01 怨霊憑き

 深見ふかみ病院の院長の息子、深見祭夜ふかみさいやは盛大に溜息を吐き出した。疲労を隠さない、というより、やる気があるのかないのか分からない、そんな溜息だった。憂いを帯びたその表情は、品のある顔立ちをしていると芸術的でさえある。


「祭夜先生、しっかりしてください。そんなやる気のない顔で患者さんに向き合ったら失礼です」


 祭夜の態度を咎めたのは看護師の佐竹良司さたけりょうじだった。まだ怪異心霊科に配属されて一年だが、やる気に満ち溢れた若い看護師だ。本日もやる気満々といったように腕まくりをしている。

 対する祭夜は暖簾に腕押しといった感じで、まったく弾性のない、腑抜けた声を漏らす。


「佐竹君……君はいいよ、まだ若いからね。生まれたてだ。対する僕はもう毎日が診察で死にかけのナメクジみたいなものだよ。塩まかれただけで溶けて死んでしまう」

「なんですか、その妙な例えは。大体、祭夜先生だってお若いでしょう?」


 実際、佐竹の指摘通り祭夜は医師としては非常に若く、まだ27歳である。生まれたてといっても過言ではないのだが、怪異心霊科医のカリキュラムは他の医学生とは異なる。その上、飛び級制度もある為、年齢層は若くなりがちだ。


「若いねぇ……まぁ僕の愚兄らよりは若いが、二十歳超えたら皆おじさんだよ」

「その理屈だと俺もおじさんになるんですが。さっきと言ってること違いません?」

「5歳児から見たらおじさんだろう? 二十歳以上なんて」

「5歳児の目線で世界を見ないでください」


 佐竹が厳しい口調で言えば「ええー永遠の5歳児でいたいー」なんて言い始めるていたらく。兄たちから「愚弟」と呼ばれているのに気付かないのか、気付いていても素知らぬふりなのか。いずれにせよ頭脳明晰な美男子がしていい態度ではない。

 深見祭夜には兄が二人いて、そのどちらも優秀な医者である。同じこの深見病院に勤務し、同じく怪異心霊科なので三人とも区別の意味を込めて下の名前で呼ばれている。長兄が深見玲夜、次兄が深見響夜、そして末っ子がここにいる深見祭夜というわけである。

 佐竹から見たら医者として立派な兄二人に思えるし、飛び級した祭夜だって優秀な弟に思える。だが、兄弟仲はあまりよろしくないという噂だ。


「しかしこうも忙しいと遊びたくもなるよねえ」


 そうぼやく祭夜はいらない書類で紙飛行機を作り始める。幼稚園児か、と内心佐竹は思うも、祭夜の愚痴も分からなくもない。国にきちんと認可された怪異心霊科は全国的に見ても少ない。その為患者は殺到し、ただでさえ少ない怪異心霊科医はデスマーチのごとく働かされる。事実、祭夜の直近の休みは三十二日前である。連勤に連勤。明らかな労働基準法違反だ。だが、国がそれを看過するのにも理由がある。

 なにせ怪異心霊科医になれるのは、そういった体質でないとなれないからだ。

 そしてその体質――いわゆる霊感体質は極めて少ない。

 更に霊感体質があっても全員が全員、怪異心霊科医になれるわけではない。佐竹のように霊感があっても、佐竹には祓除ばつじょする力がない。見えるだけ、感じるだけで、祓う力がないのだ。祭夜は三兄弟の中で飛び抜けて力があるらしいが、常日頃面倒くさそうにしている。目を離すとトランプタワーなんて作り出すものだから、佐竹は監視役としてきちんと祭夜を見守らなければならなかった。


「先生。次予約の患者さん来ますよ」

「ええーもう? 五分しか休憩してないじゃないか!」

 

 紙飛行機を折り終わった祭夜が唇を尖らして文句を垂れる。これにも慣れたものだ。佐竹は「はいはい」と受け流しながら、診察室の扉に手をかける。


「それでも休憩は休憩です。呼びますからね。……えーっと番号札42番の方、第三診察室へどうぞ」


 すると待ち合い室で待っていた番号札42番の患者、白崎芽依が診察室に入ってきた。見た瞬間、うえ、と言いそうになるのを佐竹は喉奧に留める。華奢な白崎の身体にねっとりと、人間が溶けたみたいなドブ色の「怨霊」がひっついていたのだ。勿論、この空間で見えているのは佐竹と祭夜だけだ。さっきまで紙飛行機をいじっていた祭夜の鳶色の瞳がすっと細められる。


「……なるほど。怨霊憑きか。随分疲労感があるんじゃないかな? 不眠も続いている。食欲も落ちている。違う?」

「え、あ、はい。怨霊って……幽霊ってことですよね?」

 

 椅子に腰掛けた白崎の表情は何かにひどく怯えているように見えた。当然の反応といえば当然だ。いきなり怨霊が憑いているなど言われたら、怖いだろう。患者によってはこのご時世でも幽霊や怪異を信じない人もいるのだが、白崎は何か心当たりがあるのかもしれない。

 祭夜もそれを感じ取ったらしい。ペンを持ってくるくる回しながら興味深そうに白崎と怨霊とを見る。


「ふうん。そうか。なるほどね。部屋が悪いね、部屋が」


 意味不明なことを言いながらカルテにペンを走らせていく。電子カルテが普及しているというのに、この三兄弟全員が未だに紙のカルテにこだわっている。ちなみに祭夜の書いた字は達筆過ぎて、読み取るのも困難だ。


「部屋……ですか?」

「うん。最近、引っ越ししただろう? そこねぇ、いわゆる事故物件。人が死んでる。で、そいつが今君に憑いてる」


 スナック菓子のような軽い感覚で祭夜は言う。最悪なことにデスクの引き出しからお気に入りの棒付きキャンディーを取り出して、食べる? なんて白崎に聞いてくる始末だ。

 白崎は顔を引き攣らせて、唇を震わせた。

 

「え……事故物件って……そんな、嘘ですよ。不動産屋さんからそんな説明されていない」

「されてないだろうねぇ。だって、事故物件にしたの君だもの」

「「は?」」

 

 祭夜の言葉に、佐竹と白崎の疑問符が重なる。一体何を言い出しているのだろうか。


「さ、祭夜先生。何言ってるんですか」


 思わず動転する佐竹に、けろりとした顔で祭夜が言う。


「え、だから、彼女は殺人鬼。殺されたのは彼氏だね。可哀想に。折角の二人暮らしで殺人とは」


 少しも可哀想だと思っていない口調で祭夜は言うと、とりあえず祓うかぁ、と呑気に言った。


「そ、そんな簡単に祓えるんですか?」

「まぁ、そうね。でも祓うには白河さん。君の感情をもっと知りたい。話してくれないかな?」

「それは……」


 言い淀む白崎に、ペンを止めた祭夜が言う。


「言いにくいのも分かるけどね。殺人の自白だもの。でも僕は忙しい。あまり君に時間を割いている余裕はないんだ。……あー、こんな時あいつがいたらいいのになぁ。あいつ、心を解剖できるし。医者じゃないけど」


 久しぶりに会いにいきたいなぁ、なんて言う祭夜は完全に患者のことなど「タスク」のひとつにしか思っていない。佐竹はこの華奢な女性がとても殺人鬼には思えないのだが、祭夜が診察で言うことは殆ど正しい。ごく稀に、誤診が生まれる時もあるが。


「話すもなにも、そもそも私は、人を殺してなんかいません」

「ああそう。なら怨霊はいつか君を殺すだろうね。それでもいいならお帰り下さい」


 ひらひらと手を振っている姿は、医者としては冷徹極まりない最低なものだ。だが、怪異心霊科医としては、話してもらわないことには祓うことも難しいのだ。どうしてそうなったのか、いつからそうなのか、事実を話してもらわないと処置できない。これはどの医術でも言えることだろう。

 沈黙が部屋に落ちた。佐竹は最初こそ、こういった類いの沈黙に居心地の悪さを覚えていたが、もうこの1年で慣れきってしまっていた。慣れとは凄いものである。祭夜という突飛な医者との付き合いも、板についてきている──というのが同僚の意見だ。


「……彼が悪いんです」

「ふうん」

「彼が、浮気なんてするから……折角、同棲始めたっていうのに……私以外の女と楽しげにして……」

「へえ、なるほど。君はそう見えてたかぁ」


 祭夜の言葉に、「は?」と白崎が顔を上げる。困惑の二文字が浮かんでいた。

 そんな白崎に祭夜は淡々と告げた。


「彼は浮気なんてしてないよ。全部、君の被害妄想。ああ、困ったなぁ。これ、警察だけじゃなく精神科とも連携必要だわ。佐竹君、ちょっと至急精神科と警察に連絡して」

「ちょ、ちょっと待ってください! 精神科って……さっき怨霊が憑いているって言ったじゃないですか!」


 立ち上がって抗議する白崎に、祭夜はつまらなそうに見上げながら告げる。


「だから、君は精神病に罹患していて、被害妄想、誇大妄想により彼氏を殺害。僕は精神科の専門医ではないから詳しいことは分からないけれど、そこは精神科で見てもらって。で、怪異診療科的には君はれっきとした怨霊憑き。君の妄想によって理不尽に殺された彼氏が、抗議したくて君に取り憑いているんだよ」

「違います! 彼は浮気していました! どうしてそんなにはっきり私が間違っていると言えるんですか?」


 厳しい追及を前にしても、祭夜はこれっぽっちも気にせず答える。


「そりゃあ、君が黙っている間に怨霊となった彼から話を聞いたからね」

「え?」

「いいかい。怪異心霊科医は、人ならざる者と人、双方から話を聞くんだ。そして納得してもらって祓う。以上」


 そう言うと白河はさっきまでいじっていた紙飛行機を持つと、えい、と投げた。

 すい、と宙を飛んだ紙飛行機の先端が怨霊に突き刺さり、そこから突風が巻き起こる。

 怨霊の身体が紙吹雪に変わっていき、散り散りになって消えた。

 顔色が悪かった白崎の顔つきが変わり、驚きの表情を浮かべて肩を回したりする。その様子を見て目を細めた祭夜が言う。

 

「うん。祓除完了。一回で祓いきれるなんて、君は随分良い彼氏を持ったなぁ。君が殺したんだけど。あ、佐竹君。精神科と警察の方にはもう連絡した?」

「はい。どちらにも連絡済で既に警察の方は来ているようです」

「ありがたいねぇ。じゃ、あとは警察と精神科医の方にお任せしよう」


 じゃあねぇ、と手を振る祭夜はへらへらとしていて正直医者とは思えない。

 思えないのだが祓除率100%の医師なのだ。重宝されるに決まっている。たとえ、人格的に多少問題があったとしても。

 白崎は複雑な表情のまま、警官に連れ出されていった。こんな光景もたまにはある。精神科と怪異心霊科、両方にお世話になる人間は存外、少なくないのだ。


「祭夜先生」

「んー、なにー? 次の患者さん呼んでよ」


 まるでまだノルマが残っているかのような口調で言う。本当にこんな人が医者で良いのだろうかと思うが、佐竹は診察室の扉を開いて

次の患者を呼んだ。


「番号札、43番の方。第三診察室へどうぞ――……」


 佐竹は43番の患者を受け入れる。

 今度は一体どんなものが憑いているのか。



 深見病院怪異心霊科第三診察室。

 そこには品位最低、されど最強の怪異心霊科医が待っている。


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深見病院怪異心霊科医、深見祭夜のカルテ 朝桐 @U_asagiri

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