みやこ

 それは走っている。



 私はそれを馬と呼んでいる。

 馬は走っている。

 本物の馬じゃない。

 人間だ。

 だが走る姿が様になっていると思うので。

 馬と呼んでいる。

 高校生ぐらいだと思う。

 格好は、よく分からない。

 普段はまるで意識しない。

 ただ馬に追い抜かされた時に。

 馬が通り過ぎた時に。

 馬が横切った時に。

 ああ馬だ、馬がいる、そう思う。

 から服装とか色々とよく分からない。

 辛うじて背丈とか。

 一瞬だけ見えた表情の若さから。

 高校生かなと思うだけだ。

 馬は走っている。

 いつもこの街を走っている。

 とにかく走っている。

 スーパーの駐車場を横切り。

 高校のグラウンドを縦断し。

 十字路は律儀に信号機を待つ。

 団地の中を突き抜けていくこともある。

 河原を全力で駆けていくこともある。

 とにかく走っている。


 ある日、馬が交差点に侵入し、赤信号を無視した。

 当然車は減速しつつも止まらずに入ってきていたから、馬に迫る。

 馬は避けようとして避け切れずに思いっきり跳ね飛ばされた。


 次の日、馬が交差点に侵入し、赤信号を無視した。

 当然車は減速しつつも止まらずに入ってきていたから、馬に迫る。

 馬はその時、空を飛んだ。

 正確に言えば跳んだ。

 両脚で地面を踏み締めて、跳んだ。

 車のボンネットを越え、フロントガラスを越えた。

 車のお尻と馬のお尻がすれすれに、けれど、ミリ単位だけど、当たることなく、車は通り過ぎた。

 馬が着地した。

 反対側から直進した車が馬を轢いた。



 次の次の日、馬が交差点に侵入し、赤信号を無視した。

 当然車は減速しつつも止まらずに入ってきていたから、馬に迫る。

 馬はその時、空を飛んだ。

 正確に言えば跳んだ。

 両脚で地面を踏み締めて、跳んだ。

 車のボンネットを越え、フロントガラスを越えた。

 車のお尻と馬のお尻がすれすれに、けれど、ミリ単位だけど、当たることなく、車は通り過ぎた。

 馬が着地した。

 反対側から直進した車が馬を轢こうとした時、馬は地面へ伏せた。

 アスファルトに敷かれたカーペットのよう。

 馬の背中を通り抜ける車。

 両輪は馬を傷付けない。

 馬は立ち上がり、走り出す、直前。

 再度別方向から入ってきた車を、立ち上がる勢いで跳躍し、跳び越える。


 交差点を抜けた馬の軌道に、縦軸が加わる。

 なのでここからは、天馬と呼ぶ。


 天馬は時に屋根の上を走っている。

 パルクールというやつだ。

 屋根から屋根へ飛び移る。

 どこから登ったのか、アパートの屋上。

 舞うように民家の屋根。

 時として塀の上。

 樹上を行く日もある。

 天馬は止まらない。


 当然失敗もする。

 天馬も落ちる時は落ちる。


 ある日マンションの駐車場に血溜まりとなっていた。

 別の日電線に引っかかって動きを止めていた。

 次の日見知らぬ現代アートがデパートに突き刺さっている。


 それでも天馬は止まらない。

 飛び越えられなければ、飛び越えられるように。

 跳び越えられなければ、跳び越えられるように。

 例えば腕を振る回数、角度、力強さ。

 例えば脚を曲げる速度、伸ばすタイミング。

 例えば身をひねる動作をミリの単位で修正する。

 すると天馬は跳び超える。


 そうしてそうして繰り返す天馬を見ている。

 何度も何度も繰り返す天馬を見ている。


 そうしてそうして。何度も何度。

 何度も何度も何度も。そうしてそうしてそうして。

 繰り返す繰り返す繰り返す繰り返す。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返した日常の中で。




 この街は繰り返してる。

 2025年3月16日6:03〜21:56。

 それが世界の時間。

 6:03と21:56が直結した、円環をなす不気味な時間。

 何故そうなのかは誰も知らない。

 確実に言えることはひとつで、私たちは21:57に辿り着けない。永遠に。

 記憶と意識だけを持って6:03に回帰する。

 らしい。

 ちんまりとしたアクタ・エスト・ファーブラ。

 誰も抜け出せない迷路にいる。

 ようだ。

 それでも最初は何とかしようとした。

 一回を一日として、三十年ぐらいは。

 結論から言って無理だった。

 という。


 もう一つ言えること。

 この街は、12:29で滅ぶ。

 大きな地震がやってきて、

 もろとも地面に落ちてゆくのだ。


 だから、正直言って、ホントに21:56まで世界が続いているのかも怪しい。


 けど、政府の偉い人が言っていたからそうなのだと思う。


 どうにか私たちを救おうとした動きもあった。

 繰り返すならいつか救えるはずだと楽観して。


 まあ普通に無理だったけど。

 というか普通に無駄だった。


 救ったとしてもすぐ次の回に回帰するから。

 普通に無意味だろうとなって、プロジェクトは打ち切られた。


 そんな街だ。

 抜け出そうと逃げ出そうと、結局また6時で、6時間後に地震が来る。

 無意味で無駄だ。そう思う。



 天馬が駆け出すのは8時ジャスト。

 何故なら彼はその時間から目が覚める。

 この街の人はみんな運が悪いけど、天馬は輪をかけて不幸だろう。

 よりにもよって始まりの日に。

 彼の目覚まし時計は壊れていたから。


 だから彼の走る時間は8:00から12:29までの4時間29分だ。

 その時間で彼は行く。


 何処に? 決まってる。

 街の外へ向かっている。


 天馬は走っている。

 いつもこの街を走っている。

 とにかく走っている。

 スーパーの駐車場を横切り。

 高校のグラウンドを縦断し。

 十字路は律儀に信号機を待つ。

 団地の中を突き抜けていくこともある。

 河原を全力で駆けていくこともある。

 とにかく走っている。


 街の外へと行くために。



 何故?

 どうして外を目指すのか。

 それだけ長く生きたいのか。


 いいや違う。違っていてほしい。


 天馬は時に屋根の上を走っている。

 屋根から屋根へ飛び移る。

 電柱を蹴って方向を変える。

 身を捻って電線を躱す。

 どこから登ったのか、アパートの屋上。

 旧校舎の廊下を突き抜ける。

 舞うように民家の屋根。

 河原を全力で駆け抜ける。

 時として塀の上。

 十字路の車を跳び越えていく。

 樹上を行く日もある。

 屋根を地面を駆け抜ける。

 天馬は止まらない。


 何故?

 どうして外を目指すのか。

 それだけ長く生きたいのか。


 いいや違う。違っていてほしい。


 車は適当に走る。終わっている人生を悲観して。

 自転車に乗ってもだめだ。あれは結局道しか行けない。

 空港も駅もない。こんな街、私だって抜け出したい。

 四方を山に囲まれた平野。

 鳥籠のような田舎街。

 半日生きて半日死ぬを繰り返す行き止まりの街。

 そんな街で、

 最短距離を行きたければ、

 走るのが最速だった。


 距離。それは点と点を繋いだ直線。

 点の片割れは天馬の家として。

 もう片割れは、何処にあるのか。

 つまりどこまで?

 どこまで走るのか。


 聞いてみたい気持ちはある。

 けれど知らなくてもいいと思う。


 6時間後の終わりを待つだけの日々を、何千年も繰り返して、6時間前と違うものは、天馬が走る道行だけだ。


 だから。

 それだけでいい。


 6時間前と違う天馬が見れただけで、私は生きてて良かったと思える。


 いつか終わる思いだこれは。


 終わらない日常は、それ以外のすべてに終わりが来ることを突きつけたから。


 私のこの感情も、天馬の走りも、どこかできっと終わりが来る。

 そうでなくとも、天馬はいつしか辿り着く。

 ミリの単位で遠くに着く日々を気が遠くなるほど積み重ねたその末に。


 天馬はきっと辿り着く。


 そうなればもう私は、

 生きてて良かったと思えなくなる。


 それでも。

 それでもいい。


 天馬は走る。

 私はそれを見る。


 それでいいのだと思う。


 そしてまた、大地が揺れて、新しい天馬がスタートを切る。

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