書架に咲く夕菅

めいき~

一話完結(約4600文字)

 小さく息を手に二回、ふぅふぅと吹きかけ手をこすり合わせる。空がやや黒い中で視線をやや上に向ければ、ガラスの破片と見紛う程度に、視界にちらついていた。巡りゆく、山間の季節にて。時代に忘れ去られた、巨大なかえるの姿が見え。草が多く生えていて視界をさえぎっては、真下から見るとかえるの顔は草に隠れて見えづらい。



 こうした場所を探し旅し、景色を探す事。ぶらりと出向いた場所で、さびつき。もはや、廃墟に近い状態になってしまってはいるし。なんなら、穴が開いて地面が見えてもいる。


 それでも、子供が昔に百円玉を握りしめて、動くだけの乗り物に笑顔で乗っていたそんな時代が確かにあったのだ。そういう跡地に行くと、想いを馳せる事ができる。高い位置から、一望すれば天空から大地を見下ろしている様な気分に浸る事はできるのかもしれない。


 観光地に行けば、人力車が走り。LEDの看板の下で、ドラム缶の焚火が揺らめいて、お年寄りがサツマイモを焼いている景色が流れていく。そう言った、ノスタルジックな世界というものは都会や国道沿いなどには余りなくて。こうした、山の奥や畑の側にひっそりと小さな花の様に咲いているものである。


 薄い月光が如く、剥がれかけた看板等の建物があり。古ぼけた筐体やパチンコの灯りが対照的に浮かび上がる。こうした場所の天井には、何故か万華鏡の様な暖簾が下がって居たり。同じ模様のへこみのある独特の壁等が並んでいる。又、古ぼけた鍵の留め具が落ちていたりと確かに時代をへているのだと思う。


 長い髪の毛に隠れる程の小さな無線のヘッドホンから流れる随分と小さくなったラジオからのクリアな音を聴きながら、一歩、又一歩を踏みしめて坂道を歩く。


 私が子供の頃にあったラジオというものは、もっと父親位の鞄の大きさだったかもっと大きくて重たいものであって。アンテナを伸ばしては回して、砂嵐の様な音が沢山入る様なものだったはずだ。それが、今では自分の財布よりも小さくまるでカード電卓の様な厚さになっていて。音も砂嵐の様なノイズは殆ど無く、実に心地よく聞こえる。


 ラジオからは、子供の頃レコードで何度も聞いた歌謡曲が流れてくる。番組の時間帯もあるのだろうが、私はこの時間がたまらなく好きだ。



「麗さん、どうしてそんな足速いんですか~」私は、後ろをついてくる後輩の照元君を見た。「慣れ?」私は、照元君の方を見て首を傾げる。おかしい、照元君は野球部に所属していた運動部で一軍だったはずだ。


 何故か、汗を沢山流しながらこちらを見る照元君の茶髪の登頂が見えたので、私はそっとハンカチを差し出した。ちなみに、そこの売店で二百円で買ったものだ。「返さなくていいから、汗拭かないと一気に冷えて寒いわよ」


 照元君は、ハンカチを受け取ると一生懸命に顔の汗を拭いている。

私は、そんな彼をじっと待っていた。待つのは……、嫌いじゃない。


 小さな無線のヘッドホンでも、音を小さくしていれば疲れた彼のか細い声でもちゃんと聞こえる。「麗さんは、汗一つかかないんですね」彼はそんな事を言うが、可笑しな話だと私は思う。だって、考えても見て欲しい。


 汗をそんなにかいていたら、化粧が落ちてしまう。だから、色々と対策をしているに過ぎない。もっとも、彼にその様な事を気がついて等というものは、なかなか酷なのかもしれないが。それはさておき、照元君の様子が気がかりなのは確かだ。


「少し休む?」私は人差し指で小さなカフェを指さした。照元君は、少し赤い顔をしていたがしっかりと頷いた。私は今日の為に買った黒いロングコートの肩についたものを、赤い手袋を外した手で店に入る前に軽く払った。「いらっしゃいませ」少し腰の曲がったおばあちゃんが優しい笑顔で迎えてくれたので「二人だけど、席はありますか?」と尋ねるとおばあちゃんはまだ外にいる照元君をちらりと見た後で、意味深に微笑むと入ってすぐの大きな窓の二人席に案内してくれた。



 私は、ゆっくりとした足取りで先に席に座る。古ぼけた色合いの席で、ソファーの真ん中はへこんで戻らない様な状態ではあるが、よくある都会の猫の額のような席ではなく。大人二人がゆったりと座れてテーブルも広い。窓辺には、古ぼけた牛乳瓶に一本だけ花が飾ってあり店内の雰囲気と妙にマッチしていた。



          ◇     ◇     ◇



 遅れて入って来た、照元君が私の正面に座った。「麗さん、いいとこですねここ」それが彼の最初の感想だったらしく、「私もそう思う」と答えた。「最近じゃ、席が狭すぎてこんなにゆったり座れる所なんてありませんよ」


 どうやら、彼も私と同じような感想を持ったのだと妙に嬉しくなる。この前、駆けこむように入った場所で店の入り口にWi-Fi対応。コンセントありますって書いてあって思わず飛び込んだらWi-Fiもコンセントも確かにあったんだけど自分の持ってきたタブレットが横を仕切る間仕切りに当たって広げられない……なんて目にあいましたよと話しているとおばあちゃんが袋に入っていない黄色いおしぼりとお冷を金属のお盆にのせてゆっくりとやってきた。



 おばあちゃんからメニューを受け取ると、照元君が「俺これがいい」と餡かけスパゲティとクリームソーダを頼む。私もアイスコーヒーとサンドイッチを頼むとおばあちゃんは私にこっそり耳打ちしてきた。「彼氏?」「今日が初デートよ」「年下?」「五年下よ」その瞬間に店の名前の入ったよれたエプロンのおばあちゃんは意味深な笑みを浮かべて店の奥に消えていく。


 私は、窓の外を大きな窓から見ると実に美しい山の景色が広がっていた。「いいとこですね」「えぇ♪」しばらく、二人で当たり障りのない会話をしているが周りに客らしい客はいないのでやや大きめの声で楽しく話し込んでいると、おばあちゃんが「お待ちどうさま、先に飲み物からおくわね」と私の前にアイスコーヒーを置くと私は首を傾げた。


「中ジョッキ……」それをみて照元君も眼を見開いて、自分が頼んだクリームソーダをガン見した。緑色の特徴的な炭酸が入った、実に美しいグラス。まるでそれは宝石の様にキラキラと光って見える程だったし、サイズも普通だった。



のは下の部分だけで、上にのっかっているアイスクリームがデカい。思わず、私達はメニューをもう一度みた。値段は、一般的な喫茶店のそれ。横にのっている写真も年季が入って色あせてこそいるが、グラスもクリームソーダも眼の前のそれとサイズ以外は全く同じで嘘はない。思わず、照元君の方を見ると。さっきまでの明るい雰囲気は吹き飛んでいた。まるで、親に勉強を命じられた学生の様な悲愴な顔をしている。


(とんだ、初デートになっちゃった……)と内心では頭を抱えていたが、もう一度顔をあげてみてみると照元君はそのアイスクリームに舌鼓をうっていた。思わず、可愛いなんて思ってしまった訳だが目の前のなみなみと入っているコーヒーを一口飲むと私の印象はまるでベテランのお好み焼き職人の返しの様にくるりと翻る。


「美味しいっ!」思わず、うわずった声をあげ。鼻にぬける豊かな風味、嫌みの無い苦さ。添加物で薄めたり、砂糖やミルクでごまかしていない。本当のコーヒーに、思わず意味深に消えていったおばあちゃんの表情を思い浮かべた。私と照元君は会話も忘れて、その素晴らしい味に没頭した。


 暫くして、飲み物が三分の一程度減った頃にサンドイッチと餡かけスパゲティがやってきたのだけれどそちらはごくごく普通のサイズだった。勿論、味は飲み物同様に高級なレストランにさえ負けない素晴らしいものだった。


 照元君を休ませる為に、ふらりと寄ったこの場所は私達二人の初デートにて忘れられない想い出として残る事になる。夫婦生活で、色々な事があると二人でこの場所に来ている。当然、あの後照元君も私も車の免許はとった訳で二人して、もう一度行きたい。但し、歩き以外で……となった。私も照元君も同じことを考えて、しかも内緒にしていたのだが最終試験の予約日も組も同じでそこでも偶然はあるものだと苦笑した。



 書架に文字が咲くように、あのおばあちゃんもあの場所で咲き続けているのだろうか。私の名字が照元に変わった頃に、ふとそんな事を思う。あのおばあちゃんは、白髪こそいく度に増えているが、あの優しい意味深な笑顔はずっと変わる事無く。


 私達の想い出に、窓辺にあった一厘刺しの花の様に色を与えていた。


 私達夫婦の想いでの場所、それは出会いよりも強烈で何か祝い事があるとあの場所に。正月もクリスマスも子供の日もひな祭りも、子供の誕生日でさえもだ。


 照元君も、行くまでが遠いからドライブには丁度いいと笑ってくれている。そして、自分がへばった坂道で車がうなりをあげる度に同じ位の音量でハンドルを握りながら笑う。

 そんな彼が、言葉にこそしないが。口元の動きでガンバレと動くのが何処かおかしくて私も助手席で口もとを押さえ。そんな、毎週の休日がとても楽しい。どうか、こんな時間がずっとずっと続きますように……。


 彩りは、川の様に流れていく。せせらぎの様なお互いの休日は夕菅の様に真っすぐに空へ向かって伸びていく。私達の時間は、天辺で咲く小さな小さな花の様ではないかと言うと夫は皴が出て来た顔で静かに笑って。もう、胃が小さくなったから初デートの時みたいなのは勘弁願いたいけどと言った。


 私達の始まりは、もっと前だったはずだけど。それでも、印象に残るシーンというのは油汚れの様にこびりつく。もっとも、それが良い想い出であれば油汚れ程不愉快にはならない。


 夕菅は夕方から咲き、翌昼にしぼむ。一日草。所詮は、無限の彼方に続く夢でしかない。薬としてはちっとも効きはしないが、山菜としては実に甘さがひきたつ。


 甘さが引き立ち、まるで心の中の油汚れの様に積み上がる。楽しかった想い出というものは何処までも印象を引きづって、その決断を鈍らせるの。


 いつからか、滝のようにこぼれる言霊はまるで手編みのマフラーの様。待つのは、楽しかった。でも待った所で、その先がないものは期待外れじゃないかしら。私はそっと照元君とのいいえ、明君との思い出を振り返り。身勝手にも、こうした想いにすら息切れがあるのだと知った。


 私達の人生には、あの様な雰囲気を良くするカフェは無かった。私達の生活には、あのおばあちゃんの様なサプライズは無かった。私達にあったのは、素朴過ぎる毎日がただあって、あの窓辺の夕菅の様な毎日だけだった。


 それでも、私の眼からは涙がこぼれたのだから。あの時間、あの瞬間は幸せだったのだろう。これは、ただの未練でしかない。私にとって、彼の印象は車にガンバレと囁いたあの青年のまま。


 今は一人、あの場所に向かって車を走らせている。トランクには明くんだったものと、知らない女だった骨が入れ物に入っていて。想い出のあの山を走っている。頂上の巨大なかえるの足元に埋めようと。


 あの大きなカエルの大きな目に、ずっと睨まれていればいい。私の代わりに、あの薄汚れたさび色のカエルが怖いと言った事を思い出したから。穴が開いた廃墟の階段をみて、まるで明君と私の生活みたいだねと薄く笑う。かつては、遊園地の様に楽しかった日々もいつのまにか放置され。忘れられ、錆が浮き。空いた穴が、大口を開けた様に奈落に誘う。


 待っててね、私はカエルの所に想いごと全てを置いていく。いいえ、待つわ。ずっとずっと待つわ。明君の骨を見つめ続けるカエルが、まるで地獄の閻魔の様な顔に見えてくる。私は、その裁きをずっとずっと待つの。



<おしまい>

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