第3話 新たな体
ヴァルター自治領支援センターの所長室。窓から差し込む柔らかな光が、デスクに広がった書類を照らしている。だがその穏やかな雰囲気は、所長ソフィア・ヴァイスの苛立ちを前にあっという間に吹き飛んでいた。
「ギズマ、説明してもらえる?」
所長室の空気がピンと張り詰める。ソフィアはいつも冷静だったが、今はその眉がわずかに険しい角度を描いている。
彼女の右目は抑制ゴーグルに覆われているものの、ギズマはその奥の鋭い光を感じた。彼女の持つ生来の能力、「魔眼」が本質を見抜こうとしている感覚が、空気の重さとして伝わってくる。
「スターダストのためだ」
ギズマが短く答えると、ソフィアの左目だけがわずかに細められた。右目の抑制ゴーグルの下で、魔眼が反応しているのだろう。
「スターダストのため?」
ソフィアはゆっくりと机にタブレットを置き、その手を軽く組んだ。彼女の声は冷静だったが、その奥には苛立ちが隠れていた。
「確かに、貴方の担当であるスターダストは義体調整が必要だった。でも、
ギズマは無言のまま腕を組む。その様子に、ソフィアは苛立ちを隠せなかった。
「ギズマ、あなたが彼のことを思っているのは分かる。でも、この義体がどれほどの負担をセンターにかけているか、ちゃんと理解しているの?」
ソフィアの冷静さの裏には、彼女の献身的な性格が垣間見える。このセンターは戦争で傷ついた兵士たちにとって最後の砦であり、彼女はそれを守る責任を強く感じている。
「……本人が選んだ、間違いはない」
ギズマは静かに答える。彼の声は落ち着いているが、その言葉には揺るぎない信念があった。それを聞いたソフィアの目が一瞬揺らぐが、すぐに平静を取り戻した。
「分かるわ。スターダストにとって必要なものだったかもしれない。でも、それを正当化するなら、次からは相談して。これは命令よ」
彼女の声は厳しく響いたが、その奥には彼女なりの思いやりが込められていた。ギズマはしばらく沈黙し、ようやく短くうなずくと部屋を出ていった。
ソフィアは彼の背中を見送りながら、小さく息を吐く。
「……彼の言うことも分かるけど、こんなやり方じゃ、いつか行き詰まるわ」
魔眼の奥で、彼女はセンターの未来を案じていた。
義体換装手術当日、手術室は冷たい白い光に満たされ、無機質な機械音が響いている。スターダストが横たわる手術台の周囲には、複数の医療用アームが取り付けられた自動機器が並び、今にも作業を開始しようとしていた。
スターダストの新しい義体は、移送用の操作台の上に静かに横たえられていた。露になっている体の輪郭は、あまりにも繊細で小さく、しかし女性的な膨らみもあり、かつてのスターダストの印象とは全く異なっていた。
頭部を固定するための透明な支柱が両側から伸び、義体の首を支えている。脊髄に接続されたケーブルは、まだ精密調整のための測定機器と繋がったままで、モニターには義体内の神経伝達の数値が流れ続けていた。
細い腕は両側に固定され、指先までしっかりと支えられている。脚部も同様に固定されており、義体全体がまるで彫像のように微動だにしない。体全体が人間の肌に限りなく近い人工皮膚に覆われているため、一見すると生命の鼓動を感じられるようだったが、その静けさはあまりにも不気味だった。
スターダストの外見や武骨な言動から、無自覚に男性だと考えていたギズマは気不味い顔をして、そっと布をかけて体を隠してやる。そんなこと気にしているのはギズマくらいのようだ。
「……悪いことをしているみたいだな」
「滅相もない」
医師はタブレットから視線を上げることもなく答える。
「この義体、何か特殊な機能はついてないんだろうな?」
「ええ、ギズマさん。HL-1000は民間用ですから、武装の搭載や戦闘支援機能は一切ありません。ただ、生身に近い触覚や運動性能、そして高度な神経接続で快適な生活を支援します」
私が乗り換えたいくらいですよ、と愚痴る医師の説明にギズマは納得し、スターダストも少し安心したように見えた。
「よし、やってくれ」
「作業を始めます」
医療用AIの冷静な声が響くと同時に、手術が開始された。
スターダストの生体コンポーネントに麻酔が注入される、彼の意識は瞬く間に麻酔で深い眠りに落ちていった。しかし、その眠りの背後では彼の脳と脊髄、生命そのものが慎重に分離される作業が進んでいた。
手術台の上では、医療用の精密アームが音もなく動き、スターダストの機械の体を解体していく。その胸部から覗くのは、透明なカーボン素材で覆われたユニット。その内部にあるのが彼の脳と脊髄だ。
脳は、薄い透明な液体に浮かび、外部の微細な刺激を完全に遮断する特殊なシリコン保護膜で覆われていた。この保護膜は、外部の衝撃や感染、温度変化から脳を守るために設計されている。
彼の脳は、長年の機械義体生活の影響で微細な改変が施されている。ニューロンには、生体神経と人工神経をつなぐナノサイズの接続装置が埋め込まれており、情報処理の効率を高めていた。
脳からつながる脊髄もまた、通常の人間のものとは異なる進化を遂げている。主要な神経束は、補強された人工ポリマーでコーティングされ、損傷を最小限に抑える構造になっていた。この人工補強により、彼は機械義体に完全に順応し、超人的な反射速度を得ていたが、それは彼の神経を無理に引き伸ばした結果でもあった。
作業は息を詰めるような緊張感の中で進められた。
「接続解除を開始します」
医療技師の言葉とともに、自動化された精密アームが動き始める。脳と脊髄を覆う保護ユニットのロックが解除され、システムから分離される。
この瞬間、医師たちの手元に表示される生体モニタリングデータは、急激な変化を示していた。脳波の安定を維持しながら、義体から生命活動を切り離すのは極めて困難な作業だ。
「脳波正常、神経伝達速度安定」
モニターに映る数値に緊張していた医師が声を上げた。
次に、脊髄が慎重に取り外された。脊髄は、細かく分岐した神経束を維持しながら取り扱う必要がある。医療アームが極細のマイクロツールを用い、一本一本の接続を解いていく。その過程は、まるで繊細な彫刻を施すようなものだった。
分離が完了すると、脳と脊髄は即座に保存ユニットに移された。保存ユニットは、特別な生体模倣液で満たされており、スターダストの神経組織を完全な状態で保護する役割を果たす。この液体は、脳や脊髄に必要な酸素や栄養を供給し、同時に神経インパルスの微細な活動を模倣する。
ギズマは作業を一歩引いて見守っていた。彼の目は、保存ユニットに移されたスターダストの脳をじっと見つめている。その光景には、冷酷な現実と奇妙な神聖さが同居していた。
「これが彼のすべてだというのか……」
スターダストの脳と脊髄が保存ユニットに無事収められると、次の作業が始まった。HL-1000への移送だ。
完全な人間の体を模したその義体は、滑らかなセラミック調の肌と人工筋肉を備え、自然な体温を模倣する熱伝導システムが内蔵されている。見た目は生身の人間と見分けがつかず、無機質さを感じさせない。
「HL-1000の神経受容体システム、オンライン確認」
技術者がモニターを確認しながら宣言する。義体の神経受容体はスターダストの脳と脊髄を迎え入れる準備が整った。
保存ユニットから取り出されたスターダストの脳と脊髄は、慎重に義体の頭部と脊椎部に運ばれる。医療用アームが静かに動き、脳を頭蓋部分に収めると、義体内部の精密な自動接続システムが作動を始めた。
脳底部から伸びる脊髄が、義体の人工脊椎と結合する。接続ポイントでは、生体組織と人工神経が融合するように構造化されており、これにより情報伝達がスムーズに行える設計になっている。
「脳-義体間の神経インターフェース、接続中。同期開始まで10秒……」
技術者が指示を出す中、モニターには接続が進む過程がリアルタイムで映し出される。神経インパルスが義体のセンサーを通じて流れ始め、最初の反応が確認された。
「脳波安定。人工神経束との同期率94%……95%……98%。接続完了」
「スターダストさん、聞こえますか?」
技術者が義体に向かって問いかける。
しばらくの静寂の後、義体の目がゆっくりと開いた。カチ、カチという微かな機械音が響く。
「……聞こえる」
少し不安定な声だったが、明らかに彼女の声だった。
スターダストは視線を動かし、義体の手を見つめる。細く長い指を少しずつ動かしながら、その感触を確かめるようにしていた。彼の表情には戸惑いと安堵が交じり合っている。
「どうだ? 動かせそうか?」
ギズマが近づき、問いかける。
静寂を破るように、義体を覆っていた固定用のバンドが解除される音が室内に響いた。支柱が静かに後退し、支えていた頭部が自由になった。
スターダストの義体の瞳は、最初に薄い光を反射して微かに揺らぎ、その後、しっかりとギズマのいる方向に焦点を合わせた。その動きには何の乱れもなく、まるで生身の人間が目覚めたかのような自然さがあった。
「感覚はどうだ?」
ギズマは短く問いかけたが、声にわずかな緊張が滲んでいた。
スターダストはゆっくりと視線を巡らせ、自分の手を見つめた。その細い指先が微かに動き、指を一本一本折り曲げるたびに人工皮膚が滑らかに伸縮する。
「……ステータス良好。感覚の差異に修正を要する」
彼の声は義体に宿った命を確認するように響いた。かつての無機質な機械音声と、今の女性的な細い声はあまりに印象が異なる。
スターダストは操作台の縁に手を置き、上体を起こそうとした。その動きは慎重でありながらも、どこかぎこちない。かつての彼なら、一瞬で立ち上がっていたはずだが、この体はそれを許さない。
操作台の端にかけた足は、驚くほど細く華奢だった。人工筋肉が内側からわずかに膨張し、立ち上がるための力を生み出す。足が床に触れると、柔らかな音が響き、彼……彼女の体は初めてこの新しい世界に接地した。
スターダストは両足でしっかりと立ち上がるまでの数秒間、何かを確認するように静止していた。その小柄で幼さを残した姿が光の下で明らかになる。
彼が目にしているのは、かつてのスターダスト――荒々しく鋼の巨体を纏って戦場を駆けた英雄ではなかった。その代わりに現れたのは、幼い少女のような体を持つ繊細な存在。かつての威圧感や力強さは完全に消え失せ、そこには無垢さを湛えた顔立ちと儚さを纏う姿があった。
「……不思議だ。こんなにも軽いと感じるのは」
スターダストは自らの言葉に苦笑いしながら、床にしっかりと足を踏みしめた。その声には確かに彼女の意識が宿っていた。
ギズマは無言のまま彼女を見守っている、その眼差しは父親のように穏やかだった
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