こちら、非攻略対象なのですが……

こふる/すずきこふる

非攻略対象なのですが……


 淡いオレンジ色の光が差し込む教室に一人、マルセルは呆然としてしまう。それは自分の机から、一通の手紙を見つけてしまったからだ。

 差出人を確認すると、マルセルは静かにため息を漏らす。

 相手はマルセルもよく知る同級生、ソフィア。

 まさか彼女の手紙が自分の机に入っているとは思わず、マルセルは頭を痛めた。

(ヒロイン様、攻略対象の机はお隣ですよっ!)


 ◇


 この世界が乙女ゲームの世界だと気付いたのは、入学式の日のこと。

 その日、マルセルはなぜか木に登って降りれなくなっている少女を見つけた。

「何してんの……?」

 この学園に通う生徒のほとんどが貴族の子女である。そんな生徒が集まる校内で、それも女の子が木登りしていることに戸惑いを隠せなかったマルセルは、思わず声をかけてしまったのである。

 彼女は頬を赤く染めて、たどたどしく口を開いた。

「え、えーっと、子猫を助けようとしたら降りられなくなってしまって……」

 彼女の腕の中で子猫がか細い鳴き声を上げており、マルセルは苦笑いを浮かべる。

(ミイラ取りがミイラになってるじゃん……)

 おそらく、彼女一人であれば降りることが出来たのであろう。何かを抱えながら降りるなんて、普通はできない。

(仕方ねぇな……)

 みだりに淑女に触れるのは褒められたことではないが、この場合は仕方ないだろう。

「受け止めてやるから、降りてこいよ」

「えっ⁉」

「大丈夫大丈夫。こう見えて鍛えてるからさ」

「じゃ、じゃあ……行きます!」

 一度深呼吸してから降りてきた彼女をマルセルは衝撃を和らげるように受け止めると、妙な既視感に襲われた。

(あれ? この子、どこかで見たことがあるような……)

 亜麻色の髪に緑色の瞳は、この国では一般的な容姿なのに、なぜか見覚えがある。

 マルセルの腕の中にいる彼女は、どこか所在なさげにマルセルを見上げていた。

「あ、あのう、ありがとうございます……」

「あ、いや……どういたしまして」

 彼女を地面に下ろすと、遠くからマルセルを呼ぶ声が聞こえてくる。

「マルセル、こんなところで何をしているんだ?」

 そう言ってやってきたのは、この国の王子、エドワルドとその友人達。

 彼らと幼い頃から友人だったマルセルにとって馴染みある顔ぶれだったが、彼女が加わったことで見覚えのない光景がフラッシュバックする。

 それは前世で妹に無理やり手伝わされた乙女ゲームの内容で、今の状況がプロローグに相当する部分であることにマルセルは気付いてしまった。

「マルセル、どうした?」

 そう言ったのは、エドワルドだ。彼はパッケージでセンターを飾るメインキャラである。

「エド……お前、王子様じゃん……」

「え、今さら? それより、そちらのお嬢さんは?」

 隣にいる彼女は、王子様という言葉を聞いて慌てて背筋を伸ばした。

「わ、私は、ソフィア・ブラウンです。木から降りられなくなっていたところをこちらの方に助けていただきました!」

 乙女ゲームのヒロイン、ソフィアはそう言って拙い淑女の礼を披露したのだった。

 その後、滞りなくゲームのプロローグは終わり、マルセルはソフィアと別れて静かに安堵する。

(まさか、ここが乙女ゲームの世界だとはな……まあ、非攻略対象のオレには関係ないか)

 乙女ゲームの攻略対象にマルセルは含まれていない。

 マルセルは貴族の中でも末端に属しており、平民とそんなに変わりない身分だった。要領が良くて、使い勝手がいいという理由で友人に選ばれた。

 マルセルとは対照的に攻略対象達は男爵令嬢のヒロインが玉の輿に乗るために用意されたような存在で、マルセルはエドワルドルートで登場するサブキャラ的なポジションである。

(頑張って、玉の輿に乗れよ~)

 心の中でそう応援した翌日、件のヒロインは再びマルセルの前に現れた。

「あ、あのっ!」

「ん?」

 エドワルドと一緒にいるところでソフィアに呼び止められ、マルセルは思わず周囲を確認した。

「え……オレ?」

「はい! そ、その……きっ、昨日、助けていただいたお礼です!」

 頬を赤らめて差し出されたのは、可愛らしい手作りクッキーだった。

(そういえば、ヒロインの趣味ってお菓子作りだっけ?)

「へぇ、美味しそうだね。マルセル、あとで私にも一枚くれないか?」

 甘いもの好きのエドワルドが冗談交じりに言い、マルセルはクッキーを遠ざける。

「や~だね。これはオレがもらったんだから、エドにはやらん」

「ケチだな、マルセルは……」

 エドワルドが肩を竦めて言うが、どのみち毒見が済んでもないものをエドワルドに渡すわけにはいかない。

 そんなマルセル達のやり取りを見て、ソフィアが声を抑えて笑っているのに気付いた。

「余分に焼いたものがあるので、もし良ければ、こちらをどうぞ」

「いいのかい?」

「はい。素人が作ったもので大変お恥ずかしいのですが……」

「そんなことはない。嬉しいな!」

 ソフィアからクッキーを受け取るのを見て、マルセルは思い出す。

(そういえば、エドワルドルートはオレを経由してエドと仲良くなるんだっけか?)

 エドワルドは人懐っこい性格だが、仮にも王族である。男爵令嬢がみだりに近づける相手ではない。

 そんな彼と接点を持つ為に用意されたのがマルセルなのだろう。

(まあ、いくらゲーム世界でも現実的に考えてエドとくっつけるわけがないんだけど)

 エドワルドには、ほぼ内定している婚約者候補がいる。ゲームのように簡単に結ばれないだろう。

 なんせその婚約者候補はエドワルド一筋で、「舐められたら殺す」の精神を持つ生粋の上流貴族。並大抵の努力ではまず勝てない相手だった。

(オレの将来の為にも、エドには恋愛脳で波乱万丈な人生を歩んで欲しくないし、できれば別ルートに行ってくれ)

 そんなマルセルの願いも届かず、ソフィアはその後もマルセル達の前に現れた。

 どうやら、彼女はエドワルドルートを目指しているらしい。乙女ゲームで八方美人プレイは良くないとされているので、彼女の行動は理にかなっていると言えるだろう。

 ダンスの授業の時は、身分の関係でソフィアとペアになることが多かった。

 音楽に合わせてステップを踏むだけのはずが、ソフィアは何度もマルセルの足を踏み、そろそろ靴のつま先が潰れそうだ。

「ご、ごめんなさい。マルセル様!」

「いや、気にしないで。それにオレは貴族の末端なんで、敬称も敬語もいらないよ」

「え、そうなんですか? でも、王子様と一緒にいますよね?」

「一応友人だけど、小間使いみたいなもんだよ。だから、呼び捨てでいいよ」

 マルセルがそう言うと、ソフィアはどこかほっとした様子で笑う。

「じゃあ、マルセル。私のこともソフィアって呼んで。敬語も無しでいいよ!」

「よし、来た! じゃあ、ソフィア。もう一曲挑戦するか!」

 再びステップを踏むと先ほどよりも足取りが軽い。それだけ彼女は緊張していたのだろう。身体の強張りもなくなってマルセルもリードしやすく、今度は一度もマルセルの足を踏むことはなかった。

 それがよほど嬉しかったのか、ソフィアが興奮した様子で口を開いた。

「す、すごい! 私、最後までちゃんと踊れた! マルセルのおかげだね!」

「大袈裟だな。ただ緊張してただけだろう?」

 幼少期からエドワルドと一緒に授業を受けていたマルセルだって、特別ダンスが上手いわけじゃない。

 それにソフィアは男爵令嬢とはいえ、基礎的なステップは身についていた。

「オレが相手じゃなくてもソフィアは踊れるよ」

 そう、たとえば攻略対象達とか。

 マルセルがそう言うと彼女は首を横に振る。

「ううん! 家ではステップを間違えてばかりで怒られてたもん! こんなに気持ちよく踊れたのは初めて! ありがとう、マルセル!」

 ぱっと花が咲いたように笑ったソフィアが眩しく、マルセルの胸が騒がしくなる。

 今まで経験したことのない感覚に、内心で首を傾げていると、少し離れたところから、小さな歓声が上がった。

「素敵……さすがエドワルド殿下とアリスティア様ね」

 みんなが注目する先にはエドワルドが婚約者候補のアリスティアと踊っている姿があった。

 二人は幼い頃からの付き合いだからか、他の同級生とは比べ物にならないほど優雅で息の合ったダンスを披露している。

 周囲の生徒だけでなく教師までもが彼らのダンスに魅了されていた。

「すごい……」

 隣からそんな声が聞こえ、マルセルが目を向けると、ソフィアが熱のこもった視線を二人に向けていた。

「私も、あんな風に踊れるようになるかな?」

 その視線と言葉の意味は単なる羨望や憧れか、それとも恋の萌芽かはマルセルには分からない。

「さあ? たくさん練習して努力すれば、できるんじゃない?」

 マルセルにはそんな答え方しかできなかった。


 ◇


 月日は流れ、ソフィアはエドワルドルートへ着実に近づいて来ていた。

 初めての学力テストではお世辞にも優秀といえない成績だったソフィアだが、マルセルが学年上位にいると知るや否や、勉強を教えて欲しいと頼んできた。

 放課後の空いている時間や授業の休み時間に勉強を見ていただけだったが、今ではマルセルを追い抜きエドワルドに次いで学年二位である。

 一体何がソフィアのやる気に火を点けたのか。

 マルセルは気になって彼女に訊ねてみると、ソフィアは恥ずかしそうに消え入りそうな声で言った。

「その、憧れの人がいるの。だから、その人の隣に立っても恥ずかしくないように、頑張りたくて」

 言い終えた頃には耳まで真っ赤になってしまった彼女の顔を見て、マルセルは思った。

(あ~~、これはエドワルドルート行き確定だわ……)

 ゲームの仕様上、分かっていたことではあるが、ソフィアはエドワルドに憧れを抱いてしまったらしい。

 マルセルは落胆したような、口の中が苦々しくなる感覚に陥った。

(これはもう……大人しく彼女を見守るしかないかな?)

 男爵令嬢が学年テストで学年上位に入ったことで、ソフィアは攻略対象達に注目されることになった。それにはもちろん、エドワルドも含まれている。

 エドワルドはソフィアに興味があるというより、将来有望そうな人材を確保したいという理由だったが、いずれはそれが恋に変わることをマルセルは知っている。

 ソフィアと二人きりだった勉強会も、いつのまにかエドワルドも加わるようになった。

 時に真剣に、時に楽し気に、互いに学び合う二人の姿をマルセルは、息が詰まるような感覚を覚える。

 しかし、王子のおまけであるサブキャラはただ見守ることにしかできなかった。

 そんなある日、エドワルドが婚約者とお茶をする関係で久しぶりに二人だけの勉強会になった。

 初めは真面目に勉強をしていたソフィアだったが、どこか浮ついた様子で落ち着きがない。

 彼女のノートを見ると、応用問題でもない計算式を珍しく間違えていた。

「ソフィア。そこ、間違えてる」

「えっ? あ、本当だ」

 彼女は計算し直すが、思うようにいかないのかペンを持つ手は長い間止まっている。

 そのうちノートにインクの染みが広がっていくのを見て、マルセルは持っていた飴玉を彼女の方へ転がした。

 自分の視界に飴玉が飛び込んできて驚いたのか、ソフィアはハッと顔を上げる。

「あっ……」

「どうした? 悩みごとか?」

「…………うん」

 小さく頷いた彼女は、飴玉の包装紙をいじりながら口を開いた。

「前に、憧れの人がいるって言ったの覚えてる?」

「…………ああ、覚えてる」

 口の中に苦いものが広がっていくのを感じて、マルセルは自分の口に飴玉を放り込んだ。

「その人と仲が良くなれたなって思ったんだけど、最近ちょっと距離を感じちゃって」

「ふーん……」

 最近、彼らは仲が良くなったが、肝心のエドワルドは王族で婚約者候補がいる。男爵令嬢のソフィアとの間に一線を引いているのは当たり前のことだった。

 彼女は自分で口にしてさらに自覚してしまったのか、沈んだ表情を浮かべている。

「もっと仲良くなりたいんだけど、どうしたらいいのか分からなくて。改めて口にすると恥ずかしいっていうか……」

「じゃあ、手紙でも書けば?」

 好感度が一定になると、ヒロインは攻略対象へ手紙を渡すことができる。便箋の柄や手紙の内容によって好感度が上昇し、攻略がしやすくなるのだ。

 今のソフィアなら、エドワルドの好感度を下げるような手紙は書かないだろう。

 マルセルの提案が意外だったのか、彼女は目を大きく見開いてマルセルを見つめていた。

「手紙……?」

「ああ。手紙なら面と向かって話すより素直に言葉にできるかもしれないだろ?」

 マルセルはあらかじめ用意していたエドワルドの好感度を上げるレターセットを取り出す。

「あまりで良かったら、これやるよ。頑張れ、ソフィア」

 口の中の飴玉を噛み砕きたい気持ちをぐっとこらえて、マルセルは便箋を手渡した。


 ◇


 あれから一週間ほど経った。

 ゲームではレターセットを入手した翌日には攻略対象の机に入れていたが、相当文面に悩んでいるのかソフィアは、なかなかエドワルドに手紙を渡さなかった。

 さすがに本人に進捗を聞いたり、エドワルドに探りを入れたりするわけにはいかず、やきもちする時間が続く。

(意外に奥手だな……ゲームでは『よし、書くぞ!』って気合で書いてたのに)

 マルセルは内心で苦笑しながら、教室のドアを開けた。

 誰もいない教室には、淡いオレンジ色の光が差し込み、夕日と影のコントラストがどこか寂しさを感じさせる。

(そういえば、ゲームで手紙を受け取る攻略対象のスチルもこんな背景だったな……)

 そんなことを考えながら、忘れ物を取りにきたマルセルは自分の机に手を突っ込む。

(えっと、ノートは確かここに……ん?)

 あきらかにノートではないものが指先に触れる。何かと思って引きずり出すと、それは先週ソフィアに渡したレターセットと同じ柄の手紙だった。

 一瞬思考が追いつかず、マルセルは呆然とその手紙を見つめてしまう。

 差出人にはソフィアの名前が書かれており、間違いなく彼女が入れたものだと分かって、マルセルはため息を漏らす。

(ヒロイン様、攻略対象の机はお隣ですよっ!)

 ソフィアがドジっ子ヒロインだと分かっていたが、こんなところでドジっ子を発揮しなくてもいいのに。

(クラスも違うし間違えちゃったのか。手紙を入れた先がオレの机で良かったよ……まったく)

 手紙をエドワルドの机に入れ直そうとしたマルセルの手が、入れる直前で止まる。

(本当に……オレ宛に入れたんじゃないよな?)

 あえて距離を取っていたわけではないが、エドワルドがいる時は引き立て役に回っているのは確かだった。

 彼女の気持ちが少しでも自分に向いていたのかと期待したが、その考えはすぐに打ち消した。

『その、憧れの人がいるの。だから、その人の隣に立っても恥ずかしくないように、頑張りたくて』

 恥ずかしそうに頬を赤らめて言ったソフィアの顔が脳裏に過り、マルセルはエドワルドの机の彼女の手紙を放り込んだ。


 ◇


 翌日、さっそくソフィアからの手紙を見つけたエドワルドは、差出人の名前を見て一瞬ぽかんとした顔をしていた。

 その少し間抜けた表情に笑いをこらえて、マルセルは素知らぬふりをして訊ねる。

「どうした?」

「いや、手紙が入っていたんだが……いる?」

 手紙をひらつかせながら、エドワルドが冗談めかしに口にして、マルセルは苦笑して肩を竦めた。

「いらねぇよ。なんて書いてあったんだ?」

「呼び出しかな? 放課後にちょっと行ってくるよ」

 どこか困った表情を浮かべて、エドワルドは手紙を内ポケットにしまったのだった。

 その日の放課後、教室でエドワルドが戻るのを待っていると、彼は嬉しそうな、笑いをこらえているような表情を浮かべて戻って来た。

「どうだった?」

「ああ……そうだな。彼女とはもっと仲良くなれそうだ」

 エドワルドが意味深長な笑みを浮かべたのを見て、マルセルの胸が妙にざわつき、何かが重くのしかかる。

 息苦しいものを感じながら、マルセルは「よかったな」と呟くように口にした。


 ◇


 あの手紙の一件からエドワルドの好感度は上がったようだ。

 時折、耳に入ってくる噂で二人が仲良く話しているところを見たという話を聞く。

 おそらく、マルセルの知らない所で二人が交流をしているのだろう。

 真実かどうかエドワルドに訊ねてみたが、肯定も否定もせず曖昧に流されてしまった。

 はぐらかされたことに釈然とせず、マルセルは適当な口実を作って図書館へ足を運ぶ。

(何してんだろ、オレ……)

 まるで拗ねた子どものような行動に自己嫌悪を抱きながら、誰もいない二階の窓辺の席に突っ伏した。

(自分で背中押したくせに……なんでこんなイラついてんだ?)

 ずっと居座り続ける胸のムカつきが収まらない。

 その原因が言語化できず、マルセルは柄にもなく指の先で机を小突く。その小さな音は答えを急かせているように聞こえた。

(二人の進捗が分からないからか? もっと二人に関わるべきか……ん?)

 窓の外に女子生徒の集団が見えた。人気のない裏庭へ向かっていくその集団の中に、見覚えのある顔が二つ。

「アリスティアと……ソフィア⁉」

 アリスティアはエドワルドの筆頭の婚約者候補。そんな彼女とソフィアが一緒にいる理由は一つだろう。

(やばい。エドとの噂のことでソフィアを問い詰めるつもりか⁉)

 彼女はプライドが高く、エドワルドの婚約者の座がほぼ内定している。男爵令嬢ごときがエドワルドと噂になるなど許せなかったはずだ。

 アリスティア達が厳しい顔つきでソフィアに言い募っているのが遠目からでも分かった。

(今すぐフォローに……!)

 マルセルが腰を浮かせた時、視界の端から一人の男子生徒が現れる。

「あ…………」

 エドワルドだ。

 彼はソフィアとアリスティアの間に割って入っていったのを見て、マルセルはこの状況がゲームのイベントであることを思い出す。

 アリスティアが傷ついたような表情を浮かべて立ち去った後、残された二人が親し気に会話している。そんな二人の姿を見ているのとやけに胸が痛い。

「……オレが出る幕じゃないな」

 どうやら自分は、単なる橋渡し役でしかないようだ。


 ◇


 あの日からソフィアと過ごす時間はさらに減った。どうやらアリスティアと和解したらしく、彼女から淑女教育を受けているらしい。ゲームではアリスティアルートもあるので、特別驚くことではなかった。

 日に日にソフィアの所作が洗練されていき、出会った頃に見せた拙い淑女の礼は次第に影が薄くなっていく。

 ダンスの授業で再びペアとなった時は、彼女が完璧なステップを披露して誇らしげに笑うのを見て、マルセルは寂しくなった。

 おまけにソフィアは生徒会に推薦された。一定期間内に知識のステータスを上げると推薦されるイベントがあったような気がする。

 他に推薦される枠にマルセルの名前はない。当たり前だ。生徒会への参加は特定の攻略対象の好感度を効率よく上げる手段の一つだから。案の定、他に推薦されたのはエドワルドとアリスティア。自分が入る隙などどこにもなかった。

 二学期も後半に差しかかり、最終イベントである学年末パーティーが迫ってきた頃。

「マルセル、婚約相手を心に決めたよ」

 エドワルドの言葉に、マルセルは何も驚かなかった。

「へぇ、誰にしたんだ?」

 素知らぬふりをして訊ねると、彼はいたずらっ子のように人差し指を口の前に立てる。

「内緒。学年末のパーティーで連れ添うつもりなんだ。楽しみにしておいて」

 エドワルドがそう言ってマルセルの肩を叩き、「じゃあ、これから生徒会だから」と踵を返す。浮足立つ彼の背中を恨めしく思いながらため息を漏らす。

(もう最終イベントか……)

 この学年末のパーティーでソフィアはエドワルドに告白され、エンディングを迎える。

 前世の記憶に残っている恋愛エンドのスチルでソフィアが幸せそうに笑う姿を思い出し、マルセルはぼそりと呟いた。

「やだなぁ………………──っ!」

 自然と出てしまった感情の吐露に、はっと我に返って、マルセルは手で口を覆う。

 なぜそんな言葉が出てしまったのだろう。困惑とは裏腹に嫌だという感情に納得する自分がいた。

(ああ…………そうか)

 今までマルセルの胸に居座り続けたムカつきが、すっと溶けるように消えていく。

(オレ、彼女のことが好きだったんだな……)


 ◇


 とうとう最終イベントの日が来た。

 一年の締めくくりとなるパーティーに多くの生徒達が浮足立つ中、マルセルの気分は晴れない。

(ゲームみたいにセーブデータからやり直せねぇかな……)

 自分の気持ちに気付くのが遅すぎた。

 しかし、過去に戻ったとしても、彼女と自分が付き合うなど夢のまた夢だろう。彼女はヒロインで、自分は非攻略対象なのだから。

(婚約したエドとソフィアをずっと近くで見てるしかないとか……いっそうこの恋を自覚さえしなければ、こんな思いをしなかったのに)

 マルセルはエドワルドと共に会場の控室で待機していた。

 会場の入場時間は過ぎているのだが、どうやらエドワルドが正式に決まった婚約者を紹介してくれるらしい。

 解消されたはずのムカつきが、今度は胃痛となってマルセルを襲う。

「どうした、マルセル?」

 隣できっちり正装を着こなしたエドワルドに不思議そうな表情を向けられ、マルセルは首を横に振った。

「なんでもねぇよ」

「そうか? じゃあ、約束の時間だし、そろそろ行こうか」

 エドワルドと共に控室を出ると、嬉しそうなエドワルドの様子にマルセルは少し呆れた。

(これから好きな人と結ばれるヤツはいいよな……)

 そんな不貞腐れたような感情を抱いたまま、エドワルドが向かった先の控室のドアを開けた。

 そこにはエドワルドと対になっているドレスを身に付けたアリスティアとマルチエンディングで見たドレスを着ていたソフィアがいた。

(は?)

「お待たせ、アリスティア」

「ああ、殿下! お待ちしてました!」

 呆然とするマルセルを他所に、エドワルドはアリスティアを引き寄せると、嬉しそうに声を弾ませる。

「実は、アリスティアと正式に婚約する運びになったんだ」

「……え? ソフィアは?」

 アリスティアと婚約が決まったのなら、なぜここにソフィアも一緒にいるのだろうか。

 そんなマルセルの疑問に答えたのは、アリスティアだった。

「ソフィアとはちょっとしたすれ違いがありましたが、すぐに仲良くなりまして。将来はわたくしの侍女として活躍してもらうつもりですわ」

「侍女……?」

 未だに理解が追いつかない頭でソフィアに目を向けると、彼女は嬉しそうに頷いた。

「うん。アリスティア様には生徒会の仕事とか淑女教育のこととかすごくよくしていただいてて。ついさっきエドワルド殿下と婚約が決まったから侍女にならないかってお誘いいただいて……」

(そんなルートあったか⁉)

 アリスティアルートは彼女と一緒に学年末のパーティーを楽しんで終わったような気がする。

 しかし、前世の自分はスチル回収のためだけに走っていたにすぎず、イベントスキップの常習犯だった。もしかして、自分が覚えていないだけでこんな話があったのだろうか。今となっては知るよしもない。

「じゃあ、マルセル。私達は先に会場に行く」

 その声にはっと我に返ると、エドワルドとアリスティアがすでに退室しており、室内にはマルセルとソフィアだけが残された。

 彼女は落ち着きなさそうに手を動かしながら口を開いた。

「あ、あのマルセルは将来エドワルド殿下の側近になるんでしょ?」

「え、まあ?」

「じゃ、じゃあ! 卒業してからも一緒にいられるね!」

 そう言って笑う彼女の頬がみるみると赤く染まっていく。

 まるで自分と一緒にいられることを心から喜んでいるように見え、マルセルの混乱はますます激しくなっていった。

 しかし、その混乱とは裏腹に彼女は口早に言った。

「私、マルセルと知り合えてとても嬉しかったの。でも、私は普通の男爵令嬢で何も取り柄ないし、私なんかと一緒にいたら迷惑かなっと思って。だから、せめてマルセルに釣り合う人になりたくて勉強とか頑張ったんだ。それと手紙も実は……」

「まっ、待って!」

 理解が追いつかなくなる前に、マルセルがソフィアを止めた。

「オレ、ソフィアはエドのことが好きだと思ってたんだけど……まるでオレのことを好きみたいじゃん」

 そうであって欲しいという願いと、いや絶対ないだろと相反する考えが頭の中を駆け巡る中、彼女はゆっくり頷いた。

「うん……そうだよ」

 消え入りそうな声で恥ずかしそうに口にするソフィアの表情は、いつぞや見た憧れの人の話をする時の顔と同じもの。

「私、マルセルともっと仲良く……ううん。お友達以上の関係なりたい……です。それがダメなら、せめて思い出に今日のパートナーに選んでもらえませんか?」

 少し諦めも交じる笑顔を浮かべたソフィアに、マルセルは一歩近づく。

「その……思い出作りじゃなくても、パートナーに選んじゃダメか?」

 マルセルの言葉にソフィアが目を見開いた。

 目を潤ませたソフィアが大きく首を横に振る。

「ううん! その、嬉しい……!」

 どうやらこの世界では、オレは攻略可能だったらしい。

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