保険はギャンブル
加賀倉 創作【書く精】
保険の本質
——保険は
しかも投資的ではなく、極めて投機的である。
まず、言葉の定義から。
ギャンブルとは、私の考えとしては、「元本割れの可能性がある財産保有手段全て」を表す。
極端な物言いに聞こえるかもしれないが、元本割れすれば、それすなわち「損」している、ので、敢えて特定の財産保有手段をとって損をするなら、金額の大小はさておき、
となると、例えば現状マイナス金利ではない、一般市民が民間銀行にお金を預ける行為は、元本割れの可能性がないため、ギャンブルではない、と
また、「投資」、とは、株であればその配当、国債であればその利回りなど、多かれ少なかれほぼ確実に発生する利益を積み上げて、堅実に財を投入、少しずつプラスになる、緩やかな上り坂を一歩一歩進むような行為である。
そして、「投機」とはつまり、極めて不確実な利益を狙って、財を投入、山あり谷あり、時にクレバス、猛吹雪ありの大山脈を、どうにかこうにか最後、標高八八四八の頂に到達する山登り的な、あるいはもっと短期スパンならジェットコースター的な、行為である。
これら定義(個人的見解によるところも大いにあるが)に基づいて、保険というものの本質について考えてみる。
保険(特に一括払いでないもの)加入、見直しを考える時というのは、今入れば、今抜ければ、得する、損する、というシミュレーションに基づいて判断することになるだろう。当然誰も、損するために、月々の少ない保険料を払ったりはしない。
が、保険に関わってくる出来事、つまりは病気や怪我や災害などというのは、多くが偶発的(そう信じたい)なものであるから、そもそも「保険に入ることすなわち確実性の高い利益獲得手段を得る」とは、言い難い。
つまりは、保険加入者は、「損するリスクを抱えて、得する可能性を得ている」わけである。
俗に言う、〇〇リスク、〇〇リターン、というやつである。
というのは実際、ただの私の妄言的な独り言ではない。
大前提として……
保険とは、金融商品である。
金融と聞くと、銀行や証券会社が真っ先に思いつくかもしれない。が、実際には、生命保険や損害保険を扱う会社も、金融機関としてカウントされる。つまり、保険も、金融機関が取り扱うものなので、預金、投資信託、株式、社債、公債などと同じく、金融商品となるわけである。保険のことを保険商品と呼ぶことからも、これが事実であることは明白である。
まとめてみる。
保険商品(元本保証なし)という名の金融商品を買うことは、「損するリスクを抱えて、得する可能性を得ている」のと同義である。また、商品にもよるが、損得のラインを見極めるための判断が必要である。
これは、ギャンブルとどこが違うのか?
もっと言えば、シミュレーションもせず、自身の健康状況を踏まえた見直しもせず、ただただ生活を切り詰めてまで相当金額の毎月保険料を払い続けているのなら、もはやそれは、思考停止で遊技店のドアをくぐり、当たるかわからない台の前で、何の攻略法の行使もなしに、ドブにお金を捨てているだけである。
ただ唯一、保険というものに、ギャンブルに対する優位性があるとするならば……
カジノや遊技台に何時間も居座るわけでないので、時間をそこまで消費しない点、だろうか。
(以下おまけ)
世に
プロの保険屋に渋い保険を
「熟考せよ、金は重要だ」という旨の某保険屋のCMがあるが……
あの文言を初めて聞いた時、「金が重要なら、なぜギャンブル的に金を使わせようとするのだろうか?」と、甚だ疑問に思ったのを覚えている。
その言葉の意味や保険の意味をよく考えないままにあのキャッチーなメロディを脳に刷り込まれると、「保険に入らねば!」と誘導されてしまうのは、恐ろしいことである。
そして最後に……
兄さんに要注意!
特に、中身をわからずにやっている投資信託。
お
あっちは、大ピンチです。
〈了〉
保険はギャンブル 加賀倉 創作【書く精】 @sousakukagakura
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