雪の記憶

野森ちえこ

雪の日の彼女

「なに見てんだ?」

「なんだろう。川……雪?」

「いや、訊いてんのオレなんだけど」


 いったいいつからそうしていたのか。橋の欄干から下をのぞきこむようひして、真城ましろ奈穂なほはいっしんに川(あるいは雪)を見ていた。

 その肩や、あご先で切りそろえられている髪には雪が白く積もっている。

 つめたくないのだろうか。


「なんでもいいけど、風邪ひくぞ」

「うん……」


 聞いているのかいないのか、応じる声はうわの空である。


 真城とは小学五年生から中学一年生までおなじクラスだった。出席番号が近かったため(オレは三田村みたむらという)よく日直とか班とか一緒になって、そこそこ話すようになったのだが、二年生になってクラスがわかれてからは当然ながら接点がなくなり顔をあわすこともほとんどなくなった。


 いまは中学二年生の冬休み。姉(高二)と妹(小六)にジャンケンで負け、母が買い忘れた食材の買い出しに出てきたところだった。時刻は夕方四時をまわっている。


「あたしね、引っ越すの」


 川面を見つめたまま、ぽそりと落とされた言葉は空耳かと思うほどにちいさく頼りない。まるで風景の一部みたいに、真城は橋の欄干に両手をかけた姿勢で佇んでいる。


「帰ったら荷造りしなきゃいけなくて」


 真城はそこで口をとざした。しばらく待ってみたけれど、つづきの言葉はないようだった。そのあいだにも彼女の髪に、肩に雪が積もっていく。


「どこに引っ越すんだ?」

「……おばあちゃんのとこ」

「遠いのか?」

「うん。雪なんて、ほとんど降らないんだって。あたしべつに、雪とか好きじゃないのに、もう見られないのかなとか思ったら、なんか、急に足が動かなくなっちゃって。バカみたいだよね」


 両親の離婚により、真城は父方の祖母の家で暮らすことになったのだという。


「お母さんは、ほかに好きな人がいるから、あたしが邪魔なの。お父さんも仕事人間だから、ほとんど家にいないし」


 こんなとき子どもは無力だ。暮らす土地も、住む場所も、自分ではえらぶことができない。


「スマホ、いま持ってるか?」

「え、うん」


 オレのとうとつな質問に川面から視線をはずした真城は不思議そうにこちらを振り向いた。


「じゃあ連絡先、交換しないか。あ、べつに変な意味じゃなくて、なんつうか、そっちで友だちできるまで、オレでも話くらい聞けるかなとか思って」


 おおきく見ひらかれた真城の瞳から、ぽろぽろと水滴が落ちる。


「え、おい、ちょっと」

「あ、ごめん、なんか急に」


 ふたりしてあたふたと両手足をウロウロと動かして、そのうちに笑いだしてしまった。


 ひとしきり笑って、それからオレたちはメッセージアプリのIDと電話番号を交換した。


「ありがと、三田村」


 そういった真城はすこしさみしげな、けれどどこかスッキリとした笑顔を見せた。


 ❅


 中学を卒業し、高校にすすむころにはもう真城と連絡をとることもなくなっていたけれど、社会人になったいまでも雪が降るたびにあの日の真城を思い出す。


「あ、雪? うわあ、寒いわけだー」


 彼女の声にベランダから部屋を振り返る。ちょうどコーヒーのはいったマグカップをふたつコタツテーブルに置いたところだった。


「こっちおいでよ。寒いよ」


 そそくさとコタツにもぐりこんで身体をまるめている彼女に笑ってしまう。

 あの日、その身に雪を積もらせていた少女と同一人物だとは思えない。


「なに笑ってんのよう」

「いや、なんでも」


 部屋にもどって窓をしめる。

 取引先の会社で彼女、真城と再会したのは半年ほどまえのことだった。

 こんなドラマみたいな再会があるんだなと盛りあがり、盛りあがりついでにつきあうことになった。


 べつに雪とか好きじゃないのに、と泣いていた彼女が、いまコタツにもぐりこんで温かいコーヒーを飲んでいる。

 その光景が、なんだかとてもしあわせに思えた。


     (了)


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雪の記憶 野森ちえこ @nono_chie

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