ももいろ桃子の物語 (上)

北前 憂

壱の朝


          壱

 

 むかしむかしある所に、子供のいない夫婦がおりました。


 

子宝にはなかなか恵まれませんでしたが二人は仲良く暮らしていました。

貧しくはありましたが二人は毎日、仕事や家の事に励み、お互い「ありがとう」が口癖でした。


 ある晩のことです。

夕食を済ませ、いつもように男の人は明日の朝まちへ売りに行くかごを作り、女の人がほつれた着物を直しておりますと「トントントン」と戸口を叩く音がします。

二人は顔を見合わせて、空耳ではない事を確かめると男の人が「こんな時分に、誰が訪ねてきたんじゃろ」

と戸口の引き戸を開けました。

 

外は虫の声が聞こえるだけで誰も居ないようです。

男の人が「はて。おかしなもんじゃ、確かに戸を叩く音じゃと思ったんじゃが」

そう言って首をかしげながら引き戸を閉めようとすると、戸の傍の地面の上に、柔らかな布に包まれた赤ん坊が、立派にこしらえられた籠の中ですやすや眠っているではありませんか。

男の人は驚いて

「おい、お前さんや、ちょっと来ておくれ」と、家の中に声を掛けました。

女の人は「どうなすったの?」

と彼のもとに出て来ると、「まぁ!」と声を上げました。

その声で目を覚ました赤ん坊は

「おぎゃあ〜」と泣き出してしまいました。

女の人は「あぁ、ごめんよごめんよ」と言って赤ん坊をそっと抱き抱えます。

しばらくそうしていると安心したのか、赤ん坊はまたむにゃむにゃスヤスヤと眠り始めました。


「こりゃあ一体…。誰がこんな可愛い赤ん坊をを置いて行ったんじゃろ」と男の人はもう一度辺りを見回します。でも灯り一つ無い夜は、変わらず静かなままで誰の姿も見えません。

そのままにもしておけないので、二人は赤ん坊と籠を家の中に運んで戸を閉めました。


 可愛らしいほっぺたの赤ん坊は相変わらず安心したように女の人に抱かれて眠っています。女の人はその顔を愛しそうに見つめながら

「ねぇ、お前さん。この子は子宝に恵まれない私たちに、神様が授けて下すったんじゃなかろうかねぇ」と言いました。

男の人は、誰かが育てきれずに置いて行ったのだと思いましたが、そうは言わず

「そうかも知れんの。いや、きっとそうじゃ、そうに違いない」と女の人に応えました。

 (誰か見知らぬ人が置いて行ったとて、この子をそのままにしてはおけん。こんなに幸せそうにしている妻にわざわざわしの考えを話して聞かせることはねぇ。

そうじゃ、この子はわしらの赤ん坊じゃ。不甲斐ないわしに代わって、神様が授けて下すったのも同然じゃ)

それに赤ん坊が寝かされていた籠(かご)。

その蔦(つた)は見たこともないもので、編み方も人が造ったとは思えないほど立派で複雑な代物でした。


 神様の籠。

男の人は、そんな言葉が頭に思い浮かびました。

妻に抱かれているその安らかな寝顔をもう一度覗き込みます。女の人も見えやすいように体をずらしてあげました。

「本当に、可愛い赤ん坊じゃ。柔らかな桃色の頬っぺが、まるで桃のようじゃ」

「本当に…。ねぇ、お前さん。この子を『桃子』と呼びませんか。桃のように可愛らしいほっぺたをみて、私はすぐそう思いました」

「桃子か…。可愛いこの子にちょうど良い名じゃなあ。桃子や、今日からわしらがお前の親じゃ。元気に育つんじゃぞ」

女の人はその言葉に嬉しそうに頷きました。


桃子が少し笑ったような、そんな風に女の人には見えました。



          弐


 桃子が来てからというもの、男の人は前よりうんと働きました。

「お前、桃子、行ってくるでの」

元気に家を出る夫を女の人は笑顔で見送り、家で桃子のために可愛い着物や肌着をこしらえます。

不思議な事に、桃子が来てから女の人は御乳が出るようになりました。おかげで桃子はお腹を空かせることもなく、毎日たくさん飲んでたくさん眠りました。

不思議な事はもう一つあります。それは男の人がどんなに疲れて帰って来ても、桃子を撫でたり抱っこしたりすると疲れが全て消えて、また次のあさ元気に働きに出られる事でした。


二人は赤ん坊を授かった事がありませんでしたから、子供が出来るとこんなに不思議な事があるものかと考えました。

村の衆に訊いても、

「そりゃあお前、子供がおればうんと頑張れるし、疲れなんて吹っ飛ぶわい。お前さんとこも、良かったのう」と言ってくれるので、やはりそういうものかと思いました。



初めの頃は村の人達に赤ん坊が居なくなったとか、困っているおなごが居たとか、そういう事は無いかとそれとなく尋ねておりましたが、そんな話は誰にも無かったので、やはりこの子は神様からの授かりものなのだと改めて思うようになりました。


二人は桃子が寝返りをうっては喜び、ダァダァと声を出しては喜び、おかゆを食べるようになっては喜び、幸せな日々が続いていきました。



桃子が他の赤ん坊と少し違うと思うようになったのは、この子がハイハイして廻るようになった頃からです。元気に歩き回るので女の人はとても注意深く見守っていましたが、ちょっと家事をやりながら目を離した時、桃子は囲炉裏(いろり)の方へ行ってしまいました。女の人は慌てて走りましたが桃子は囲炉裏の手前で止まり、じっとそれを見てから離れ、女の人の元へまたハイハイして戻りました。

 他にも、戸口へ向かう高さがある場所では一度眺めてからそれ以上進まなかったり、家にムカデが出た時は急いで離れて母親の所に来ました。

 危ないものを分かる、賢い子なのだと二人は思いましたが、「とおと」「かあか」と言葉を覚えるのも、立って歩き始めるのも他の誰よりも早かったのです。


村一番の年寄りの婆ばさまに話すと

「親から見れば、誰でもそんなもんじゃ。それじゃがあんまり話しまわると自慢になるで、程々にのう」と言ってくれました。

その婆ばに

「ばぁば えらい ばぁば」と桃子が言った時には「この子はほんに、神様の子かも知れんのう」と婆さまも驚かされました。


     

          参


 桃子は5歳になりました。

しっかりもので、お母さんが少し留守にする時でも一人で平気でした。この頃になるとお家の手伝いもすすんでやるようになり、火も怖がらず、扱い方次第で便利にも危なくもなることを解っていました。

 男の人と女の人は、自分達が理解できない事を桃子がするようになってもそれを受け入れました。それはこの子が自分達が思っている以上に成長が早く、きちんと考えがある事に気付かされたからです。


 ある日桃子が二人の知らない内に火を灯しました。二人はてっきりいたずらだと思い、男の人は初めて叱ってしまったのですが、桃子は灯した火でおフロを沸かしてくれようとしていたのを後で気付いたのです。

男の人は桃子を抱きしめて謝りました。叱った時の娘の悲しそうな顔が忘れられません。彼女は𠮟られた事より、自分がやろうとしている事を分かってもらえなかったのが悲しかったに違いないと思ったのです。

それ依頼二人はこの子は子どもの姿をしていながら、思っているほど子供ではないのかも知れないと思い始めました。だから桃子が外で虫や動物に話し掛けているのを見ても、おかしな行動だとは思いません。自分達が理解出来ない事をおかしいと考えるのは間違っていると思ったからです。


 でも、男の人には悩みがありました。

それは桃子を最初に見つけた時の籠の事です。

しっかりと造られ丈夫だったので、桃子が必要としなくなった時に誰かに使ってもらおうと思いました。でも何故かなかなか引き取ってくれる人はおりません。

何となく、捨ててはならない様な気がしてお寺さんに持って行った折、

「これは人の手によるものでない。ただし忌まわしいものでもないから、大事にしまっておきなさい」と教えられずっと納屋にしまっておりました。

何年経っても朽ちることなく丈夫なままで在りましたので不思議に思い、久しぶりに出して眺めておりますと、編み上げたひと箇所に文字が書かれているのが分かりました。小さくてかすれていたのですが何とか読み上げると、そこにはこう書いてありました。

【これよりえとのとおまわり つきのばんにまいります つのがやまにはよせぬよう なにとぞおたのみいたします】

最初は意味が分からなかったのですが、男の人は懸命に意味を読み取ろうとします。

 

「えとのとおまわり」とは干支の10廻り、つまりは12年の月日が過ぎたら。

月の晩に、誰かがやってくる。

「つのがやま」。これは天柱山の事だろうと思いました。山の上に二つ、空へと届きそうな尖りがある山で、昔から「角が山」または「鬼ヶ山」とも呼ばれていました。遠くにありますが、村からもそのツノが見えるほど高い山です。

そこには近づけるな、という意味だとも取れます。

 おそらくこれは桃子の親が書いたのだろうと思いました。あの子を何かの理由で離さなければならず、でもすぐ見つけてもらいたかったから戸口を叩いて知らせた。


(いつか、いや、あの子が12の歳になったら迎えに来る)


幸せそうに母と戯れている姿を見て、男の人はとてもそれを口に出せませんでした。

(何かの思い過ごしであって欲しい。12を超えても、ずっとわしらの子でいて欲しい)

男の人は悪いことは考えず、ただただ愛する我が子の健やかな成長を祈るのでした。


 

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