第3話 日記・四月二十五日
四月二十五日
あの人は、さながら、太陽のような人でした。
太陽のような人だと思います。
しかし、熱く、明るい太陽でも、黒点というものがあるように、あの人の後ろにも、どことなく、黒く冷たいモノがあるように感じました。上辺だけの、中身のない会話でさえ、それを悟ることができたのですから、他の人なら、その黒いモノが何なのか、知っていると思ったのですが、どうにも、知らないようで、後ろに潜む影にすら、気がついていないようでした。けれども、贋作の私だからこそ、その影を見ることができたと考えれば、納得せざるをえません。なぜなら、その人も、私が作られた人形だということを、知っていたからなのです。いつからなのか、私は知る由もないですが、やはり、私と、その人には、どこか近いモノがあるのでしょう。
その人と記述してしまうのは、あまりにも抽象的すぎるので、彼と呼ぶことにします。名前は、聞き忘れてしまいました。マニュアル対応外のことが起きてしまって、私の頭は混乱してしまったのでしょう。
彼と呼べば、少なからず、その人のディティールがはっきりとするでしょうから。そう呼ぶことにします
彼とは、私がいつも学校帰り通りの帰路にある公園で出会いました。
この出会いが、いい出会いだったのか、壊滅的な出会いだったのか、定かではありませんが、それでも、出会ってしまったのです。
今日は、テストがありまして、帰りは早いのでしたが、如何せん、私が帰りたくなかったものですから、公園で少し時間を潰そうと、おもむろに公園のベンチに座ったのでした。帰りたくなかったというのは本音であり、事実ではあるのですが、もっともな理由は、鍵を持っていなかったので、家に入れなかったからなのです。母が、社交パーティーへ出かけた時、家の鍵をどこかに忘れてしまったようで、家にある鍵が一つとなってしまったのです。
今日がテストで、帰りが早いということを、母に伝え忘れていたので、その唯一の鍵を母が持って仕事へ出かけてしまい、そのおかげで、私は母が仕事から帰ってくるまで、時間をどこかで潰すしかないのでした。ですから、私はこのようにして、ベンチに座って空を眺めることにしました。風一つない天気ですから、雲の動きも、とてもゆっくりで、じっと座ってみていても、その雲は微動だにしていないように見えました。どんなものにも例えることができなさそうな、不思議な形の雲が一つ、私の視界にありまして、時々、カラス、雀、飛行機など、空を滑空する様々な、動物や乗り物が相まみえました。
私は何も考えず、淡々と時が過ぎるのを待っていましたが、凡そ、体感で十五分ほどが経過した時だったでしょうか。
そのように思います。
遠い離れた空を眺めていると、傍から足音が聞こえたので、どうしたものかと、目を向けて見ると、私が座っているベンチに、黒のスウェット、黒のパーカーを着て、フードをかぶった男性と思われる方が、相席してきたのでした。この公園にベンチは一つしかないので、足を休めたいのであれば、このベンチに座るしかないので、別に私は何も思いませんでしたが、それでも、明らかに不審な姿をしていたものですから、私は彼と少し距離をとるように、右へ腰をずらしました。彼の座り方は随分と、横柄な態度と言わんばかりの横暴さで、両肘をベンチの背もたれにかけ、足組をしていたのでした。私はあまりにも、世間を知りませんし、女子高に通っているということも相まって、世の中には、このような男性もいるのだと、今日、知ることとなりました。
しかし、私は特に、彼に対して不快な気持ちになることはありませんでした。
彼と相席をして数分がたっても、私は相変わらず、空を見上げていました。隣に座っている彼が何をしているのか、視界に入らないので、わかりませんが、時々、スマホのフリック音が聞こえるので、携帯を使っているということだけはわかりました。
空から視線を外し、斜め前にある遊具を見ていた時、隣に座る彼から、何の前触れもなく、平然と、忽然と、私たちが前から知り合いだったかのように、話をかけてきたのでした。
「お前、その制服、金持ちお嬢様の学校じゃあねぇの。こんな時間から、何もありゃしねぇ住宅街の公園で、何してんの」
と、仕草だけでなく、彼は話し方も横暴な様子でした。けれど、これに対しても、私は何の不快感も覚えませんでした。
彼は言葉を発している時も、こちらを向かず、けれど、携帯を使う訳でもなく、ただ、目の前にある遊具を真っすぐに見つめているのでした。
「今日はテストがありまして、ですから帰りが早いのです」
ふーん。
私がそう言うと、彼は、それだけを口にしました。その時、空を見るように、彼は顔と視線を上にあげたので、深く被ったフードから、その顔を垣間見ることができました。その彼の顔立ちから、少なくとも、大人という様には見えず、私と歳が近いように感じるのですが、けれども、だとするならば、彼はどうして、ここにいるのでしょう、と思ってしまいました。もしかすると、私と同じく、テストで帰りが早い可能性や、創立記念日の可能性など、様々なありうる事象を鑑みてみましたが、けれど、そのどれにも、当てはまっているようには感じませんでした。
彼のその立ち居振る舞いが、そのように感じさせませんでした。
「あなたも、学生なのでしょう? こんな時間にどうしたのですか」
すると、彼は訝しそうにこちらを一瞬、見た後、小さなため息をついて、
「行ってねぇんだよ、学校。別に何か、あるわけじゅあねぇけれど、行ってねぇんだよ」
と、私に声をかけてきた時と同様、やはり、横柄な態度ではありましたが、しかし、その表情と抑揚は、まるで、切ない物語を話しているような様子でした。
「両親や友達は、何も言わないのですか? 学校へ行っていないとなれば、さぞ、心配するでしょう?」
まぁ。
そう言いだして、話を続けました。
「周りのやつらが心配をしているかなんて、知らねぇが、でも、母さんは心底、心配しているぜ。息子がこんなざまで、心配しねぇはずがねぇさ。今日だって、朝早くにたたき起こされて、いい加減学校へ行けとか言ってやがった。俺はいつも通り、うるせぇ、とだけ言って、支度した後、家を出てきたさ」
そのように話している彼の姿はどこか、先ほどまで見ていた空を飛ぶ、鳥のように見えてなりませんでした。彼に対しての感情は毛ほどもありませんが、けれど、その自由奔放なふるまいと、何にも縛られていないその様は、まさに鳥のようであり、鳥は元来、天敵はいても、広大な空を飛び回れる翼があるのですから、全身くまなく糸が張り巡らされている私からすれば、その羽はとても、素晴らしいもののように思えてならなかったのです。
てかさ。
「お前のその、借り物みてぇな話し方、何? 中身のねぇ声色に、誰かに作られたかのようなその仕草もだ」
私が何も言わず、彼のことを見ていると、そのように言い出しました。
私は彼のその言葉を聞いて、人生で初めて、体の奥底から冷えた汗と同時に、尊敬に近い、けれど尊敬などではない、何か別の感情が溢れて出てきたのです。表面上の取り繕いでは決して感じることのできなかった、本物の感情というものをこの時、初めて味わいましたので、私の心臓の鼓動は、おおよそ常時の数倍、早くなっていました。
早くなっていたと思います。
呼吸もわずかに乱れ、手が震えてしまっていたので、彼に動悸が激しくなっていることを悟られないよう、一度、深呼吸をし、落ち着きを取り戻した気になりましたが、けれど、それはただの思い込みのようで、心臓の動機は激しくなっていく一方でした。そんな中、わずかに垣間見えた彼の眼には、黒い炎のような闇が覗いていました。それは決して贋作などではなく、彼本人が生み出したもののようであり、おそらく、私と似たような境遇で生きているのでしょうけれど、しかし、どうでしょうか。やはり、私にはわかりません。
「お前はそうだな。マリオネット人形みてぇで、気色が悪ぃ」
私が黙りこくっていると、彼はそのように言いました。
「マリオネット人形とは、何でしょうか」
「全て言いなりの、お前みてぇな人形のことだ」
「あなたから見た私は、そのように見えるのですね」
自身の環境が、そうさせる。
私の言葉に対して、彼はそのように言いました。彼の言っていることは至極全うであり、正鵠を射ていることばかりでしたので、私は何も言えず、また、遠い空を眺め始めると、彼は椅子から立ち上がり、何も言わず、公園から立ち去って行きました。あの時、彼の背中が語っていたものは、彼の粗暴な、どうどうとした態度からは感じ取れない、悲愴なことのように私は思えました。
そのようにしか、私は見えませんでした。
マリオネット 皐月 @satsuki0511
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。マリオネットの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます