第7話

「ライオネル様、ちょっと待っていてくださいね」


 私は襲撃犯に投げつけた贈り物と扇を、急いで拾ってきた。

 べしゃりとつぶれた箱の形をささっと手で整え、何事もなかったかのようにライオネル様に渡した。


「これは……?」

「あ、あの……心ばかりのお祝いの品です。この度は、ご婚約おめでとうございます」

「婚約はしていないが」


 変な顔をするライオネル様に、胸の痛みを隠して、言いつのる。


「ですが、するつもりだったのでしょう?」

「……君と?」

「はい…………って、え、ちが……………………ええっ?」

「俺は今日、君にプロポーズするつもりだった」

「………………………………」


 口下手とかそういう問題ではなく。

 頭が真っ白で、本当に言葉が何も出てこない。


 私に、プロポーズを……?


 見上げたライオネル様の表情は、とても真剣だった。

 彼の目元と耳は、赤くなっていて。

 碧の瞳が、ひたむきに私に向けられている。


 これは冗談などではないと、私にもわかった。


「カントリーハウスから帰ったあとも、君と過ごした時間が忘れられなかった。だから、アサートン卿にクロックフォード家の場所を聞いて、何度もその前を通ったんだ…………もしかしたら、君に会えるかもしれないと思って」


 ……何度も通った?


 うちの庭で本を読んでいたら、ライオネル様に声をかけられたことを思い出す。


 では、あれは偶然ではなかったの?

 私に会いに、来てくれたの?

 全身の血が沸騰するように熱い。


「で、でも……噂では、あなたはコートニー様と婚約すると……」

「噂か。人の噂がどれほどいいかげんなものか、聡明な君は知っていると思うが。コートニー嬢とは、単に家族ぐるみの付き合いがあるというだけだ」


 ライオネル様がげんなりと答える。


 たしかに、本を読んでも実生活でも、人の噂などあてにならないものだと知っていたはずだったのに。

 彼のこととなると、そんなこともわからなくなってしまう。

 恋は盲目と言われる意味を、私は26歳にしてようやく理解した。


「……今日は、最初に君とダンスを踊るつもりで待っていたんだ。コートニー嬢ではなく、君と。そしたらあんなことがあって……いや、結局はよかったのかもしれないな。君が聡明なだけではなく勇敢な、素晴らしい女性だと皆に知れ渡っただろうから」

「い、いえ、私など……地味で、口下手で、本ばかり読んでいて、実家も貧しくて……あなたには、ふさわしくありません」


 真っ赤になって否定すると、突然、背後から朗々とした声が響いた。


「何を言うんだ、お嬢さん? 心優しく、働き者で、度胸もある! 私の末息子である黒獅子騎士団長ライオネルの嫁には、君こそがふさわしい!」


 私はびっくりして振り向いた。

 そこには庭師のおじさ……いや、公爵閣下が、笑顔で立っていらっしゃった。


「こ、公爵、さま……?」

「はっはっはっ。私が精魂込めて育てたピンクのバラは、気に入ってくれたかな?」

「えっ? あのバラは、公爵さまが育てたのですか?」


 いつかライオネル様からいただいた、ピンクのバラの花束を思い出す。


「……父は何より庭いじりが好きなんだ。アサートン卿のカントリーハウスへ行ったときも、わざわざ他人の庭をいじろうとして、そのあげくに重い植木鉢を持ち上げて腰を痛め、君に水やりなどをさせて……申し訳ない」


 頭を抱え、ライオネル様が呟く。

 そんな息子のぼやきなど意にも介さず、すっかり腰が治ったらしい公爵は、胸を張って私にぱちっとウインクをした。


「お嬢さん、そのドレス、とてもよく似合っているよ。私が息子の瞳の色のドレスを贈ったということは、公爵家うちが君を花嫁に望んでいるということだ。金銭面を含め、君は何の心配もしなくていい」

「……公爵さま……」

「さあ、あとは二人で決めてくれ。また会えると信じているよ、エレシア」


 公爵が立ち去ると、広い広いホールには、ライオネル様と私の二人だけになった。

 ドキドキと、心臓が激しく暴れている。


 私はたしか、ライオネル様と一生のお別れに来たはずだ。

 それなのに……。


 こんな場合にはどうすればいいのかなんて、今までに読んだどんな本にも書かれていない。


「エレシア嬢」

「……はい」


 ライオネル様はまっすぐ私に向き直り、騎士服の上の、マントを留めているピンブローチを示した。

 ブラウンダイアモンドだろうか……美しい、茶色の宝石だ。


「君の色を身につけたんだ」

「っ!」


 私は息を呑んだ。

 突然の殺し文句に、文字通り息の根が止まるかと思った。


「……その碧色のドレスを着ている君を見たとき、刺客に襲われているというのに、一瞬、目が離せなくなった…………君が……とてもきれいで……俺の色を身につけてくれていると思うと、うれしくて……………………君のことが、好きなんだ」


 少しぎこちないけれど、ライオネル様は彼の言葉で、真摯に気持ちを伝えてくれる。

 私も真摯に答えなければいけないと、精一杯の言葉を返した。


「あ、あなたも、とても素敵です……今日も……いつお会いしても、とても…………私も、あなたと過ごす時間が一番楽しくて………………あなたが、好きです」

「エレシア…………」


 ライオネル様は愛おしむような眼差しを私に注ぎ、ぎゅっと私の手を握ると、ひざまずいた。

 碧色の瞳が私を貫く。


「俺と結婚してくれますか?」


 胸がいっぱいで、どきどきして、返事の声が震える。

 でも、震えた声でも構わないと思えた。

 彼はちゃんと聞いてくれるから。


「はい」


 ライオネル様はまぶしいほどの笑顔を見せた。

 そして立ち上がると、私の顔に手を当てて上を向かせ、キスを落とした。


 少し前の私は、夢にも思わなかっただろう。

 まさか自分のファーストキスが、獅子に優しく口づけをされるような、こんなに素敵なキスだなんて。

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2024年12月19日 20:00 毎日 20:00

夢は見ないと決めていたのに 岩上翠 @iwasui

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