第4話 任務『日常』
リハビリ室の空気は静かで、スターダストの義肢が静かに動く音だけが響いていた。サラはモニターを見ながら、スターダストに指示を出している。
サラは窓口の夜勤業務を終え、そのままスターダストのリハビリに付き合っていた。疲労が顔に滲んでいるが、一切集中は緩めない。
「右腕を少し上げてみて」
スターダストは指示通りに右腕を上げようとするが、義肢は硬直し、動きが不自然だった。彼女の顔にわずかな苛立ちが浮かぶ。
「最初はこうなりますよ、神経と義肢の調整に少し時間がかかるんです」
スターダストはもう一度試み、指先を動かしてみる。今度は少しスムーズに動き、腕を軽く振り上げることができた。だが、それでもぎこちなさは消えなかった。
「動作不良」
スターダストは低くつぶやき、義肢を観察する。サラはその様子を見守りながら、次の指示を出した。
「今度は軽く重りを持ってみて。指の動きを確かめながら」
スターダストは重りを持ち、慎重に指に力を入れる。義肢の精密な動きに、彼女は少し安心したように息を吐いた。
「だいぶいい感じです」
サラはモニターを確認し、微調整を加えながら言う。
「もう少しで、腕の感覚が完全に戻るでしょう」
スターダストは頷きながら、もう一度腕を動かす。まだ不完全だが、義肢は徐々に自分の体の一部として機能し始めているのが感じられた。
穏やかな陽射しが降り注ぐ庭園。風に揺れる葉のざわめきが静寂を彩る中、スターダストは金属製の小さなテーブルに向かい合っていた。義体用に調整された疑似食事が並ぶトレーを前に、彼女は端正な顔を顰める。
「これが、食事か」
スターダストの声が、静かな庭に響いた。
「まあ、見た目はそうだな」
いつの間にか現れていたギズマは隣の椅子に腰を下ろし、トレーを指差して軽く笑った。
「結構美味いらしい。結局は味覚センサー次第だからな、疑似食品が味覚センサーに働きかけ、旨味を再現してくれる」
スターダストはギズマの言葉を聞きながら、無言のままフォークを手に取った。義肢の指がフォークを掴む動きはまだぎこちなく、微かな機械音が響く。彼はフォークを一つのジェル状食品に差し込み、それをゆっくりと口に運ぶ。
「……甘い」
一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた彼女は、小さくつぶやいた。
「それは果実ゼリー、もどきだ。色からしてりんご味かな」
ギズマは肩をすくめた。
「疑似食品は味と食感だけが再現されて、栄養は目的としていない。食べたくなかったら無理をしなくていいんだぞ」
スターダストは再びフォークを持ち直したが、その動きはまだスムーズとは言えない。フォークがカプセルに触れるたび、わずかな力加減の違いが見えた。義肢が自然に動く感覚をつかむには、もう少し時間が必要そうだ。
「苛立つ必要はない」
ギズマは背もたれに寄りかかりながら言った。
「俺も改造手術を受けた当初はこんなもんだった。慣れれば手足みたいに動くようになる」
ギズマは己の大蜥蜴のような尻尾をゆらゆらと揺らす。
「そう簡単にいくのか?」
「俺が言うんだから、間違いない」
ギズマはニヤリと笑った。
「まあ、すぐに魔装兵の体を忘れるくらいになるさ」
スターダストはそれ以上何も言わず、再びジェルにフォークを差し込んだ。ぎこちなさは残るものの、少しずつ動きにスムーズさが出てくる。
ギズマはややためらいながら口を開いた。
「スターダスト、ひとつ伝えておきたいことがある。お前の名前や過去の個人情報だが……戦時中に失われた。何も記録が残っていない。」
スターダストはフォークを皿に置き、少し首を傾げた。
「そうか」
「いや、俺は……お前がもし、自分の過去を知りたいとか、元の名前を取り戻したいとか思うなら、何か方法を探すつもりだったんだが……」
スターダストは小さく笑った。
「名前がないとでも思ってるのか? 皆は私をスターダストと呼んでる。それで十分だろう」
「だが、それは前の体の型番だ、本当の名前じゃないだろう」
スターダストはフォークを持ち上げ、ぎこちなく食事を運びながら続けた。
「私の名前は今ここにあるものだ。それがスターダストなら、それでいい。」
ギズマは彼女の言葉に少し驚いたが、その芯の強さに納得もした。
「確かに、君らしい」
スターダストはフォークを皿に置き、義体の動作をじっと見つめる。
「戦争の中で名前を持たない兵器として使われたのなら、今の私に名前があるだけでも充分だ。それに、スターダストって響きも悪くない」
「ライフルちゃんよりはいいな」
ギズマは冗談めかして言い、二人の間に静かだが穏やかな笑いが生まれる。庭園を渡る風が、二人の間の一瞬の平和を包み込んでいた。
「あー、ごほん」
わざとらしく咳払いをしてから、ギズマは書類の山をテーブルにどさりと置いた。その重さにテーブルが微かに軋む。
「……なんだ、これは?」
スターダストが眉をひそめてテーブルを見下ろす。
「お前の日常復帰に必要な書類だ」
ギズマは面倒くさそうに肩をすくめた。
「役所仕事の極みってやつだな。俺もこれに何時間も潰された」
スターダストは書類を一枚手に取り、嫌悪感を隠そうともせずに眺めた。
『住居申請書』と書かれたタイトルの下に、細かい文字がぎっしり並んでいる。
「『現住居の現状報告』? 『生活困窮度合いに関する自己評価』……一体何を答えろというんだ?」
彼女は不満げに書類を眺める。カチ、カチと眼球の倍率を変える音が微かに聞こえる。
「俺に言われても困るな。全部書き終えるには半日は覚悟しろよ。こっちだって窓口の職員に何度も不備を突っ込まれた。『ここの署名がないと受理できません』とか、『この提出期限が過ぎているので再申請してください』とか」
スターダストは呆れたように書類を放り投げた。
「戦場では命のやり取りをしてきたのに、こんな紙切れ相手に負けそうだな。」
「俺も似たようなことを思ったよ。だがこれを全部通さないと正式に住居も仕事も手に入らない。ルールだから仕方がない」
彼は次に別の束を取り上げ、スターダストの前に広げた。今度は『簡易雇用契約書』というタイトルが目に入る。
「これが支援センターでの雇用契約書だ。仕事内容は、物資管理とデータ整理がメインだな。まあ、現場の職員と馴染むまでの軽作業だ……しかし、他にやりたい仕事があるならそちらに就いてもらっても構わない」
「問題ない、リハビリと並行して出来るならありがたい……この『緊急連絡先』には何を書けばよい」
スターダストは眉間に皺を寄せて書類を指差した。
「おい、ここで文句を言うな。適当にセンターの番号でもかいておけ」
ギズマは手を振りながら答えた。
「とにかく埋められるところを埋めておけ。それでも何か抜けてると窓口で突っ返されるんだから。」
スターダストは黙って次々と書類をめくりながら、疲労感が押し寄せるのを感じた。義肢の調整記録、保険の登録申請、さらにはリハビリプランの更新書類まで山積みだ。
「全部終わったら、これを役所に持っていくのか?」
スターダストがうんざりした声で尋ねる。
「いや、それが終わりじゃない。次は労務局だ。それから医療審査のために保健局にも立ち寄らないといけない。最悪、また全部戻ってくる可能性もある」
「これが『日常』か」
スターダストは苦笑混じりに書類の束を睨んだ。
「まあな。戦場より安全だが、その分、しがらみも多い」
スターダストは深いため息をつきながら、書類の山に取り掛かった。新しい生活への道のりは、予想以上に遠く感じられた。
生活支援センター事務室、ギズマは机に散らばった資料を整理しながら、スターダストの社会復帰プログラムに関する報告書にざっと目を通していた。
報告書は分厚く、心理診断の結果や義体の調整状況、現状の社会適応度など、多岐にわたる項目が並んでいる。その中でも目を引いたのは、心理診断の部分だった。
『感情の表出が困難な状況』
『過去のトラウマが日常生活に影響を与えている』
『余暇等は自室で待機、娯楽や趣味に打ち込む様子もない』
ギズマは短くため息をついた。予想はしていたが、これほど直截的に書かれていると、思わず眉間にシワが寄る。
義体調整の項目には、機能面では特に問題がないとされていたが、精神面との統合が課題だと結論づけられていた。ギズマは報告書を置き、考え込むように目を閉じる。
「難しいよな、忘れろって訳じゃないんだが」
数日の間にスターダストは何度か顔を見せに来ていた。彼女は言葉少なで、必要以上の会話を避けるようにしていたが、その背中には小さな変化の兆しも見え隠れしていた。ギズマが報告書を閉じたところで、控えめなノックの音が響く。
「どうぞ」
ギズマが言うと、スターダストが入ってきた。彼女は相変わらずの無表情だったが、わずかな仕草から微妙な躊躇が感じられた。
「……報告書の内容は確認したか?」
彼女はストレートに切り出した。
「ああ、ざっとな。義体の調整は順調そうだが、心の方が追いついていないみたいだな」
「心理評価のことか。正直どうすればいいのかは分からない」
ギズマは少し笑みを浮かべた。
スターダストはまだ子どもだ。生身を再現した義体の外見が10歳前後、5つにもならない内に強制徴用からの魔装兵換装手術を受けたさせられたのだろう。生命の価値が低かった戦争後期においては、身寄りのない子どもが纏めて徴用という名の誘拐により輸送車の荷台に詰められ工場に運ばれ……加工される。よくある話だった。
「子どもが色々と考え込む必要はない。今はぼちぼち働きながら、ゆっくりと自分のやりたい事を見つければいい」
「……子ども扱いは本当に久しぶりだ」
ギズマが身を乗り出してスターダストの頭を撫でる。完璧に再現された毛髪は、絹の様に滑らかな手触りだ。
ぶっきらぼうに唇を尖らせる彼女だったが、どこか満更でも無さそうな表情をしてそれを受け入れていた。
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