第三話 相談と猫人
帰り際に話を聞くと、少女は三年の
どうして親身になったのかはわからない。しかし聞くだけの価値はあったと思う。
襟峰は真面目に勉強やら習い事の習字につとめていたそうだが、三年に入ってから母親の大学進学を見据えたプッシュ——いびりが始まったそうだった。もともと溜め込みやすい性質のようで、放課後に電話で塾に入らないかと言われて爆発……。
「……なにも言ってくれないんだ」
「かわいそう、僕がなんとかしてあげる、気に病まないで、そんな心無い言葉を期待してたなら図書室で行為にいたったことから後悔すべきです」
冷然とした朝樹の様子に、襟峰はうつむいてその言葉を噛み締めていた。
「わたしがするのは対処、先輩がアブノーマルな行為をリスクヘッジもなしに行うことへの根本的な対策です。襟峰さん、あなた見られることへの興奮とかありますか」
「それは……」
朝樹の直球な問いに顔を赤らめるが、襟峰は小さくうなずいた。
自身と同じくらいの背丈なだけに朝樹は彼女の横顔をまじまじと見られるのだが、行為の相手には困らなそうで不思議になる。見るからに真面目くさった地味子の襟峰は、それはそれで好かれそうなものだ。
だから聞いてみることにした。
「告白されたことありますね?うちの学校、そういうのがお盛んだと信用できる女子友が言ってましたから」
「えっと、あるけど……体ばっか見てくるし」
「お付き合いした経験はなし、と。うん、大体のところはわかりました。襟峰さん、適度に家でシテください。親方のほうにはわたしも交えて話し合ったほうがいいでしょう。第三者がいたほうが論理的で整理のついた話になるでしょうからね」
「ちょちょちょっと、そんないっぺんに言われても、私聞いてもらうだけだと思ってたから」
焦って眼鏡をずらしてしまう襟峰に吐息をつく。
「じゃあ今日みたいなことをまたやるつもりですか?正気を疑いますよ、常識人として」
ぐうの音も出なかった。
朝樹が達観していたからいいものの、見つけていたのがほかの男子生徒なら邪念の一つでも湧こう。想像すると背筋が凍った。同人誌的展開はすぐ目の前にあったのだ。
「だからこそです。嫌なら自分一人でやってください」
「わ、わかった!」
立ち止まり、幼さの抜けきっていない面立ちの朝樹に向き合う。ずっと目線を外していたからわからなかったが、険しく寄せられた眉間のしわや、固く引き結ばれた口元といい、襟峰をよく思っていないのは確かだった。
仕事場を汚した迷惑な奴。学生バイトでも問題になっているような、モラルが著しくかけた行為に対する嫌悪である。
このときはじめて襟峰は自分の行いを正しく認識した。同時に重い罪悪感にかられて落ち込んでしまう。
「……ごめんなさい」
もう母親はいない。
古さびれたアパートの一室、ドアを開ければ線香の匂いが鼻先をかすめてそれを実感する。料理も洗濯も、家計簿でさえ一人でつけている。それは母の生前からほとんど変わらないものである。変わったものと言えば、口だけで何もできなかった生活指導員がこなくなり、一人分の食事代が支出から消えて親戚からの送金があること。
鞄を下ろし、学生服を脱いでハンガーにかける。
インスタントの茶を淹れて、ちゃぶ台の前にどかっと腰を下ろす。若干冷めるのを待って口をつければ一息つけた。
「襟峰野々花……」
はっきり言って好きな人種ではない。
けれど、あの行為をただの発散と捉えるにはまだ情報が足りなかった。人目に付く異常行動には相応の理由がある。日本人ならいっそう気にしている部分が、たやすく乱れるとは思えない。だから朝樹は確信がもてなかった。
一つの意味でとらえるのではなく、混在している願望に目を向けなければ今日のようなことは起こりえなかったのではないか。
女子高生として、一人の女の子として、厳しい母親の子供として、そんな視点が必要なんじゃないか。
そこまで考えて茶がぬるくなっていることに気付いた。
どうやらかなり時間がたっていたらしい、壁掛けの時計は帰ってきてから一時間すすんでいた。
真剣に考えるわが身が馬鹿らしい。けれど、捨ておくには知りすぎたし踏み込みすぎた。行為を引き抜いても暴いた分の補償くらいしなければいけないだろう。
「……自分のうかつさ加減に嫌気がさすわ、はあ」
自嘲していっきに飲みほした。
翌日、朝樹が登校すると相坂が彼の席に陣どって手を振ってきた。
「やあ!」
「随分とまあ、元気そうなことで。猫人さんは」
「まだ来てないよ」
朝樹が首をかしげると、相坂はつめ寄って耳元にささやいた。
知らない香料や急な近距離にどぎまぎしてしまうが、それよりも相坂の上機嫌が気になった。
「きのう、三年の先輩と帰ってたんでしょ」
「ああ、うん」
「それでえ、どんな関係なのよ!」
次第に耳元で呼気が荒くなってくるのはやめてほしい、心臓に悪い。
肩を押し返して机に鞄を置く。
「別にそういうのじゃないよ。たまたま知り合って、たまたま時間が被っただけ」
「いやいや、それだけで一緒に帰るわけないって。ふみちゃん、誤魔化しかた雑すぎるよ」
苦笑した相坂は机によりかかる。
「図書室でちょっと悩み相談みたいなことやってたら、流れでね。これでいい?」
猫のうわさじゃあるまいし、早いよ相坂さん。
心中で愚痴り、なんとなくだれもいない隣を横目にする。相坂はその視線に口を閉ざして下卑た笑みを引っ込める。三年の先輩など口実でしかないのは朝樹にもわかっていた。
ある意味同志の相坂が自然に朝樹に声をかけるための。
周囲にどう見られようが気にしないのは二人とも共通していた。
「朝樹くんと相坂さんって仲いいよね」
「ちくせう、朝樹のやつ相坂さんに近すぎ」
「まああの人は、ねえ。ふみちゃんだし」
「そそ、あんたみたいな下心ありきなやつなら初めからそっぽ向かれるってもんよ」
実際、男子の中で唯一女子が性差を感じずに話しているのが朝樹である。
適度に悪口などが加速しないよう見張る役、馴染めない人に積極的に話しかけに行く一番槍、相坂はそのような朝樹の行動を遠目にしている。しかし彼は特定の人物と親しくなろうとしない。
例外が猫人であった。
相坂が目にかけている猫人に、朝樹も違った表情を見せた。野良猫を可愛がるような
わからない、理解できない。
だから知る。知ろうと話しかける。最初に見せた自嘲が、彼を悪意として捉えるにはあまりにも寂しそうだったから。
「そろそろかな」
「……ふみちゃんってさ、どうして」
「あ、猫人さんおっはよう!」
「むー」
猫背でよたよた歩いてくる少女に突っ込んでいく朝樹の背に、相坂はなんと問おうとしたのだろうか。途切れた声は言葉にならず霧散した。
朝樹が熱いハグをかまし、猫人の眠気に高体温というとどめをさす。ぐったりした彼女を椅子まで運んできた「見てみて、可愛くないこの子!」と小声にささやいてくる。
朝樹の猫人に対する人の変わりようは、クラスメイトなら誰もが知っていた。
しかし誰もその理由を知らない。疑問にも思わない。それが相坂には違和感を禁じ得なかった。
自席の椅子を並べて猫人を寝かせた朝樹に並ぶ。
「今度、カラオケにでも行かない?」
「カラオケ……ごめん、わたし仕事あるから遠慮する」
「猫人も来るっていうのに?」
「それでもだよ。別に合コンとかであっても、相坂さんなら安心できるからいいよ」
むしろ猫人をカラオケに連れて行く経緯の方が気になったが、予鈴も近いことで猫人を起こすことにして、聞きそびれてしまった。
時計に注目していた朝樹にはわからなかった。彼女が猫人ではなく、朝樹を見つめていたことが。
図書室には秘密があるらしい ホノスズメ @rurunome
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