私、女神なんですけど!?~サボって寝てたら聖女として召喚されちゃいました。仕方がないので勇者も聖女も一人でこなして、ついでに魔王も従えちゃいます!~

世界

第1話 目が覚めたら、そこは……

 その日、地上を見渡す空の彼方にある天界では、一人の美しい女性が眠り呆けていた。


「えへへ、いやぁそれほどでもぉ~…ムニャムニャ……」


 まだうら若き乙女といった年頃に見えるその女性の背中には、髪と同じ色をした黄金色の羽毛がびっしりと生え揃った大きな翼があり、それを布団代わりにして自分の身体を覆っている。彼女が眠っているのは青空に浮かぶ雲のベッドで、自分の体重で翼を押し潰さない様になっているようだ。柔らかな陽の光を浴びながら眠る姿はとても幸せそうで、一筋のヨダレがキラリと陽光を反射して光っている。

 

 ふと、彼女の頬をそよ風が撫でると、やがて彼女の身体が大きく揺れ始めた。バチバチと極小の雷が周囲に弾け、振動は大きくなって不穏な気配を漂わせていた。


「私の手にかかればこの位は……んん…うぅ、ん?」


 その時、ようやく目を覚ました女性が最後に見たのは、目を開けたばかりなのに暗転していく風景と、強烈な力で何かに引っ張られる感覚だった。そうして、天界から一柱の女神が姿を消した。



「おおお!成功したぞ!聖女様のお出ましだ!」


 湧き立つ人々の声は歓喜に打ち震え、待ちに待った存在の訪れを祝福している。いや、祝福というよりも熱狂的な渇望の声というべきだろう。その地に集いし人々は、救済を求め、聖女の訪れを心待ちにしていたのだから。


「ふえ?な、なに!?ここ……どこ!?」


 魔法陣の中央で、金髪の女性が辺りを見回して混乱していた。薄手のイブニングドレスを身に纏っているが、それ以外には何も持っていない。周りの人々を見回すと、老若男女を問わない数十人の人々が魔法使いの着るローブのような物を着て、喝采を上げていた。女性はその声が自分に向けられているものだと気付き、次第に嫌な予感が全身に行き渡っていく。


 そんな彼女の元へ、まだ20代と思しき黒髪の男性が近づいて跪いてみせた。見目麗しい顔立ちの男は他の人々とは違って、煌びやかな装飾を施した紺色のジュストコールを着ている。かなり身分の高い人物なのだろう、わずか数歩の動きさえも洗練されていて、鍛え抜かれた身体が服の上からでも見て取れる。


「貴女の戸惑いはもっともですが、どうか落ち着いてください。私の名はブラッド。アークブラッド・フォン・ベルンと申します。……どうか、我らをお救い下さい。聖女様」


「………………………………は?はぁぁ~~~~~っ!?わ、私が、聖女っ!?嘘でしょ!」


 聖女と呼ばれた女性は飛びあがって慌てふためき、そして、心の内で叫んだ。


 (私が聖女なわけないじゃない!だって、私……女神なんですけどっ!?)


 後に、『黄昏の聖女』と呼ばれし女神の言葉は、誰にも届かなかった。ただ、彼女の心に木霊しただけである。





「落ち着きましたか?どうぞ、これはコーヒーと呼ばれるこの国の名産品です。お口に合うといいのですが…」


「ああ、ありがと。……出来たらお砂糖とミルクもくれる?私、あんまり苦いの好きじゃないのよ。飲めることは飲めるんだけどね」


 一応ね、と付け加えると、コーヒーを持ってきた銀髪に眼鏡をかけた優男は優しく微笑んで砂糖とミルクを用意しに離れていった。その笑みを見て内心でうげぇと声を出しつつ、肘をついて正面を見る。そこにはブラッドが座っていて、微笑ましそうにこちらを眺めていた。外の光が反射してキラキラと輝く様は、まるで彼を飾っているようである。

 絵画を切り取ったようなその美しさは、普通の女性であれば一瞬で恋に落ちてしまうだろう。だが、女性は鬱陶しそうにしているだけでそれ以上の感情は動かないようだった。


「聖女様、だいぶ気分がほぐれたご様子で何よりです。何かお望みがあれば、何なりと仰って下さい。貴女を招いたのは我々なのですから、遠慮なさらず」


「あー、そうね。もうちょっと時間を頂戴、色々考えたいから。…それと、私を聖女って呼ぶのは止めてくれる?」


「それは困りますね。……聖女様は聖女様なのですが、他に何とお呼びすれば?」


「えっと……じゃあ、アリスでいいわ」


「アリス…なんと美しい名前でしょうか。我らが女神アリシア様のお名前に似ていますね。これも運命というものでしょう」


「あはは……だって、本神ほんにんだし」


「今、何か?」


「いいえ、何にも」


 アリスはそう言うと、ニッコリと微笑んでから運ばれてきた砂糖とミルクをたっぷり入れて、コーヒーに口をつけた。どうしてこんなことになってしまったのか、心の中に浮かぶのは、疑問と後悔ばかりである。


 女神アリシア……この世界、アンダンテを作り出した正真正銘の女神の名だ。彼女は女神の中でもまだ歳若く、このアンダンテを生み出すのが初めての仕事であった。アリシアは早速の初仕事で気合を入れてアンダンテを生み出したのだが、世界を作った疲れによってしばしの休息昼寝に勤しんでいた。自分が作った世界に生まれた生命達は、どんな進化を遂げるだろうか?目を覚ましたらどんな世界になっているかが実に楽しみで、彼女は思いの外深く眠ってしまっていた。そこへ、聖女召喚の術によって呼び出されてしまったのである。


 (しまったなぁ、せめて起きてる時なら、干渉して妨害する事も出来たのに。全く!誰よ。聖女召喚なんて面倒な設定作ったのは……)


 その時、アリスの脳裏に浮かんだのはまたアンダンテを作る前の事。天界の女神達を取り仕切る主神、エルヴィーラに謁見した時のことである。




「聖女召喚?」


「そうです。覚えておきなさい、アリシア。私達の作った世界は、絶えず他の世界からの侵略者に狙われています。平和で生命に満ちた世界は、侵略者の格好の餌食だからです。それだけではありません、私達が作る世界とて完璧ではない。そこに生きる者達のちょっとした悪意や綻びによって、魔王のように内部から世界を破滅させようとする者が現れる事もあり得ます。そんな時の為の安全装置セーフティを、設定しておくのです」


「それが、聖女召喚……ですか?」


「ええ、他にも転生によって他の世界から勇者を呼び出すなど方法は様々ですが…そこはあなたがお決めなさい。これから作るのは、あなたの世界なのですからね」


「わっかりました!とびっきり強力な安全装置を作って用意しておきますね!」


 アリシアはそう言うと、満面の笑みを浮かべてエルヴィーラに微笑んだ。しかし、彼女のミスはここから始まったのだ。そして、時は経ち……


「やったー!やっとできたわ!まさか聖女召喚の術を作るのに300年もかかるなんて……ちょっと強力な術にし過ぎたかな?ふふん!でも、いいもんね。苦労した分、効果はばっちりなんだから。だって呼び出してコキ使えるわよ、この術なら!さーて、後はこれを、この世界のどこかに教えておかないと…あ、あのお爺ちゃんでいいかな。真面目そうだし、きっと後世に伝えてくれるわよね。えいっ!……さぁ、一眠りしよ~っと」


 アリシアの力により、その辺を歩いていた老人の脳裏に突如、存在しない伝説の術の全てが与えられた。これぞまさに天啓である。

 

「ふぉぉぉっ!な、なんじゃ!?ば、婆さん!早く、早く紙とペンを用意してくれ!忘れん内に書きとめておかねば!この伝説の術を!」


「はぁ?何言っとるんじゃ、爺さん」







 (……あ、私だわ。私だったわ、聖女召喚の術作ったの。私ったらなんてバカなことを。いくら魔王だって呼び出せるくらい強力な術式だからって、作った本神ほんにん呼び出すなんてズルでしょそんなの。チートよチート!責任者出てきなさいよ!……だから、私だってば、バカッ!)


「アリスさん、どうかなさいましたか?しきりに頭を叩いているようですが……」


「大丈夫、大丈夫よ…ちょっとした頭痛っていうか、自分の失敗が自分に跳ね返ってきて、どうしたらいいのか解らないだけだから」


「はぁ……」


 アリスは片手で頭を押さえながら、反対の手でブラッドを制した。厄介なのは、自分が聖女として召喚された事だけではない。むしろ、その後のことだ。


 (まさか聖女として召喚されたせいで、女神の権能のほとんどが封じられてるだなんて…呼び出した相手をデチューンしてどうするのよ、ふざけた術ね、私が作ったんだけど。ああ、自慢の翼も無くなってるし……まったくもう!)


 そう、本来は女神であるアリスは聖女召喚の術の影響により、人間として召喚されてしまっていたのだ。今の彼女は本来の力の百分の一…いや、万分の一さえも使えない有り様である。それもこれも、魔王さえも呼び出してコキ使ってしまおうという浅はかな考えによる弊害であろう。


 しばらく頭を抱えていたアリシアは、大きく溜め息を吐くとブラッドに視線を向けた。ブラッドの淡い光を放つような眩しさに思わず顔をしかめてしまう。


「それで?一体どうして私を……聖女を呼び出そうとしたの?何か理由があるんでしょう?単刀直入に言ってくれる?」


「ああ、それは…その……大変申し上げ難いことなのですが…この世界は、ある大きな危機に直面しているのです」


「でしょうね。じゃないとあの術は発動しないもの。で、その危機っていうのは?」


「魔王です……魔王ギレラが、この世界アンダンテを滅ぼそうとしているのです」


 ブラッドは歯を食いしばって、その名を呟く。その顔には苦々しい思いがはっきりと表れていて、相当な苦悩の色が浮かんでいるようだった。


 (やっぱりか。魔王ねぇ……私がアンダンテを作った時には、そんなヤツいなかったはずなんだけど。エルヴィーラ様が仰ってたように、他の世界から侵略にきたのか、或いは少しずつ澱みが溜まったのか、どっちかかしらね。さて、そうなると私がやるべきことは)


「魔王、ね。魔王を倒す為に、聖女が必要だったってわけね」


「……はい。魔王は凄まじい魔力で身を守っていて、並の力では歯が立ちません。奴を倒せるのは、伝説に謳われた勇者と聖女の力を持って当たるしか……」


「ちょっと待って。その勇者って何?私知らないんだけど。聖女だけじゃダメなの?」


「あ、はい。聖女様のお力は、あくまで聖なる守りですから。魔王を打ち倒せるのは、聖剣インテグラルを持った勇者だけであると文献には残されております」


「はぁ?なにそれ知らないんだけど。そもそも何なのその聖剣って、誰が作ったのよ?!」


「め、女神アリシアが作ったのでは……と!」


 (知らないわよ、そんなもの!どういうこと!?私の知らない所で何かが独り歩きしてるってこと!?)


 大声でそう怒鳴り散らしたいのは山々だが、そうなると自分がアリシアであると明かさねばならなくなる。だが、肝心の女神としての権能が封じられてしまっている以上、それを証明する手立てがない。良くて女神を自称するイタイ女か、最悪不敬罪で打ち首もあり得るだろう。それは絶対に避けたい所だった。


「……もういいわ。とりあえず、その聖剣、インテグラだかモンテネグロだかの所へ案内して。どうせ、勇者なんていないんでしょ?」


「な、何故それを!?」


「そりゃあねぇ……」


 いかにアリシアの知らない内に伝承が独り歩きしていたとしても、アリシア自身が勇者という存在を設定していないのだから、そんなものがいるはずもない。大方、聖女と対になる存在がいた方が、拍が付くからと伝説が変節していったのだろう。そういう事は、人間の歴史にはままあることだ。


「まぁ、私聖女なわけだし。色々と解っちゃうわけよ?で、どこにあるの?その聖剣は」


「流石は聖女様です、感服致しました!いと美しいだけでなく、その素晴らしいご明察…!あなたはまさに聖女……いや、我々の希望そのものだ!」


「あはは…そりゃ女神の私なら聖女の条件に当てはまるわよね。はぁ……」

 

 溜め息交じりでブラッドに案内されて向かった先は、王宮の離れに隣接する洞窟のような場所だった。やはりというか案の定、ブラッドはこの国の第一王子であったらしい。その所作といい、身なりといい、到底一般人ではないと思っていたが、だからと言ってアリスが態度を変える事はない。


「この洞窟が、聖剣インテグラルの隠された洞窟です。この場所は王家の中でもごく一部の人間しか知らぬのですが……」


「ふーん……」


 一見した所、それは何の変哲もない洞窟であるようだったが、アリスの目にはハッキリと、その洞窟を塞ぐ強力な魔法の結界が見えていた。ここにあるのが本当に聖剣なのかどうかは定かではないが、尋常でない物が隠されているのは間違いなさそうである。

 アリスはおもむろに洞窟の入口へ近づくと、その結界にその辺で拾った石を投げてみた。これだけ強力な結界ともなれば、物理的な干渉もあるだろうと踏んでの事だ。


「なっ!?」


「……やるわね、大した結界だわ」


 結界に石が当たると、バチッ!という音と閃光が走り、投げつけた石は完全に破壊され、砂のように崩れて消えた。これならば、例え人間だろうと触れればあの世行き確定である。その辺の地面に不自然な黒い跡が残っているのは、恐らく小動物か何かが結界に当たって、今の石のように消滅させられた跡だろう。

 その結界の威力にはブラッドも、その従者である眼鏡の優男アシムも、傍付きの騎士達さえも驚きを隠せないようである。


 アリスは満足気に結界の力を確かめると、スタスタと何事もなかったかのようにその結界へ近づいていった。あまりの自然な行動に、その場の誰もが一瞬、止めるのを失念していたほどだ。


「せ、聖女様っ!いけません!」


「大丈夫よ」


 アリスはにこやかに笑いながら、その結界の中へ足を踏み入れた。その瞬間ブラッドはおろか、他の者達も身をすくめた。先程の石と同様に激しい干渉が起きる…誰もがそう思っていたからだ。

 しかし、アリスは結界などなかったかのように、するりとそれを抜けた。そして、悪戯っ子のように笑うと、結界の幕を指先でちょんと叩く。それだけで、あれほど強固だった結界は飴細工のように割れて粉々に砕けた。


「あらやだ、時間経過で脆くなってたみたいね。やっぱりこう言うのは、外部から力を補充して半永久的に持続するようにしないと……」

 

「……」


 誰もがポカンと口を開き、アリスの行いに呆然としている。アリスは先程、あの石が結界に当たって砕けるその刹那に、瞬時に結界の術式を看破して無効化する術を作っていたのだ。聖女召喚の術では、例えアリスの女神としての権能は封じられても、その頭脳や本来の力を完全に封じる事は出来ないらしい。ある意味で当然ではある。何の力も持たない普通の人間を呼び出した所で、それでは意味がないのだから。


「さ、行きましょ」と言って、アリスがズンズンと洞窟の中へと入っていくと、ブラッド達も慌ててその後を追う。すっかり案内が逆転してしまっているが、それを咎めたり気にする者はもういない。アリスの一挙手一投足が、皆を惹き付けてやまないようだ。


「へぇ…これがそうなの?」


 洞窟の最奥にあったのは、地面に突き刺さったとても巨大な剣であった。それは大きく武骨で、人の背丈を優に超える大きさをしているが、何の装飾もなく一見すると鉄の塊のようにしか見えない。まるで、巨大な鉈のようだ。


 (なにこれ、こんなのが聖剣で大丈夫なの?)


 アリスは首を傾げている、聖剣と言うからにはもう少し華美なものを想像していたらしい。するとその横で、あの眼鏡をかけた優男のアシムが、不気味な大笑いを始めた。


「ケッケッケ……ケヒャヒャヒャヒャ!」


「あ、アシム……?」


「まさかこんな所に聖剣が隠されていたとはナァ…!ギレラ様の命令で、勇者候補となる人間を殺し、ついでに聖剣を探し出して聖女も殺してしまえと言われていたが、ちっとも勇者候補は現れねぇし、聖剣とやらはどこにあるのか解らねぇ……!いい加減イライラしてた所だゼェ!」


 アシムの肌が見る間に紫色へと変化し、背には悪魔らしい蝙蝠のような羽が生えていった。その変貌ぶりに、ブラッドも他の騎士達も驚き、腰を抜かしている。


「アシム…お前は!?」


「ブラッドの坊ちゃんよう、悪いがアシムなんて奴ぁこの世にいねーよ!あの体の元になった奴は別人で、そいつもとっくの昔に食っちまったからなァ!ケヒャヒャヒャヒャッ!」


「ま、魔族め…!」


 ブラッドの鋭い視線が、アシムだった魔族に向けられる。しかし、魔族はそんなものは屁でもないと笑い飛ばしてみせた。それを油断と捉えたのか、傍付きの騎士達が一斉に魔族へと飛び掛かった。


「魔族、覚悟っ!」


「ああん?バカか、雑魚共が!テメェら如きが、この魔王ギレラ様最強の配下、サーディン様に勝てると思ってんのかァ!?」


 飛び掛かった四人の騎士は、サーディンの尾が一閃すると、鎧ごと全身を三つに切り裂かれて息絶えた。恐るべき技の冴えである。ブラッドは腰を抜かして動けなかったことが幸いして命を取り留めたのだが、彼は王子として清廉な人間なのだろう。目の前で起きた部下の死を悼み、自らの力不足を感じて涙を流しているようだ。


「お、お前達……私の力が至らないせいで…すまない」

 

「ケケッ!何を泣いてやがんだ。お前もすぐコイツと同じところへ送ってやるよォ!俺って魔族の中じゃ優しい方なんだぜぇっ!ケヒャヒャヒャヒャ!」


「ウッザ……!なんでこんな奴がいるのかしら。私、皆が幸せで平和に生きられる世界を作ったはずなのにな」


「ああ?何ブツブツ言ってやがる!聖女だかなんだか知らねぇが、しっかり丁寧に食い殺してやるぜェ!」


「ウザいって言ったのよ、聞こえなかった?魔族だかなんだか知らないけど、頭も悪ければ耳も顔も悪いのね」


「んだとぉ!?このアマ、許さねぇ!」


 サーディンは怒りに燃え、その勢いのままアリスに襲い掛かった。騎士達の身体を切り裂いた鋭い尾が煌めき、アリスの身体に巻き付こうとしている。しかし、その目論見は成功しなかった。


「よいしょっ!」


「あっ……!?へ………」


 アリスは自分の身体の三倍以上はあろうかという聖剣インテグラルを軽々と引き抜き、サーディンの頭から胴体までもを一気に唐竹割りに両断したのである。


「あら、切れ味いいじゃない。せっかくだから、貰っときましょ」


「せ、聖女様……!?」


「ああ、ブラッド。悪いけど、この剣貰っていくわね。魔王を倒したら返しに来るから、それまでの間だけね。それじゃ、行ってきます!」


 アリスはピクニックにでも行くかのように、軽い足取りで駆けだすと、洞窟の外から空を飛んでどこかへ去って行った。行き先はもちろん、魔王の城である。彼女は魔王の存在をブラッドに聞かされてから、ずっと魔王の居場所を探っていたのだ。

 女神としての力はなくとも、魔法が使えることは洞窟に入る前の結界で試して理解していた。それだけでなく、ある程度なら本来の力を使える算段を考え、探っていたのだった。


「空を飛ぶなんて久し振りー!ずっと寝てたし、運動するにはちょうどいいかも!……それにしても、魔王か。私のかわいい子供達を傷つけてくれたお礼は、たっぷりしてあげなきゃね」


 アリスにとって、この世界に生きる全ての命は彼女の大切な子供である。女神という上位の超越者として、特定の生命に肩入れすることは控えたいのだが、それはそれとして先程殺された騎士達の分は、魔王にきっちり返してもらわなければ気が済まない。そもそも魔王がいなければ、自分が聖女として召喚される事も無かったのだ。そのうっぷん晴らしも兼ねて、アリスは指を鳴らしている。


「到着ーっ!いやぁ、やっぱ人間って面倒臭いわ。女神のままだったらこの世界のどこにでも空間を繋げて一瞬で移動できたのに。なんかそう言う術でも仕込んでおけばよかったかな」


 およそ数十分のフライトを経てアリスが辿り着いたのは、荒れ果てた教会のような城であった。魔王が教会を模した城を造るなんて意味が解らないと思いつつ、アリスはスタスタと歩を進めていく。そうして祈りを捧げる広間に行くと、祭壇らしき場所の上に、産衣に包まれた小さな何かが鎮座していた。


「アレが魔王?うーん、何か思ってたのと違うなぁ」


 ポリポリと頬を搔いて、アリスは呟く。魔王と言うからにはもっとこう、おどろおどろしくて巨大な魔物を想像していたのだが、あんなに小さな存在では拍子抜けである。しかし、それはアリスの呟きに過敏に反応して、どす黒い瘴気と魔力を放ってみせた。


「人間の小娘が我が居城に入り込んで、偉そうな口を叩くではないか。我を魔王ギレラと知っているようだが、何者だ?」


「私?……あー、何て言えばいいのかな。聖女なんだけど聖女じゃないって言うか…」


 相手は魔王なのだし、正直に女神と言いたい所だが、証拠が何もないのでどう説明したものか解らない。そんな煮え切らない返事を聞いて、魔王ギレラの魔力が猛り、怒りを露わにした。


「ふざけるな!そんな大剣を持った聖女がどこにいる!?……さては、貴様が勇者という奴だな?我を駆逐しに来たという事か。サーディンめ、役に立たんヤツだ!」


「あーね。あの魔族って、ちょっとおバカだったわよね。相手の力量を測れないで魔王様最強の配下とか言っちゃうんだもの。……でも、それも仕方ないんじゃない?貴方だって、私の力が解らないみたいだし」


「舐めた口を!もういい、死ねっ!」


 魔王の怒りはその魔力を鋭い刃に変え、猛然とアリスを襲った。だが、アリスはその全てを、邪魔な小枝でも打ち払うかのように聖剣を振るい、いとも容易く切り払っていく。そして、そのままゆっくりとギレラに向かって歩き始めていた。


「なっ!?き、貴様…その力は……えぇい、来るな!来るんじゃないっ!」


「来るなと言われてもねぇ。…ふむふむ、何となく貴方の事が解ってきたわ。貴方やっぱり他の世界からやってきたのね。……まつろわぬ民の王って感じ?あーそれだけでもないのか、この世界で死んだ子の無念とかも取り込んだと。うんうん、なるほどなるほど」


「よ、止せ!止めろ!?我の心を読むな!なんなんだ貴様は!」


「この聖剣っての、大した剣じゃない。これ、本当に人間が造ったのかしら?……そう言えば、夢の中で剣を造っていたような」


 まるで買い物中に品物を思い出すような気軽さで、アリスはギレラの攻撃を捌き、あっという間にその眼前に立った。アリスには聖女としての格を与えられているからか、それだけで彼の力を封殺してしまっている。そのあっけらかんとした態度と力に、ギレラは魔王としての自尊心を砕かれ、身も心も追い詰められていた。


「い……一体、お前は…」


「さて、後はズバっとやっちゃえば終わりなんだけど……正直、ちょっと可哀想な気もするのよね。色んな世界に馴染めなくて放逐され続けて、やっとここへ辿り着いた訳でしょう?それに、私の子達の無念だって取り込んでる訳だから、実質貴方は私の子でもあるわけだし。うーん」


「何を言って……」


「よし、決めた!貴方、私の従者になりなさい!私の手伝いをしてくれれば、いつか貴方達にピッタリな世界を、私が作ってあげる!罪滅ぼしにもなるしね。うん、私って天才かも!」


「そ、そんな無茶な事が出来る訳が…!?いや、待て。お前、本当に人間か?その魂の色…それはまるで……」


 ギレラは魔王だけあって、相手の魂をその目で知覚できる能力を持っているらしい。その目で見たアリスの魂は人間のそれとは全くかけ離れていた。その事実に、ギレラは思わず息を呑む。


「んーふふふ、それが出来ちゃうのよねー。だって、私、女神だもの!」


 アリスはにっこりと、満面の笑みを浮かべて親指を立ててみせた。ちなみに、魔王を一度は倒さないと聖女は元の世界に帰れないので、アリスはギレラに復活の魔法をかけた上で丁寧にトドメを刺した。それは禊でもあり、彼に従者として新たな生命を与えるのに必要だったと言うが、ギレラはそれが単なる憂さ晴らしだったのではないかと疑っている。

 ギレラを倒したアリスは、召喚されたその日の夕暮れにブラッドの元へ帰ってきた。聖剣と夕焼けを背にして佇むその姿は、黄昏の聖女と呼ばれ、後の世に語り継がれる伝説となったようだ。尚、その美しさに惚れたブラッドから求婚されたアリスは、けんもほろろにそれを断った。曰く、自分の子に色目を使われても嬉しくもなんともないから、らしい。


 

「さて、無事天界に帰ってこれた事だし。ビシバシ仕事しなきゃね!とりあえずちょっと疲れたから休憩しよ~」


「おい、寝るな!お前が寝てる間に何かあったら……うぉっ!なんだ!?」


「あー、魔王も呼び出せる召喚術だからね。今度はギレラの番よね、頑張ってね~」


「こ、このクソ女神があああああっ!」


 今度はギレラが勇者として、世界を救う旅へ出ることになってしまった。這う這うの体で帰還したギレラに、眠っていたアリシアが頭を叩かれたのは数年後の事である。

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