【短編】悲鳴じゃない。これは歌だ。

羽黒楓@借金ダンジョン12/16発売

With shooting stars, a girl does not scream but sings.

 言っとくが、私は処女じゃない。

 千回くらいセックスしたことがある十五歳だ。

 そして私がこの小説の主人公であり、私の人生の主人公だ。

 これでもういいやと思ったやつはもういい、てめえが男だか女だか知らんがどうでもいい、すぐにブラウザバックしてロリ漫画とかBL漫画でオナニーしてろ、そして死ね。苦しんで死ね。内蔵と精液と愛液と後悔を撒き散らしながらこの世に生まれてきたことを呪いながら死ねゴミ。下等な物体には私の存在を認知すらしてほしくない。


 私はどうやら見た目がいいらしいが、そのおかげで1万回くらい体中を舐め回されたし10万回くらい体を触られたし100万回くらいむかつく思いした。

 よそのブスのことなんか知らない、私は嫌だった。


 嫌といえば全部が嫌だ。

 この世に存在する全部が嫌いだ。

 こんな世界では私は生きていけない。

 存在したのが間違いだったのだ。

 私は絶対にすぐ死ぬと思う。


 死にたい。

 でもただでは死にたくない。

 まわりに呪詛をばらまき、この世のすべての人間に私が味わったのの100倍嫌な目にあわせてから死にたい。

 生まれてから今に至るまで瞬時も離れたことのない思いとともに、私は駅前の路上に立っていた。


 夕暮れどき、都会の雑踏。

 別に立ちんぼしてるわけじゃない、そんなお上品なことはしたくもない。

 行くところもなくて歩き回っていてここに来た。

 持っていた荷物は全部コインロッカーに叩き込んだ。

 そのまま捨て置くつもりだ。

 あのコインロッカーの扉を開けることは二度とない。

 呪いも合わせてあのロッカーに全部封じ込めた。

 なのに、ロッカーのキーだけはなぜか捨てることができなかった。

 そんな自分がみじめだと思った。

 私は都会に慣れていない。

 ここが何駅だかも知らない。


 路上ライブをしているやつらが何組かいる。

 整った顔をした男がきれいな高音でギターを鳴らしながらなにかポップな曲を歌っていた。

 そのまわりには制服の女子高生が何人もしゃがみこんで輪を作っている。

 みんなあほみたいにおんなじ表情でうっとりと聞き惚れていた。

 そいつらの手入れの行き届いた黒髪が街の明かりに照らされてつやつやと輝いている、気持ち悪い。

 全員同じメイクをしていて同じ顔に見えた。

 クソどもが。

 あいつら、塾帰りのお嬢ちゃんたちだろうか?

 世の中から少しはずれてギターで路上ライブなんてやっているやつらを発見し、自分たちとは違う外の世界で生きているアウトサイダーな人間をかいま見た気になっているんだろう。

 本当に気持ち悪い。

 歌っている男はそれなりの訓練を受けているのか、素人とは思えないほどのびやかな声で歌っている。

 小顔で女受けのする顔をしている、清潔感を演出している動きのあるマッシュ。

 あんなおとなしそうな顔をしているやつでも、どうせパンツを脱げば恍惚の表情でヘコヘコ腰を動かすのだ。

 汚らしい。

 むかつく。

 全部ムカつく。

 イラつく。

 全部イラつく。


 特に、そんな男を恍惚とした表情で眺めている制服の女子高校生たちがムカつく。

 私の人生では手に入らなかったものを全部持っていて、なのにまだなにか足りないと思っていて、でもその何かは自分の中じゃなくて外から与えられるべきものだと信じ込んでいるゴミどもだ。

 クソが。


「今日は、お前らのために新曲用意してきたよ」


 ぬかすマッシュ。

 わぁっ、と湧いて拍手をするゴミ女ども。

 行き交うスーツ姿のサラリーマン、暗い顔をしてうつむいて歩くリクルート姿の若い女、友達同士でおしゃべりしながら駅の中に吸い込まれていく制服の女子たち、マッシュのバンドが演奏を始め、まわりを囲むゴミ女が体を揺らす。

 別になにかを考えたわけじゃなかった。

 全部嫌になった。

 この世には私が嫌いなものしか存在しない。

 全部死ねばいい。

 マッシュの歌がサビに入る瞬間、私の体は勝手に動いた。

 思い切り息を吸い込んだ。

 吸い込みすぎて頭がクラクラした。

 視界が白くなり、怒りの感情が火山の噴火みたいにして胸の奥から勢いよく噴き出してきて。

 私は叫んだ。


「ぉぉぉゎぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!!!!」


 自分でもびっくりするほど大きな声が出て、人ゴミがみんな私の顔を見た。

 ゴミ女どももびっくりしたようにこっちを振り向いている。

 マッシュはかまわず曲を続ける。

 人ゴミどもも私を見たのは一瞬で、すぐに前を向くかうつむいてそのまま歩き続ける。

 こっちを振り向いたゴミ女どももまたマッシュに向き直って手拍子を始める。

 都会の街には私みたいなのがたまにいる。

 少しは珍しいが唯一無二というわけじゃない、そこそこいるのだ、突然叫びだす私みたいな存在は。

 こんなにも怒り狂っている私ですら、よくある都会の一部分であってそれがまた爆発的に私を逆上させた。


「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 もう一度叫び、二度目ともなるともう誰も振り返らず、どうでもいい、私はただただ怒っていたので、自分の胸の中にある無限大の腐ったものを煮詰めたような汚い溶岩を嘔吐せずにはいられなかった。


「ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 止まらない。

 止まらない。

 どうでもいい、なんか一曲歌ってやるか。

 歌なんて何も知らない。

 なにか知ってる曲あったか?

 そうだ、これだ。


「あーあー! きーよきーながれととーもにー! おーおーわがとびしましょーぉがぁーこぉーーーっ!」


 自分で思ったよりもその歌声は街なかに響き渡ったようで、かなり遠くの歩行者もこっちを見ているのがわかった。

 いまやマッシュも歌をやめてこっちを見ている。

 マッシュを囲んでいた女子高生の一人が立ち上がって叫んだ。


「うるせー! 邪魔すんじゃねーよ!」


 間髪入れずに私は叫び返す。


「お前が黙れっ! ブーーースッ!」


 その途端、女子高生の何人かが私めがけて走り出した。

 あ、やばい。

 すぐに逃げ出そうとするが、長年の不健康な生活で足がうまく動かない。

 30メートルも走ったところですぐにへばって、なにかの店舗の壁にぶつかるようにしてへたりこんだ。


「てめえ、せっかくのあっくんの新曲!」


 数人の女子高生に囲まれてバチバチと頭や体をはたかれた。

 幸いにしてこのクズ女どもも運動不足だったみたいで、怪我するほどじゃない。

 あ、いて。顔をグーで殴られた、これはそこそこ痛かった。

 うずくまったまま動かなくなった私を見て満足したのか、女子高生たちは、


「きったねえ格好しやがって!」


 などと言って去っていく。

 いてえ。

 クソが。

 私が刃物持っていなくて良かったな、持ってたら今頃お前らは全員内蔵ポルノショーやってるところだ。

 立ち上がろうとしたけど、クソ、足がガクガクして立てない。

 つまんね。

 おもしろいことなんにもない。

 私の人生に面白いことなんてあったっけ?

 路上でうずくまっている私、あーあほんとつまんね。

 こんなもんだよな。

 めんどくさくなったのでここで横になってようか。

 もうなんでもいい。

 歩道のタイル舗装にほっぺたをつけて、しばらく行き交う人々の足だけを眺めていた。

 スラックス、スカート、カーゴパンツにジーンズ。

 いろんな服装の足が無数に私の前を横切る。

 全員のアキレス腱をナイフで切ってやりたい。

 ふくらはぎにナイフを突き立ててやりたい。

 その情景を心に思い浮かべる。

 血が噴き出し、みんなが痛みでうめく。

 それを想像すると、少し胸がすっとした。

 なんでもいいどうでもいい誰かを殺したい、誰か私を殺してほしい。


「ちょっとちょっと、あんた大丈夫?」


 誰かが私に話しかけてきた。

 私みたいなおかしい女に声をかけてくるやつなんて誰もいないと確信していたのでびっくりした。

 びっくりして顔を上げると、そこにいたのは二人組の男の警察官だった。

 そりゃそうか、この世に私を助けてあげようなんて神様みたいな人はいないのだ。

 あーめんどくせ。

 せっかく家を出てきたのに。

 くそが、こんなもんよな。

 そろそろ死にどきか。

 生きるのがめんどくさすぎるので、もう死んでやろう。

 自殺する自分を想像すると少し気分が軽くなる。

 このまま補導されたとして、自殺するチャンスなんてあるだろうか。


「ね、お姉さん、大丈夫? 起きられる? ちょっと話聞きたいんだけど……」


 警察官ともなると私みたいなのに慣れてるんだろうな。

 どうでもいい。

 あの拳銃奪えないかな。

 それで自分のこめかみを撃てば楽になれる。

 私みたいなやせこけた棒みたいな女が屈強な警官から銃を奪えるわけもないけど。

 どうでもいい、死んでしまえばいい、めんどくさいのは嫌いだ、どうやって死のうか。

 ざらざらした感触の歩道に私はペッタリと頬つけながら警官を無視する。

 捕まるのだろうか。

 警察署の鉄格子のある部屋に連れて行かれるのだろうか。

 おじいちゃんの持っていた漫画で見たことある、鉄格子にタオルで首をしばってホウキかなんかの棒を使ってグリグリとタオルを絞り込んでいけば死ねるはずだ。

 タオルじゃなくて服でもいいだろう、とにかく死ねばいい。

 警察署ってそれができる隙があるもんなのだろうか。

 と、そこに。

 もう一人の声がした。

 女の声だった。


「あ、すみませーん、その子、私達のバンドメンバーなんですよー。ちょっとパフォーマンスが過ぎちゃったみたいで」

「ん? そうなの? 許可証持ってる?」

「はーい。持ってまーす!」

「身分証は?」

「持ってまーす! あ、これ私の免許証。あとこいつも持ってます」


 そして道路に横たわっている私のケツのポケットに手が突っ込まれた。

 思わず払いのける。

 ふざけんな、ただで人のケツさわるな。

 そもそも私はケツポケットに何も入れてないはずだ。

 だけど、女は私のポケットから取り出したフリをした小さな定期入れみたいなのを警察官に渡す。


「こっちがこの子の免許証」

「マイナンバーカードとかないの?」

「えーそんなのまだつくってませーん」

「君、前にも声かけたことあるな、ギターうまい子だろ?」

「ありがとーございます! おまわりさん覚えていてくれてありがとー!」

「何度も職質受けることするんじゃないよ。で、この子薬じゃないよね?」

「違いまーす! 酒でーす! あ、うちら、二十歳になってますよ?」


 わけがわからないが、この女、きまぐれかなにかで私を助けてくれるつもりらしい。

 余計なことするなとは思ったが。

 あの家に連れ戻されることを考える。

 今頃おじいちゃんは骨になっているだろうか?

 私はむくりと起き上がり、その場であぐらをかく。

 警察官は免許証と私の顔を見比べる。


「本人?」

「それ、盛ってるんで」


 私は短く答えた。

 それで納得したのか、警察官は私に免許証を返す。いや、もともと私のものではないけれど。


「化粧してないほうが若く見えるよ」


 そして女の方に向き直る警察官。


「で、君、ちょっと荷物とか見せてくれる? バッグとか、ギターケースとか」

「はーい」


 私はよくわからないままに所持品検査のようすをぼおっと眺めていた。


     ★


「すげードキドキしたぁ! あのケーサツ、人のナプキンまでもみほぐしやがってさ。クスリをすげー疑っていたよな。で、あんた、マジでクスリ?」


 私を助けた女は二十歳そこそこくらいだろうか、髪の毛はワインレッドのショートボブ、顔はよくわからんないけどくっきりとした目鼻立ちをしているような気がする、私は人の顔を覚えるのが苦手だ。

 胸元が甘いダルダルのシャツをきていて、ギターケースを担いでいる。

 この人もストリートミュージシャンかなにかだろうか。


「これあげるよ、飲みなよ」


 ビルの壁によりかかるようにして座っている私に、女はペットボトルの紅茶を差し出す。

 目の前に突き出された紅茶から目をそらして私はうつむく。


「あ、のどかわいてなかった? ね、ちょっと顔をあげてよ、なんかさ、知り合いにそっくりでさ」


 私はさらに深くうつむく。

 女は別にそれで不機嫌になることもなく、話し続ける。


「私の名前はスカイ。本名だよ。大空って書いてスカイって読むんだ。キラキラネーム、笑えるでしょ?」


 私は答えず、ただ下を向いていた。


「…………あんた、名前は?」


 答えたくなかった。キラキラネームは羨ましい。

 私の名前はおじいちゃんがつけてくれたんだけど、しわしわネームで、私はそれが嫌いだった。


「ねえねえ、名前教えてよ」


 しぶしぶ答えることにする。


「……みや子、っす」

「へーいいじゃん、ミャーちゃんじゃん。で、ミャーちゃん、あんたクスリじゃないの?」

「……クスリじゃないす……」


 私はちいさくつぶやく。


「ふーん。じゃ、ウリやってたの?」

「ちがいます……」

「だよね、そんな感じでもないしね」


 他人と会話するのはあまりやったことないので苦手だ。

 それも、私にやさしくしようとする人とはどう話したらいいかわからない。

 敵なら相手が逃げるまで噛みつけばいいだけだから簡単なんだけど。

 私が死ぬか相手が逃げるかまで戦えばいい、それなら世界は単純だ。


「ふーん。あんたさ、さっき歌ってたじゃん。声まで知り合いにそっくりだったからさ、ほんとびっくりした。本人かと思った。本人だと思ったんだよ。あれ、校歌? 小学校? 中学校?」

「小学のときの、校歌っす……」


 私が答えると、スカイは楽しそうにあはは、と笑った。


「なんで校歌?」

「それしか歌、知らないから……」

「そもそもなんで歌い出したの?」

「わかりません」

「そう、いいね、ロックだね。飲まないなら私が飲むよ」


 女は紅茶のペットボトルの蓋をあけ、ゴクゴクと飲んでいるようだ。私は俯いているから見えてない。


「あんた、いくつ?」


 私は答えない。

 めんどくさい。

 私に絡まないでほしい。


「おなかすいてない?」

「すいてないす。そのうち親が迎えにくるんで大丈夫す」


 私は嘘をついた。


「あんた嘘をついたね。家出でしょ?」


 すぐ見抜かれた。


「あの、もういいんで……」


 うつむいていてそう言う私の顔を女が覗き込んできた。


「目のとこ、赤くなってる。痛くない?」


 さっき女子高生に殴られたところだろう。

 痛くない。


「痛くないす」

「あんた嘘をついたね。痛いでしょ?」


 私は嘘をついていない。

 痛くない。


「あのね、私はすごく悪いお姉さんなの。だからわかるの。ミャーちゃん、あんた、もう死ぬつもりでしょ?」

「死にません」

「死ぬよ」

「死にません」

「あなた嘘をついたね。死ぬよ。いいよ、それでいいんだよ。お姉さんが殺してあげる。いいクスリ、私持っているよ。おいで。おいで。楽にしてあげるよ」 

「クスリ……」

「すごくいいよ。苦しいのも痛いのも全部消える。あげる。だから、ついておいで」


 私は、その誘いが最高に甘やかなものに思えて、ついていくことにした。

 もしいやな目に会うようだったら首を吊るとか飛び降りるとか飛び込むとかして死ねばいいだけだ。


     ★ 


 大きな駅から電車に乗って、小さな駅で降りた。そこから二十分歩いて連れてこられたのは、2kのアパートの二階の一室だった。

 雑然とした部屋。

 派手な服が何枚も並べてハンガーに吊ってある。

 そして青いギターとなにかスピーカーみたいな四角い箱。

 ちょうどこの部屋の真下が居酒屋で、なにか音楽をかけているのだろう、ズンズンという重低音が鳴り響いてきている。

 その上、男女が騒いでいる猿どもみたいな大声。


「いい部屋っしょ? 下がうるさいからさ、家賃も安いし、なによりおかげでさ」


 スカイはそう言ってギターから伸びているコードを四角い箱に突き刺す。そして、三角形の小さなプラスチックの板を指に持ち、それで弦を鳴らす。

 四角い箱からひずんだ音が響いた。

 こんな間近でギターの音を聞くのは初めてだった。全身を揺さぶるようななにかを感じて、ゾクッとした。

 私を見て女はクククッ、と笑う。


「こうやってアンプつないでギター弾き放題ってわけ」

「あの、クスリは?」

「ほんとに顔も声も知り合いに似てる。生き返ったのかと思ったよ」


 なにを言っているんだろう、クスリで脳みそやられちゃってるのか?


「あんたとそっくりな顔をした親友がいてさ、二人で音楽やってたんだ。去年の今頃だけどさ、高いところから飛び降りて死んじゃった」


 私の顔をじっと見ながら女は言う。


「………………」

「生き返ったと思ったよ」

「あの、クスリは?」

「ここにあるじゃん」


 そして女はもう一度ギターをかき鳴らす。


「どこすか?」


 部屋の中にはそれらしきものは見当たらない。

 騙されたか?

 まあいいや、じゃあ死んじゃおう。


「あいつはクスリが足りなかった。だから死んだ。あんたにクスリをやるよ。死ねないほどの」

「どういうことすか」


「知らないの? こうやってギターを鳴らすとさ。いやなことが胸からすぅっとなくなるんだよ。一瞬だけど。でも続ければ一瞬がずっとになる。一生になる」

「私ギター弾けないスけど」


「でもあんた、歌えるじゃん。歌も同じ。歌い続ければ痛いのが消える。消えれば、生きられる。歌えばいい。音楽は人生のロキソニンだよ。鎮痛剤がなければ人生なんてやってられない。音楽は一番のクスリだ」

「やっぱり、騙したすね」


「騙してない。騙されたと思って歌おうぜ。そしたら騙されてなかったってわかるから。と、その前に、腹減ったな。親子丼作ってやるから食いなよ。干し椎茸ガツンと効かせたやつをさ」


 スカイの作ってくれた親子丼は、だしと甘みが効いているとても優しい味で、私の体をじんわりと温めてくれた。

 スカイは親子丼を食べる私の顔をじっと見ながらこう言った。


「明日、一緒に歌おうよ。私たちのオリジナル曲があるんだ。あいつが死んでからは演奏してなかったけど。ミャーちゃんならきっとすごくいい声が出る。一夜漬けで練習しよう。歌うだけで寝る場所と食い物手に入るんだよ、いいっしょ?」


     ★


 次の日の昼。

 土曜日、駅前の路上。

 私たちはそこにいた。

 昨日一晩かけて曲を覚えさせられた。

 目の前にはマイク、隣にはギターと持ったスカイ、そして四角い箱。アンプというらしい。


「この場所さ。ちゃんと許可とってあるんだ。私ら、……私、前からここでやってっからね」


 なんだろこれ。

 昨日の今頃は死にたい殺したいばかりが頭の中を駆け巡ってたのに。

 これからここで歌う?

 急展開すぎないか。

 夢か?

 本当の私は警察署の拘置所で首を締めていて、死ぬ直前になにか幻でも見ているんだろうか?


「ね、ミャーちゃん。あんたの声量ならさ、別にマイクいらないよ。このまま歌っちゃおう。……アハハ、足、震えてるじゃん。そんなふうには見えなかったけど、やっぱり緊張するよね。あはは。楽しいよね、緊張するのって」


 スカイの声も私にはほとんど届いていなかった。


 目の前には雑踏。

 今日は土曜だから、スーツ姿の人はほとんどいない。

 カップル、おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさん、こども。

 いろんな人が目の前を歩いていく。


「ほら、やるよ!」


 スカイがギターの弦を強くピックで引っ掻いた。

 そのとたん、アンプから大きなひずんだ音が鳴る。

 通行人が歩きながらちらりとこちらを見、そのまま歩き去っていく。

 たくさんの人。


 昨日はあんなに殺したかった人々が、今はなぜだか怖い。

 だけど、スカイは待ってくれなかった。

 そのまま曲のイントロを演奏し始める。

 にこやかに笑いながら、私の顔をじっと見て。

 私はスイッチの入っていないマイクを握りしめ、口元に持ってくる。


 なんだこれ、私はカラオケすらやったことないってのに。

 現実じゃないみたいだ。

 夢よりももっとはかない幻覚を見ている感じ。

 お母さんの彼氏に犯されてるときも、おじいちゃんに裸をまさぐられているときもこんな感覚だった。


 でもあのときとは大きく違う。

 あの、自分が自分でなくなったような、自分の体から心が離れたような、すべてが虚構で作られているような、皮膚から感覚が消えてなくなるような、心臓が冷たくなるような、脳みそが縮んでしまったかのような、目の前の視界から色が消えすべてが白黒に見えるような、いたたまれないほど不愉快な感覚ではなかった。


 全部、逆だった。


 自分は自分であって、自分の体は私の心がコントロールしており、嘘みたいに見えるけどほんとに私はここにいて、スカイもそこにいて、ギターは実在の音を奏で、皮膚は空気の湿り気まで感じ、心臓はバクバクして熱くなり、脳は澄み切ってシャープで、目に見えるすべてはビビッドなカラーで眩しく光り輝いていて、私はワクワクしていた。


 心の奥底に重く暑苦しく居座っていたなにかの存在に私はそこではじめて気づき、いま感じるすべての中でそれだけがうっとおしく感じた。

 イントロが終わり、そして私は大きく息を吸い、心のそこに沈むそのヘドロのような何かを吐き出すかのように、叫んだ。


 その歌詞は死んだスカイの友人がつくったものだと言った。

 流れ星が落ちてきて、自分自身を貫いて、自分の体は四散してちらばり、それが夜空を飾る星になる、という抽象的な歌詞だった。


 それを私が今、歌う。


 最初の一節を私が叫びだしたとき、私の体からスポッと実際になにかが口から飛び出るのを感じた。本当に感じた。

 私の心の底を占領していた、あの嫌な感じが、まるで物理的に排出できたかのような爽快感があった。


 マイクがオフになっている私の声は、それでも辺り一帯に届いたようだった。

 通り過ぎていく歩行者のうち、まずは三十歳くらいの女性二人が足を止めた。

 次は若い男。

 次は制服姿の黒髪の女子高生。

 その次に親子連れ。


 スカイはそのまま弾け散るんじゃないかというほどの満面の笑みでギターを演奏している。

 アンプ越しのギターの音に、私の声は全然負けていなかった。

 むしろ、生声でアンプ越しのギターを屈服させられるんじゃないかと思うほど、私の声帯は圧倒的な声量を生み出していた。


 随分と遠くの通行人までこちらを見ているのがわかった。

 私の歌声を聴く人たちはみんなポカーンとした顔をしている。

 よくわからない。

 どうでもいい。

 歌っていると、ほんとに痛みがなくなっていくのがわかった。

 スカイの言う通り、これはとてもやばいクスリだと思った。

 脳が、身体が、私の存在が、そこに〝ある〟のを許された、と思った。

 私の歌のパートがいったん終わり、スカイがギターで速弾きを開始する。

 そこで初めて我に返った顔をした女子高生たちが身体を揺らし始める。

 曲が終わったとき、すごい拍手が聞こえた。

 私の全身は汗でびしょびしょで、ほっぺたが痺れるほど熱くなっていた。

 たった、一曲。

 たったの一曲を歌っただけで、私たちの周りにはすでに人だかりができていた。

 

 みんな私の顔を見ている。

 身体が軽い。心が軽い。汗とともに、私の身体を舐め回したおじさんやおじいちゃんの唾液が洗い流されたのだと思った。


「やっぱり。才能だね。才能はね、すべてを凌駕する。あんたの声を聴いた瞬間、わかったんだよ」


 スカイがそう言う。彼女も汗だくだった。興奮して顔が上気している。


「もう一曲!」


 女子高生が叫ぶ。

 それに合わせて何人かが拍手した。


「もっと、……もっと。歌いたい。歌いたい」

「でしょ? いいクスリでしょ?」

「うん。……でも、一曲しか練習していない……」

「あはは。もう一曲、あるじゃん。あれ、歌おうぜ」


 スカイはまたギターの弦をひっかき始める。

 さっきとは違ってスローなテンポ。

 私の知ってる曲だった。


 私は最高に楽しくなって、身体が勝手にぴょんぴょんと跳ね始めた。

 スカイの伴奏に合わせ、私は再び歌い始める。


「はーばたーくぅ! われらがおさなきこころはぁ! ふるさとぉのかわとともにぃ! おおきくなりゆくぅ~! あーあー! きーよきーながれととーもにー! おーおーわがとびしましょーぉがぁーこぉーーーっ!」


 観衆はとまどった表情を見せ、スカイは爆笑して、そして私もそれにつられてケタケタと笑い始めた。

 学校は小学校までしか行っていなかった。

 あとは家に閉じ込められて大人たちに抱かれていた。


 私の人生の先には死という終わりしかないのだと思っていた。

 それも、自らの手で、かなり近い将来。

 だけど。

 だけど。

 今は。


 スカイが私に言った。


「あんた、ほんとにあいつに似てる。でも、違う。あんたはさ、歌があれば痛くなくなるよ。あんたには歌が必要だし、私にもあんたが必要だ。歌おう。歌おう。歌おう。叫ぼう。流れ星は生の終わりに大きく煌めく。煌めいているあいだは生きている」


 それは、さっき歌った一曲目の歌詞だった。


「ミャーちゃん! この曲でいいからもう一回!」


 ギターがアンプを通して音楽を奏でる。

 再び、私はスイッチの入っていないマイクを握って歌い始めた。


 群衆を、私は声で支配する。


 私たちは最強だ、と思った。


 言っとくが、私は処女ではない。肉親に犯された哀れな少女だが、今は違う。

 哀れではなくなった。

 なぜなら、私は人生の手綱を今、自分の手に取り戻したのだから。


 スカイと私はこの先、長く一緒に過ごすことになる。

 とても多くの出来事と出会うことになるのだが、それはまた別の機会に話そうと思う。


 ただ、これだけは確かだ。

 私はずっとずっと歌い続ける。

 生きるために。

                                    〈了〉                                       

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