第3話
僕はイツイが高々と掲げた椅子の足の一本を掴み、「十分だよ」
「これか。この椅子か」
確かにそれは僕の椅子だったが、
「違う」
しかしイツイは頑なで、何とか僕の椅子を投げようとする。
「放して」
と睨んで来るが放さない。綱引きのようになる。パイプを握り締める指肉が痛い。握り込んでいるから見えないがそれは白くなっているだろうか。赤くなっているだろうか。両方だろうしどちらでもないのかも知れないがイツイの指肉がしているのと同じ反応を僕の指肉もしているのではあるだろう。
「こんなことをしても、だめだよ」
「この椅子で最後にするから」
「本当にその椅子で最後にする? でもそれは別に僕の椅子ではないよ」
「これがヅレノ君の椅子だよ。知ってる」
「そうだとして、何がしたいんだよじゃあ」
「投げたい。割りたい」
「何で」
「苦しい」
「何が」
「いいから」
「そんなに?」
「そうだよ」
とイツイは懇親の力で引っ張る。僕もだんだん疲れて来て、そんなにまでも投げたいなら投げればいいか、と思い始めている。イツイの行動も良く分からないのだが、よく考えたらそんなにまでして自分の椅子を守ろうとする僕の意味もよく分からない。椅子くらい投げればいい。仮にひしゃげて使えなくなったとしてもすぐに新しいものが用意されるだろう。でもそれを言えば、いくらイツイが窓を割っても、せいぜい一日か二日で新しい窓ガラスが用意されるのだろうとも思う。
「じゃあ投げていいよ」
「じゃあ放してよ」
この状態で放したらイツイはバランスを失って、割れた窓ガラスに突っ込んでぐさっとなる絵が見えなくもない。最悪血みどろ。頚動脈。イツイが力を抜いたので約束通り手を放すとイツイは椅子をまだ残っていた一枚に投げつけながら「こんなんじゃだめだ、全然ダメだ」と叫び僕は「分かってるのか」と小さく言った。
風が吹き抜ける。涼しくて気持ちよく、風っていいなと思うが、ついさっきまで、家から学校まで歩く間にも十分風を浴びていた筈で、こんなものは何の貴重な感じもしないし、事実、風なんてどこにでも吹いている。
僕はバルコニーに転がっている椅子を、ガラスの破片に気を付けながら、二つずつ教室に戻す。3往復。 更にそれぞれの椅子をそれぞれの机に戻す。自分の椅子については微妙な染みやら汚れやらで判別できたが、他の人の椅子なんて、どれがどれやら分からないから適当だ。イツイはこの作業を一つも手伝わず棒立ちだ。棒立ちでいよいよ真っ赤な夕日に染まり、どこにでも吹いている風を浴びている。
「見つからないうちに帰ろう」
と僕は言った。いい加減帰ろう。
「そうだね」
とイツイも言った。
でもしばらくの間棒立ちで真っ赤なままで風を浴びて動かないのでいい加減めんどくさいなと思ったら人事のように机から教科書の類を取り出してカバンに入れ始めた。
「教科書毎日持ち帰ってるの?」
「ほぼね」
まだ残っている筈の先生が見回り、というかそもそもガラスの割れる音を聞きつけてやって来たりはしないだろうかとひやひやしながら教室を出て、階段を降りて、下駄箱。上靴を脱いで、外履きの靴を下駄箱から出す。下駄箱は名前の順になっていて、僕はタ行なのでだいたい真ん中辺り。イツイは一番右上だ。靴を履きながら、
「明日みんなびっくりするんだろうね」
僕が言うと、
「私がやったって言う?」
ここに来て小さい奴だなと内心思う。
「どっちでもいいけど、言わないんだったら絶対君も言っちゃだめだよ。君が白状したら、何で知ってたのに黙ってたんだってことで、僕の立場も悪くなるから」
たいがい、僕も小さいようだ。
「分かった」
「全員目をつぶれ、みたいなことになっても、絶対手を上げちゃだめだよ」
「分かった」
イツイは東門へ、僕は西門へ。
この間に空は青くなってしまった。夜になりつつあった。
……。
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鉄槌 天丘照印 @amaokasyouin
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