第2話

 もう最悪だった。


 華やかな舞踏会の大ホールで、わたしミカ・ミケルセンはまさに壁の花、借りてきた猫も同然だった。

 ガチゴチに緊張して、脈打つ心臓がいつ口から飛び出てもおかしくはなかった。

 ふだんモモンシアお嬢様に指導しているどんな社交マナーも立ち居振る舞いも、わたしには発揮できなかった。

 

 考えてみれば当然のことだ。

 エリート侍女家系ミケルセン家出身などといっても、しょせん、侍女は侍女。

 会場内を優雅に行き交う王侯貴族の令嬢令息がたとわたしでは、はなから住む世界が違う。

 別の生き物なのだ。


 モモンシアお嬢様やクロエ嬢は途中からすぐにわたしの不調に気付き、心配して何度も助け舟を出しにそばへ来てくれたが、美貌の2人はあちこちからまさに引く手あまたで、わたしにばかりかかずらっているのにも限界がある。

 

 わたしはひたすら居心地が悪く、この時間が一刻も早く終わってくれるようただ祈った。

 ごくまれに話しかけてくるご令息がたのお相手をするのにも、冷や汗と膝の震えがとまらなかった。

 舞踏会が幕を引くと、一目散にそこから逃げだした。


 泣きながら荷物をまとめてコーチマー邸をさえ後にし、故郷行きの夜行乗合馬車に飛び乗る。

 


        ♢



「……はああ。もう、死にたい……」


 馬車から降りてしばらく歩くと、故郷メネスローの川原に腰かけて、わたしは自暴自棄になりながらガックリと肩を落とす。


 何をやってもうまくいかない。


 お仕えするモモンシアお嬢様はあいかわらず婚約破棄されてばかりで、天性の美貌の持ち主でありながらいっこうに輿こしれの気配がない。

 あのひとが高貴な殿方と結婚してくれなければ、わたしの侍女としての立場がないというのに。

 

 功をあせるあまり、今回は侍女であるはずのわたしが舞踏会にしゃしゃり出て大失態まで演じてしまった。


 ああもう、何をやっているんだろう、わたし。


「まあ――落ち込むなよ。……ヒック」


「何であなたがここにいるんですか!」


 どうやら夜行乗合馬車の荷台に忍び込んでいたらしいクロエ嬢が、わたしの隣りに仁王立ちする。

 艶やかに波打つその黒髪を、そよぐ川風になびかせて。


「まあ――聞けよ、ミケ・ミカルセン。……ヒック」


「わたしの名まえはミカ・ミケルセンです!」


「まあ――聞けよ、シリ・オシリペン。……ヒック」


「話がはじまらない⁉ あと、おしりがソワソワする‼」


「まあ――聞けよ、ケツ。……ヒック」


「やっぱりもうミケでいいです」


「まあ――聞けよ、ミケ。……ヒック。たしかにお前のあせる気持ちはわからんでもない。あのモモンシアときたら、どう考えてもやがるんだからな」


「……やっぱり、……やはりあなたもそう思われるのですか、クロエ嬢?」


「まあ――まちがいないな。……ヒック。理由は知らんが、あいつはどの殿方ともいよいよ結婚かというところで自ら問題を起こし、婚約破棄の宣告を誘いこんでいるらしい。はっきりいって普通じゃないわな。世間一般のご令嬢の尺度から見れば、まったく正気の沙汰とは思えん」


 わたしは、「あなたもけっこうな割合でその問題行動に便乗してますよね」と言いたい気持ちをグッとこらえ、クロエ嬢の話の続きを待つ。


「まあ――とはいえだ。……ヒック。そもそも普通ってなんだ? 正気の沙汰とは何なんだ? そんなつまらんものが見たくて、私もお前もあいつのともをやっているわけではあるまい?」


 わたしは、「破棄友になったおぼえはありません。わたしは侍女です」と言いたい気持ちをググッとこらえ、さらなるクロエ嬢の話の続きを忍耐強く待つ。


「まあ――そうあせるな。……ヒック。やれることを腐らずやってりゃ、おのずとなるようになるもんさ。舞踏会のことはすまなかった。あんなつもりじゃなかったんだが。ともかくコーチマー邸じゃ、モモンシアがさみしさで死にそうなウサギみたいにプルプル震えてお前を待ってるぜ。さあ、どうするんだ、ミケ。ここから先は、引くも進むもお前しだいだ。なあ――?」


 川のせせらぎをにらみつけたまま、わたしはギュッと唇をかんだ。

 


        ♢



 拝啓

 ミカ・ミケルセン様


 あなたへの手紙をしたためては、またひとしれず破り捨てる行為を、私はこれから何度続けてしまうでしょうか。


 コーチマー子爵家の令嬢として、あなたの奉仕をうける身の上として、このモモンシアには未だその答えがみつかりません。

 そして私には、あなたに打ち明けていない秘密があるの。


 だれにも言えずにいるけれど、私モモンシアは異世界転生者です。


 別の世界で前世を生き、死んで、そしてコーチマー子爵令嬢モモンシアとして生まれかわったの。


 前の世界での私の人生は、それはそれはヒドいものでした。

 両親からも姉妹からも愛されず、友だちの1人もつくれず、むしろ毎日イジメられて。

 そんなイジメに耐えきれず、けっきょくは自分で死を選んだようなものでした。

 きっと私自身にも、いろいろ問題があったんだと思います。


 私は、うまく生きることができませんでした。


 だから生まれかわって、いまこうしてあなたとクロエと過ごす時間が、本当に泣きたいくらい、私には愛おしいんです。

 たいせつなこの瞬間を、失いたくない。

 失うのがまだ怖いんです。 


 だからもう少しだけ、私のわがままに付き合ってください。


 ともでいてください。


 いまはまだそれしか言えないの。


 ごめんね、ミカにゃん。

 本当に、大好き。


 敬具

 モモンシア・コーチマー



        ♢



「コーチマー子爵令嬢モモンシア、いまこの時をもって、俺はお前との婚約を破棄する!」


 とある公爵令息の怒声が、夜会のきらびやかな広間に響きわたる。


 壁ぞいに並ぶテーブルには、立食式のゴージャスなビュッフェ料理の数々。


 いまのいままで大好物のローストチキンをたんのうしていたモモンシアお嬢様は、怒りに打ち震えるご令息の指差しと婚約破棄宣告が、そんな自分に差し向けられたものだとようやく気付いたか。

 侍女のわたしがこの日のために選り抜いて着せたとっておきのドレス姿で骨付きもも肉を持ったまま、お人形のような美貌のお嬢様はいかにもわざとらしく大げさにビックリ仰天の驚きポーズを全身で表現しながらこうのたまった。


「ガビーン‼」


 水を打ったような一瞬の沈黙の後、この珍妙なる事態をさとってにわかにざわめきだすご来賓のお歴々。


 ああ、眼前に広がる、まさに悪夢そのものの光景。


 いったいこれでもう何度目なのか……という絶望感と、「ガビーン‼」って何ですかあなたというやり場のない腹立たしさに、わたしはコーチマー家にお仕えする侍女として思わず我が手で顔をおおった。


 そして静かに悶絶しかかるわたしの横では、モモンシアお嬢様の破棄友バーンズ男爵令嬢クロエ様が、グラス片手に感想まじりのシャックリをこう放つのだった。

 

「まあ――ループだな、ミケ。……ヒック」

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婚約破棄されまくるお嬢様をどうにかしたい件 ペンのひと. @masarisuguru

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