第一章 稲妻の到来
少年の名は乾マサト。職業高校生。趣味は小説の執筆。
天性の創作力を持ち合わせ、流麗な青春を紡ぎ出している彼は、いつも非日常を求めていた。落ちてきた雷が彼にもたらしたのは、求めていた非日常。そして、忘れられない日々の数々であった。
雪が溶け、世界に春が到来した。高校生としての日常を送る僕は二年生へと進級した。クラス替えによる新しい環境と、ころころと変わる天気に翻弄される毎日を過ごしている。
今日も先ほどまでの晴天が嘘のように雨が降ってきた。雨粒が窓越しでも視認できるほど大きい。なんとなく、美しい。春はただの降水でさえも美しさを感じさせる季節だ。
「きれい・・・。」
横に座る執筆友達、五代アキラも窓を見つめていた。彼女も僕と同じく水滴の美しさに見とれているらしい。
「執筆で疲れた目に優しい景色だ。」
次に聞こえた一言で、儚い美しさへの感動は消え去った。創作活動へ集中が完全に切れた僕は、少しだけ口角を上げながら彼女に応答する。
「ははっ。物書きだなぁ。いや、最早社畜か?」
「もっと高校生らしくなりたいもんだね。私たち。」
気の置けない友人である彼女との、いつもの会話。友達が少ない僕にとって、この時間とこの空間は大切だ。
僕らは文芸部に所属し、学生の本分である学業そっちのけで創作活動に耽っている。今日も今日とて、新しい人間関係の構築に尽力するわけでもなく、中学からの仲である彼女と二人、この部室に入り浸っている。
「さて、と。大体いいとこまで書けたかな。」
アキラは全身を猫のように伸ばしながら言った。彼女が達成感を味わっているときにやる癖だ。本人曰く、肩こりの解消に一番いいらしい。本当に社畜を見ているようだ。最近の小説家にほとんどは電子機器で執筆をこなしている。僕らも例に漏れず、パソコンのアプリで小説を書いている。そのためにパソコン作業ばかりする会社員のような癖がついてしまっているのだ。
「原稿いい感じっすか。アキラ先生。」
「先生はやめて。なんか恥ずかしい。」
アキラと僕は今、演劇部の同級生から依頼された脚本制作をしている。依頼を受けたのは部長であるアキラで、僕はその手伝いをしている。
「そうだマサト、今日なんか予定あるんじゃなかったっけ?」
「あ、そうだったそうだった。やばいやばい。」
今日はスーパーのタイムセールの日。急がねば欲しい商品が売り切れてしまう。
「小説は時間を忘れさせるからね。部室の鍵は私が締めておくから。先帰りな。」
「ごめんありがとう!それじゃまた明日。」
「はい。また明日。」
迅速に荷物をまとめ、僕は部室から飛び出した。吹奏楽部の練習の音色を聴きながら、運動部の練習風景を横目に廊下を小走りに駆ける。校舎を出た時には、さっきまでの雨は止んでいた。
「やっぱり、春の天気は変わりやすいな。」
そんな独り言を呟きながら、僕は雨上がりの世界に歩みを進めた。
「ぐぅ、重い。」
買った品物を詰め込んだエコバックは、思った以上に重かった。つい言葉として出力してしまうほどに。スーパーから家までは歩いて十分はある。覚悟を決める必要があるな。
「よし、行くぞ。」
重心が左右非対称な、少し不思議な歩行を始めた。ゆっくりと少しづつ確実に進んでいく。目に映る景色は、いつもよりもゆっくりと移り変わっていく。僕の家庭は母子家庭で、そのうえ母は今長期出張で家を空けている。買い物袋の運搬を手伝ってくれる人物はいないのだ。
僕はこの時間が割と好きだ。移りゆく景色の中には想像の起点がたくさんある。ノロノロとした歩みとは対称に、頭の中では文章が駆け巡るのだ。
「あ・・・この家、無くなったんだ。」
日頃景色を見つめながら歩くと、風景の変化にいち早く気がつくことができる。ここには大きな木がトレードマークの古い民家があった。元々はどんな人が住んでいたのだろうか。近所だったのに、住民のことを僕は全く知らない。誰かの思い出が詰め込まれているであろうこの場所も、今はただ大木とボロボロの建材のみが残された草原。どことなく感じる無常観。なんとも創作意欲を掻き立てる。思考がどんどんと速くなっていく。
不思議とこの場から離れられない。何かに引き止められているような、静電気に吸い寄せられるような、そんな感覚が僕を支配する。
いつの間にか空き地に足を踏み入れていた。いつもアスファルトの上を歩いているからか、草を踏むのは久々な感じがする。
「春は、曇天さえも美しい。」
空を見上げ、ポツリと呟いた。良いなこの一文。こんど執筆で使おう。
いつものように物思いに耽っていたその瞬間、鈍い灰色の空が光った。
「あっ、かみな・・・
パチン
・・・り。』
何かが弾けるような軽い音と共に、僕は視界一面が真っ白な世界に投げ出された。
『あ・・あれ?』
見えるのは、永遠に続く白。音も、匂いも、温度も、何も、無い。
『な、なんだ?なんだこれ!?』
口ではこう喋っているはずなのに、何も聞こえない。
だんだんと、身体のあちこちに熱さを覚える。羽音のようなものが聞こえ始めた。
突如、白の世界に黒い斑点が現れ始めた。太陽を直視した後にしばらく見えるあれのような。なんだ?なんなんだこれ?黒い斑点はゆっくり広がり世界を覆い始める。何が起こっているかを理解するよりも前に、白の世界は変貌を遂げていく。
ついに黒の斑点は世界を完全に覆った。それと同時、感じていた熱はその温度を高め、羽音はその音量を増した。
僕は走った。足音はおろか、荒くなっているはずの呼吸音すら聞こえないこの世界をただひたすらに走った。一体どれだけ走った?見える景色は黒一色から変化が無い。どこまで進んでも何もない。僕はもう元の世界には戻れないのだろうか。焦燥が僕の身体の冷却を始めた。
い、嫌だ。まだ死にたくない。僕の人生はこれからなのに、こんなところで、こんなところで・・・!
瞬間、羽音のみを捉えていた鼓膜がけたたましい騒音を感じ取った。ジェットコースターに乗った時のような、身体が宙に浮く感覚を覚えた。
はぁっ
鼓膜が僕の呼吸音を捉えたとき、かつて白かった黒の世界は跡形もなく姿を消した。そこにあったのは、空き地から見えた曇天。
「戻って・・・来た?」
元の世界だ!日常を過ごしていた空間に戻って来れた安堵感は、視界に映る寒々しい曇り空にさえ温かみを覚えさせた。
この視界情報から鑑みるに、どうやら僕は仰向けになっているらしい。吹き飛ばされでもしたのだろうか。一体何に?
「何が・・・起こったんだ?」
仰向けのまま、僕は再度声帯を震わせた。そういえば、ちゃんと喋った声が自分の耳に聞こえる。いや、それに安心している場合じゃない。まだ何か起こるかもしれないし、とにかく現状の把握をしなければ。
「いつっ。・・・え?」
痛みを覚えながら起き上がると、想像していた空き地とは似ても似つかない光景が僕の目に飛び込んできた。草は赤黒く焼け焦げ、大木が縦半分に割れている。打ち捨てられた建材からは小さな炎があがり、煙特有の匂いを撒き散らしていた。
「これ・・・は。」
僕はこの景色に見覚えがあった。それは小さい頃に見たニュース映像。幼い頃に目に焼き付けたせいか、その映像は時間が経った今でも鮮明に思い出すことができる。そして、そのニュースが報じていた内容は、確か・・・
「落雷・・?」
この仮説は、間違ってはいないはずだ。それ以外考えられない。焦げた草原も、枝分かれの数を増やした大木も、昔見た映像そのままだったためだ。
「じゃ、じゃあ”君”は一体・・・」
しかし僕は、仮説を信じきれなかった。それは、僕が落雷を実際に経験したことがないからというわけではない。
「ふふっ。意外にびっくりしないんだね。こんにちは。乾マサトくん。」
雷の落下地点であろうその場所に、少女が一人佇んでいたからであった。
降水の始まりを告げる水滴が、刑事の構える拳銃を濡らした。
「やっと見つけたぞ。お前”沙羅双樹”の構成員だな!」
警官は声を震わせながら、銃口の先に立つ女に言った。黒いスーツに身を包み、都会の路地裏には似合わない日本刀を携えた彼女は、俯いたままゆっくりと口を開く。
「何故”沙羅双樹”の名を知っているのですか?」
鉛玉の射線上に立ちながらも、女は恐怖を感じさせる素振りを見せなかった。それどころか、彼女は鋭い眼光で刑事を睨みつけた。明らかに常人の域を脱した気迫に、数多の死線を掻い潜ってきた刑事ですら気圧され、冷や汗をかいていた。
刑事は悟る。この女はただの人間ではない。日本だけでなく、海外の裏社会すらも牛耳ると言われている謎の組織、”沙羅双樹”の人間だと。
「俺の娘はお前らに殺された!お前らをこの手で殺さないと、俺の気が収まらない!警察としての地位も、人間らしい生活も、俺の何もかもを全部捨てて、俺はやっとお前らにたどり着いたんだ!」
女の質問には答えず、刑事は自身の身の上を叫ぶことで己を奮い立たせた。
「知ったことではありませんが。・・・ジン様、どうしますか?」
女は耳元の小型無線機に手を添えその言葉を発した。日本刀から手が離れたことを好機と捉えた刑事は、引き金にかかっている指に一気に力を込める。
大粒の雨が地面を叩く音をかき消す轟音が響く・・・はずだった。
「くそっ!こんなときに故障か!?」
予想していなかった現状に、刑事は動揺のまま視線を拳銃に向けてしまった。この一瞬の判断ミスが、刑事の運命を定めるのだった。
「え?」
視線を元に戻したとき、女の姿はどこにも無かった。最大限の速度で回転する脳味噌で女の行方を考察する。
”私とジン様の会話を、邪魔しないでください。”
突然、女の声が刑事の耳元で響いた。
「なに!?」
勢いよく振り返った刑事は、自分の両腕が宙に舞っているのを見た。そして叫ぶ暇もないまま、彼の胴体と下半身は永遠の別れを経験した。吹き出る血飛沫が女の体を濡らす。
「な、何を・・。」
「斬りました。ただそれだけです。」
いつの間にか抜かれていた刀を収めながら、女は淡々と答える。
刑事は女の言葉を信じることはできなかった。だが、女は瞬間移動をしたわけでも、何か特別な力を行使したわけでもない。本当にただ”斬った”だけなのだ。
それだけではない。日頃手入れを怠っていなかった刑事の拳銃は、壊れてなどいなかった。なぜ刑事は完全な敗北を喫したのか。理由は単純。女が刀を抜き、拳銃を破壊し、刑事の肉体を切断するまでの一連の流れが、指先に注がれた力が拳銃の引き金を引くまでの間に完遂されたためであった。
「相変わらず惚れ惚れする剣技だね。トワ。」
こと切れた刑事の真上を飛ぶドローンから、男の声が発せられた。トワが先程「ジン」と呼称した人物の声である。
「さっきなんて囁いたの?」「何もありません。任務の話をしましょう。」
手についた血液を拭き取りながら、トワは強い口調で返答した。
「脱走の件に進展だ。乾が”落雷”に巻き込まれた。」
「本当に生きていたとは。やはりジン様の読みが当たりましたね。」
トワは少し動揺しつつも、小さく笑みを浮かべた。
「とにかく、研究に邪魔が入った。例の計画を進めるよ。トワ、できるね?」
「はい。」
ジンの慈愛に満ちた声色に、トワは少し頬を赤らめた。ドローンのカメラにそれが映らないよう顔を背けると、彼女はそのまま”落雷”の現場に走り去っていった。
大きなモニターが並んだ司令室。そこには血色を失った刑事の顔が映し出されていた。ジンは金色の目でそれを見つめ、何かを考え込むように顎に手を添える。
「娘・・・か。」
しばし思考を巡らせた後、手元にあるノートパソコンを弄り始めた。名簿のファイルを開き、”研究員”のページでスクロールをしていく。とある研究員の識別番号をクリックし
、顔写真と経歴がまとめられたページへ飛んだ。
「やっぱりね。この刑事さんは彼女の父親だ。」
刑事の娘は沙羅双樹の研究員だった。自殺を図った彼女をジン自らが保護し、研究員として雇ったという過去がある。両親はネグレクト気味で誰にも相談できなかったと彼女は口にしていた。実験中の感電事故により二年前に死亡している。
「”組織に殺された”だなんて、癪だなぁ。」
ジンは天井を見上げ、深くため息をついた。目を閉じ何かを追憶したかのように笑った。
「子どもの人生を知らなかったあなたに、復讐する権利なんてあるんでしょうかね?」
優しさが完全に消失した声音で、彼はポツリと呟いた。
春雷にのって Noza @nozaki6227
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