第5話 終わらない戦い
スターダストが相談に訪れてから数週間後。ギズマはデスクの上に広げた報告書から目を離し、ふとスターダストの姿を探した。
いつもなら訓練室で規律正しく準備運動をしているはずの彼女の小柄な義体が、どこにも見当たらない。支援センターの時計が午前の8時を告げても、彼女の足音は聞こえてこなかった。
「珍しいな……」
ギズマは小さく呟きながら、デスクに置かれた端末を手に取った。スターダストは時間に厳格で、報告や挨拶を欠かしたことがない。むしろ、その几帳面さは彼女の兵士としての習慣の名残だとギズマは理解していた。遅刻や無断欠勤など、ありえないはずだった。
職員に尋ねても、スターダストが来ていないという答えが返るばかり。ギズマの中に不穏な感覚が芽生えた。軽く額に触れて眉間を押さえながら、彼はスターダストが普段使用している居住区への訪問を決意する。義務的な好奇心ではなく、奇妙な不安が彼の背中を押していた。
携帯端末でスターダストに通信を行おうとして、まだ彼女が携帯端末を用意していない事を思い出す。
「不便だな、今度一緒に買いにいってやるか……」
もしかしたら義体の拒否反応が今更になって現れたのかもしれない、コートをとって彼女の居住区へと向かった。
スターダストの居住区画は、戦後復興のために急造された『再建区』と呼ばれるエリアの一角に位置していた。この地域は、かつて激戦地だった都市の外れに設置され、戦争孤児や復員兵などの社会的に弱い立場の人々が集められている。住宅はプレハブ式の簡素な建物が並び、最低限のインフラが整えられているものの、
ギズマはその居住区画の入口で足を止めた。鉄錆びたゲートの向こうには、狭く入り組んだ路地と、薄暗い街灯が並んでいる。空気には湿気と何か焦げたような匂いが混じり、戦争の爪痕を色濃く残していた。スターダストが住む場所を確認しながら進むうちに、道端で遊ぶ小さな子ども達が映った。子どもたちは無邪気に笑いながら、打ち捨てられた兵器の残骸で遊んでいる。
不発弾で遊んでいるのを見つけて、慌てて取り上げた。
スターダストの住む部屋は、区画の一番奥まった場所にあった。扉は錆びつき、名札代わりに貼られた古びたラベルには「MA-34 スターダスト」の文字が手書きで記されている。兵器の型番そのままに苦笑して、ギズマが扉をノックしても応答はない。代わりに隣人らしき中年の女性が顔を出した。
「スターダストちゃんなら、今朝から出かけたきり帰ってきてないよ。何かあったの?」
ギズマは一瞬考え込んだ後、礼を言ってその場を後にした。
再建区の雑然とした街路を、ギズマは慎重に進んでいた。壁には時折、スプレーで描かれた龍を模った紋章が見え隠れしている。まるでこの区域全体が誰かの縄張りであることを誇示するかのようだった。
彼はスターダストの手掛かりを求めて、居住区の住人たちに次々と声をかけた。しかし、その多くは怯えた表情で口を閉ざし、目をそらした。
ようやく、スラムの入り口で果物を売る老婆が、彼に手招く。
「何を探しているんだい?」
ギズマはその場にしゃがみ込むと、低い声で答えた。
「義体の女の子を探している。10歳くらいだ。昨夜から姿が見えない」
老婆は周囲を警戒するように目を走らせ、小声で言った。
「あんた、いい人そうだから教えるけど、その子は『殻龍會』に攫われたよ」
「殻龍?聞かない名前だな、この辺は龍鱗連とかヴァルター退役軍人会が仕切っていたはずだろう」
「そのどっちも、殻龍會が殺しちまったよ。最近じゃ奴らが再建区の仕切りをやっているのさ、乱暴なことばっかりやるから、治安が悪くなる一方さ。へへ、元々底辺ではあったがね、前の方がマシだったなんて知りたくもなかったよ」
ギズマの胸が冷たく引き締まる。
「……その殻龍會ってのは義体の横流しもやっているのか?」
老婆は悲しげな表情で首を振った。
「義体、武器、DVF、なんでも奪って何でも売る。節操のない奴らだよ」
老婆の言葉に、ギズマはふと目を伏せた。戦場で目の当たりにしてきた闇市場の惨状が頭をよぎる。道具として使い捨てられた仲間たち、奪われた命。それは戦争が終わった今も形を変えて続いている。
「いつまでこの悪循環を繰り返すつもりなんだ……」
声に出して呟いたつもりはなかったが、老婆が不思議そうに彼を見上げる。
「そいつらはどこにいる」
「い、いや。まさか乗り込むきかい!?」
知らず知らずのうちに力が入る、ギズマの体は一回りも筋肉によって膨らみコートが張り裂けそうになった。
縦に割れた瞳孔で、より人外としての側面を露にしたギズマが凄む。
「そいつらはどこにいる」
老婆は再度尋ねる彼の迫力に少し後ずさりしながら、北の方向を指さした。
「拠点は北端の廃工場だ。だが近づくのはやめておきな。あいつらは……手加減なんてしない」
ギズマは深く頷き、礼を言って立ち上がった。老婆が何か言い足そうとしたが、彼はすでに歩き出していた。その目には冷静さと怒りが入り混じっている。
「久しぶりの戦闘になるな」
コートの中の拳銃、MP-5に触れるが余りに頼りない。弾薬の携行も最低限だ。
支援センターに大急ぎで舞い戻ったギズマは、受付のサラに険しい顔で声をかけた。
「武器庫の鍵を貸してくれ」
「えっギズマさん? どうなさったんですか? 」
唯ならぬ雰囲気を纏ったギズマが窓口に乗り出し、話についていけないサラを追い詰める。
「銃火器使用申請書、街区内における発砲許可申請書だ。後でセンター長に出しといてくれ」
「えっえっ」
「スターダストが攫われた。助けに行ってくる」
「えっー!」
サラは驚きの表情を浮かべたが、すぐに我に返ると端末を操作した。ギズマから受け取った書類を纏めながらブツブツと文句を言う。
「申請の件は分かりました。でも、大丈夫ですか? お1人で行くつもりじゃ……」
ギズマは不敵な笑みを浮かべながら鍵を受け取る。
「心配するな」
ギズマが武器庫の重厚な扉を開けると、中はひんやりとした空気とともに、戦争時代の遺物が整然と並ぶ光景が広がった。支援センターの武器庫には、武器や装備が厳重に管理されている。魔導ライトの青白い光が、武器の黒光りする金属表面を照らし出していた。
施設や職員の命を守る為に支援局から貸与された暴徒鎮圧用の火器だけでなく、兵士である相談者から一時的に預かった火器の類も多い。下手な銃砲店よりも品揃えが良いだろう。
ギズマは手早く通路を歩き、奥の一角に設けられた個人保管用のロッカーの前で立ち止まる。ロッカーには彼の認識番号と名が刻まれており、指紋と認識番号の照合を終えると、静かな機械音とともにロックが解除された。
扉を開けると、中には戦時中から使い続けてきた愛銃たちが丁寧に整備された状態で収まっていた。これらはギズマが個人所有として持ち込み、戦争が終わった後も定期的に手入れを続けていたものだ。
普段使いしている
各銃口に消音器具を取り付ける。
銃を手に取るたびに、胸の奥に小さな痛みが走った。記憶の中に残る、戦場での数々の犠牲の重み。
「戦争は終わってないな……」
だが手は止まらない。義体の少女を救うために必要なものを選び続ける。スターダストの賢明な姿が脳裏に浮かぶたび、その痛みは一瞬でかき消された。
「彼女を守れないなら、俺が生き延びた意味がない」
ギズマは個人保管用ロッカーを施錠すると、決意に満ちた目で武器庫を後にした。人目につかないようにこそこそとセンターから出ようとして、冷たい声が背後から響く。
「ギズマ、一人で何をするつもり?」
振り返ると、所長のソフィアが険しい顔で立っていた。その右目の抑制ゴーグルがかすかに光り、ギズマの行動を見透かしているようだった。手にはギズマが先程提出を頼んだ諸々の書類が握られている。
「スターダストを救いに行く。再建区のヤクザもどきが関わっているみたいだ、時間がない」
ソフィアは一瞬黙り込み、深く息をついた。
「それなら警察組織に連絡する。部隊を要請すれば――」
「無駄だ」
ギズマはきっぱりと断ち切るように言った。
「警察が動く頃には手遅れだ。それに、やつらがこの件に本気で取り合うとは思えない。再建区のことなんて見て見ぬふりをするだけだ」
ソフィアは険しい表情を崩さなかったが、眉間にシワを寄せて答えた。
「分かっているわ。それでも……一人で行くのは無謀よ」
「他に誰がいる? 今すぐ動かなければ、彼女を取り戻せない。戦場の鉄則を忘れたのか」
「口の利き方に気を付けなさい、ギズマ軍曹」
ソフィアは手のひらほどのサイズの通信端末を差し出す。軽量だが耐久性のある外装に伝達装置が組み込まれている。戦場において、彼らが意思を疎通させるのに不可欠だった装備だった。
「懐かしいな。あんたがまた俺の保護者になってくれるのか?」
ギズマがそれを受け取りながら尋ねると、ソフィアは短く頷いた。
「この端末で私がリアルタイムで状況をモニタリングする。あなたの位置情報や体調データも確認できるし、危険が迫ったら警告を出すわ」
「頼もしいな、あんたの指揮で戦うのは……8年ぶりか?頼りにしているぞ、中佐」
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