようとする桃子を織流が止めました。雉子は振り返って微笑みながら静かに頷き、そのまま祠へと入って行きます。

「・・・!」


サァーッと風が吹いてきて、波がイカダをチャプチャプ揺らします。

しばらくすると、雉子が祠から出てきました。

「みなさん、こちらへ」

雉子がみんなを祠へと案内しました。


桃子は訳も分からず、みんなの後を付いてイカダを降ります。途中で雉子の袖を掴んで「大丈夫?」と心配そうに声を掛けました。

「大丈夫ですよ。中で仙人様がお待ちです。桃子もどうぞ」

桃子はまだ雉子を心配そうに伺いながらみんなに続きます。

雉子は桃子の後を一緒について歩き、みんなで祠へと入って行きました。


 

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