第2話 お姉様お許しを

「エミネイラ」


 部屋で荷物をまとめていると――といっても与えられた服や装飾はどれも持ち出しは禁じられ、もはやどうしたものでしょうか、と思案していると背後から声が掛けられました。


「国外追放ですって? いい気味だわ。気味の悪いおまえのせいで私たちまで白い眼で見られていたのだから」

「『死神姫さま』が姫じゃなくなったのなら、只の『死神』だわね。ゼラハルト殿下からお声がかかったからと言って調子づいていた天罰が下ったのよ」


 第一王女アリージア姉様に、第二王女フリタリア姉様です。

 彼女たちはそれぞれ、父と母によく似ていて自身の容姿を磨き、着飾る事に余念がなく、城下の者の憧れの的。百人とすれ違えば百人ともが思わず振り返ってしまうような美貌の持ち主でした。

 そんな中、どうして彼の強国より私にお声がかかったのかはとても理解が及びません。


 幼い頃はとても仲がよい姉妹であった、というのは私の心が思い出を捻じ曲げた錯覚でしたのでしょうか。ともあれ、過去の事は過去の事。

 私が【死神】とあだ名される所以――町人に影を見たと言えばその町人は亡くなり、臣下の者にもやを見たと言えば死に。町中に影が掛かっていると言えば疫病が流行りました。

 そして、まだ物心つかぬ頃、三人で病床のお母様を見舞っていた折、私は言ってしまったのです。


『お母さま、くろいかげがお母さまに』


 病に伏せた体で妹を生み、そのまま星になってしまったお母様は最後に何かを言いかけましたが――ともかく、それ以降お姉様たちは『母を殺した犯人』であるかのように私の事を忌み嫌い、それは父も同じだったように思えました。私とて、いつしかそう思い込んでしまっていたのでしょう。


「――聞いているの? エミネイラ」

「……はい。ですが調子になんて……。アリージア姉様、フリタリア姉様。長い間、ご迷惑をおかけしました。エミネイラは今日をもって国を出ます」


 潔さを装い、淡々と別れを口にした態度がお気に召さなかったのでしょうか。


「エミネイラ。その服は王家の紋章こそついていないけれど、クラーラ王室専属の織物職人が手掛けたものよ」

「そうね。あなたはエミネイラの名前以外、一切の持ち出しを禁じられているはず――脱ぎなさい」


 裸で城内と城下を歩いて行けというのは、あんまりです。


「手伝ってあげるわ。そーれ」

「やめてください! お姉様、お許しを――」


 特に何の鍛錬もしてこなかった私に、女とはいえ二人を制することなど私にはできようはずもありません。


「――そうだ。今日捨てさせようと思ったベッドのシーツを餞別に贈るわ」

「お似合いね、血の付いたシーツは死神にぴったり」


 きっと嘘なのでしょう。

 王室の召使は汚れたシーツなどすぐに捨ててしまいますし、わざわざこうしようと考えて捨て場から拾って来た、というところでしょう。


「ありがとうございました……お姉様たち、お元気で」

「早く行きなさい。そんなみすぼらしい姿で城内を徘徊されたら王族が笑いものにされるわ」

「…………」

「それに、お姉様、だなんて。ふざけないで頂戴。私はクラーラの王女。あなたの姉呼ばわりされる筋合いはないわ」

「…………」

「な、なによ! 文句があるなら言ってごらんなさい!」


 ともあれ、ここで抗ったところでもうどうにもなりません。これ以上揉めれば、お慰みのシーツさえも奪われてしまうに違いありません。

 少しだけ冗談を言って、城から抜け出す事にしました。


「いえ、お姉様のお顔に『靄』がかかっていて、少し気になったものですから。では、お元気で――」


 『ひっ』と小さな悲鳴が聞こえてきましたが、お二人の顔に影や靄などはかかっていませんでした。数年間にわたる意地悪のお返しに、たった一言の冗談くらい、きっと神様も見逃してくださるでしょう。





「――エミネイラ様ッ」


 薄汚れたぼろ布だけを纏って煌びやかな城内の豪奢な絨毯の上を歩く私を見て、ある者は侮蔑の目でみやり、ある者は好奇の目で。別な者はほとんど裸同然の私の身体へ邪な目線を浴びせる中、息を弾ませながら声を掛けてきたのは侍女のカーナでした。


「エミネイラ様、どうしてこんなことに……」

「カーナ……わたしので、国を危険に晒したのです。罰としての国外追放……命を奪われないだけ有難いと考えることにしました」


 私より一つ、年下のカーナ。

 背が低いとはいえ、ふわふわの髪で愛嬌があり、素朴な可愛らしさが城内でも人気で、彼女を嫌う者はありませんでした。

 甲斐甲斐しく私にも話しかけ身の回りを世話してくださいました。彼女がいなければきっと私は冷たい壁に吸い込まれて染みの一つとなってしまっていたことでしょう。彼女は光でした。彼女が涙してくれることがクラーラ城の最後の思い出になったこと、神に感謝せざるを得ません。


「さぁ、カーナ。最後に元気をいただきました。私といればあなたまで城の鼻つまみ者扱いされてしまいます。行きなさい」

「私は、エミネイラ様が悪いとは思っていません」

「やめて。聞かれたら罰を与えられますよ」

「これを……」


 最後の抱擁くらいは兵達もお目こぼしをくれたのでしょうか。

 そんな中、カーナは服の裾から何かを取り出して私が纏うぼろ布のなかにそっと差し入れてくるのでした。


「いけません、カーナ。叱られますよ」

「よいのです、咄嗟でしたから大したものを用意できなかったのですが……せめてそのくらいは受け取ってくださいまし」


 小さな荷をシーツに隠し、ついにカーナは私から離れてゆくのでした。


「お元気で」

「あなたも――」



 城門を出たとき、勢いよく閉じられた扉の音に驚き、振り返って城を見上げると偶然テラスにいた姉様が樽の水を取り落とし、うっかり私の頭に浴びせてしまったようでした。私が意地悪な冗談を言ったものですから、ばちが当たったのでしょうか。


 ばちが当たったのでしょうか。


「う……うっ……」


 冗談を言って罰が当たったのでしょうか。

 悪いことをして罰が当たるのならば、死神が――人の死が、不幸が見えてしまうのは、何の罰が当たったというのでしょうか。


「う……ぅう、うえーーーんッ」


 お城から離れるまで我慢していた慟哭をついに隠しきれなくなってしまい、恥ずかしながら大声で泣いてしまいました。

 これから一人きりで町の外に出なければなりません。過去の悲しい事と、これから起きる悲しい事を思うとしばらく涙は止まってくれそうにありません。

 人の目から逃げる様に人目のない路地を選んで泣きながら歩き、太陽の位置で大まかな城下の出口を探します。

 誰も私に声を掛ける者はありません。すっぽりと布を被って泣きながら歩くなんて、きっと浮浪者か何かと思われていたのでしょうね。

 ところで死神と浮浪者、どちらが幸せなのでしょう?


 

 いよいよ町を出るときです。裕福な家々は中心に。貧困なそれは町の出入り口に近く。有事の際には彼らの住む家々が、防壁の役割も兼ねていると教わった記憶もあります。

 門の近くでは、恐らく老人がもたれかかって小さな寝息を立てていました。

 群がる小蠅のような靄が、老人がもうすぐ天に召されるという事を私にだけ教えてくれているようです。

 そんなもの、見えなくてもいいのに――。


「ご苦労様です」

「お? なんだ、こんな時間から外出か?」


 こんな時間とは言ってくれます。城下を歩くこと数時間、私に許されたのは『こんな時間』だけしかないというのに。

 浮浪者と思しき人間から『ご苦労様です』だなんて、思えば場違いでしたね。

 ともあれ、兵は『こんな時間』でも門を開いてくれます。

 興味がないのでしょう。他人の生き死になど。


 町に悪い獣や悪党が侵入しては大事。

 見張り台の兵に声を掛けると、いくつか合図のやりとりをしてかんぬきを外しました。


「早くしろ」

「はい。手間を取らせました。お元気で――」


 

 薄暗くて、自由で、風が強くて、明かりはお月様しかなくて――話し相手もいない。初めて見た外の世界はとても綺麗でした。

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