第4話 私は何者なのでしょうか

 静かな平原の海。

 揺蕩う小島の様にひっそりと木々が寄り添いながら葉や実をつける場所。

 吹く風から身を隠すように彼らは焚火を囲んでいらしたのです。


「おう、やっと戻ったか。あんまり遅いもんだからそろそろ探しに行こうかと思ってたところ――あん? 誰だ、その娘は」


 その娘。

 彼らの視線の先には殿方と、その殿方に情けなく抱きかかえられながら目を泳がせている私がいるだけ。

「だれだ、その娘は」というのは私の事を指しているとみて間違いはないでしょう。

 全くの部外者である私を。


「あ、あの。いい加減おろしていただけませんか――」

「レイニール、薬を出してくれ」

「あ、あの……もうなんともありませんから」


 殿方に抱きかかえられるという恥ずかしさもさることながら、彼のお仲間から注目を浴びるというのもとても恥ずかしく、私はただ地面をじっと見つめるしか成す術がありませんでした。

 彼らは四人。

 五人で旅をなさっているとのことでしたから焚火の周りにおられるご老人に、私と同じくらいの若い男の子、大きな剣を担いだ偉丈夫と、狩人でしょうか。弓矢を手入れしている途中だったと思われる女性の四人。彼らがそうなのでしょう。


「ったく、どこで拾って来たんだ。早く拾った所に戻してきな」

「レイニール。犬や猫じゃないんだ――ちゃんと世話できる」


 レイニールと呼ばれた赤髪の女性は、殿方のご注文に『不承不承』といった様子でしたが、慣れた手つきで荷物から何らかの容器を取り出して殿方へと放り投げます。受け取ろうとした拍子に私の身体は取り落とされそうになりましたが「おっと」と言いながら立て直しました。


「世話されちゃ困るんだよ……食い扶持が減る。だいいち、連れて行くつもりか? まだまだ長い距離を進まにゃならないんだからさ」

「まぁそうカッカするな。なに、こいつを見ればお前の機嫌もすぐによくなるさ――朗報だ、肉を手に入れた。この子のおかげでな」

「――おぉ、あなたが女神様か!」


 可哀そうに。きっと長い旅路で大層お腹を減らしていたのでしょう。お腹が減れば苛立ちもしますもの、彼女だって根は良い人に違いありません。


「さ、薬を塗ろう。レイニールの軟膏はよく効く」

「ちょ、ちょ――」


 ちょっとお待ちください!

 やっとおろしていただいたかと思えばてきぱきと容器のふたを剥ぎ、薬指でどろりとした液体とも個体ともいえないものをすくい取る――。

 私だって自分の足に薬を塗ることくらいできます、恥ずかしいので自分でさせてください!


「……そのお嬢ちゃんがこの肉を狩ったのかい? とてもそうは見えないけどねぇ」


 あたふたとしていますと、焚火越しにレイニールさまがこちらへ視線を送っていることが分かりました。なにか妙に恥ずかしいやら怖いやらで、つい目をそらしてしまいます。失礼だったでしょうか。彼女の声色が私に、なにか猜疑心のようなものをお持ちだと強く感じました。

 

「ああ。直接打ち取ったのは俺だが、この娘が囮になってくれたおかげで何ら労せずに仕留められたのだ。肉は四日ぶりだったか。感謝するんだな」


 囮を買って出たつもりはありませんが……喜んでいただけたのならば怖い思いをした甲斐があるというものです。

 どんな顔をしたらよろしいかわからず、またしても膝を抱えて腕に突っ伏す私は皆さまの目にどう映ったのでしょうか。


「肉を口にできるのは有難いんだけど。今はおいそれと見ず知らずの人間を引き入れるべきじゃないんじゃん? 人間をさ」


 飄々ひょうひょうとしているようで、しっかりした男の子のようです。あなたのおっしゃることは全くもってその通り、否定のしようがありません。ですが覚えておいて欲しいのです。私はこの殿方にほとんど拉致に近い格好で連れてこられたのですから、そこのところだけは。

 それにしても冷たい眼をされているのですね。まるでそこに映る一切を信用していないような。きっとつらい目にあったのでしょう。


「目ればわかるだろう。どこぞの侍女だったのだ。靴も履かずに飛び出したという事は、よっぽどつらい境遇だったに違いない」

「辛い境遇の人間をホイホイ仲間にしていったら、あと二年もしたら僕らの一団は数百人を越えちゃうだろうね」

「数百人がいれば村ができる。十年も経てば町になるだろう。二十年経ったらどうだ? その頃になれば腰を据えよう。領土を得れば国が出来ると思わないか?」

「…………そう上手くいくわけないだろ」


 私のせいで――私の存在のせいで空気が悪くなったのだと感じました。そのような運命のもとに私は生まれたのでしょう。

 これ以上、長い旅路を行く一団の輪を乱すなど私の望むところではありません。一人きりの門出かどでで不安だった私に束の間とはいえ安息を与えてくれたことに感謝し、姿を消すことといたしましょう。きっとそのほうが良いのです。


「まあそれはそれだ。そうじゃなくてイシャー、彼女の恰好を見てなんとも思わないか?」

「うぅん……そんなふりふりの服でよく恥ずかしくないなぁ、と思うよ」


 そうでした!

 妙に落ち着かないと思っていましたがこの恰好。カーナをはじめ侍女のかたがたは皆、これを着て日々のお勤めをこなしておりました。城下の者でさえこのような短いスカートは身につけません。


「――恥ずかしいです!」


 思いがけず大きな声が出てしまいましたが、それほどに本心で思っているという事なのです。皆様の視線が肌に突き刺さるかのよう。


「まぁ落ち着いて聞け、イシャー。俺達に足りないものは何だと思う?」

「運、かなぁ。もしくは神の御加護、ってやつかも」

「……それはそうだ。だがそれは今までの話。今はそうじゃない。だろ? 侍女メイドが仲間に加わったら、辛い道中が少しばかり楽になる」

「もったいぶってんじゃないよ。それより腹が減ってんだ、さっさとこの肉、焚火にぶち込もうぜ」

「それだ! それなんだよレイニール。俺達といえば、木の実を齧る、肉を焼いて食う――それだけだ」


 そうでした。

 殿方は勘違いをしておられるのです。侍女の恰好をしているのならば侍女たりえる能力を持っているに違いないのだと。

 ですがこの姿は仮の姿。カーナの計らいによってシーツ一枚で野に放たれる事を避けられたのです。もしも私がシーツにくるまっていたならば、殿方は私をベッドと勘違いされたのでしょうか?

 違うはずです。

 本当の私は侍女にあらず。

 本当の私は――。

 

「だが、侍女メイドが現れた。イシャー、レイニール。豪快に焼いただけの肉も美味いが――今一度、手の込んだ下ごしらえをされ、適度に調整された火加減で炙る。焼くだけじゃない。旨味を引き出した汁物や、冷めても美味いつまみ。塩辛く味付けた乾物……『料理』を食いたいと思わないか?」

「おお! 食いてぇ!」

「食べたい……思い出したら涎が出て来たよ」

「そうだろう!? そこで頼りになるのがこの――」


 本当の私は何者なのでしょう?

 第三王女エミネイラ・クラーラ……それは違います。今はただのエミネイラ。故郷はなく、家族もいない。ただ一人だけ、気の許せるカーナは向こうにある門の、更に向こう。今頃はまたせわしない日常に追われているのでしょうね。私は座って待つばかりでしたが、侍女の皆さんは一生懸命に働いておられました。

 彼女の人生に私などは必要ではありません。


「――お、おい。どうしたんだ? 痛むのか? 薬が効かないか?」

莫迦ばかを言え。あたしの薬が効かないわけあるか」


 ここにいる私は何者なのでしょう?

 行きたい場所も、向かいたい町もなく。強がっていたのでしょうか? 陽が落ちればこれほどまでに心細く、人に出会えばこれほどまでに暖かく眩しく感じてしまう。

 この人たちには目的があって、夢があって。他にもきっと、いろんな何かをお持ちなのでしょう。


「……私にはお料理などできそうもありません」

「そう謙遜するなって……」

「――できない! できませんッ。したこともないのに、私なんかにそんな事できっこありません! 見てくださいっ、私が持っているのは薄汚れたシーツと、大事な人からもらったこの服と、お母さまからもらった名前だけ! それだけです……他にはなにもない、何もできない、何も持っていない!」


 そして死に逝く者の傍らに――死神が見えるだけ。


「落ち着いて」と言われたような気がしました。

 彼は、ただ泣きじゃくる私の背中を擦ってくれていたのだと思います。思えば、たとえどんな些末さまつなことであったとしても、彼は私に何かを期待してくれた、初めての人だったのですね。

 

『死神なんて見えなければいいのに』


 そう思っていたのですが。


「すまない。何か気にさわることを言ってしまったようだな」

「……! そんな事――」


 ふと彼の顔に黒い死神が掛かったような気がして、咄嗟に体が動いたのです。

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婚約破棄された死神憑きの第三王女ですが、これからはメイドとして生きていきます〜お料理も覇道も私知りませんッ! 奇跡の聖女? 人違いに決まっています! めたるじぐ @metalzig

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