卒業式まで残り3日。丁寧な暮らしで有名だった佐伯さんが、雑な距離の詰め方をしてくる

零余子(ファンタジア文庫より書籍発売中)

「さっさと抱いてください」

 信じがたいことです。

 僕が敬愛していた佐伯さんの口から、このような言葉が出ようとは。

 アダムが耕しイヴが紡いで続いてきたこの世に、このような惨いことがあっていいのでしょうか。






 僕は「キマジメ」というあだ名を背負い、高校生活を真面目に過ごしてきました。


 3日後はいよいよ卒業式です。僕は都会の大学に進学します。




 僕には3年間、心を寄せていた女の子がいました。それが同級生の佐伯さんです。



 佐伯さんは丁寧な暮らしで有名でした。

 丁寧な挨拶、丁寧な態度。



 クラスのお調子者が放ったつまらないボケも丁寧に拾ってくれますし、教室に埃が溜まった場所を見つけたら丁寧に掃除をしてくれます。



 いつも曲げわっぱのお弁当箱に、自作とおぼしきおかずの数々……きんぴらごぼうとか、ぬか漬けとか、鯖のそぼろとか……丁寧さの結晶を詰め込んだお弁当を持ってきています。

 クラスのみんなに、自作の干し柿をふるまってくれたこともありました。



 キマジメというあだ名がつくような生活を送っている僕にとって、佐伯さんの生き方は眩しいものでした。


 彼女は美人でしたが、僕は見てくれよりもまず、彼女の生き方に惚れていました。





 その、佐伯さんが!

 卒業式を3日後に控えるなか、僕に向かって信じがたいほど雑な距離の詰め方をしてきたのです!


 なんですか、「さっさと抱いてください」って!

 僕らは交際すらしていないのに!






 神様、あんまりです!

 嗚呼、確かに僕は罪人だったかもしれません。

 佐伯さんを妄想のおかずにしたこともありました。


 昨日は、お風呂にいる佐伯さんを想像していました。

 シャワーヘッドを分解して洗っている佐伯さんや、黒カビ予防のため布の切れ端に柿渋から作った自作の防カビ剤を染み込ませている佐伯さん……。

 佐伯さんであらゆる丁寧な妄想をしてきました。



 それが罪だと仰るのなら、なるほど、僕は罪人です。

 しかし、このような仕打ちが許されていいのですか!

 罪と罰のバランス調整があまりにも雑ではないでしょうか!



 それにしても呪わしきできごと!

 佐伯さんが、こんな雑な距離の詰め方を!

 もっとこう、最初は交換日記とか……丁寧な距離の詰め方があったはずなのに!



「佐伯さん、どうしてそのような雑な距離の詰め方をするのですか!」



 僕は悲しみのあまり、思わず彼女の両肩を掴んで問うてしまいました。

 彼女は丁寧に化粧を施した顔を真っ赤にして、「だってしょーがないじゃん」と言います。



 しょーがないじゃん?



 それを聞いた僕はもう気を失いそうです

 いつもの佐伯さんなら、「仕方がないのです」くらいの丁寧語を使うはず。


 それが、こんな……日本語の発音を粗末に扱うがごとき物言いを……。

 これが彼女の本性だというのですか。

 だとしたらあまりにひど過ぎます。



「こーでも言わないと、キマジメ君ってばアタシに手を出してくんないでしょ? っていうかさ、そもそもアタシ、本当は丁寧でも真面目でもないから」



 もういっそ殺してくれ。



 僕は彼女の肩から手を放して、その手を自分の頭にもっていき、頭を丁寧に掻きむしりながら、内なる自殺衝動に抵抗しようとします。

 彼女の告白を受けて、僕の内面の言葉も雑になりました。

 危うく自分の命さえ雑に扱うところでした。


「そんな……僕が敬愛していた佐伯さんが、僕を欺いていたなんて……一体僕に何の恨みが?」


 在学中の彼女が自らを偽っていたというなら、残り3日も偽りつづけてくれればいいものを。


 そうしてくれたら、佐伯さんは僕の中でキレイな思い出であり続けてくれたはずなのです。



「恨みなんてないし」



 魅力的な笑顔を見せる佐伯さん。

 その言葉に、ふと。僕の心はわずかばかりの安堵を得ます。


 泣きたくなるくらいの仕打ちではあるのですが、少なくとも恨みが理由ではなさそう……。



「ただ、キマジメ君への愛欲だけだよ」



 うーむ、困りましたね。

 このようなとき、どのような表情をすればいいのか分かりません。

 向こうはただ笑っているだけなので気楽ですが、僕は百面相です。





「覚えてる? アタシ、中学の時、キマジメ君に助けてもらったことがあるの」


「記憶にございません」


「はぁ、分かっちゃいたけど、面と向かって言われると腹立つね。まぁー、あの頃のアタシは不真面目なギャルで、アタシにとってキマジメ君は視界の外だったし、それはキマジメ君の方もそうだったでしょ? アタシが中学で一緒だったって、分かんなかったでしょ?」


「はい」


「そうだよねー、互いに興味なかったもんねー。そんな関係性なのに、キマジメ君はアタシのことを助けてくれたんだよねー。あの日はうれしかったなぁ」


 僕の顔を佐伯さんがまじまじと見てきます。

 僕の顔に、佐伯さんの言う「嬉しかった日」の名残を見つけるようとしているかのようです。


「好きになっちゃってさー、なんとか振り向いて欲しくてさー、つーか繋がりたいとも思っちゃってさ。で、どうしたら興味持ってもらえるかなーって考えて、丁寧な暮らしをしたらきっと見てくれるって思ったんだよね」



「その作戦は功を奏したと言えるでしょう。確かに、僕は丁寧な暮らしをしていた佐伯さんに心を向けていましたから。ですがそれならばどうして、僕にアプローチをしてこなかったのですか」



「いや、だって恥ずいし。っていうかそもそも、アタシの計画じゃ、丁寧な暮らしの私に惚れ惚れとしたキマジメ君がさぁ、去年の六月くらいにムラムラを抑えられなくなってアタシを押し倒して、そのままゴールイン……ってな流れだったんだよ。なのに卒業3日前になってもまだ、アタシを押し倒してくれないから……」



「恋愛フラグの施工管理が初手から事故り過ぎていませんか?」



 そんなフラグ管理で、一体何を成そうとしたのでしょう。

 なるほど。計画を作ったところに、元々は丁寧でなかったという彼女の努力と成長が見られます。

 しかし、計画管理は及第点をつけることはできません。


 これならばビーバーが作ったダムの方が、計画性と施工管理で勝っています。

 佐伯さん。あなたは人間です。げっ歯類に負けてどうするというのですか。



「でもさ! でもさ! 計画ってのは、一度立てたら変えるべきじゃないじゃん?」


「佐伯さん。あなたは一刻も早くアジャイルという概念を覚えるべきです」


 彼女の言葉に僕は戦慄しました。

 もしも佐伯さんが将来、ITやシステム開発の分野に関わったとしたならば、絶対にデスマーチと過労死が横行することになるでしょう。彼女の辞書にアジャイルという言葉はなく、ただひたすらにウオーターフォールのみで勝負をする気です。


 そしてひとつ、確信しました。

 彼女は「丁寧」という言葉の解像度が低いのです。


 僕にとって「丁寧」は生き様そのものですが、彼女にとっては僕を欺き篭絡するための手段でしかありませんでした。だから表層のみの丁寧さに留まっている。これは極めて残念です。


 しかし、そんな下心を秘めつつ、僕を完璧に欺ききった手腕は見事だといえます。



「……佐伯さん」




 僕はしばらく考え込んで、自分の思うところを述べます。



「偽物の丁寧さであったとしても、佐伯さんの丁寧な暮らしぶりは見事でした。その丁寧さ、ここで失うのは惜しいです」


「キマジメ君……?」


「卒業式まで3日間しかありません。逆に、3日間あるとも言えます。この3日間で僕は佐伯さんを丁寧堕ちさせてみせます」


「丁寧堕ち⁉」


「悪落ちがあるのなら、丁寧堕ちがあってもいいでしょう。これから3日間、寝る間もなく丁寧を徹底的に叩きこんで、佐伯さんを心身共に丁寧にしてみせます」


「えっ、じゃあキマジメ君の家にお泊りOKってこと?」


「ええ、丁寧さを叩き込むには、時間と空間を共有する必要があるので」


「んっふっふ~じゃあアタシは、キマジメ君を返り討ちにしちゃおうかな。快楽堕ちさせちゃおうかなぁ~」


「まずその間延びした語尾から修正して差し上げますよ」


 僕と佐伯さんはにらみ合いました。

 そして僕は佐伯さんの手をとって、自分の家へと招待して――


















「――息子よ、こうして君が生まれたのです」


「なんかすっげぇ雑な締め方だな親父ィ! あんた最近、おふくろに強く感化されてきてんぞ! 真面目にやれ!」

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