第6話

彼女が走った後のコンクリートには、小さな雨粒のような跡がポツポツと残っている。


夕日を背に、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。


知っていた。

関係はあの時終わってたんだ。


自分のことを無性に殴りたくなる。

あいつは...あいつのおかげで俺は...。



事が起きたのは、遡ること数十分前。



そういや淑乃のために喧嘩したこともあったなぁ...。

10m離れて歩けと言われてから、怒ってるあいつの背中を見ながら昔の思い出に浸っていた。


あの頃に戻れるだろうか。

ずっと馬鹿をしていたあの日々に。


戻れないよな。


もう俺たちは高校生になったんだ。

あの時とは違うんだ。そうだ...そうだよな。


とにかくあいつには、上城さんには特別な感情がないってことだけを伝えるんだ。

俺は小さな深呼吸をして、そそくさと歩く淑乃に向かってなるべく大きな声で言った。


「待ってくれ淑乃! 確かに俺は、上城さんのことは気になってるけど、そこに特別な感情なんてない。

ただ約束のことが引っかかってるんだ...!!


『一緒に宇宙の外側に行こう』って...。


馬鹿みたいな子供じみた約束だけど、俺はこの約束に不思議と興味があるんだ!」


淑乃が足を止めて振り返った。


「上城さんのことはもういいの」


彼女は言葉を続けた。


「なーくんってさ。中学から変わったよね」

「なんで急に...」

「聞いて。まず、わたしと距離を置いた。中学から明らかにね。確かに小学校の時みたいに接することはできないのはわかるよ? 周りの目もあるし。けど中学から環境は変わったけどさ...学校外でも避けてたのはなんで?」


言葉が詰まる。俺はあの頃は...ずっと悩んでた。


これからの淑乃との付き合い方を。


あの頃、本当はあいつから離れたんじゃない。

俺からだった。ちょっとした悩みだったんだ。


「ごめん。俺はあの時、ずっと周りの目が気になってた。俺はずっと友達でいたかったから...周りにはそういう関係に見られたくなくて...学校外でも見つかったらまずいかなって」


「友達ね...。なーくんって結構周りの目を気にしちゃうよね。...あたしとは正反対。だからいつも喧嘩してた。あたしとなーくんは考えてることが正反対だから、なーくんの考えることって簡単に読めちゃう」


「それは俺もそうだ。淑乃の考えることは手に取ってわかった。わかってたはず...わかってた気がしたんだ」


俺はわかってた気がしてた。

だから、あいつのことを全く理解してなかったんだ。

中1の時の俺は、あいつを避け続けた。

別に嫌いになったわけじゃないんだ。

何となく決めつけてた。もう俺たちは前みたいな関係じゃない方がいいって。


「...寂しかった。寂しかったよ。なーくん」


俺はその言葉にハッとした。

ただ怖かったんだ。関係が変わってしまうから。

あの一件以来、あいつを異性として意識した途端に、もう友達じゃなくなると思った。

これ以上踏み込んだら、昔みたいに戻れなくなるって。


それでも、あいつは中学になっても俺に歩み寄ってくれた。中学の俺は、小学校と比べると半端じゃないほど大人しかった。

理由としては...まあ俺が変に大人ぶってたからだ。


淑乃は、学校の日の朝は、毎日俺の家まで迎えに来てくれてたし、クラスが違くてもお昼は一緒に食べようと誘ってくれた。下校の時も、部活がない日は校門でいつも待ってくれてた。


「あ、なーくん! もー、あたしを待たせるなんて何様よ?...これは後で、正座2時間コースね。...ふふ! なーんて。うそ、うそ! 一緒に帰ろ!!」


好きだった。あいつの笑う顔。


だから怖かった。俺が弱かっただけなんだ。


「俺はあの時、お前を避けてた...。ずっと弱かったんだよ...だから...。本当にすまなかった」


「謝らないで。違うの。謝って欲しいんじゃない。あたしだって、なーくんとの距離感については悩んでた。けど...一緒にいる方が大切だと思ったの。関係が変わることよりさ、終わっちゃうのが嫌だったの」


淑乃の答えは俺より遥かに大人だった。

そうなんだよ。こいつは気が強いようで、すっごく繊細な心を持ってた。強さの中に優しさがあった。


「あたしと久しぶりに会ってさ...前のこと全然気にしてなかったの...?」

「...いや。もう前のことだしさ...。時効って感じで...」

俺は乾いた笑いをする。馬鹿何してんだ。


最低だ。


「あたしもね...さっきまで気にしてない振りしてたけどさ...。確認したいの」


気づいていた。

俺は、淑乃と友達でもないってこと。


「ねえ、前みたいな友達に戻れるかな...?」


あいつはすごく切なそうな顔をして聞いてきた。


俺はまた悩んでいる。

純粋だった友達に戻れるかって聞いてんだよ。

なんでだよ。早く答えろよ俺。前みたいに馬鹿やって、遊んで、喧嘩して、笑い合って...。


いいじゃないか。戻って。

何を躊躇ってる?


ああ。でも俺から言えたもんじゃないんだ...。


「もし戻れたら...また星を観に行かない? あの時、一緒に星空を見に行った時みたいにさ」


中学の時だ。淑乃からの最後の誘いだった。

俺は忘れたことない。あの綺麗な星空の景色を。


「あたし...今でも覚えてる。すごい綺麗な星空だった。それでね...なーくんがあたしに言ったの」


「...ごめん。あの時は本当に」


「いいんだよ...いいの。別にいいのよ。大したことじゃない。でも...すごく傷ついてた」


俺は一気に思い出して胸が苦しくなる。



「なーくん。『もう俺たち、しばらく関わらないようにしよう』ってなんで言ったの?」



淑乃は涙を流していた。

あいつの泣く顔なんて見たくなかったのに。


それを見て、俺は既視感を抱いた。


ああ、あの時も泣かせてたな。


ごめん。淑乃。

俺は卑怯な人間だった。


あの時気づいてたんだ。

けど言えなかった。


そうなんだ。





俺はお前が好きだったんだよ。

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