第6話 獣の戦い

 再建区北端の廃工場は、夜の闇に溶け込むように沈黙していた。錆びた鉄骨は朽ち果てた蜘蛛の巣のように絡まり、崩れかけたコンクリートの間からは、かつての機械油の匂いがわずかに漂う。風に乗ってわずかに聞こえるのは、遠く離れた街灯の点滅音だけ。ここは、文明の残骸が息絶えた場所だった


 ギズマは廃工場の屋根近くに身を潜め、その黄金色の瞳を細めて周囲を見下ろしていた。縦に裂けた瞳孔がわずかな光さえも捉える。


「ギズマ、聞こえる?」


 通信端末からソフィアの冷静な声が響く。


「ああ、聞こえてる。視界はクリアだ」


 ギズマは小声で答え、背中に伸びる尻尾を微かに動かして体勢を調整した。その尻尾は鉄骨に絡みつき、彼の姿勢を完璧に支えている。


 ギズマもまた、人類の生み出した業。

 第2世代型合成獣兵、省略名BeasB SoldierS-2-2


 魔装兵とはまた違ったアプローチによって人間を超えたその身体が、闇の中で獣じみた威圧感を漂わせていた。


「スキャン結果が出たわ。工場内には少なくとも15人の魔力反応がある。ほぼ全員が銃によって武装しているわ。正面の入口には見張りが二人。入口付近に設置されたセンサーも確認済み。正面突破は難しいわね」


「了解。上層から回る」


 ギズマは短く答え、屋根の縁を慎重に移動した。獣のような静かな動きで鉄骨の隙間を滑るように進む。その手にはMR-10がしっかりと握られており、スリングを調整しながら周囲を警戒する。


「敵の武装状況を確認したい。スコープで見張りをチェックする」


 ギズマはしゃがみ込み、MR-10のスコープを覗き込んだ。正面の見張りは、義体化された右腕をわざと誇示するように動かしていた。その金属製の関節がきしむ音が、周囲の静寂に響く。彼は仲間に向かって笑い声を上げながら、いかにも荒くれ者らしい態度を見せているが、その目には警戒の色は薄い。


「センサーを避けつつ、見張りを片付ける」


 ギズマはMR-10を肩に構え、深い息を吸い込んだ。スコープ越しに最初の見張りの頭部を捉えると、わずかな呼吸の乱れもないまま引き金を絞る。


 プスッ――


 銃声は消音装置に吸収され、小さな機械音だけが夜に響いた。最初の見張りがその場に崩れ落ちる。


「1人目の無力化を確認、続けて」


 ソフィアの指示に従い、すぐさま2人目を照準する。

 次の瞬間、もう一人の見張りが倒れた仲間に気づき、慌てて周囲を見回す。わずかに顔を上げたその瞬間、次弾がその額を正確に撃ち抜いた。


「二人目の無力化も終了、センサーは?」


「問題なし、侵入を」


「了解」


 ギズマは低く囁きながら、すばやく鉄骨の隙間から飛び降りた。その動きは羽ばたく鳥のように軽やかで、着地音もない。


「内部に入ってスターダストの位置を確認して」 


 通信端末からソフィアの声が響く。


 ギズマはMR-10を背中に戻し、腰のMP-5を引き抜いた。接近戦用に小型武器を切り替え、廃工場の錆びた入口を慎重に押し開ける。


 廃工場の内部は、外の荒廃した風景とは異なる不穏さを漂わせていた。

 薄暗い空間に無造作に積まれたコンテナ群、かつての機械設備の残骸が雑然と散らばっている。その中に、数人の男たちが荷物を整理するような素振りを見せている。


 ギズマは暗闇を縫うように移動し、物陰に身を潜めた。彼の獣じみた体は、人間には真似できない静けさで鉄骨をすり抜ける。


「内部の状況を報告して」


 通信端末越しのソフィアの声が低く響く。


「コンテナ群が中央に積まれている。作業中の人員五名、武装している人員は……三名確認できる」


 ギズマはMP-5を構えたまま周囲を見渡した。


「スターダストの反応を捕捉。建物北側の部屋にいる可能性が高いわ。ただ、その周囲にも反応がある。注意して」


「了解」 


 ギズマは冷静に答えると、ゆっくりと近づきながら周囲を確認した。殻龍会の戦闘員は皆、多少義体化や強化を施されてはいるがどうにも練度が低い。

 武装の質もチンピラに毛が生えた程度だ。


 ギズマは暗闇の中を縫うように進み、コンテナの影に隠れた。MP-5を構え、最初の標的を狙う。見張りの一人が無防備な背中を見せながら歩いている。その動きは雑で、ギズマの接近に気づく気配もない。


 プスッ――

 消音銃が火を吹き、戦闘員の体が静かに崩れ落ちる。他の者たちはまだ異変に気づいていない。


「一人目、排除」


「続けて。警戒される前に片付けなさい」     


 二人目、三人目も暗闇に乗じて排除する。撃たれるその瞬間まで彼らはギズマの存在には気づかなかった。


「作業員はどうやら再建区の住民を雇い入れているようね。適当に脅して、拘束しておきなさい」


 ギズマは最後の戦闘員を排除した後、短く息を吐いた。薄暗いコンテナ群の間に潜んでいた作業員たちは、怯えた様子でその場に縮こまっている。彼らは明らかに武装しておらず、戦闘に参加する意志もなさそうだった。


「了解」


 通信端末に応えながらギズマは腰のポーチからナイロン製の簡易拘束具を取り出す。

 作業員たちに向けて冷たい声で言った。


「動くな。抵抗をするな」


 彼の獣じみた瞳と尻尾の動きに威圧された作業員たちは、恐怖の表情を浮かべながら頷いた。そのまま素直に拘束されていく。


 ギズマは静かにMR-10を構え直した。廃工場の湿った空気が一層重く感じられる中、耳に入るのは彼自身の静かな呼吸音だけだった。


「スターダストの反応は?」


 通信端末に向かって囁く。


「まだ北側の部屋よ。ただ……」


ソフィアの声がわずかに緊張を帯びる。


「ギズマ、注意して。建物の北側から強い魔力反応が急速に接近している。おそらく、これは――」


 ソフィアの言葉が途切れた瞬間、廃工場の奥から鈍い足音が響いた。その音は徐々に近づき、やがて廃工場内に低い唸り声が響き渡る。ギズマは瞬時に体勢を整え、目を細めて闇の中を凝視した。


そして、現れた。


 ギズマの視界に映ったのは、見覚えのあるシルエットだった。背丈は彼と同じか、それ以上。力強い筋肉質の体に、獣の特有の無駄のない動き。その瞳はギズマと同じ黄金色だが、異なるのはその冷徹な光。寒気がするほど冷たいその目は、標的を追い詰める捕食者そのものだった。


男はギズマの姿を確認すると、舌舐めずりをしながら地を這うような低い声を発した。


「なるほど、不思議な匂いがすると思えば同輩か。生き残りに会えたのは嬉しいが、敵同士とは……残念だ」


「合成獣兵……良い体格だ、ベースは獅子か?」


「御名答」


 獅子型合成獣兵は低い声で呟き、黄金色の瞳をギズマに向けた。その目には、敵を観察する冷静さと仲間を見つけたような奇妙な親しみが混ざり合っていた。


「お前は……待てよ、俺も当ててやろう。鰐では、無いな。そうか、大蜥蜴だな?」


「ん?あー、まぁそんな所だ」


 ギズマはMP-5を構えたまま、隙なく辺りを見渡し首を傾げた。獅子型の他には敵は居ない。


「安心しろ同輩、俺たちだけだ。匂いでもしや、と思ってない。無粋な真似はしない」


 その瞬間、獅子型の体が再び変化を始めた。筋肉が膨張し、全身が金色の毛で覆われる。人型から獣型へと移行する姿は滑らかで、まるで水が形を変えるようだった。


「変わったやつだ。ヤクザの用心棒にしておくには惜しい」


 ギズマはMP-5をホルスターに格納し、MR-10のスリングを緩めて壁に立て掛けた。この怪物を捕らえるには生半可な弾幕では頼りない。


 お互いがゆっくりと歩み寄る。近付けば近付くほど獅子型の発達した体格が強調されるようだった。

 ギズマが獅子型の間合いに入った瞬間に、丸太のように太い腕が振るわれる。


するりと下から抜け、咆哮を背に一旦距離を取るべく鉄骨の上へと這い上がった。


「ちょこまかと素早いやつだ!戦い方も小賢しいな!」


 獅子型が言い終わるより早く鉄骨を蹴り、落下の勢いそのままにギズマは拳を振り下ろした。硬く握りしめた拳が猫科特有の柔らかな鼻に突き刺さる。


「うっ……」


 慌てて鼻を抑える獅子型の腕を、湯気を発する程に熱い血が流れ伝う。合成獣兵の治癒能力により血は既に止まっていたが、恨めしそうにギズマを睨み上げた。


「どうだいデカブツ、戦いは頭を使え……うお!」


 追撃を加えるべく更に跳躍しようとした瞬間、獅子型はギズマの尻尾を鷲掴み引きずり下ろした。苦悶の表情を浮かべるギズマの両肩を抑え付け、万力のような力を加える。


「勘違いするなチビ助、戦いは筋肉だ」


「男に跨られる趣味はないね」


 尚も軽口を叩こうとするギズマを見下ろしながら、獅子型は更に力を込めた。

 骨格が軋み、枯れ木を折り砕くような耳を覆いたくなる音が廃工場に響く。


「ぐっ……」


「いい音だ!調子に乗った奴を打ち砕くの気分が良い!」


「そうかよ……」


「あの義体のガキもそうだった!澄まし顔が、外皮を剥ぐ度に恐怖で歪んでいった、これだからこの仕事は辞められない!」


「……」


 ギズマは瞳を閉じる。彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 守るべき子ども、スターダストが、戦争によって肉体を記憶を奪われ、ようやく人として生き始めようとしている小さな命が。


 こんな事はあってはいけない。

 

 あの子を守らなければならない。


 廃工場の薄暗い空間に獣の唸り声が響き渡る。獅子型の圧倒的な重量が骨の砕けたギズマを更に圧迫し、その鋭利な爪が鎖骨近くを裂いた。血の臭いが立ち上る中、獅子型の顎がギズマの顔へと迫る。


 だが、ギズマは苦痛に顔を歪めるどころか、一転して表情を消し去った。


「正しく獣じみた能力だ」


 その瞬間、ギズマの身体に異変が走った。皮膚の下で何かが蠢き、骨の軋む音が周囲に響く。彼の筋肉が異常に膨れ上がり、皮膚には龍鱗のような紋様が浮かび上がる。周囲の空気が急激に冷え込み、廃工場全体が異質な威圧感に包まれた。


「訂正しなくちゃいけない点がいくつかある」


 ギズマは獅子型の腕をゆっくりと掴む。その手のひらは完全に龍の爪へと変わり、金属をも容易く砕く異形の力を帯びていた。


「俺のベースは蜥蜴じゃない。第2世代の合成獣兵だしな、君は第3世代だろう。同輩というか、先輩に当たる」


「馬鹿を言うな!第2世代は……」


 戦時中、合成獣兵には設計思想・技術によって三つの区分がなされていた。


 多くの獣の遺伝子を掛け合わせ、異形の魔王軍に負けず劣らずの怪物を生み出そうとし、自我のない獣しか生み出せなかった第1世代。

 人に獣の遺伝子を掛け合わせ、継戦能力と安定性を重視し慎重に調整を施した、合成獣兵の完成形第3世代。


 そして……人間に神格生物の遺伝子を掛け合わせ、制御可能な神獣を生み出そうとし、意図を越えた大量殺戮兵器を生み出してしまった第2世代。


「俺のベースは龍だ、知る限り最後の第2世代になる」


 話しながら、ギズマは何事もなかったかのように立ち上がる。両者の力関係は完全に逆転し、体格差すら覆った。巨体の獅子型を更に見下ろす、異形とすら呼べるまでの巨体へと変じたギズマ。


「てめえ、てめえは!ギズマか!皇国連邦の、飼い犬があ!」


「最後に一点、繰り返しになるが」


 そのまま獅子型を圧して膝をつかせる。技巧を一切用いない純然たる体格と筋肉のみによって。


 吠える獅子型を無視して、身体を弓のように仰け反らせ……


「戦いには頭を使え」 


 思いっきり、鉄槌の如く頭突きを見舞った。廃工場全体を震わすような断末魔が響く。


 白目を剥いた獅子型が、人間形態に萎みながら倒れ込んだ。


「クレバーな戦い方だろう?」


「何処が……」


通信端末からソフィアの呆れ声が響いた。




















 

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