第3話 もうおしまいです
どこへ向かえば良いのでしょうか。
『良い』というのはどういう意味なのか――もはやそれさえも分からない状況でした。
「寒いですね」
まるきり独り言。完全に夜になる前に濡れたシーツが乾いてくれて大変助かりましたが――それでも太陽が顔を隠すと辺りはとても寒くなります。
当たり前ですが、平原に暖炉はないのだな、と思い知らされました。
広大な平原は時折、木々が密集して生えている場所があります。森というには規模が小さくて、林、と言ったところでしょうか。
「そうです、カーナがくれた包み」
追放されたのは昼過ぎのこと。事前に必要なものを考えて用意してくれた贈り物――時間的に考えるとそうでは無さそうです。
きっと私が国を出されると知って兵の目を盗んで準備してくれたのでしょう。カーナはまだ泣いてくれているのでしょうか。それともちゃんと元気に、日常にもどれたのでしょうか。
「服……ですね。助かりました」
こうしてみると『国外追放を知って準備してくれたと』いうよりは、シーツ一枚で体をくるんで城を出ていく私を不憫に思っていとる物もとりあえず用意してくれたようです。
カーナのお古でしょうか。
少し小さいですが文句など言えようはずもありません。
「しかしこれは――」
昨年、クラーラの侍女が身に着ける服は刷新されました。
脅威に備えて動きやすいように。収納も多く。同時に侍女だけでなく召使たちにも武術の訓練が課されるようになったのです。有事の際には兵や騎士だけでなく彼ら彼女らも戦えるようにと。
これはそれ以前の可能性などは考えられていない侍女の服。
「ふりふりしていて、スカートも短いですね。少し恥ずかしいけれど、でも素朴で可愛らしい服に思えます。それに、カーナの匂いもしますね」
暗くなってから動き回るのは悪手と思われます。体力を消耗してしまわないように今夜は眠る、という選択をするのが最善なのではないでしょうか。
「それに、どんな場所の水が飲用できて、どんなものが食べられるのもかわかりません」
唯一の持ち物であるシーツを捨てるわけにもいきません。今夜はたたんでお布団の代わりになってもらいましょう――。
◇
心労と、慣れない長距離の徒歩からでしょう、いつしか眠りに落ちていたようですが、それもどこかから聞こえる獣の遠吠えで目を覚ましてしまいました。怖くてこれ以上眠り続けることは出来そうもありません。星空を見上げてはみましたが、そこから時間を求める技術や知識の持ち合わせはありません。
シーツにくるまって意識を集中してみれば、そこかしこで足音の様なものが聞こえてくるような気もします。空耳であればよいのですが。単なる風の音に過ぎないのであれば嬉しいのですが――。
「ど、どなたですかっ!」
このような大自然の中で咄嗟に『どなたですか』など。遭遇した何かが言葉の通じる存在である前提で声をかけてしまうなど、いかに平和な場所に身を置いていたのかという事が身に染みます。
とにかく、空耳でなかったことや風の音でなかったことを悔やんでいる暇はなさそうです。今は、涎を垂らして私を食べようと画策しているに違いない三匹の狼になんとか対応しなければ――。
「
すっぽりかぶっていたシーツを今度は丸めて棒状にし、じりじりと距離を詰める狼たちの鼻先で振るって威嚇する。これが今私のとれる最大の戦法という訳です。お肉でも持っていれば投げつけ注意をひいている隙に逃げ出せばよいのですが、何せ持ち物と言えばこのシーツだけ。とはいえ夜は寝具に、戦闘時には武器に。姉様の贈り物は存外この追放劇の役に立つものですね。
「嫌、来ないで!」
狼に言葉は通じないという事を身をもって再認識しました。
冗談ばかりもいっていられませんね、『万事休す』というのはこんな時のことを言うのでしょう。まさか自分の身に降りかかってくるとは夢にも思いませんでしたが――。
無様に逃げ転げて時間を稼ぐのも時間の問題です。体力には自信がありませんし――いえ、自信のあるものなどもとよりひとつも持ってはいませんが。
兄弟なのでしょうか。この三匹の狼はとても言葉を操れないとは思えないくらいにうまく連携して私を食べにかかります。
もうおしまいです。
死神が見える、ある国の第三王女はこうして、狼に食べられて一生を終えるのです。
でも、どうしてでしょうか。あまりの恐怖に意識を失ってしまう直前、突然狼の顔に、濃密な
◇
「…………う」
「ふむ……ようやく気が付いたか」
気が付くと、まだ夜の途中でした。ついさっき眠りから覚めた時と同じような景色がもう一度繰り返されたのです。
違いと言えば、
「ここは――狼のお腹の中、というわけですね」
「いや。残念ながらお嬢さんの予想は外れだ。惜しいところだがね。ここはクラーラ領ガウズ平野のままだ。お嬢さんはここらに生息している狼に襲われていたみたいだな――」
絶命した狼の傍らで焚火にあたり、じっと私の顔を見ている殿方がいる事くらいのものです。
「あなたが、狼たちの親玉、というわけですね――」
「それも外れだ。いい線いってはいるんだが」
まだ頭がはっきりとしない私に殿方は何かを投げつけました。察するに獣の角のようなものですが、どうも細工がしてあります。
「とりあえず水でも飲んで落ち着くといい」
なるほど。こちらは獣の角をくり抜いたものに水を入れて携行できるようにしたもの。その細工には目を見張るものがあります。
喉が渇いていることさえ忘れるほどの恐怖を思い出します。それに今までなにもなかった者に、急に靄がかかる瞬間など見たのは初めてのこと。
ですが、今は考え事をする余裕はありません。頂いたお水を一息に飲み干します。
「……こんな時間に丸腰で――いや、武器はおろか荷物も持たずに何をしていたんだ?」
「荷物ならば、シーツがここに」
怪しまれたことでしょう。ですが考えてみれば自殺行為とも取れます。
きっと一般的にはこの平野には狼がでるということなど広く知られているのでしょう。
「いえ、まずは感謝を。殿方がいらっしゃらなければ、私はここで狼のお腹の中に納まっていた事でしょう」
「……まあ、礼には及ばない。おかげで食料にありつけたんだからな。
炎が揺らめき殿方のお顔を照らしますが、どうもその造形はこの辺りの民族とは少し違うようです。とはいえ整った容姿に、広い肩幅。姉様たちがお会いになればきっと色めきたった事でしょう。もっとも、姉様たちは殿方の持つ権力や富についてもかなり重要なようで。
「姉様、か……」
思わずぽつりと呟いた言葉を殿方は拾わずに、じっと私の顔を見ているだけでした。
「あ、あの――」
「お嬢さん。察するにその恰好……クラーラ国のメイドだろう。俺達はいろいろあって旅の途中――」
「俺、
「――そうだ。俺達は五人で道中を共にしている。みな腕は立つが、ことそれ以外はてんで駄目――もしもお嬢さん、行く当てがないのならば同行を願いたい。せっかくありついた肉だ。ただ焼いただけなんてもったいない」
おっしゃる通り行く当てなどありませんが、きっと迷惑をかけてしまうでしょう。死神が見える女と旅を共にするなど、ぞっとしないことです。
それにこの恰好のせいで、勘違いをさせてしまいましたね。私には料理の腕も、裁縫の才能も――こと侍女に必要とされる技能などはあるはずもなく。
故にお断りせねばならないのです。
「あの、勘違いさせてしまったのなら謝罪します。このような格好をしてはいますが――う」
なりふり構わず転げまわっている
というよりも、気付けば靴を履いていないことに気付きました。どうやら殿方には私の姿が『つらい生活から逃げ出し当てもなく彷徨う不憫な
「怪我をしたか」
「ちょ、おやめください!」
あろうことか。
あぁ、あろうことか、殿方に抱かれるなど――。
生涯でお父様以外の殿方に、触れられたことさえありませんのに。
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