屋上にいると後輩ギャルが話しかけてくる件

しぐ

屋上と鍵

「あ、あれ?おかしいなあ、鍵は開いてるって聞いてたのに…」


 冷たい朝の空気が、古い階段を登る足元にまとわりつく。この時間帯の屋上は、いつもなら人の気配なんてまるでないはずだ。だが、聞き慣れた声が上のほうから微かに響いてくる。


 不意を突かれた俺は、思わず足を速めることにした。いつもより少し遅れて屋上へ向かうと、扉の前で何やらガチャガチャと手を動かす小さな後ろ姿が見えた。見た感じ、かなり手間取っているようだ。


 まさか、こんな早い時間に彼女が来るとは予想外だった。いつも俺のほうが早く着いて、屋上で彼女を待つというのが当たり前だったのだ。


「おう篠宮。何やってんだ?」


 その瞬間、彼女は肩をびくっと震わせ、驚いたように振り返った。その大きな瞳がぱちくりと瞬きを繰り返し、一瞬の沈黙の後、不満げな表情へと変わる。


「あっ、先輩!もう遅いですよ〜!いったい何してたんですか!」


「いや、別に普通に遅れただけだが」


「普通に遅れるってどういうことですか!待ちくたびれましたよ!」


 ひとつ下の後輩──篠宮結奈しのみやゆいなは身を小さく震わせながら、俺に詰め寄ってくる。その様子がなんだか小動物みたいで可笑しく、つい口元が緩んだ。


「なんだなんだ、相変わらず朝っぱらからずいぶん騒がしいやつだな」


「騒がしいとは失礼ですね!これは元気と言ってください!」


「はいはい、元気元気。お前はその無駄に高いテンションだけが取り柄だもんな」


「ちょっと待ってください!いま“無駄”って言いましたよね?それ全然褒めてないですよね!?」


 ムッとした表情のまま、篠宮は再び扉をいじり始める。何かに集中しているときのこの異常な熱中ぶりが彼女の特徴だ。普段は元気の塊みたいな篠宮だが、こうして何かに没頭するときは意外と静かになる。もっとも、それが長続きすることはほとんどないのだが…


「で、どうしたんだよ。扉が開かないのか?」


「そうなんです!先輩が『屋上の扉は基本開きっぱなしだ』って言ってたじゃないですか。でもほら、なんか鍵が掛かってて…」


「あーそうか、こりゃ面倒なことになったな…」


 今日は少し遅れて来たために、なかなか厄介なことになってしまっていた。遅れた日に限って鍵が閉まっているなんて、俺はどうも運が悪いみたいだ。


「あれ、先輩?どうかしたんですか?」


「…いや、どうせいつもみたいに建付けが悪いだけじゃないか?こう、右上に持ち上げながら回すとか、そういう力技で開けられないか?」


「それはもうやりましたって!ほら、先輩も試してみてください!」


 押されるがままに扉をいじってみるが、いつもと違いびくともしない。どうやらこれは本当に鍵が掛かっている感触だ。


「おお、確かに開かないな」


「だから言ったじゃないですか!」


 得意げに胸を張る篠宮。別に威張ることでもないと思うが、これも彼女らしいといったところか。


「…まあ、こういう日もあるってことだ。仕方ない、今日はここで時間を潰すか」


「ええー!?ここでですか!?ここ、階段ですよ?なんか人が通ったらすごい気まずいじゃないですか…」


 困ったように眉を寄せながら、周りをきょろきょろと見回す。確かにこの場所はあまり人が通らないとはいえ、完全に人目を避けられるわけではない。


「いや、俺も恥ずかしいんだが…まあ別にいいだろ。どうせお前は、人目とかあんまり気にしないタイプなんだしさ」


「ひどい!私だって一応、女の子なんですよ!人目以上に気にするものなんてないですよ!」


 彼女の真剣な抗議に、思わず笑いそうになる。


「じゃあ鍵持ってくるか?少し時間はかかると思うが」


「いやー、それも面倒ですし…まあ、たまにはこういうのもアリかもですね。ここに座りましょうか」


 彼女は突然吹っ切れたように笑顔を見せると、ひらりと階段の縁に座り込んだ。その心変わりの速さに驚きつつも、俺もすぐに隣に腰を下ろすことにした。




「ところで先輩、屋上に鍵がかかってることってよくあるんですか?いつも先輩が先にいたので、私は知らなかったんですが…」


 篠宮がふと疑問を口にする。普段は俺が先に屋上に着いているため、彼女が鍵の存在を意識することはなかったのだろう。こういう話をするのも初めてかもしれない。


「うーん、たまにあるとは思うが、それがどうかしたか?」


「いえ、普段閉まっていたらどうしているのかと思って…」


「あー…そのときは普通に職員室に行って、『部活で屋上使うので鍵を借りに来ましたー』って言うだけだな」


「はは、すごいですね。部活って、全くの嘘っぱちじゃないですか」


 篠宮は呆れたように苦笑いを浮かべる。何を隠そう、俺はどこの部活にすら入っていないのだ。


「しかし、どうして今日は鍵がかかってるんでしょう?」


「…いや、そりゃ理由なんていくらでもあるだろ。例えばほら、地学部の天体観測とか。ああいうのって大概、屋上でやるもんだろ?」


「でも、昨日は一日中ずっと雨でしたよ?しかも結構強めで、風もビュービュー吹いていて…」


「ああ、そうだったな。しかし世の中随分変わった奴らもいたもんだな…」


「いや、やってませんって!雨の中で星なんて見えるわけないじゃないですか!」


 篠宮は勢いよく否定する。適当な小ボケにここまでツッコんでくれるのは、正直言って気分がいい。


「それに、昨日って水曜日ですよね? 普通、夜に残る系のイベントは、週末にやるんじゃないですか?」


「うーん、確かにそうだな…」


 すると篠宮はじっと俺の顔を見つめる。


「でもそうなると、一体どうして…?」


「いや、他にも理由なんていくらでもあるだろ?例えば集合写真を撮ってたとか、美術部がスケッチしてたとか、それこそ、愛の告白だってあるかもしれない」


「愛の告白…ですか?」


「土砂降りの雨の中、屋上に好きな人を呼び出して愛を叫ぶんだよ。どうだ、めちゃくちゃロマンチックだろ?絶対に一生忘れられない思い出になるって!」


「なりませんよ!フラれる未来しか見えないんですけど!ロマンチックどころか、ただの嫌がらせじゃないですか!」


「うーん、たしかにそういう現実的な見方も一理あるな…」


 篠宮の表情がまた真顔に戻る。そして小さく首をかしげた。


「でもやっぱり、何か変だと思いません?」


「変?どこがだ」


「…あの雨の中、わざわざ屋上に来てまですることがあるようには思えないんです。いつもなら雨とか関係なしに、ここの鍵は開いてたんですよね?」


「ああ、確かにそれもそうだな。つまり言いたいことは、なんで雨の降る昨日にカギって屋上を…ってことだよな?ほら、“鍵”だけに」


「えっと、あの…先輩?」


「おいおい、そんな冷たい目で見るなよ。別にちょっと面白いだろ?」


「いや、全然……。何を言ってるんですか」


 篠宮の視線が容赦なく刺さる。さっきより周囲の温度が下がっている気がする、冷たすぎて凍えそうだ。


「まあまあ、冗談は置いといてさ。別に鍵がかかってたくらいで、そんなに深くに考えることでもないんじゃないか?」


「うーん、まあそれもそうなんですけど…」


 篠宮は口元に手を当てて考え込む仕草を見せる。その仕草に妙な真剣さが漂っていて、こっちまで考え込んでしまいそうだ。


「おっ、もしかしてそれ『私、気になります!』ってやつか?」


「え?まあ気になるというか、先輩なら何かわかるかなと思いまして…ほら、先輩無駄に頭いいですし」


「あっ!さては『私、きー になります!』ってことだったか?ほらこれも“キー”と“鍵”でかかってるんだけどさ…というか、このかかってるってのも、鍵か“掛かってる”ってのと、奇跡的にかかってないか…!?」


「…先輩、真面目に聞いてます?」


 今まで聞いたこともないような低い声だ。再び刺さる視線が恐ろしい。でも俺だって3つもかかってるとは思わなかったんだし、しょうがなくないか?




「まあ実際、真実はなんだっていいんです。地学部が使ったからであっても、写真を撮ったからであっても…」


 篠宮が眉を寄せながら話す。その表情はどこか釈然としないものがある。


「でも、それじゃあ筋が通らないんです!筋が通らないというか理屈に合わないというか…」


「納得いかない…か?」


「そう、ですね。それが一番しっくりきます」


「なるほどな」


 俺は小さくうなずいた。篠宮の性格はよく知っている。彼女の性格だと、何かが腑に落ちないとずっとモヤモヤしてしまうのだろう。その不安げな様子を見ていると、なんだか放っておけない気分になる。理詰めで迫ってくる割に、根っこは不器用で正直すぎるところが彼女らしい。こういう姿を見ると、先輩として何とかしてやりたくなるのが人情というものだろう。


 …ならば仕方ないな。かわいい後輩のために、少しばかり頭を使ってやるか。なに、言葉遊びは俺の得意分野だ。あたかも答えを導き出したかのように見せ、それが篠宮にとって「納得のいく形」であれば、それでいいのだ。


「よしわかった。俺がこの謎をパパっと解いてやろう」


「えっ、本当ですか!」


 篠宮の目が驚きと期待で輝く。こういう素直な反応をされると、少しだけ気恥ずかしいが悪い気はしない。


「ああ、任せておけ。こう見えて先輩は頭がいいんだ」


「嬉しいです!それにしても意外ですね、先輩がこんなやる気になるなんて」


 痛いところを突かれた。普段の態度とあまりに違う様子に、どうやら違和感を持ってるようだ。まあ、日頃の行動からして、信じられないというのも無理はないか。


「これは俺の居場所についての問題だからな。何かの拍子に使用禁止なんてことになったら、たまったもんじゃない」


「なるほど、そういうことでしたか」


 篠宮は、どこか安心したように微笑んだ。それでも、その笑顔の奥にわずかな疑念が残っているのが見て取れた。




 今回の問題は『実際、誰がどう屋上を使ったのか』ということではない。どういった形であれ、彼女の思う理屈に合えばそれで問題はないのだ。詰まるところ問題は『雨の日なのにどうして屋上を使ったのか』これに集約されることになる。さて、どうアプローチすればいいものか…


「まず前にも話した通り、この学校の屋上は鍵は大体いつも開いているってことは知ってるな?」


「みたいですね、だからこそ先輩とこうやって毎朝話すようになりましたし。学校としてはだいぶ問題ありそうですけど…」


「まあそれは置いといてだ。じゃあ、逆に考えてみようか。いつも開いているはずの扉に鍵がかかっていた、これは一体どういうことだと思う?」


 俺の問いに、篠宮は少し考え込んだ様子で答える。


「うーん、そうですね。やはり屋上を何かで使った後にちゃんと鍵を閉めた、ということではないでしょうか?したがって鍵を掛けたのは、結構しっかりした几帳面な人物、そう推測できます」


「いやまあ、確かにそうなんだが…俺はそういうことを聞いているんじゃない」


「ええ、間違ってますか?じゃあ鍵を掛けたのは…屋上に幽霊が現れたから!みたいな?」


「おい、どんどんと遠くなってる気がするぞ。いいか、つまり俺が言いたかったことはだな…」


 俺は言葉を切って篠宮の目を見据える。そして、少し真剣な声で言った。


「鍵を掛けたのは普段屋上を使わない人物だった、こう考えられるってことだ」


「普段使わない人…ですか?」


 篠宮が不思議そうな顔をするが、それも無理はない。だから少し補足を加えることにした。


「そうだ。篠宮は新入生だから知らないかもしれないが、この屋上ってのは意外と色んな人に使われている。それでも普段鍵が掛かっていることはほとんどないんだ」


「ああ確かに、だからこそ私たちは毎朝屋上に入れていたのですね」


 篠宮は納得したようにうんうんとうなずく。


「だから普段使ってる連中、たとえば地学部や美術部、写真部なんかは、鍵を掛ける習慣がないってことだ。わざわざそうする必要はないってことが、共通認識になってるからな」


「なるほど。つまり、昨日の鍵を掛けた人は…」


「屋上を普段使わない誰か、ってことになる。まあ、あくまで可能性が高いってだけだが」


 俺はそう付け加えた。この推理は状況証拠をもとにした仮説にすぎない。もちろん、誰かが単なる気まぐれで鍵を閉めた可能性もゼロではない。しかし、そこに論理的な理由があるとするならば、この推測が最も妥当だろう。


 すると篠宮は「あれ?」と小さく声を漏らし、考え込むように俺を見る。


「…でも待ってください、先輩!屋上から出るとき、もし鍵を持ってたら、普通は念の為に鍵を閉めたくなりませんか?開けっ放しでいいと知っていても、私だったら何となくそうしてしまいそうなんですが…」


「おいおい篠宮、何を言っているんだ?」


 俺は少し笑いながら、人差し指を立ててみせる。


「問題はそこじゃない。俺はそもそも”鍵を持っている”というその状況自体がおかしいと言っているんだ」


「…えっ?」


 篠宮が驚いた顔を見せる。やっと核心に触れられたようだ。


「いいか?屋上の鍵を持ってるってことは、裏を返せば屋上が普段開きっぱなしだってことを知らない人物になる」


「…あっ!確かにそうですね、それは盲点でした」


 じっと話を聞いていた篠宮は、驚いた表情で声を上げた。


「つまりだ。昨日屋上に鍵を掛けた人物は、普段屋上を使わない人間で、何かしらの理由があって職員室にわざわざ鍵を取りに行き、そしてわざわざ鍵を掛けて出て行った。そういうことになる」


「なるほどなるほど。ということは…」


 篠宮は一瞬、真剣な顔をして考え込む。そして次の瞬間、何かを閃いたように顔を輝かせた。


「あっ、わかりましたよ先輩! この事件の真相が!」


「お、おう…事件なのか?」


 首を傾げながら応じたが、篠宮の勢いは止まらない。


「ふふ、聞いてください。ある人物…ここでは仮にAさんとしておきましょうか。そのAさんは屋上に用事があったんです。でも扉を開けようとしたら、なぜか開かなかった!」


「そこでAさんは『あれ、鍵が掛かってる?』と思って、職員室までわざわざ鍵を取りに行ったんです。でも実際は、扉の建付けが悪かっただけで、鍵なんて掛かってなかったんですよ!」


「おお…?」


「そしてAさんは、鍵を持ってきて再び扉を開けようとした。でも、相変わらず建付けが悪くて開かない!それを知らなかったAさんは鍵を開けても扉が開かないという謎の状況に陥ったんです。そして──」


「そして?」


「えーと、屋上入れたのか諦めたのかは分かりませんが、最後に念のため鍵をしっかり閉めて帰ったんです!ふう、これで全て説明できました。どうです? 私のこの天才的な推理は!」


 篠宮は得意げな顔でこちらを見ている。なんだこの自信満々な顔は。思わず笑ってしまいそうになる。


「……まあ、悪くない推理なんじゃないか?」


「ありがとうございます! やっぱり私、探偵向いてるかもしれません!」


「いや、向いてるかはわからんけど…」


 篠宮は満足げに胸を張っている。それを見て、俺は思わず小さく溜息をついた。いや、彼女の推理が全くダメだと言うつもりはない。むしろ、この場にある情報を元にしてそれなりに筋が通っている。しかし、これだとまだ説明がつかないところがある。言う必要はないのかもしれないと分かっていながらも、思わず指摘せざるを得なかった。


「でもな篠宮。その推理だと、Aさんは結局、なんで屋上に来たんだ? お前の中では、目的はそんなに重要じゃないのか?」


「えっ……」


 はっとした顔をして口をつぐんだ。そして少しすると、明らかに気まずそうに口を開く。


「……根本的な理由、忘れてました」


 さっきまでの勢いはどこへやら、急にしょんぼりとした様子になっていた。


「うう、思いつきませんー!先輩、教えてください」


「お前な……」


 俺は彼女の困った表情につい笑みを浮かべる。篠宮のこういう無邪気なところには、つい心を和ませられるのだ。


「まあいい、少し整理してみるぞ。まず雨の屋上っていうのは普通、人がわざわざ来る場所じゃない。だからまず考えられるのは、人目を避けたい理由があったってことだ」


 篠宮は頷きながら、俺の言葉をじっと聞いている。その目は真剣だが、どこか楽しんでいるようにも見えた。やはり、彼女はこういう推理じみた話が好きなのだろう。


「なるほど……例えば?」


「まず思いつくのは酒かタバコだな。未成年じゃ禁止されてるし、誰にも見られたくないだろ」


「お、なんか急にきな臭くなりましたね」


 篠宮は目を輝かせて言ったが、俺はすぐに首を振った。


「だが正直、わざわざ屋上の鍵を借りるほどの理由じゃない。かえって足がつく可能性があるからな。もっとやばい行為、例えば薬物や脅しなんかも同じだ」


「そうですよね。よくそういうのは屋上で…とか聞きますけど、実際鍵を借りてまで屋上でやるようなことではないですよね」


「その通りだ。それに、雨の日にわざわざそんなことをする意味も薄い」


 俺は頷いてから、さらに別の可能性を挙げてみた。


「あと考えられるのは、雨の日にしかできないこと……例えば、理科教員が実験をしていたとかだな。あるにはあるんだが、これも可能性は低いだろうな」


「部活動の生徒を除くとなると、確かに思いつきませんね…」


 篠宮は腕を組み、少し困ったように唸る。


「じゃあ、一体何なんですか…?」


 篠宮は眉をひそめながら、俺の顔をじっと見つめてきた。彼女の目には疑念が浮かんでいる。


 そんな彼女の視線を受け止めつつ、どこか余裕を漂わせるように微かに笑みを浮かべた。


「…実は、俺もあまり思いつかないんだ。ただ、思いつかないってことは、逆に一つの可能性に説得力が生まれるんだよ」


「一つの可能性…?いったいそれは何ですか?」


 篠宮の目が期待に満ちる。俺は少し間を置いてから答えた。


「特に屋上に用はなかった、ということだ」


「えっと、それはどういう?」


 篠宮は一瞬、キョトンとした顔をする。


「簡単な話だ。単純に鍵を持っていたのは、鍵を閉めるためだったんだよ。ほら、昨日風が強かったって言ってだろ?」


「はい、言いましたけど…」


「おそらく建付け悪いこの扉が、昨日の風でガタガタと揺れていたんじゃないか?そして見回りの先生がその音に気づいて、マスターキーかなんかで鍵をかけた。それだけのことなんじゃないか?」


「え、マスターキー…」


 篠宮が繰り返すその声には微妙なトーンがあった。意外そうでもあり、納得しきれないような響きでもある。


「まあ、雑だが、この可能性が一番普通で、尚且つ説得力がある気がするな。篠宮が言ってた『屋上に何かをしに来た』みたいな理由は、考えすぎだったんじゃないか?」


「うーん…」


 一瞬、篠宮は呆然とした表情を浮かべる。彼女は考え込むように眉間にシワを寄せていたが、やがてポツリと呟いた。


「確かに、それなら話が繋がりますけど…え、ホントにそんなオチなんですかね?推理小説だったら叩かれるレベルですよ」


「いや叩かれるって…お前は何を期待してたんだよ」


 俺の言葉に、篠宮は悔しそうに唇を噛む。


「先生がただ鍵をかけただけなんて、そんなの普通すぎてつまらないじゃないですか!ほら、生徒が何か隠すために鍵を閉めたとか、そういう展開のほうが面白くないですか?」


 彼女のこういう好奇心旺盛なところに、俺はいつも振り回されている。突拍子もない発想力は彼女の魅力だが、正直困惑させられることも多い。


「なんだ、まだ納得いかないか?」


「いえ、しました。納得したはずです。理屈にあってますし、何より自然な行為ですから…」

 

 篠宮は困惑しつつも、一応は納得したと口にする。それでも、どこか引っかかるものがあるのか、目線がふらついていた。


「だろう?これが現実的な推論ってやつだ。物語みたいな大事件はそうそう起こらない。実際のところ、大抵の謎っていうのはこんなもんだよ」


 俺は自分の結論に満足しながら適当に話してみた。だが、篠宮は小さく頷いたものの、その表情には微妙な曇りが見え隠れしていた。


 少しの沈黙の後、彼女が口を開いた。


「なんか理屈には合うけれど、真実ではない気がするんです。なぜかはわかりませんが…」


 その言葉に、俺は意表を突かれた。篠宮のこういった直感は侮れない。普段の天然っぽい振る舞いからは想像しにくいが、彼女には妙に鋭い洞察力がある。


「さあな、俺は手元にある情報を、事実をそれとなく結びつけただけだ。間違っている確率の方が高いだろうさ」


「そうですね、これ以上は新しい情報でもない限り難しそうです」


 篠宮は何か考え込むようにしていたが、やがて小さく頷いた。


「まあその辺については、また扉に鍵がかかってたりしてたらわかることかもしれないな」


「確かに、そうかもしれませんね」


 篠宮は小さく息をつくと、ふと我に返ったようにスマホを取り出して時間を確認した。そして、突然慌てたように声を上げる。


「あっ、すみません! 次の時間、体育だったんです! 先輩、私これで失礼します!」


「そうか。じゃあ、またな」


 篠宮は急いで荷物をまとめると、軽やかに立ち上がりこちらを振り向いた。


「それじゃまた明日です、影浦かげうら先輩!」


 明るい声で挨拶すると、彼女はそのまま階段へと駆け出していく。その足音が徐々に遠ざかり、静けさが戻ってくる。


 俺は肩の力を抜いて、深く息をついた。


 ――ふう、なんとか切り抜けた。


 あいつは意外と頭の回転が速い上に、観察力も鋭いからな。普段から何気ない行動や、些細な変化によく目を留め、そこから疑問を見つけ出してくる。ここで話すようになったきっかけも、彼女のそういった性格が原因だった。彼女の疑問になんとなくで返していたら、いつの間にか気に入られてしまったというわけだ。


 だが、今日の彼女はいつも以上に厄介だった。やはりどこか違和感を感じていたのだろう。




 …さて、篠宮が感じていた違和感の正体だが、おそらく大きく分けて二つある。


 一つは、扉の建付けについて。これは彼女は無意識のうちに矛盾があると見抜いていたのかもしれない。というのも、考えてみれば風が強く吹いた日は昨日だけでい。もっと強風の日だって何度かあったはずだ。それなのに、どうして昨日だけ鍵が掛けられたのだろうかと。


 鍵をかけたのは、風のせいではない――その結論に篠宮がたどり着くのは、時間の問題だったかもしれない。そして、それがわかれば次に来る疑問は『本当に普段鍵は開いているのか』ということになるだろう。



 そしてもう一つは、俺の態度だ。普段は仕方なく付き合う程度の俺が、今日はやけに積極的だった。俺が自ら推理らしきことを披露したことは、今までなかったかもしれない。それが彼女にとって不自然だったのだろう。篠宮の推理を誘導したい、という俺の意図が透けて見えていたかもしれない。


 その証拠に、篠宮が去る前に見せた一瞬のあの表情――あれは間違いなく、疑問をぐっと飲み込んだ顔だ。完全には納得していないのが明らかだった。




「…いやまったく、こういうこともあるから、次からはもっと早く来ないとな」


 俺はふっと息をつき、立ち上がる。そしてポケットに手を差し入れると、指先に冷たい金属の感触が触れた。


 ──引き出したのは、自作の合鍵だった。


 これがバレたら、ちょっと面倒なことになるかもしれないので、篠宮にはまだ言えていない。というのも、彼女はああ見えて意外と正義感が強いやつなのだ。もしこの鍵の存在を知られたら、きっと厳しい顔で問い詰められるだろう。それだけならまだしも、鍵を取り上げられたりでもしたら、流石の俺も泣いてしまうかもしれない。この鍵がなければ、心の拠り所ともいえるこの場所に自由に来られなくなってしまうのだから。


 そもそも、この合鍵を作るのにどれだけ苦労したか。鍵をこっそり借りるタイミング、細部の寸法を測るための技術、さらにそれを完璧に再現する技術力――どれも神経をすり減らす作業だったが、それでもなんとかやり切ったのだ。こいつを手放すわけにはいかない。


 合鍵を鍵穴に差し込むと、金属同士の擦れる音が心地よく耳に響く。手応えを感じながら慎重に回すと、「カチッ」という解錠音が、空気を振動させるように伝わってきた。そしていつものようにゆっくりと扉を押し開けると、屋上の爽やかな風が俺を迎え入れてくれた。


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