あざ

十坂真黑

あざ

「もしもし唯? お願い、今すぐ来てくれない? ちょっとやばいの」


 高校時代の親友、愛美からの着信で私は目を覚ました。

 その時、私はなぜか部屋の床の上で寝ていた。


 うう、頭いたっ。


 おまけに薄もやがかかったように記憶がはっきりしない。確か昨日、別れ話のために彼氏をうちに呼んで、ちょっとした口論になって……だめだ。その後が思い出せない。昨夜の出来事は、既に消されたセーブデータのように私の記憶の中から見つけることが出来なかった。

 

 そんなわけで私自身全然本調子では無かったのだが、愛美の声があまりにも切羽詰まったものだったので、電車を乗り継いで彼女の元へと向かった。

 


 指定されたアパートの扉を叩くと、のほほんとした様子の愛美が顔を出した。


「ほんとにきてくれたんだあ、唯」

 と、目を擦りながら私を出迎える。意外と元気そうだ。というか。


「あんた、寝てたでしょ」

「寝てないってばあ」


 言いながら、彼女は二度もあくびを噛み殺した。

 人を呼び付けておいて、本人は呑気に二度寝とは。まあ、いつものことだけど。


「ま、上がってよ」


 部屋に上がる。

 単身用アパートの1Kの部屋だった。築年数は古そう。台所には黒いゴミ袋が二つ、置いてあった。一つは縛られているが、もう一つはなぜか破れている。生ゴミだろう、据えた臭いがする。破れた方を見ると、底に液体が溜まっていた。これが悪臭の原因だろうか……じろじろ見るのも気が引けたので、私はリビングに向かう。


 テレビ台と小さなテーブル、その傍にはベッドが置いてあった。カーテンの色はシンプルなグレー。

 意外と殺風景な部屋だ。

「ここね、あたしのかれっぴのお部屋なの」

「かれっぴ?」

「カレシのこと。昨日お泊まりしたんだけど起きたらダーリン、いなくて」


「……そんなことでわざわざ人を呼んだわけ?」

 放っておけばそのうち帰ってくるだろうに。

 が、愛美はぶんぶんと首を横に振った。


「ちがうの〜、昨日の夜、ここで彼氏とお酒飲んでたんだけど、途中で急に眠くなっちゃって。全然記憶ないの。もしかしたらクスリ盛られたかも、って」


 愛美は昔から男運が悪かった。というか、彼女は一癖も二癖もある男が好みなのだ。高一の時初めてできた彼氏は大学を中退したヒモのバンドマン(といいつつ、楽譜も読めなかった)だったし、次の彼氏はそこそこの会社の経理部に勤めていたが、のちに横領罪で逮捕された。


 愛美のほんわかした雰囲気は、ブラックホールの如きダメ男を引き寄せる。

 陰ではダメ男ホイホイと呼ばれていた。


「しかも身体のあちこち痛くて〜。で、一人で退屈だったからお部屋の中掃除してたのね。そしたらこんなもの見つけちゃって」


 そう言って愛美が差し出したのは、小型のビデオカメラだった。


「しかもあたしが見つけた時、それ動いてたの〜おかしいでしょ?」

「あんたそれ、撮られてんじゃん」


 世の中には、恋人との情事の様子を撮影して喜ぶ変態もいると聞く。

 さすがの愛美も、「やっぱりそう思う?」と、不安を隠しきれないようだった。


「中みようかなと思ったんだけど、なんか怖くて。唯、代わりに見てくれない?」

「え、なんで私が」

「だってこんなこと誰にも頼めないし〜。本当に悪い映像が残ってたら裁判の証拠にもなるじゃない?」


 裁判、と言う単語がさらりと出る辺り、彼女の強かさが窺える。

 愛美は胸の前で両手を組み、上目遣いで「ね、お願い。唯しか頼れる人いないんだよ〜」と瞳を揺らす。


 私は昔から、愛美の「お願い〜」に抗えた試しがない。

 

「分かったわよ。でもね、あんたいいの? あられもない姿私に見られるかもしれないんだよ?」

「唯なら全然大丈夫だよ〜、あたしたち親友じゃない」


 調子のいいこって。


 結局、私一人で映像を確認することになった。その間、愛美は「シャワー浴びてくるね〜」と鼻歌を歌いながらバスルームへ行ってしまった。


 動画を再生する。

 画面がぶれ、男らしき人物の体が映った。

 この画角では顔は見えない。

 だぼだぼのトレーナーに、下は腰まで下げたジーパン。靴下は左右で違う。いかにも愛美が好きそうな男だ。


 画面が動く。音は入っていないのか終始無音だ。

 画面が一瞬ぶれたかと思えば、それまであった手振れが無くなってずいぶん見やすくなった。男の紺のトレーナーが遠ざかっていく。どうやらカメラをどこかに置いたようだ。

 ここでようやく室内の様子が映し出される。汚れた折りたたみローテーブル、ヤニのついた壁紙。ここで「あれ?」と違和感を覚える。けど、その正体が分からない。

 ひとまず、映像を見ることにする。

 

 男の姿が画面からフレームアウトした。家を出たようだ。

 しばらく代わり映えのない映像が続いたので、スキップする。

 やがて、男は女性を連れて部屋へ戻ってきた。

 愛美だ。

 カメラの中の愛美は厚手のコートを脱ぎ、笑いながら床に座り込んだ。


 しばらく二人はじゃれ合いながらお酒を飲んでいた。


 そのうちお手洗いだろうか、愛美が部屋を出た。

 一人になった男は、すばやくポケットから何かを取り出し、愛美の飲み物に落とした、ように見えた。


 私は一度動画を止め、問題のシーンを繰り返す。

 三度目のチャレンジで、私の目は銀色のアルミ包装を捉えた。……錠剤?

 間違いない。この男、愛美の方の飲み物に薬を入れた。


 やがて戻ってきた愛美は、疑う様子もなく酒に口をつける。

 少し経つと、愛美の様子がおかしくなった。顔は俯き気味にゆらゆらと揺れている。


 普通の酔い方じゃない。薬のせいだろう。

 私はごくりと生唾を呑んだ。

 やがて愛美は大波に襲われたボートが転覆するように、その場に倒れ込んだ。

 彼女の下半身付近のカーペットの色が一層濃くなった。……ああ、漏らしてる。本人がいなくてよかった。


 あとは男の独壇場だった。

 男は愛美に馬乗りになると、ブラウスに手をかけ、服を乱暴に引き裂いた。画面の端に何かが飛ぶ。はじけ飛んだブラウスのボタンだ。


 私はなすすべもなく、親友が蹂躙される様を見ているほかない。

 段々と腹が立ってきた。


 決めた、あの子が風呂から上がったら警察に連れて行こう。

 この男とは金輪際縁を切らせる。

 愛美は私が守るのだ。

 必要とあれば、この映像を提出しなくてはいけないかもしれない。



 映像では男は全裸になった愛美の細い首に、両手を掛けたところだった。

 心臓が激しく音を立てる。


 ……大丈夫、だって愛美はぴんぴんしている。

 分かっているのに、嫌な汗が止まらない。

 映像の中の愛美は四肢をばたつかせ、激しく抵抗した。だが酩酊状態の彼女が、男に敵うはずもなかった。

 数分ほど男は同じ体勢のまま、愛美の首を絞め続けていた。

 

 もうやめて! 目を覆う。だが愛美のためにも最後まで見届けなくてはならない。

 首を絞められて人がどのくらいで息絶えるのか分からないが、それに足る充分な時間が経過したように思えた。


 ようやく男が愛美の首から手を離した。

 相変わらず私の心臓はばくばくしていた。


 映像の中の愛美は完全に動かない。

 四肢をだらんと伸ばし、カーペットの上に横たわっている。マネキン人形みたい。

 生きている人間の肌は、こんなにも青白くなるのだろうか。こんな風に目玉が飛び出すだろうか。

 でも、そんなはずがない。

 愛美が死んでしまったはずがない。


 ……きっと画質が悪いせいだ。そう自分を納得させ、私は続きを食い入るように見る。


 男が姿を消した。台所へ向かったらしい。すりガラス越しに動く黒い影が見える。その間、映像の中の愛美は、瞬きもしない。


 やがて、男が部屋へ戻ってくる。

 手に鈍く光る、大きな刃物を持っていた。刃はぎざぎざに縁どられている。


 のこぎり?


 映像を見ながら私は戦慄した。脳裏に恐ろしい想像がよぎる。

 はたして画面の中の男は、私の想像通りの行動をした。


 まず、愛美の右腕にのこぎりの刃を当てる。

 白い彼女の腕から赤黒い液体が染み出るように湧き出る。

 構わず、男は刃をゆっくりと肌に滑らせていく。


 ごりごり。音声は入っていないのだから音なんて聞こえてくるはずがないのに、その骨を削る不快な音は私の鼓膜を突いた。

 ぷちゃあ。太い血管が破れて、大量の血が噴き出す。


 やめて。やめて。そんなことしたら。

 

 横たわっていたカーペットがどす黒く染まる。

 初めに憶えた違和感の正体に気が付いた。この部屋には今、カーペットは敷かれていないのだ。


 男は慣れた手つきで彼女を解体していく。


 画面の中の愛美は六つの肉の塊に変わっていた。

 右腕。左腕。右脚。左脚。胴体。頭。


 血糊のべったりついたのこぎりを手に、男はまたも台所へ姿を消す。が、今度は数秒で戻ってきた。手には黒いゴミ袋を携えている。

 男はその中に愛美だったものと、カーペットを切断し細切れにしたものを乱暴に詰め込んだ。


 あまりに現実味のない映像に、私はホラー映画を見ているような心地になっていた。

 さっきの愛美、まるでマネキンみたいだった。


「……! そうだ、これ、マネキンなんだ!」

 

 きっとどこかのタイミングで愛美がマネキンと入れ替わったに違いない。カメラなんだから、編集なんかも可能だろう。

 おそらく愛美と彼氏の男が共謀して撮影したのだ。私を怖がらせるために。

 

 この映像はタチの悪いイタズラに違いない。

 ご丁寧に血糊まで仕込んじゃって。


 そう思うと、恐怖心は消えていった。騙されたショックよりも、安堵感が勝った。

 愛美の奴、風呂から出たらとっちめてやる。


 それからしばらく、男の姿は画面外に消えたままだった。再び外出したらしい。

 代わり映えない映像が続く中、妙な違和感に気付いたのは少し経ってからだった。


「え……?」


 マネキンのバラバラ死体を入れた黒いゴミ袋が、微かに揺れている。


 その揺れは次第に大きくなり、ついに横に倒れた。ゴミ袋の口はしっかりと閉じられているが赤黒い汁が床に漏れた。

 

 黒いゴミ袋はまるで生き物のように動いている。やがて袋を突き破り、内側から真っ白い腕が飛び出した。腕はもがくように指を動かした。もう一本。別の場所から腕が突き出てきた。

 ぎゃ、と私は悲鳴をあげた。


 どちらにも、上腕あたりにぐるりと一周するような跡がある。まるでその部分にシュシュを付けているみたいに。


 宙に跳び出した二本の手が、ゴミ袋の穴を掻き裂いた。

 穴が十分な大きさにまで広がると、やがて黒くて丸い物が袋の中から跳び出してきた。


 頭、だった。


 ゴミ袋の中から女は這い出てきた。袋に押し込められた時はバラバラの肉塊だったはずが、今は頭はちゃんと繋がっている。

 首以外、胴体も、腕も、足も、全てが元通りになっている。


 立ち上がった彼女の体のあちこちに、あざのようなものが浮かんでいることに気付く。そのあざは、上腕にあったものと同じようにぐるりと一周するように輪状に入っている。

 それは丁度、男によって切断された切断面の位置と一致していた。


 女は俯きがちだった顔を上げる。カメラがその女の顔を捉える。

 「愛美……!」唇から悲鳴のようにその名が零れた。


 映像の中の愛美はしばらく立ち尽くしていたが、自分が裸であることに気づくと、慌てて散らばった衣類に手を伸ばした。


 それから愛美は首を傾げながらスマホを見たり、水を飲んだりごく普通にふるまっていた。床に転がった黒いゴミ袋を、やはり首を傾げながら台所へ持って行く。ぽたぽたと黒い水滴が床に溢れると、それをウェットティッシュで拭った。


 やがて小さなちりとりで部屋を履き始めた。押し入れの近くを掃いている時、愛美がふと顔を挙げた。こちらをじっと睨む。

 あっ、と唇を開いたかと思えば、あざの浮いた腕がこちらに迫って来る。

 

 愛美の顔がアップで映し出される。

 隠しカメラに気が付いたらしい。

 そこで映像は終わる。


 私はしばらく放心状態のまま、その場にへたり込んでいた。


 もはや、手の込んだフェイク映像とは思えなかった。

 これが本当だとしたら……いまお風呂にいるのは、何?


 ……そういえば愛美、やけに風呂長い。

 シャワーの音はもう聞こえてこない。


 「ゆーいー、どうだった~?」

 突然、背後で愛美の声がした。

 

 いつの間にか愛美が風呂から上がった。

 バスタオルを巻いただけの格好で、頬はうっすら上気しており、身体全体が桃色に染まっている。

 彼女の露出した白い右腕に、赤く細長い輪のようなあざが浮かんでいることに気付いた。ぐるりと赤いマジックで一周したかのようだ。


「なによ、どうしたの。そんなに凄い映像だったの? 唯、顔色悪いよ」


 私は愛美の質問に答えず、部屋を飛び出した。



 荒く息を吐きながら、実家の門をくぐった。

 実家は私が住むアパートとは逆方向だったけれど、一人でいる気分にはならなかった。


 母は突然飛び込んできた娘に驚いたのか、目を白黒させながら私を出迎えた。

「帰ってくるなら一言連絡しなさいよ」

「ごめん、ちょっと、急に帰りたくなって」


 母は久しぶりの娘の帰郷を喜んでいるようだったが、ふと、こちらを見て訝しそうに目を細めた。


「どうしたの、そのあざ」

「え?」

 母は自身の首筋をトントンと叩いた。



 洗面所に飛び込み、鏡を見る。


 何の変哲もない私の顔がそこにあった。

 問題は、その下。

 私の首をぐるりと一周するように、あざが浮かんでいた。

 まるで赤い首輪をしているようだ。

 こんなもの昨日までは確実になかった。


 全身の血の気が引くのを感じた。

 それは、愛美にあったあざにそっくりだった。

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