疾走の報酬
レネ
おふくろはアル中だった。
オレが学校から帰ると、昼間っから家で酒を飲んでることがあった。オレが文句を言うと、誰が産んでやったと思ってるんだと言いやがる。誰も産んでくれなんて頼んじゃいないんだ。勝手に産んだくせしやがって。ろくに働きもせずに,自分だけは付き合ってる男が買ってくる差し入れで腹を満たしていた。時々はオレにも安っぽい飯を作ってくれたが、その度に、
「いい会社に就職してうまいものをたんまり食わせるんだよ」
などとほざきやがる。
こういうのを毒親って言うんだろう。一度でも母親らしい、優しい愛情を見せてみろっていうんだ。もっともそんなのムシズがはしるけどな。
オレの記憶では親なんて所詮こんなもんだ。小さい時から可愛がってもらった記憶なんて全くない。ビンタはいっぱい食らった。
怒鳴られたことも数知れない。
多分親はオレが憎いんだ。邪魔でしょうがないんだ。何で子供なんか作ったんだって後悔しているに決まっている。
その証拠にオヤジはオヤジで、出稼ぎで一年中帰ってきやしない。東京の建築現場で働いていたが、女をつくっているらしく、生活費も満足に送ってこない。まるでオレなんかいないみたいに好き勝手なことをしているに違いないんだ。
オレはいつも腹をすかして金に飢えていたが、こんな田舎にはまともなバイトもないからどうすることもならない。オレはカップ麺以外のまともなメシといえば、スーパーの半額弁当か、コンビニでバイトしてるクラスメートの夏美がくれるコンビニ弁当しか食ったことがない。夏美はいい女だ。優しいし、オレがやらせろと言えばやらせてくれるし、オレには絶対逆らわない。それにスタイルもまあまあで、顔は結構可愛らしい。
そうそう、たまの模試のあとの先公のご褒美は忘れちゃいけない。先公は皆キライだ。だけどいい点を取ればヤツらはメシを奢ってくれる。
オレは学校では優等生のレッテルを貼られていた。
受験科目の平均偏差値が75あったから、キミならK大でもW大でも行きたいところに行けると、校長はじめ教師たちは期待していた。
しかしさすがにT大などの国立は無理だった。オレは8科目も器用にこなすほど頭は良くない。国立には受からない。
だから私立に行かなきゃ仕方ないんだけど,家には金がない。これだけ努力して頑張って、奨学金なんてもらって、借金背負って生きるのはイヤだ。そうやって生きて、なにがあるっていうんだ。牛のように働かされて、窮屈な社会で苦しむだけじゃないか。未来なんてどこにあるんだ。オレはこの世の中から逃げたいだけ。いや、生きることから逃げたいんだ。もううんざりだ。そしてそんなオレの気持ちを夏美は分かると言ってくれる。夏美の家もオレのうちと大して変わらないからだ。夏美だけがオレの救いだった。オレも夏美も逃げたいんだ。どこかへ行ってしまいたいんだ。
だけどオレは勉強した。苦痛でたまらなくなっても、歯を食いしばって頑張った。なぜかは自分でも分からない。オレは勉強だけはどうしてもせずにはいられなかった。勉強している時だけは、あらゆることから逃避していられたのかもしれない。夢を見ていられたのかも知れない。K大の学食でコーヒーを飲んでる自分を想像すると、何だか全身がポーっとなって、勉強せずにはいられない。だけど現実には、東京に出て生活費を稼ぐのが精一杯で、学食でコーヒーなんて優雅な夢は、所詮夢でしかないんだ。
でも方法はある。夏美を東京に呼び寄せて、2人で働くんだ。無理かな,そんな夢物語。でも2人の稼ぎを合わせて生活すれば、学食のコーヒーも夢じゃない。だけど夏美がついて回る。コーヒーも1人じゃなくて夏美と一緒になってしまうかも知れない。そうじゃなきゃ内緒にしなきゃいけない。窮屈だ。夏美は可愛いけど、現実に一緒に暮らすのは無理だ。そもそも夏美がうんと言うか分からない。そんな夢物語ばかり空想したって、うまくいくはずがない。
だからよく考えれば、やっぱり厳しい現実しかないから、何も方法はない。逃避しかない。家から、学校から、現実から、逃げるにはどうすればいいんだ? どうせ誰もオレのことなんか分かっちゃいない。皆オレが勉強好きの優秀な生徒としか思っていない。どうせ先公たちだって、保身と学校の評判しか興味がないんだ。オレが八方ふさがりの日々の中であえいでいることなんか、誰も知りはしないんだ。人生って、そんなもんだ。
でも、やっぱり夏美だけは違う。
オレは夏美には何でも話すことができた。夏美はオレのことを何でも知っている。オレの最低の家庭のことも、オレは決してただの優等生ではないことも、おれは釣りが得意なことも、サッカーとか、野球とか、陽の当たるスポーツに反感を持っていることも何でも知っているんだ。
一度停まっていたオープンカーを盗んで,夏美と海までドライブしたことがある。11月のことで、夕暮れの近い海は感傷的なほど美しく、オレと夏美はしばらく海岸沿いを走って、途中で車を乗り捨て、電車で帰ってきた。まだ誰にもバレていない。オレと夏美は共犯者になったのだが、未だに警察も、オレたちを嗅ぎつけてこない。ちょろいもんだ。
高校3年のクリスマスが近いある日のことだった。腹をすかしていたオレは夏美とマックに入り、ハンバーガーを奢ってもらっていた。夏美はいい女だ。何てったってオレに優しいんだ。なんなら、オレと将来一緒になる気さえあるかもしれないと、オレは推測していた。だからその頃は、オレも段々夏美が本気で好きになっていた。こんな女となら,オレも将来、一緒にやっていけるかも知れない。漠然とそう思い始めていた。
と、夏美と店を出ようとした時、ナナハンに乗ったバイク野郎が店の前にマシンを停め、エンジンも切らずにハンバーガーを買いに店の中へ入った。
オレは夏美に目配せして、ためらう夏美を無理矢理シートの後ろに乗せ、無免許にもかかわらず、前に乗ってアクセルをふかした。ギアの入れ方くらい知っていたし、クラッチをゆっくり離すと、バイクはすごい音を立てて走り出した。バイク野郎が店から飛び出してきたから、オレはギアを一気に2段階上げると、バイクはすぐにぶっちぎりの80キロを出した。爽快だった。夏美は後ろでオレにしがみついている。バイクは次々とのろまな車を追い越した。行くてに交差点が見えてきて、信号が黄色に変わったから,オレは100キロ出してそのまま素通りした。危うく人を轢くところだったけど、オレは少しも怖くなかった。怖いどころか何て爽快なスリルなんだ! 気がつくと、120キロ出ていた。メーターを見て驚いたオレが顔を上げると、目の前に対向車線のトラックがあった。バイクはトラックの側面を削ってめちゃくちゃにひっくり返った! ちょっと手元が狂ったんだ。そのあとのことは覚えていない。気がつくと、オレは病院のベッドで、身体中包帯でぐるぐる巻きにされ、警察に囲まれていた。
K大は夢の藻屑と消えた。校長も教師たちもさぞかし落胆しただろう。担任は「このばかやろう! お前を引っ叩いてやりたい」と言った。
これでいいんだ。オレを縛り付けていた家庭とも、学校とも、これでおさらばできるんだ。刑務所は、ちゃんとメシをくれる天国みたいなもんさ。反省? そんなの微塵もないね。満足に育てる気もないくせに、オレを産みやがった親への復讐だ。自分勝手なことばかりしやがって。夏美の親とどっこいどっこいだ。
見てくれ。オレはこんなに空っぽの心で、生きる気もないのに、こうしてここに生きてるんだ。
褒めてくれ! 生きる意味もないのにこうして生きているオレを誰か褒めてくれ!
で、オレはおまわりに聞いた。
「夏美は無事ですか?」
横から刑事らしき人が、
「君は窃盗、道路交通法違反、過失致死の罪で起訴されるよ」
と言った。
(完)
疾走の報酬 レネ @asamurakamei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます