ビギニング

 九月。大阪に暮らす大学時代の同期から連絡が入った。「久しぶりに会わないか」「彼女も会いたがっている」と言われ、懐かしさと戸惑いが混ざる。

 在学中、部活の掛け持ちをしていた私は、よく友人達から悩みを打ち明けられていた。その度に親身に聞き、答えてきた。

 恋愛相談を受けたことのある彼女の「お願い」とあれば、断る理由はない。

 まったくもって、お人好し。それが私らしさかもしれないと思いながら準備をはじめた。



 本州に秋雨前線が停滞し、大型で非常に強い勢力の台風が沖縄方面へ進んでいた。台風からの暖湿気流が停滞前線にむかって流れ込み、東海地方では大気が不安定となった。

 夕方から同じ地域で激しい大雨が降り続き、広範囲に堤内地の水害が発生。さらに一級河川の堤防が百メートルにわたって決壊し、名古屋市周辺に甚大な浸水被害をもたらす、その数時間前。

 激しく打ちつける雨音を聞きながら、駅のホームで一人佇んでいた。スピーカーから流れる遅延アナウンスが遠くに響く。

 こんな日でなくてもよかったのだが、約束は縛るものではなく結びつけるものだから、と納得させる。

 定刻より遅れた新幹線に乗り、大雨に見舞われる京都で学生時代の友人と彼女の二人と再会した。三条通りから寺町へ歩き、錦市場で買い物し、友人宅のある大阪へと車で移動した。

 エプロンをつけた彼女が、フルーツカレーの作り方を尋ねてきた。私はバナナの皮をむきながら答える。

「ルウは辛口で、いつもの量でいいよ。かわりに水を少し減らして、フルーツの水分を活かすの。リンゴやバナナ、パイン缶はシロップごとミキサーにかけて、炒めた玉ねぎとお肉に混ぜる。最後にカレールウを加えて煮込めばできあがり」

 彼女の目が輝き、ミキサーを出してくる。

 来年大学を卒業する彼女は内定が決まり、東京で働くという。今回の集まりはお祝いも兼ねていると聞かされる。

 相談内容はやはり、恋愛についてだった。

「遠距離恋愛になるので、続けられるか心配で」

「いまでも遠距離でしょ」

「そうなんですけどね」

 鍋の前に立ちながら、彼女は小さく息を吐く。

「先輩たちが大学にいたときはいつも一緒だったのに、追いかけても、どんどん遠くなっていく気がするんです」

「なるほどね」私は思わずつぶやく。「いまは飛行機と電車で乗り継いでるでしょ。来年からは新幹線一本だよ。それにお互い歩み寄って、名古屋あたりで会うのもいいよ」

「それはいいかもしれませんね」

「この先、いい方向に変わっていくかもしれないしね」

 鍋を覗き、湯気と共に立ち上る香りを嗅ぎながら味見をし、できあがりを確かめてから皿にご飯をよそっていく。

 夕食時、再会を祝して三人で乾杯する。苦い杯を重ねても、私は酔わなかった。

 いつしか話題は大学時代のこととなる。

「会ったときの君は、すぐにも死にそうな顔をしていた。どんな悲しいことを抱えているのか知らなかったけど、そんなふうにみえたんだ」

 友人の言葉に思わず息を呑む。当たっているだけに否定できず、「そうだね」としかいえなかった。当時、幼馴染が亡くなった哀しみをどこまでも引きずっていた。心の支えにしてきたため、生きる指針を失ったようなもの。入水するために選んだ大学だったとは口には出せない。

 心の痛みは時間が解決するという考えは気休めにもならない。

 それはいつ?

 一年後、五年後、十年後?

 解決したら生き返る?

 慰めの言葉にしても浅すぎる。かといって、同期の彼を責めたりはしない。他者との距離を取りながら宥める振りをすることも、一つの選択肢なのだから。

「誰かがいっただろ、『忘却とは忘れ去ることなり』って」

「続けて『忘れ得ずして忘却を誓う心の哀しさよ』といったよ」

 忘れることも供養だといえるのは、忘れても平気なくらい記憶がある人の余裕だろう。

 記憶をなくした者がようやく見つけた支えを失えば、崩壊は免れない。かろうじて踏みとどまれているのは、あるがままを受け止めて忘れないよう努めているからだ。

 去る者はいつだって美しい。残されし惑う者は、追いかけ焦がれ、いつまでも泣き狂う。会うは別れのはじめなればこそ、別れの訪れに気付けるようになるという。その時が来るまで、感謝の気持ちを持って日々生きよ、それこそが成長なのだから。

 念仏のごとく自分にいい聞かせるたびに胸の奥にある砕けた心がさらに擦り減っていく。

「誰かがいった、『風が吹くように生きられないのか』と」

 彼の言葉に私は答えず、苦い液体を喉の奥へと押し流した。


 翌日も雨は止む気配すらなかった。

 友人らとともに難波へ向かい、通天閣へと登る。

 展望台には、足裏を撫でるとどんな願いも叶うというビリケン像が鎮座していた。多くの人達がご利益を求めるのだろう。足裏は黒ずみ、深くえぐられていた。それでもビリケンは、目を細めた笑顔を浮かべている。

 どうしてそんなに笑っていられるのだろう。さぞ痛かろうに。傷の深さは、人の欲望や祈りなのかもしれない。ふとそんな考えが頭をよぎる。気づけば私も、足裏に触れていた。

 ひょっとすると、癒やされたいのはビリケン自身ではないだろうか。そのために私を招いたのでは。わからない。でも、そういうこともあるかもしれない。

 どうか、ビリケン様の傷が癒えますように。

 心の中で願いながら、何度も撫でた。


「すぐにも死にそうな顔をしていた」

 昨晩の彼の言葉が頭の中にこだまする。今もそんな顔なのかと思うだけで、口が重たくなる。

 結局、なにも言えぬまま友人と別れた。この胸に巣くう悲しみを取り除きたい。辛さや切なさから助け出して、と叫びたくても声に出せない。

 人は誰しも宿痾を抱えて生まれてくる。他人にその重荷を肩代わりしてもらることなどできない。抜け出したければ、自ら向き合うしかない。そう考えるようになっていた。



 堤防の上を歩きながら、遠くにそびえるマンションを眺める。

 私には忘れられない情景がある。目の前で横たわり、うなり声をあげながら動かない幼馴染の姿。目を大きく見開き、半開きな口からは理解できる言葉が出てこない。

 ただ横になり、そこに在るだけ。再び自分の足で歩き、話し、思い出すこともできないから悲しいのではない。忘れて思い出せず、治ることなく終わりが迎えることだけが唯一の救いだからでもない。

 私も同じだ、と気づいたからだ。


 残暑厳しいころ、幼馴染の人生が終わった。元気だった彼と過ごした思い出が、大切な宝物となるはずだった。しかし、私は小学生のときに事故に遭い、なにもかも忘れてしまった。事故後、一度だけ再会できたが、そのときの状況は実に滑稽だった。

 彼は植物状態、私は記憶喪失。アルバムの写真を見て会いに行ったが、面影すら見つけることができなかった。

 周囲は、私が覚えていないことを知らない。忘れた人は、自分がわからないことに気づかない。比べる対象が何者なのかがわかって初めて「おやっ」と気になるのだから。

 気になっても、それがどういうことなのか揶揄されているだけでは答えにたどり着けない。もともと寡黙な性格だったことが災いし、黙っていても気に留められず、そのまま大きくなってしまった。

 勉強を優先させられて、告別式に行かせてもらえなかった。そのため、自分にとって幼馴染がどういう存在なのか整理できず、漠然とした思いだけが残っている。この悲しみの正体もわからず、確かめることもできない。

 いつしか「昔を忘れた者は死ななければならない」と思うようになり、それが何よりも恐かった。


 亡くなって二年以上が経ち、ようやく線香をあげに訪れることができた。悲しみのあまり、何かを思い出したような気がするが、それが本当の記憶かどうかわからない。

 共に過ごした覚えのない事実がある。

 それだけが嬉しくも、切ない。

 もしおぼえていたならば、寄り添い、できる限りのことをしたのだろうか。淡く儚い思いだけが募り、悲しみが胸に広がる。心の痛みにくらべたら、幼馴染が過ごした日々はどれほど辛かっただろう。

 少しでも理解できる立場にいたはずなのに、忘れたため、なにもできずに過ごした自身が悔しくてたまらない。泣きながらもがき、自分を責めた。そんなことをしても無駄とわかっている。それでも、自分の情けなさや愚かさに嫌気が差す。

 

 目の前で泣く子を見つけたら、手を差し伸べる。

 困っている人が道にいると、迷わず声をかける。

 助けを求める人がいたら、駆けつけて協力する。

 誰かのため、何かのために、できることを精一杯する。そうすることで救われる気がするから。それでも、あとで泣いてしまう。本当は救って欲しいのは自分なのに。

 そんな小さなことで困っている人がいるなんてどうして? 

 私の方が苦しくて、切なくて、どうしようもないくらい助けて欲しいのに。

 一瞬そう思うが、すぐ別の考えが浮かぶ。

 小さなことかもしれないが、その人にとっては重大な問題かもしれない。苦しみは他人が推し量れず、その度合いは自分にしかわからない。

 傲慢だ、と自分自身を諌める瞬間もある。それでも空しい。

 気づけば、亡くなった幼馴染に話しかける自分がいた。

「どうか、この空虚な心を救う方法を教えてください」


 したいことはわからないが、したかったことなら思いつく。

 幼馴染のために、なにかをしてあげたい。

「もし」という言葉は悲しみの親戚だ。使いたくない。それでも、「もし幼馴染と再会したら、なにをしたいと思うのか」考えることはできる。

 寝たきりは大変だ。少しでも支えたい。体がむくむかもしれない。言葉はわからずとも、感覚は伝わるはず。

 辛さを和らげることをしてあげたいと思った。

 でも、彼はもういない。顔も思い出せないけれど、初恋に似た緊張や胸が高鳴る感覚は、いまも思い出せる。

 まるで彼が私の中で生きているような感覚。あり得ない考えであり妄想に過ぎない。それでも割り切るなんてできなかった。



 決めたあとの行動は早かった。

 お金を貯めてスクールに通い、資格を取った。それだけでは飽き足らず、さらに上のコースを取得し、自分を磨いていく。

 運良く独立開業する人と知り合い、数人と店を始める。チラシを配り、情報誌に掲載し、店の宣伝をしていく。ゼロから作っていくことは大変だったが、これほど楽しいこともなかった。世の楽しみはすべて、大変の中に潜んでいるのだ。

 あらためて、誰かにしてあげることは困っている人を探すことだと気づく。関わる相手との気持ちのやり取りが重要なのではないか。きっと不幸な人だけが他人を哀れむことが許される。でも、不幸な人は相手を思いやる余裕はない。それでもなお、一歩踏み出す者だけが、得難きものを手にできるのかもしれない。

 世の人々は誰しも、切なさを秘めて生きている。より多くの人達に手を差し伸べるにはどうしたらいいのか。

 まねごとではなく本物に触れることこそ大事では?

 スクールを開校している会社は直営サロンを経営している。そのサロンでは卒業生のみが働き、全国に数十店舗展開している。

 以前見たブリティッシュグリーンの店舗が脳裏をよぎると、再び決意する。独立開業した店を辞め、サロンで働くための研修希望を出すや、有り金全部降ろして大阪へ向かった。

 日差し高くなる初夏のことだった。

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リフレクション snowdrop @kasumin

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