壱の昼


          壱


 10歳になった桃子は村のガキ大将よりもケンカが強く、そしてみんなに優しかったので村の子供たちの面倒見のような存在でした。

この頃になると桃子はみんなを連れて探検したり、時々一人でも野山を登るのが楽しみでした。

 桃子は元気な上に、危険な物や場所にすぐ気づけるのでどこへ出かけてもほとんど誰も怪我をせずに帰って来れました。すり傷くらいは子供たちにとって怪我には入らなかった様です。


 また、桃子は天気を予想することも出来たので雨が降りそうな時は早めに帰ったり、嵐の前にはどんなに天気が良くても出かけませんでした。大人たちもこの天気の予見がすごく当たるので、農作物にとって大事な天気を桃子に尋ねにくる程でした。

 


 あるとき桃子は、どこかに「海」というものがある事を知り、大きな水たまりが見たくなりました。この村は海からは程遠く、歩ける場所にはありません。

一人の村人が「天柱山に登れば、その向こうに海が見えるって話だがなぁ…。わしの爺さんも一目見ようと行ったみてぇだが、あまりにも遠すぎて麓にある大池を眺めて満足して帰ったそうじゃ」と教えてくれました。

周りを山に囲まれて育った桃子は、大池でも海でもとにかくたくさん水がある所が見たくてたまりません。おっ父にもおっ母にも話しましたが、まだ幼いという理由でなかなか許してもらえませんでした。


自分の足でどのくらい行けるのか確かめてみたくなり、桃子はある日の早朝に自分でおにぎりを作って出掛けてみることにします。二人が心配しないように、囲炉裏の炭で

「たんけんに行きます。夕方にはかえります」

と戸口に書き残して出かけました。



村の子たちを連れてる時と違い、桃子は自分のペースで歩けました。下り坂などは飛ぶように駆け下り、まるで自分が天狗さまにでもなった様な気がします。

お日様が高くなる頃には、ひと山越えて二つ目の山の頂上に着き、大きな木の陰でこさえてきたおにぎりを食べました。川はあちこちにあったので冷たい水はいつでも飲めました。

でもこの山のてっぺんからでもまだ天柱山は遥か遠くです。本当に行こうとするなら幾日か夜を越えなければならない事が分かりました。

日が沈む前には家に帰らなければと思っていたので今日はここまでと決めて、来た道を戻っていきます。


途中で、来る時は気が付かなかった小さな村に差し掛かりました。林の向こうだったので見えなかったのかも知れません。ちょっと寄り道しようとヤブを抜けてそこへ行ってみます。


 村と言うほど家はなく、おまけに誰も住んで居ないようです。もしかしたら今の桃子たちの村に引っ越した集落なのかも知れないと桃子は考えました。向こうのほうが町に近いからです。

一つの家を覗くと、道具などはそのままにしてあります。まだ使える物もたくさん置いてありました。

今度来た時にも寄り道出来るように、桃子は林の入り口に目印をしてまた自分の村へと歩いて行きました。


           弐


 家ではおっ父とおっ母が心配そうに待っていました。また叱られると思った桃子は先に

「ごめんなさい」と謝りました。

おっ母は泣きそうな顔で桃子を抱きしめます。

おっ父は難しい顔をしていましたが

「一人ですごいぞ、桃子。どこまで探検してきたのか、今日見たものを晩飯の時にでも聞かせておくれ」

と頭を撫でてくれました。おっ父の目も少し滲んでいる事に桃子は気付きました。

 今度出かける時はよくよく相談して、二人が安心して見送ってくれるようにしようと考えました。



 次の日から桃子は、毎日「探検」に出掛けました。天柱山を目指すだけじゃなく、色んな山を登ってみて険しい道、危ない崖などをどんな風に行けば安全なのかを色々試して確かめました。

そうした中で食べられる草や木の実を見つけたり、竹筒に水を入れる事を思いつき、自分で作って持ち歩きました。

もしも何日も夜を過ごすとしたらどうすれば良いのか、熊や猪に出くわした時にどうすれば良いのかなども研究していきます。ただ、桃子は動物の気持ちが分かるので相手に敵意がない限りむやみに争ったりはしません。ほとんどの動物は彼女に友好的で頼りになる存在です。動物しか知らない道を教わったり、危険な物事を知らせてくれたりしました。

 

おっ父とおっ母に相談して、時々近くの山で一人で夜を過ごしたりして、大丈夫だと安心してもらえるようにじっくりと時間をかけました。



そうして月日が過ぎ、桃子はいよいよ天柱山を目指す旅に出る事にします。


天柱山の事を教えてくれた村人が一緒に付いていく事でおっ父とおっ母はようやくそれを許してくれました。

おっ母さんは最後まで心配そうでしたが、おっ父は「自分の力をしっかりと確かめてくるんじゃ」と応援してくれました。

それというのも、もう幾日も経たずに桃子は12歳になります。

あの籠の言葉が気になっていたおっ父は、桃子が留守にしていた方が迎えが来ても連れて行かれる心配が少ないと考えたのです。

桃子が誰かに連れ戻されてしまうかも知れないのは、遠い山に冒険に行く事よりもおっ父は不安でした。それに今の桃子はもう大人の知らない事も知っていて、大人と同じくらい体力もありましたので天柱山まで行っても必ず帰って来られると信じる事ができました。



 晴天の朝、村の人達に見送られて桃子と村のおじさんは出発します。桃子は泣きそうなおっ母さんに「桃子には守り神様が付いてるから安心して待っててね」と、ぎゅっと抱きしめます。

姿が見えなくなるまで何度も振り返って桃子は元気に手を振り旅立って行きました。


 

           参


 天気も風も心地よく、桃子はドキドキよりわくわくしながら元気に歩きます。桃子の見守り役のおじさんは少し疲れながらその後を付いていきました。

ひと山越えようやくふた山目の麓に差し掛かった頃にはもう夕暮れ近くなってしまいました。

「そろそろどこかで、寝れる場所を探さんとのう」

おじさんが声を掛けると、「もう少し歩けば、この途中にお家があるよ。誰も住んでないから中で休めるんだ」と桃子が教えました。

村のおじさんは、ひょっとしたらそこは一晩で誰もいなくなったと噂される集落じゃなかろうかと思いました。

 

―――むかし小さな集落で、5、6組の家族が暮らしていました。全員が親戚同士でほとんど家族ぐるみの村です。

別の村に嫁いだ娘が年老いた祖父を訪ねて毎日のように行き来していました。彼女に両親は居りませんでしたので、この祖父をとても大事にしていたそうです。

いつもの様にその孫娘が村に行くと、誰も居りません。全員で畑仕事をする事は珍しくありませんでしたが、誰も家に居ない事を不審に思いました。

ましてや祖父は足が弱く、出歩くのは考えづらかったのです。

さらに不可思議と感じたのは、どの家を覗いてもまるで今の今までそこに住人がいたような、例えば洗濯物が干したままであったり、食事も食べかけの状態で放置されていたのです。

孫娘は泣きながら祖父を探して周りましたが集落はもちろん、田畑にも誰の姿もありません。


人々は「神隠しに遭(お)うたんじゃ」と、そこへは誰も近寄らなくなりました―――


付き添いのおじさんはまさにここがその村に違いないと疑いようもありませんでした。でも他に休める所も無いので、仕方なく桃子の言う事に従います。

それでも夜中に音がしたり、何かの気配がすると、それが風やねずみのせいであってもなかなか眠ることが出来ませんでした。

桃子が全く問題ないかのように、まるで自分の知る家の様にスヤスヤ眠るのが羨ましくもありました。


一夜明けてお日様が出てくるよりも早く起きた桃子は、あちこちの草木や生き物に「おはようっ」「おはよーっ」と声を掛けて回ります。山の上からようやく顔を出したお日様に手を合わせ「おてんとう様、今日もありがとうございます」とお辞儀をしました。

一晩借りた家に戻ると、村のおじさんはようやく眠れたのか何度声を掛けてもむにゃむにゃ言うだけで起きれないようです。

可愛そうに思った桃子は、ここからは一人で行こうと決め、おじさんによく分かるように

「心配しないで待っててね。先に村に戻ってても大丈夫だよ」と、今度は釜焚きの炭で書き残して置きました。


小川の冷たい水で顔を洗ってスッキリした桃子は

「よーし。今日はふた山越えますよー!」

と元気に山を登って行きました。



           四


 お昼ごろになると、桃子はふた山目のてっぺんに居ました。ここまで来るのは初めてで、天柱山も近くなった気がします。

そこかしこから食べられる実や草を採ってきて、竹筒に入れた冷たい水でお昼にします。お腹いっぱいになると走る時に痛くなるので、桃子は必要な分だけを自然の中から分けて貰ました。


 食べ終えて少しひと休みしていると、どこかから苦しそうな辛そうな鳴き声が聞こえます。耳を澄ませて鳴き声の方へ近づくと、一匹の野良犬が木陰に横たわって居ました。右の前足に怪我をしているようです。

 桃子が近づいてももう体力が無いのか、薄目を開けてまたか細い声でクークー鳴いています。

桃子は座ってジッと様子をうかがい、「そうか。狼さんたちの縄張りに入っちゃったんだね。慌てて逃げてたら岩につまづいたの。可愛そうに」と頭を撫でました。

「ちょっと待っててね」

桃子はそう言うと、あちこちから傷によく効く薬草を採ってきて、口の中で噛んで柔らかくしてから犬の足に充てがってやりました。犬は一瞬ビクッと体を揺らしましたが「沁みるけど、すぐ良くなるからね」と桃子は声を掛けました。そうしておっ母さんに作ってもらった服の裾を細く破り、傷口の薬草が落ちないように優しく巻いてやりました。

それから薬草と一緒に採ってきた柔らかくて栄養のある木の実を、「食べれるようになったら全部お食べ」

と言って犬の傍に置いてやりました。

「山の神様、生き物の神様、どうかこの子を守って下さいまし」と手を合わせてから、桃子はまた走って山を下って行きました。


 夕暮れになり、そろそろ今日の寝ぐら探そうとウロウロしていると、川の傍に小さなほら穴があるのを見つけました。そんなに深くはありませんが寝る場所としては充分です。

枯れ草を付近から集めてきて敷き詰め、柔らかい寝床をこさえました。

 

日が沈むとイノシシの親子が洞穴に戻って来ました。

どうやらここは彼らの棲み家だった様です。

半分眠りかけていた桃子は「…ごめんね、一晩だけ場所を貸して下さいな…」と心の中でイノシシに伝えます。

オスのイノシシは特に気にせず、洞穴の入り口を守るように横になりました。子どものイノシシたちは桃子の傍にかたまるようにしてくっついて寝ます。一番小さなイノシシは少し迷ってから、やっぱりお母さんイノシシにくっついて眠りました。

 

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