彼女を50%の確率で死ぬ箱に入れて2時間後に開けてみたら生きてる彼女と死んでいる彼女の二人になっていた

ナインバード亜郎

コペンハーゲン彼女

 ある日、彼女は私に問いかけた。


「シュレーディンガーの猫とは何ぞや?」


 と。

 恐らく学校かどこかでその話を聞いて納得が出来なかったのだろう。私は彼女に「50%の確率で死ぬ不透明な箱に猫を入れたら2時間後に猫の生命がどうなっているかは箱を開けるまで誰にもわからない。そういう例えだよ」と、その世界では確立されている紋切り型の答えを教えた。

 しかし彼女は反論して言うのだ。


「中の猫は知ってるじゃないか」


 それはその通り。余程の粗忽者ならともかく、大抵の動物は自分が生きてるかどうかは自分でわかるものだ。だが、シュレーディンガーの猫はそもそもそういう話ではない。箱の外から確認できない事がこの話の肝なのだ。

 さらに彼女は何を聞いてきたのか、


「箱を開けるまでは生きている猫と死んだ猫の両方がいるそうだ」


 と言ってきた。

 それはその解釈に対する批判がシュレーディンガーの猫であるのだが、いくら説明しても聞き耳を持ってはくれず、ついには


「私がその箱に入ったらどうなるか」


 なぞと言い出した。

 どうも彼女は退くということを知らない。一度言い出したら聞かないのは彼女の悪いところだ。

 試さずとも考えれば、調べればわかることをわざわざ試すというのは無駄としか言いようがないのだが、しかしその探求心には目を見張るものがあるので、やれやれ仕方がないと、私は折れる事にした。

 必要は発明の母という。

 私は彼女のために人一人が入れるサイズの、中に入ると精密に50%の確率で死ぬ、2時間丁度に開く箱を作り上げた。外から中の状況を観測できないよう防音性も完備してある。

 後は彼女が入って2時間後に私が確認するだけだ。


 果たして、彼女は喜んで箱の中へ入った。人間一人分しか入れない、棺桶としか言いようがない箱に喜んで入れるなんて、閉所恐怖症の私にはとても考えられない。まったく、彼女は勇ましいのか探求心が強いのか。それとも50%で死ぬということを理解していないのだろうか。

 それから2時間後、無事に箱は開いた。

 ひとまず2時間丁度で開く機能は正常に動いている事が確認できた。50%の確率で人が死ぬ箱の運用試験なんてやりようがないのでぶっつけ本番だったが、最初の試験は合格だ。


「おはよう」


 私は思わず驚嘆の声を上げた。

 彼女が生きていた事にではない。

 生きている彼女が箱から出てくると同時に、のだ。死んでいる彼女は当然死んでいるので、自身の肉体を支えられるはずもなく、そのままばたりと倒れた。

 人一人しか入れないサイズの箱から生きている彼女と死んでいる彼女が出てきた。これは由々しき事態だ。なにせ観測したタイミングで二重の状態が固定されてしまったのだから、これまでのあらゆる科学も理論も解釈さえも否定することになってしまう。


「この私は死んでいる」


 死んでいる自分を直に触れて、彼女は言った。

 私も試しに死んでいる彼女に触れてみる。皮膚に弾力性があるが身体はまだ温かい。ちょうど死んだばかりと言えそうだ。

 同様に私は生きている彼女に触れてみた。皮膚に弾力性があり身体は温かい。問題なく生きている。

 だが、問題はこの二人が本当に同一人物なのかという問題だ。

 サンプルを複数個所から採取し、遺伝子を確認するまではまだ確定しない。


 完全に同一人物だった。

 血液も毛髪も皮膚も口腔も内蔵に至るまで、あらゆる個所からサンプリングした結果なので、疑いようもなく同一人物である。

 となるともう一つ問題が発生する。

 その質量はどこから現れたのか。

 現在生きている彼女と死んでいる彼女の重さはほぼ一致している。しかし、肝心の箱に入る前の体重を確認していなかった。もしかしたら彼女の質量が半分に分裂し、死んでいる彼女を生み出した可能性がある。体細胞分裂をして生まれた可能性も否定できないが、その場合、箱の中で質量が倍加したことになる。

 重量計の上に箱を載せ、彼女の身長体重を計測した後、もう一度彼女に箱に入ってもらった。


「グッドモーニング」


 2時間後、彼女は再び生きた状態で現れ、同時に死んでいる彼女も再び現れた。

 驚くべきことに、重量計の針が触れたのは二人の彼女が箱を出たときだけだった。すぐに私は二人の重さを確認する。

 なんと、二人とも箱に入る前後で重さは変わらなかった。つまり質量は私が観測した瞬間に増えたことになる。観察者効果というものがあるが、しかしこれはその範疇ではない。ましてや箱に入るたびに彼女が増えていくのだから、どこから質量を持ってきているのか想像もつかない。まったく世紀の大発明だ。

 ところで何故この箱を作ったのだったか。

 そうだ思い出した。彼女が箱に入って自身で確認したいと言っていたのだ。私は彼女に中に入っていた時の事を聞いてみた。


「狭くて暗くて居心地最悪」


 つまり肝心の観察ができていないとのことだ。

 それでも彼女は諦めきれず、もう一度中へ入った。

 二度あることは三度ある。それとも三度目の正直か。

 2時間後、出てきた彼女はこれまでと同様生きている彼女と死んでいる彼女が出てきた。二度ある事は三度もあった。どうやら私の作った箱は、中に入ると2時間後に生きてる状態と死んでいる状態で出てきてしまう不思議な箱らしい。


 さすがに三度、計六時間も狭くて暗くて居心地最悪の箱で過ごすのは苦痛だったらしく、この日は帰っていった。

 私は引き続き箱の性能を試験してみる事にした。

 まず生きている鶏を入れてみた。

 2時間後、生きている鶏が出てきたが死んでいる鶏は出てこなかった。

 もう一度試したところ、鶏は箱の中で死んでいた。

 更に死んだ鶏を入れて2時間、死んでいた鶏は死んだままだった。この事から鶏には2時間後50%の確率で死ぬ箱であるらしい。

 その後他の動物でも何度も試してみたが結果は同様だった。

 これは彼女にしか真価を発揮しないのか、それとも人間なら誰でもいいのか追加試験が必要か。


 試しに残されていた死んでいる彼女を箱に詰めてみた。

 2時間後、死んでいる彼女はそのままだった。

 つまりこの箱は生きている人間を入れることが前提なようだ。

 これは生命倫理を説く上で非常に重要なことだ。

 生きている人間は死んでいる人間になる可能性はあるが、死んでいる人間が生きている人間になることは決してない。生命の不可逆性は絶対なのだと教えてくれる。命の尊さを子供に説くのにこれほど有用な箱もあるまい。


 ここでもう一つ疑問が生まれた。

 生きている人間とは、一体どこまでが生きている人間なのだろうか。

 世の中には脳死判定された人間も生きていると定義されることもあるが、では人間の臓器から脳だけを外して残りの身体を生かした場合はどうなるのか。逆に脳だけを生かした場合はどうなるのか。

 この箱は生命の線引きを判定する装置としても有効になるかもしれない。


 翌日、彼女は私に尋ねた。


「スワンプマンとは何ぞや?」


 と。

 恐らく友人か誰かからその話を聞いて納得が出来なかったのだろう。私は彼女に「死んだ人間と見た目も中身も全く同じ別な人間は同一人物か。という哲学だよ」と説明した。

 すると彼女はそれで腑に落ちたようで


「死んでいる私と生きている私か」


 と答えた。

 どうやら彼女は自身の経験から答えを導くのは得意なようだ。だがこの場合厳密理解しているのか、ただ自分なりの回答を出したのかまでは私にはわからない。それこそ私は彼女には決してなりえないのだから。

 私は昨日の検証結果を説明し、今日は追加試験をしたいと申し出た。

 彼女も私の疑問に興味を持ったようで試験に協力してくれることとなった。


 まずは仮死状態。

 彼女に三時間以上仮死状態を維持できるように施術して箱に入れてみた。


 2時間後、仮死状態のままの彼女と死んでいる彼女が出てきた。

 どうやら人為的な仮死状態は生きていると判断されるようだ。私は彼女に蘇生を施し、死んでいる彼女の状態を確認する。死んでいる彼女にも、元の彼女に施した施術跡が残っていた。どうやら死んでいる彼女も箱に入る前の状態を受け継ぐらしい。これは新しい発見だ。

 

「こんにちは」


 彼女は無事に目覚めた。

 仮死状態が駄目なのか、それとも蘇生可能性があると生きていると見做されるのか。いや、トリアージの分類は関係ないだろう。死ぬ可能性だけで言えばすべての生命は死ぬ可能性があるのだから。


 次に脳を外してみる。

 脳を専用の水槽に移し、身体を入れてみる。


 2時間後、身体だけが出てきた。

 この箱にとって脳の無い状態は生きてないようだ。

 次に脳だけを入れてみる。


 2時間後、脳だけが出てきた。

 どうやらこの箱にとってはどちらが欠けていても死んでいる状態のようだ。

 最後に両方を別けた状態で入れてみる。


 2時間後、両方そのままの状態で出てきた。

 元に戻せば生きているとはいえ、この状態を生きていると判断しないということか。

 では、脳と身体を分離した状態で、脳の信号を電波を通じて身体を動かせる状態にした場合はどうなるだろうか。

 しかし困ったことにそれを実現できるだけの技術が今の私には無かった。

 諦めて彼女の身体に彼女の脳を戻す。


「グッドアフタヌーン」


 彼女は元に戻った。

 この状態で初めて彼女は生きていると呼べるのだろう。いつの日か身体と脳を分離して実験してみたいものだが、それは私の技術が追い付いてからだろう。

 さて、これで一人の身体の場合の検証は済んだ。

 次は二人の場合だ。

 この箱に二人入るのは例え子供でも厳しいだろう。仮に入ったとしても想像を超える結果を得られるとは思えない。


 だが胎児はどうだろう。

 死の境があるなら生の境があって然るべきである。そして今日、箱に入る前の状態を維持するのを確認した。

 であれば胎児を宿した母体ならば、なんらかのおもしろい結果が得られるだろう。22週の壁というものが日本にはあるが、それはあくまで人間の考えた倫理だ。それ以前の胎児にも生命があると認められれば医学会に大きな影響を与えるだろう。

 理想は妊娠八週目以降の妊婦とそれ未満の妊婦だ。しかしそう都合よくそんな妊婦は見つかるはずもない。ならば体外受精で人工的に妊婦を用意すべきだろう。


 体外受精でちょうど妊娠六週目に当たるこの日、彼女は私に尋ねた。


「哲学的ゾンビとは何ぞや?」


 と。

 恐らく漫画か何かからその言葉を知って納得が出来なかったのだろう。私は彼女に「見た目も中身も生きている人間なのに意識も感情も何もないゾンビみたいな存在。という例えだよ」と伝えた。

 だが彼女は理解できなかったようで首を傾げ、


「それは証明できるのか」


 と聞いてきた。

 残念ながらこればかりは思考実験であって、現状証明する方法ない。スワンプマンと違って自分の内側の意識によるものでしかなく、『我思う、故に我在り』から派生した概念なのだから。目の前の人間は意識が無く、ただ信号の反射で生きているだけだ。と言っても誰も受け入れはしない。

 そう言うと、不承不承受け入れたようで


「AIのようなものか」


 と自身に言い聞かせた。

 さて、今日も箱の試験だ。

 まずは彼女にそのまま入ってもらう。念のため彼女の腹の中の胎児――もとい胎芽が動いていることを確認する。

 問題ないようだ。


「こんばんは」


 2時間後、生きている彼女と死んでいる彼女が出てきた。

 まず生きている彼女の胎芽を確認する。こちらは問題なく生きている。次に死んでいる彼女の胎芽だ。

 なんと死んでいる彼女の腹の中の胎芽はまだ生きていた。つまりこの箱は胎芽を生命とは判断しなかったらしい。しかし死んでいる母体の中で生きる事は無理があり、胎芽はやがて死んでしまった。

 次に妊娠十週目に当たるこの日、彼女の腹の中の胎芽――もとい胎児の状態を確認する。母子ともに健康な様だ。

 そのまま彼女は箱に入る。


「グッドイブニング」


 2時間後、生きている彼女と死んでいる彼女が出てきた。

 まず生きている彼女の胎児を確認する。こちらは問題なく生きている。次に死んでいる彼女の胎児だ。

 なんと死んでいる彼女の腹の中の胎児は死んでいた。つまり胎児の状態になると箱はそれを生命と判断するらしい。


 箱の生命を判断するおおよその基準は分かった。

 では、箱の中で死に至った場合はどうなるのか。

 私が出てきた彼女を観測したことで死んでいる彼女が現れたと思っているが、箱に入る瞬間の彼女を観測したことで死んでいる彼女が現れる可能性が残ったままだ。


 私は彼女にちょうど2時間後に死亡するよう施術し、自力で箱の中へ入ってもらった。


 2時間後、死んだ彼女と死んでいる彼女が出てきた。

 彼女の腹の中の胎児も同様に死んでいた。どうやら私の仮説は成功だったらしい。


 様々な試験を繰り返してきて箱の有用性を確かめてみたが、なるほど、彼女のおかげで素晴らしい発明が出来た。彼女の学校には足を向けて眠れない。

 だがこの箱には致命的な問題があった。

 死んでいる彼女はずっと死んでいる状態を維持しているのだ。十週間前に死んでいる彼女と先ほど現れた死んでいる彼女、どちらも腐敗することなく2時間前に死んだ状態を維持していた。

 十近くある腐敗することのない異常な死体を一体どうやって処理すべきなのか。悩ましい問題だ。万が一警察にでも見つかれば面倒なことこの上ない。例え海に投げようと土に埋めようと、いつか露見してしまう可能性が残り続けるのだ。


 ああ、いい方法があるではないか。

 生きている私と死んでいる私がいればいいのだ。

 死んでいる私を見れば警察は被疑者死亡として立件せざるを得ない。そうなれば私は瓜二つの別人として生活も可能だ。

 私は嬉々として箱の中へ入り、蓋を閉じた。

 これで2時間後、私は生きている私と死んでいる私に分かれる。


 ところで、今のこの私はこの後どちらの私になるのだろうか。

 生きている私なのか。

 それとも死んでいる私なのか。

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