鴉と果実

濡れ鼠

鴉と果実

暗闇に沈んだ路地裏に、僕の呼吸音が溶けていく。時折、高速を走る車の走行音が降り注ぐ。1足の革靴がアスファルトを踏む音が聞こえてきて、僕は背筋を伸ばした。兄貴のシルエットが、肩を揺らしながら近付いてくる。

「行くぞ」

兄貴は短く言い、バイクの後ろに跨る。

「どこへ?」

僕の太ももの間で、バイクの車体がぶるっと震えた。

「ジジイ、いるじゃん?」

「あ、はあ」

「弾いてこいってさ」

兄貴は言葉にするのも億劫なようだった。殺すのか、と尋ねようとしてやめた。僕は兄貴の沸点をよく知っている。

「めんどくせぇな」

鈍く光る路面に、バイクの走行音がぶつかる。背中で兄貴がぼやく声が、後方に流れていく。

「あそこにも1発ぶちこみてえわ」

眠りに落ちた通りの中で唯一、光の絶えない建物が近付いてくる。『飲酒運転撲滅』と書かれた黄色い垂れ幕が、闇の中に浮き上がっていた。光はすぐに遠ざかり、夜空の星と紛れる。

背後で金属が擦れる音がする。目的地が近い。目指していたのは、防犯カメラなどない、少し大きいだけのごく普通の住宅だった。

「待ってろ」

兄貴は言い残し、ガラスの割れる音とともに家の中に消えていく。

静寂を内側からたたき壊すような僕の鼓動。唾を飲み込む音が、住宅街に響き渡っているのではないかと思えてくる。

銃声3発、女の悲鳴、再び3発。

静寂、そして鼓動。

兄貴が戻ってきて、僕は湿っぽいグリップを握り直す。あとは暗闇の中に戻るだけだ。

どこかでパトカーが遠吠えを始める。ミラーの中で赤い星が瞬き始める。道の奥からツートンカラーのクラウンが、赤い光と甲高いサイレンを撒き散らしながら邁進してくる。警察官が何かを怒鳴っているが、バイクの排気音に紛れて聞き取れない。クラウンとバイクのブレーキ音がぶつかり、続いてクラウンの脇腹とバイクがぶつかる。僕の身体は路面を転がり、起き上がる頃には、見覚えのある制服が迫ってきていた。

「撃つぞ」

銃口が、僕を見た。僕は兄貴を振り返る。手脚を広げて空を見上げる兄貴の傍らで、声を失った鴉と、黒い果実のようなものが、僕に手を振る。僕は果実に手を伸ばす。破裂音が耳に届くより先に、腹がアスファルトにぶつかる。右の太ももが熱い。太ももに伸ばした手にどろりとした液体が絡まり、僕は乾いた息をアスファルトの上に吐き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鴉と果実 濡れ鼠 @brownrat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ