第3話 旅の準備
翌日、私はサイクルショップに出掛けた。会員特典の無料の整備サービスを利用するためだった。天気が良く、うきうきした気分だった。
自分の白い自転車を預け、待っている間に店を見回っていると、ヘルメットが目に付いた。
自転車にもこれを被る「努力義務」というものが課された記憶がある。とはいえ、着用するのも、降りた後の管理も難しい。何より、億劫で私は買うのを渋っていた。
だが、"遠征"に出るのであれば何が起こるか分からないだろう。私は青のヘルメットを棚から取った。
整備を終えて家に帰る途中、ロードレーサーを見かけた。
サイクリストと言うのだろうか。ヘルメットに、サングラスに、ライムグリーンの派手なウェアを着ていた。
スピードが出るからか危険な運転をしているのを何度か目撃したことがあり、こういうタイプにはあまり良い印象を持っていなかった。だが、今日は不思議と格好良く見えた。どうせなら、自分もサイクリストになってしまおうか、と考えた。
ヘルメットを家に置くと、再び自転車にまたがる。買ったのに使わないのはどうなのか、と思ったがやはり管理が難しい。
西に向かってペダルを漕ぐと、三十分ほどで背の高い建物が見えてきた。この街唯一のショッピングモールだ。色んな店舗が入っているので、必要なものはほとんど手に入るだろう。駐輪場に自転車を停めてから、モールの中に入る。
休日ならにぎわうはずだが、平日の午前中のせいか、空いているようだった。
まずはスポーツショップに入る。ブランドのロゴのついたジャージや、シューズや、バックなどが揃えられている。
サイクリング用のウェアを買おう、と最初は考えたが見当たらない。店員に聞いてみようか考えた。が、あんなものを着たら体の線が出てしまうな、と太くなってきた自分の体型を見下ろして、やめた。
そもそも持っているのが仕事用の服と、部屋着だけで、運動用の服がないことに気付いた。
確かジャージの上下があったはずだが、最後に買ったのは十年前ほどなので、もう下は入らないだろう。私はジャージ売り場を見て回ることにした。
しばらくして、ハンガーにかけられたトップスの中で、鮮やかな青いものが目を引いた。ターコイズというのだろうか。明るい青緑色のウェアだった。
鮮やかな青は胴から胸の部分で、肩から上と、袖はネイビーに色分けされており、派手さは抑えられていた。
悪くないと思った。自分の年齢を考えると、ライムグリーンやライムイエローみたいな色を着る勇気はないが、ターコイズなら程よい感じだった。
ハンガーを引き抜いてからハッとした。よく考えると、私は青系ばっかり選んでいないか。
MDウォークマンは紺色、CDウォークマンは水色、今朝買ったヘルメットは青、今選んだウェアはターコイズ。見事に青でまとまっていた。
急に気恥ずかしくなった。青に何か執念でもあるのか、それとも青春を未だに引きずっている証なのか。
確か青系ばかり買ってしまうから、それに反抗するように、白い自転車を買った記憶がある。昨日着たカーキのMA-1もそうだった。
しかし、結局私はジャージを買った。この年では、自分の好みなど変えようがない。
トップスだけでなく、ネイビーのボトムと、さらには持ってくるのを忘れたので同じ色のバックパックまで買った。
その後、書店と、電気店と、スーパーにも寄って買い物を済ませた。
昼時だからか、モールに客足が増えてきた。腹が空いていたが、飲食店は混みそうだったので、喫茶店に入る。帰宅する前に考えごとがしたかった。
ホットにするかアイスにするか微妙な季節だが、私はホットコーヒーを頼んだ。さらにチーズケーキも注文する。
席につき、書店で購入した道路地図を広げた。今時、こんなものに頼る人間もいないだろう。カーナビもあるし、スマートフォンには地図アプリが幾つもある。だが、スマートフォンに何かあった場合、頼れるものがあったほうがいい。
私は地図を睨んだ。今回進むルートを改めて確認する。
目的地まで三十キロ以上の距離を走破することになるが、それはおそらく問題ない。
"遠征"でネックになるのは、中盤以降にある五キロほど続く山道だった。ここで大幅に体力を削られるだろう。
それを頭に入れた上で、どのぐらいの時間配分で進んでいくのかを考え、取り出したノートに書き込んでいった。ちなみにノートもペンも思い付いて、書店で地図と一緒に買ったものだ。今日はヘルメットを買ってから、完全に突撃気分になっていた。
しばらく集中していたが、我に返るとチーズケーキを突きながら、道路地図とにらめっこをする自分が滑稽に思えてならなかった。
考えているだけならともかく、これを実行にうつすと、相当しんどい想いすることになる。「何のために?」と、内なる自分が問いかけてくる。
高校の頃の自分が何故わざわざ遠いところにあるスピナッチに通い続けられたのか、今の自分には分からない。逆に、高校の頃の私が、中年になって徒労としか思えない旅に出ることをどう思うか、という疑問が浮かんだ。
でも、本当はどちらにも深い理由なんてないのだろう。その時々で、自分のしようと思ったことをするだけだ。
というか、高校生だった当時はナビも地図も持たずに遠くまで行っていた。それでも、帰ってこられたのだ。今思うと、恐ろしい。怖いもの知らず、というやつだったのだろうか。
考えがまとまると荷物をしまい、店を出た。まだ時間が早いと思い、遠回りして帰ることにした。
走りながら、ケンコーとの会話を思い出した。あの時、私は「自転車があればどこへでも行ける」と言った。それは間違いではない。ただ、本当にどこへでも行く気なら、多大な労力を伴う、と付け加えるべきだった。
赤信号では止まり、青になったら進む。その繰り返しの中で気付いた。信号の青もターコイズブルーに近いな、と。そもそも青というより緑ではないか、と。
青と緑は国によっては混同されているのではなかったか、と聞きかじりの情報を思い出す。
おかしくなった。
私の好きな青色が、「安全・進んでよし」を意味することが、奇妙に思えてならなかった。
サウダージ 百済 @ousama-name
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。サウダージの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます