下
翌朝。家を出ると目の前に幼馴染の矢野が立っていた。僕と矢野は家が近くて3歳の時からの付き合いだ。
矢野は中肉中背の僕と違い、背が高く、全身が筋肉でできていると言っても過言ではないほどムキムキだ。見た目も心做しかゴリラに見える。性格は心優しく、面倒見がいい。どことなくゴリラを感じる男だ。
「あれ。矢野じゃん。おはよ」
「おはよう…じゃなくて。お前、黒鷺壱途と付き合ってるってほんとか?」
「え、なんで知ってんの?」
「うわガチか。そういう噂、流れてるよ」
「まじか」
唸る僕の背を「ほら行くぞ」と矢野に押されて一緒に歩き出す。
「矢野、今日彼女さんと登校しないの?」
毎朝彼女と登校するはずなのにと不思議に思って尋ねる。もしや振られたのか?
「あいつは今日部活の朝練あるから。それよりも黒鷺の話だ」
「黒鷺がどうしたの?」
「いや、あいつ高一から告白される度に「好きな子いるから」って断ってんだよ」
「なんで知ってんの?」
「1年の時、黒鷺と同じクラスだったから。それで…お前1年の時黒鷺と接点あった?」
「全く」
「好かれる要素は?」
「無いね」
「騙されてない?」
「疑ってる。てか聞いて」
そうして僕は矢野にもコクハクゲームについて話した。
「クロじゃねーかよ」
「にしては態度おかしくない?」
「だー、もうわからねえ。…お前道違くね?学校こっちだぞ」
いつもまっすぐ行く道を曲がろうとした僕に矢野が不思議そうに尋ねる。
「あー、今日黒鷺と待ち合わせしてんの。あのクソでかいスーパーの前で」
「まじかよ。俺も行く」
矢野が着いてきた。
「行って何するんだよ」
「威嚇」
「ドラミングってこと?」
「俺はゴリラじゃねーよ」
幼馴染ならではの気安さでゲラゲラ笑っていると例のクソでかいスーパーに着いた。
「間地夜、おはよう!」
スーパーに前に立っていた黒鷺がパッと顔を上げて声をかけてきた。
「おはよう。黒鷺。ごめん。待った?」
「ううん。全然。えっと、後ろにいるのは矢野?」
「ああそう。ごめんね。矢野と僕って家近くてさ。たまたま会ったんだ」
「そうなんだ。おはよう、矢野」
「おはよ。…黒鷺、ちょっといいか?」
「何?」
「…俺と透輝は幼馴染だ。もし透輝になにかあったら俺と透輝の3人の姉が黙っていない。それだけは覚えていてくれ」
そう言うと矢野は学校の方へと走り去っていった。
「矢野って面白い人だね」
「なんかごめん」
「ううん。それよりもさ、俺も間地夜のこと透輝って呼んでいい?」
「へ?」
「だって、幼馴染は下の名前で呼んでるのに彼氏が苗字で呼ぶって変だろ?」
「えっとまあ、そうかも?」
黒鷺に言われるとそんな気がしてくる。
「だから透輝って呼ぶ。ほら、俺のことも壱途って呼んでいいから」
「えっと、うん。じゃあそうするね、壱途」
そう言うと黒鷺…壱途はへにゃりと嬉しそうに笑った。
僕の心臓は「ギャップ萌えー!」と叫び、僕自身も変な声が出かけた。
それからも壱途とのお付き合いはとんでもなく順調だ。夏休みに入っても毎日のようにLINEが来る。おはようからおやすみまで。僕の返信が遅くなってしまっても壱途は決して怒らない。理想の彼氏か?まあ僕の彼氏(暫定)なんですけども。
そして数日後。壱途と約束していた花火大会の日がやってきた。
この花火大会はどうってことない規模のお祭りだ。地元の人たちが集まってテンション上がってる感じのよくある地方都市のものである。
壱途との待ち合わせはあのクソでかいスーパーの前。会場はスーパーから歩いて10分もしない神社とその付近だ。
僕の服装は適度に涼しく動きやすいものでおそらく会場を見渡せば同じような人が何人もいるだろう。姉たちに浴衣を猛烈に勧められたが、(そもそもなぜ浴衣が我が家にあるのかは僕も知らない)たかが地元の花火大会に浴衣は気が引けてしまい断ってきた。僕もたまには断れるのだ。ちなみに今日、セレンはお留守番だ。セレンは使い魔なので知能は高いが、やはり猫なので大きい音は苦手らしい。今頃姉さんたちや母さんの使い魔たちとゴロゴロしているだろう。
クソでかスーパー前にやたらきらびやかな浴衣の男が立っている。顔が良い。眩しすぎて溶けそうだ。
この死ぬほど顔のいいキラキラしい男こそ僕の彼氏である黒鷺壱途である。こんなちんちくりんが隣に立っていいのだろうか。もはやなにかの犯罪に抵触するのではないだろうか。
「壱途、おまたせ」
名前呼びだって当初は壱途、と呼ぶ度に口がもごっとしていたが今では慣れたものだ。
「透輝」
壱途は相も変わらず僕の名前を呼ぶ時、嬉しくてたまらないというようなへにゃりとした笑顔を見せる。なんというか、壱途は多分僕のことが好きだ、と思うような。こんなことを繰り返していれば僕も壱途が本気で僕のことが好きなんだと思うようになってきた。いやどうしてこんなちんちくりんのことが好きなのかはさっぱり分からないけどさ。
「ごめん、ちょっと待った?」
「いや、全然待ってない。さ、行こ、透輝」
手を差し伸べた僕の彼氏があまりにもかっこいい。僕の心臓がぎゅん、と変な音を立てた。顔が赤くなる。それを隠すために俯きながらその手を握った。
「浴衣、目立っちゃうかと思ったけど案外みんな着てるね」
壱途のその言葉に顔を上げて周囲を見渡す。確かに思っていたよりも多い。
「ほんとだ。僕も姉さんたちに勧められたんだけど浮いちゃうかと思ってやめたんだよね」
「もったいない。見たかったのに」
「見たって何もないよ。僕の浴衣とか…」
「そう?俺はめっちゃ見たいけど」
そう言って壱途はくすくすと笑った。なんだか気恥ずかくなって僕はそっぽをむく。
「また機会があったらね」
「来年も一緒にいてくれるんだ」
「っーーーー!」
なにか言えば言うほど気恥ずかしい雰囲気になっている気がする。顔が真っ赤っかになっている自覚のある僕は本格的に俯き、もう何も言わないことにした。
まあつまり僕は、僕の真っ赤になった耳を愛おしそうに見る壱途には全く気づかなかった訳だ。それにさえ気づいていたらまた違う未来もあっただろうけど。後の祭りってことだ。
花火大会の会場には様々な屋台が並んでいる。定番の屋台は一通りある感じだ。
「透輝、何食べる?」
「んー、焼きそばとか?結構お腹すいたからガッツリしたもの食べたい」
「了解。じゃ、あっち行こ」
そう言って壱途は僕の手を引いて歩き出した。
焼きそば、たこ焼き、フルーツ飴。ベビーカステラ、唐揚げ、ラムネにかき氷。2人で食べたいものをあらかた食べ尽くした頃。ちなみに壱途は平均より体格がいいので沢山食べるし、僕、というより魔女の血族は魔術と魔法の行使にカロリーを使うのでよく食べる傾向にある。食品ロスについては心配しないで頂きたい。
「結構食べたね」
「透輝って見かけによらずよく食べるよね」
「ね、燃費が悪いんだと思う。姉さんたちもそうだし、家系的に」
「あー、なるほど。じゃあ次何する?」
「うーん。適当に回ってやりたいことでもさがそうぜ」
「そうしよっか」
そうして2人でプラプラ歩きながら光るブレスレットに懐かしいとはしゃいだり、スーパーボールすくいで早々にポイを破いてゲラゲラ笑ったりした。
「あ、射的」
「透輝、得意なの?」
「全然」
ただ景品の大きい猫ちゃんのぬいぐるみがセレンに少し似ててほんのすこーし欲しくなっただけだ。いや嘘。結構欲しい。
「あれ欲しいの?あの猫」
壱途が微笑みながら尋ねてきた。僕がなんでわかったのかと驚いて壱途を見ると壱途はサラリと言った。
「いや、すっごいあのぬいぐるみ見てたし、いつも透輝がリュックにつけてる猫に似てたから」
「そんな細かいこと見てるんだ」
さすがイケメンモテ男。
「好きな子だから見てんだよ。…欲しい?」
「…欲しい!」
爆弾発言をされた気がするがそれよりも僕は猫ちゃんが欲しい。
「取ってあげるよ。俺ああいうの得意だし」
「マジで?」
「うん。あ、これ持ってて」
壱途は持っていた巾着と袂に入れていたらしいスマホを僕に預けて、射的の店番をしていたおばちゃんにお金を払った。
「あ、壱途、僕が払うよ」
「いいよいいよ。これくらい払わせて?ね?」
僕は聞き分けのいい男だから了承した。決してイケメンの「ね?」に絆された訳では無い。
壱途が射的が得意だと言っていたのは嘘ではないようで、弾を5つ貰って3発目で猫ちゃんを取ってくれた。
「壱途、ありがとう!」
「ど、どういたしまして」
思わず今世紀最大の笑顔でお礼を言うと壱途はすーっとそっぽを向いた。解せぬ。
と、その時。空に大輪の花が咲いた。
「あ、始まった」
「もうちょっと開けた場所行こうか」
「うん」
僕と壱途は花火を手を繋いだまま見ていた。
「じゃあ、またね」
「うん。あ、今度水族館行こうよ。親がチケットもらってきて」
「いいね。久しぶりに行きたい」
そうやって壱途と次会う約束もして、僕らは解散した。
あと数分、壱途を引き留めていれば良かったのに。
それに気づいたのは壱途と解散してから10分もしないうちだった。
「あ、壱途のスマホ…」
射的の時に預かったスマホを僕が持ちっぱなしだったのだ。もしこれがスマホじゃなきゃ次会う時に返すなりしたのだが、流石にスマホは宜しくない。返さねば。
僕は壱途の家へと歩き出す。上手く行けば家に着く前においつけるかもしれない。そう思うと自然と早足になった。
しかし流石に追いつけなさそうだ。そろそろ壱途の家に着く。
曲がり角を曲がろうとした時、僕の目に壱途の姿が映った。壱途に抱きついている女性と共に。
「…え」
道の真ん中で抱き合う2人。壱途の背中と女の人の細い腕。壱途の後ろ姿の隙間から女の人の顔が見える。イケメンな壱途と一緒にいても引けを取らない程の美形。女性の真っ赤な目がとろりととろけて…。
僕は思わず踵を返し走り出した。違う道で壱途の家まで行き、ポストにスマホを入れる。そしてそのまま走った。早くこの場所から離れたかった。ホウキでも持ってくれば良かった。そしたら魔術で飛べるのに。
今にも泣きそうな顔で帰ってきた僕に母さんも姉さんたちも詮索してこなかった。母さんは僕の頭を撫でて、瑪瑙姉さんはハーブティーを入れてくれた。柘榴姉さんは丸くなって寝ているセレンを僕に手渡し、葡萄姉さんは「話したくなったら私の部屋においで」と言った。
部屋に戻り、自分に洗浄の魔術をかける。もう何もしたくなかった。
ポロッと涙が零れた。1度出てしまうともう止まらなくなる。
「ふっ、うぅぅ、うえ、ふぅぅ」
僕はベットに寝っ転がり、壱途がくれた大きい猫ちゃんのぬいぐるみを抱きしめて泣いた。
そして気づく。
僕は壱途のことが好きだ。元から壱途の顔とか性格とかは好ましく思っていたけど、ほんとに本気で好きになっていたんだ。
壱途の笑った顔が好きだ。壱途が僕を呼ぶ声が好きだ。壱途の癖のない髪が好きだ。壱途の運動神経のいい所が好きだ。壱途の誰にでも優しい性格が好きだ。壱途の誠実なところが好きだ。壱途が僕と話す時にへにゃりと笑うのが好きだ。
「気づくの、遅かったかなぁ」
もう少し早く気づいていたら。そしたら壱途と両思い気分を味わえたかもしれないのに。
壱途が僕のことなんて本気じゃなくても、遊びでも罰ゲームでも、壱途のことが好きなのだ。
僕はベットに突っ伏す。ぬいぐるみとセレンを抱きしめる。
セレンの温もりが愛おしかった。
翌朝。というより昼。昨日は泣いているうちに寝落ちしてしまったようだ。
泣きすぎて目が痛い。多分目が腫れて土偶みたいになっている。せめて泣いたらその分元気になればいいのに僕はまだ立ち直れていない。
僕は葡萄姉さんの部屋のドアをノックする。1人でぐるぐる考えてもネガティブになるばかりだ。誰かに話を聞いて欲しかった。
姉さんはドアを開けるとすぐに魔法を行使し、以前入ったような小さな部屋のような空間を作った。
僕と葡萄姉さんは2人で部屋に入る。
「で。何があったの?透輝の彼氏関連の話でしょ?」
部屋にあったクッションに座ると葡萄姉さんがすぐに口を開いた。
「えっと、」
話をしようとすると鼻がつーんとして涙が零れそうになる。
そんな僕を見て葡萄姉さんは眉を顰めた。
「透輝、いい?私もほか2人も母さんもあなたの味方。何があってもね」
僕は頷く。魔女の血族が同じ血族の魔女に甘いのは有名な話だ。 僕は腹を括り、口を開いた。
数分後。
「つまり透輝は浮気されてたの?」
「わかんない。僕のことはほんとに罰ゲームの嘘告で僕の方が浮気だったかも」
「それで彼氏には連絡した?」
「してない…。てか今日スマホ開いてない」
「見なさいよ。ことの成り行きによっては私たちがそいつ引っぱたくから」
僕はしぶしぶスマホを取り出す。壱途からの連絡は来ていない。まあ当たり前か。僕が浮気だったんだから。
「連絡来てないの?」
「来てないよ。だって本命じゃないんだから」
「おかしくない?」
「へ?」
「だって相手から毎朝連絡来てたんでしょ?」
「うん」
「それで相手の認識ではまだ浮気はバレてないはずじゃない。だって透輝が現場を一方的に見ただけで乗り込んでもないでしょ」
確かにそうだ。僕は見ただけ。その後壱途を問い詰めたりはしていない。壱途からしてみたらまだ浮気はバレていなくて、それならいつも通り「おはよう」LINEが来るはずなのだ。
「寝坊したとか…」
「もう昼よ」
「じゃあ、何…?」
「連絡ができない状況にいる…。透輝、もう一度昨日のことを教えて。浮気現場の」
僕はもう一度詳しく話し出す。壱途と女の人が道の真ん中で抱き合っていたこと、ちらりと見えた女の人の顔がとても綺麗だったこと、女の人の顔は酩酊したかのように蕩けていたこと。
女の人の顔が蕩けていた、のくだりで葡萄姉さんは眉を顰めた。そして少し考え込んでから口を開く。
「透輝。もしかして其の女の人、赤い目をしていた?」
「そう、だけど。まさか、」
「多分その女、吸血鬼の血族だよ」
僕は目を見開いた。
吸血鬼の血族は人の生き血を啜る。そして吸血中は目が赤くなる個体もいるらしい、と葡萄姉さんが言った。
しかし現代において吸血鬼の血族のほとんどは代換えドリンクを飲むことが多く、目の赤い吸血鬼は見ることはあまりない。
「透輝、調べたら昨日吸血事件が起きてる。被害者の入院先は、」
スマホを見ていた姉さんが色々と言っているが全く耳に入ってこない。壱途が吸血された?もしあの時、僕が間に入っていたら助かったかもしれない。どれくらい吸血されたのだろう。壱途は、無事?
僕は葡萄姉さんの部屋から飛び出す。部屋で寝ていたセレンを抱えると玄関に置いてある箒をつかみ、葡萄姉さんが言っていた入院先まで飛んだ。
病院に着いたは良いものの。どうしようか。すぐに壱途に会いたいのに。マスコットキーホルダーに変わったセレンを抱えて右往左往していると、背後から声をかけられた。
「透輝くん?」
振り向くと壱途の母が立っていた。
壱途の母は快く僕を壱途の病室に入れてくれた。壱途はまだ目覚めていない。
青ざめたまま眠る壱途を見つめ、その生気の無さに驚いた。冷たい手に触れ、壱途の母に尋ねる。
「あの、壱途は、」
「吸血事件に巻き込まれたの。失血死寸前まで血を吸われて、発見も遅くて、脳までやられてしまって、それで、」
吸血事件でそのような状態になった患者の殆どは死ぬ。運が良くて一生寝たきり。
吸血鬼の血族の吸血は2通り。食事のための吸血と血族を増やすための吸血。壱途は前者だったようだ。そう、僕の頭の冷静な部分が考えていた。
ぎゅうっと唇を噛む。浮気なんて疑わずに壱途に声をかければ良かった。自分が傷つくのを怖がらずにあの現場に乗り込めば良かった。壱途を、僕のことを好きだと言った壱途を信じれば良かった。そんな後悔が僕の中で渦巻く。
その後のことはあまり覚えていなかった。壱途の母と少し話し、フラフラと帰路につき、家でぼんやりとしていた。セレンは僕を心配そうに見ている。
ぼんやりとした頭なりに沢山沢山考えて。僕は魔法の行使を決めた。
「葡萄姉さん。僕、魔法を行使しようと思う」
最初に相談に乗ってくれた葡萄姉さんに言った。葡萄姉さんは目を細めて僕に尋ねる。
「どこまで巻き戻すの?」
僕の魔法は「時を巻き戻す魔法」。魔力の消費が激しく、頻発は出来ないが最強の魔法だ。
「昨日?」
「それはやめておいた方がいい。透輝の負担にはなると思うけどもっと前にして」
「どうして?」
「透輝の彼氏の血を吸った吸血鬼はおそらく被害者だから」
「被害者…?」
全く意味がわからず僕は首を傾げた。
「よく考えて。普通の吸血鬼は代換えドリンクを飲む。そうね?」
「うん」
「それで吸血事件を起こす吸血鬼は殺人をしたい訳では無いから吸血量を調節出来る。まあドリンクのおかげで飢餓状態ではないからできて当たり前ね」
僕は頷いた。
「けど、あの吸血鬼は調節出来なかった。恐らく極度の飢餓状態だったから。それは生まれながらの吸血鬼ではありえない。ドリンクの存在を知っているから」
僕は葡萄姉さんの言いたいことを悟った。
「つまり、」
「そう。つまり昨晩の吸血鬼は他の吸血鬼によって無理矢理吸血鬼にされた可能性が高い。昨日まで巻き戻して透輝の彼氏を助けても根本解決にはならない」
「じゃあ、どこまで戻せばいいの?」
「吸血鬼事件が起きるようになったのは梅雨頃からだから…今年の春まで戻せば恐らく解決出来る」
「今年の春…」
まだ僕と壱途が付き合っていない頃。約4ヶ月前。
「それと透輝。母さんから伝言」
「何?」
「もし時間を戻すなら私たちの記憶は残しておくこと。きっと協力します」
僕の魔法は巻き戻す前の記憶の維持を僕の任意で選べる。全く。母さんは僕たちのことなんて全てお見通しだし、魔女の血族は身内に甘い。
僕が魔法を行使したのはその日の夜だった。母さんには記憶の維持を頼まれていたけど本当に良いか確認したりしたから。夜ご飯を沢山食べて魔力もばっちり。
そっと息を吸う。大丈夫。僕は叡智と調和を司るダイオプサイドの魔女。ダイオプサイドの石言葉は「幸せの道標」。時間の巻き戻りで壱途が僕のことを好きじゃなくなっても次は僕から話しかけよう。この決断はきっと幸せへ続いてる。
「さっむ」
僕は受験会場の入口で手を擦り合わせる。寒すぎる。こんなんじゃ本気出せないかもしれないじゃないか。高校受験の会場で僕は幼なじみの矢野を待っていた。隙間時間に単語帳でも見ようかと思ったが、寒すぎてやる気が出ない。A判定だったしよっぽどやらかさない限りは大丈夫だろうと僕は単語帳をカバンに突っ込んだ。
ぼんやりと周囲を見渡すと少し離れたところに死にそうな顔の男の子がいた。大きめのマスクをしていて顔はほとんど見えないのに絶望感がすごい。緊張してるのかな?
僕はお節介だとは思いつつも男の子に近づいた。
「あの」
「…っ!はい」
「お節介だとは思うんだけどこれ、」
僕は姉さん達に持たされていた予備のカイロを差し出した。
「顔色すごい悪いし、寒いと余計緊張しそうだから」
「あ、ありがとう」
カイロを手渡す際、僕はそっと魔術を使った。どうってことない。少し血行を良くして緊張を和らげる魔術。子供だましみたいなものだけど効くといいな。
「お互い頑張ろ」
気持ち少し顔色の良くなった男の子にそう言った。
「あ、ありがとう。ほんとに」
そう言った男の子は綺麗な目をしていた。
その時、
「透輝―!待たせてごめん!」
矢野がすごい勢いで走ってきた。死にそうだった男の子も友達と合流したようだ。僕は男の子にそっと手を振って会場へ入っていった。
目を開ける。見慣れた僕の部屋の天井。
あの夢…、と言うより、受験会場で実際に起きたことを思い返す。ああ。あの死にそうな顔をした男の子は壱途だったのか。マスクで分からなかったけれど、あの綺麗な目にはとても見覚えがあった。もし壱途があの日から僕のことを好きでいてくれたならとても嬉しい。
今度は絶対に助けてみせよう。
「壱途、おまたせ」
「透輝」
「ごめん、ちょっと待った?」
「いや、全然待ってない。浴衣似合ってる」
「壱途も似合ってるよって、どうしたの?変な顔してる」
「いや、透輝がイベントにあった服装するのがしっくり来なくて。てっきり私服かと思った」
「姉さん達がうるさかったし、機会があったら着ようと思ってたから」
壱途が知らない僕と壱途との約束を守ったんだよって僕は心の中でつぶやく。
「めっちゃ似合ってる。着てくれてありがとう。じゃ、行こ」
僕は壱途が差し出した手を取った。
魔女の血族の初恋とその顛末 旅籠はな @hatago_hana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます