第2話

「ポーカーはメンタルだ。というよりも、この世の中のほとんどは、メンタルに心がぶらされなければ勝てることばかりだ」

 今もうだつのあがらない俺だが、さらににうだつのあがらない頃の俺と、あやしい店がひしめく薄汚い繁華街で出会ったのが、引島だった。

「はあ、メンタル」

 不恰好なのか、レトロでおしゃれと形容するべきか迷う、古ぼけたデザインのメガネをかけた、お世辞にも清潔感があるとは言い難い長髪の中年男性がその男、引島だった。

 なんてこともない地方の繁華街の外れ。

 飲み屋がひしめく店の連なりの中で、風俗店がまじりあった地区を何の気なしに歩いていた俺の目の前に、引島はふらっと現れた。

ピンサロから出てきた引島は、ちょうど店の前をあてもなくぶらついていた初対面の俺を見つけて、「喉乾いてないか?」と誘った。

 最初めちゃくちゃ警戒した俺だったが、暇だったこと、たとえ襲われても何か奪われるような物も持ち合わせてない俺は、興味にひかれるままついていくことにした。

「ピンときたんだ」

 俺の目をみながら引島が言う。

「お前見たら、なんか話しかけないといけない気がしてさ」

 ピンサロの前じゃなかったら格好いい話かもしれないが、場所が場所だけにうさんくさい詐欺まがいの会話に聞こえる。そんな男に、ほいほい付いていく自分も自分だと思うが。

 今いる喫茶店なのか飲み屋なのか微妙な店は、今時喫煙可の店で、煙たい煙が鼻につくしなんだか景色もぼんやり歪んでる気がした。内装もヤニで薄汚れて、もとの壁の色がわからない、そんな贔屓目にもオシャレとは言い難い店だった。

 ほかの客も、待ち合わせ風の、薄汚れた作業着の男とか、顔を寄せ合って何か話合っている中年のカップルだとか、そんな絵にならない連中ばかりだ。

その情景がまるで、今の自分を表してみるみたいで、悲しいやら落ち着くやらだった。

「で、お前は何してたの?」

 学生? と引島が聞いてくる。本当に思いつきで話しかけてきたんだとわかる。俺は少し自分の中の警戒心がほどけるのがわかった。

「いや、特に目的はなかった、です。飲み屋いくかパチンコいくかとか考えてたかも。それかDVDでも借りに行こうかなとか」

「だんだんわかってきたぞ」

 引島が、にやりと笑って、手元のコーヒーをぐいっと一口煽る。

「目的もなく、生きがいもないお前の未来を良い方向に導けっていう、大いなる力の使命だったんだな」

 もしかして宗教の類か? と一瞬身構えたが、まるで宗教とは縁遠い引島をみて考えるのをやめた。

「俺の未来?」

「そうだ。うだつもあがらない、未来にも希望がない、友達も少ない、お前の未来を救うために俺がきたってことだよ」

「はあ」

 引島の目を、今の言葉が本気なのか確かめるために覗き込む。もしくは酔ってるのか素面か。

「来たって、ピンサロから?」

「どこから来たかは関係ない」

 後になって思えば引島は、冗談とか嘘とか言わない男だった。気に入った相手には気に入ったと言うし、少しでも気に入らないことがあると、わかりやすく不機嫌に黙り込む男だった。全くもってポーカーには不向きな男だった。でも不思議と、ポーカーの腕は一流だった。

「お前、自由意志ってあると思う?」

「自由意志?」

 そうだよ。引島は真面目な顔で俺の目を見つめる。

「お前は朝起きて、自分で決めて今ここまで来たのか?」

「そうですけど」

「違うだろ」

 引島は、思った通りとでも言いたげににやりと笑う。

「お前が今日決めたことなんてないよ」

「いや」

「お前は何か大きな力によって動かされて、今ここで俺と話してるんだよ」

 やっぱり宗教の話になるのか? 俺はちらりと壁の時計を見て、退散するタイミングを考え始める。俺は初対面のおっさんと話す程度には暇だが、宗教の勧誘に付き合うほど俺はお人よしではなかった。いざとなれば無理やり脱出すればいい。こんな男、多少追われてもどうということはない。

「今までの人生を思い出してみろよ。お前が産まれて、成長して学校に上がって勉強して、その後進学だなんだ、友情だ恋愛だってやってるなかで、お前の意思はどれくらいあった?」

「いや、常にありましたけど」

「思い込みだ」

 引島がぴしゃりと俺に言う。そしてぐいっと今度はコーヒーカップをもち上げて少し冷めたコーヒーを飲む。そしたらもうマグカップの中身は空になっていた。

俺はそこではじめて、店内にクラシックの曲が間に合わせみたいに流れてることに気がついた。店の雰囲気にはあってなかった。

「お前が選択したと思ってるすべて、選択させられてただけだ。わかりやすいところで言うと、お前の能力的に届かなくて諦めた選択肢を思い出してみろ。諦めた進学先。職業。お前はただ、自分が選べる範囲の中で未来を選んだ気になって、一番妥当な未来に体を入れ込んで、漫然と日々をすごしてるだけ。受験も、恋愛も、お前に用意された未来を、お前が自分で選んだと思い込んで今を過ごしてるだけ。わかるか?」

「……」

 俺の思考は止まる。なんでこんな薄汚い繁華街の、薄汚れた喫茶店で、初対面のおっさんに、わけわかない説教じみたことを言われないといけない?

「勘違いするなよ。別にお前だけじゃない。あらゆるすべての人が同じ条件で生きてる。俺もだ。脳は自分で判断しちゃいない。あらかじめ受け取った使命に応じて動いて、それに従って行動することを、人間がまるで自分で判断したと思い込んでるだけ」

「でもそれ、証明できないですよね」

「でも俺の言ってることが違うとも証明できないはずだ」

「屁理屈だ」

「屁理屈で結構」

 そう言って両手をぱん、と柏手のように合わせる。

「でも事実だ。人間、せまーく細くて情けない自分の限られた未来を生きながら、自分で選んだ人生を生きていると思い込んでるだけ。やれ自己実現だ、努力だ言いながら、怖い未来と暇な時間を考えないように必死だ」

 めちゃくちゃなこと言いながらも、引島の話しには不思議と怒りが湧かない。理由を考えると、声質にあるのかもしれないと思った。押し付けがましいと思いきや、少しこちらのことを思いやるような、優しさもまとった声で喋る人だった。多分狙ってない、才能だろう。本当に、宗教家とか詐欺師とかやれば、そこそこ成功するんじゃないかと思う。

「ここからが本題だ。お前さては、自分の未来に期待してないだろ。それどころか、落ちぶれてる自分を、どこか納得してるみたいな感じだな」

 目をみればわかる、引島は俺の目を見ながらそう言った。にごったまなこが、再び俺の目をまっすぐ見やる。

「若いくせに、自分の未来に期待してない。そのくせ、未来が怖くて仕方ないって顔してる。怖いから、未来について考えないようにしてるだろ。俺も昔そうだったからよくわかる」

 そりゃ言われたらそうかもしれないが、俺の世代なんてそんなやつばっかりだろ。自分の未来に明るい期待してるやつの方が少ないんじゃないか。

「そんなやつ他にもたくさんいると思ってるだろ?」

 俺の考えを見透かすように引島が言う。

「そうかもしれないが、しかしなんたって俺と会って話す程度には、お前は未来をなんとかしたいって思ってる」

「はあ?」

 引島はそこまで言って、「コーヒーおかわり」と手をあげる。店員がそれを見て無表情で頷く。俺にはおかわりするかを確かめない引島だが、それより俺は納得いかなかった。

「別に俺にはなんとかしたい未来はない」

「違う」

 引島はどこか、諭すように言った。

「お前は未来を変える。ポーカーをやるんだ」

 ポーカー、普段触れることないの言葉を聞いた時、不思議と俺の背中はぞくぞくと鳥肌立つ思いがした。

 引島が言うと、異世界の単語を聞くような思いだった。

「お前の不確定な未来を逆手にとるためには、それしかない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

走り書き @mementm0ri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る