(約)百本の薔薇アフターサービス
鳥羽ミワ
第1話
「
「分かった。
高層階のレストラン、フレンチのフルコース、そしてプロポーズのサプライズ。お手本みたいな(何のお手本?)状況だ。その中でも、数えるのも気が遠くなりそうな数の薔薇を束ねた花束が、ムンムンに存在感を放っている。
俺は言葉を選ぶのもバカバカしくなって、行儀悪く肘をついた。ガニ股になり、大きなため息をつく。
「なあ。その凶器みたいなデカい花束、なに」
えっ……、と、恋人の目が途方に暮れたように揺らぐ。プロポーズの失敗を悟ったのだろう。ガタイのいい男が、精一杯縮こまろうと猫背になった。
「百八本の薔薇の花束……」
「声ちっさ」
俺は頭を抱えつつ、「馬鹿野郎」と唸った。
「煩悩の数じゃねーか」
「ち、違う! 結婚してくれという花言葉があるんだ」
「俺に通じてない時点でお前の一人よがりなんだよ!」
文利は俺より年下で世間知らずなところがあるけど、まさかここまでとは思わなかった。気が遠くなって、食後のワインをがぶがぶ飲む。
正直な話、「こういうこと」を期待していなかったわけではない。大学時代に付き合いはじめて交際八年目、お互い人生の岐路に立ちつつある。こいつとは人生に関わる約束をするんだろう、とは思っていたし、望んでいた。
だけどなぁ。
「薔薇の花、百本束ねてくるとは」
「ひゃ、百八本だって」
小さな抗議の声は無視して、俺はワインを煽った。グラスをテーブルへ置き、「いいか」と据わった目つきで文利を睨んだ。
「お前がそれを持って地下鉄に乗れ。俺は受け取りを拒否する」
文利の顔が、分かりやすく絶望で歪んだ。それきり、店の中で、俺たちの間に会話はなかった。
俺はデカい花束を持った、デカい男を連れて店を出る。他人のふりをしないだけ優しいと思ってほしい。
地下街を抜け、改札を通る。家路に着く人々で賑わう中、文利は必死に花束が潰れないように庇っていた。それとなく周りの視線がこちらへ向いていて、いたたまれない。
そりゃあ目立つもんな。花束持ったデカい男と、その連れの男なんて。
「お前、絶対持ち帰るときのこと考えてなかっただろ」
俺の言葉に、文利は「はい……」とうなだれる。かわいいと思えばいいのか呆れればいいのか、いまいち分からなくて、またため息をついた。
そのまま地下鉄がやってきて、俺たちはそれに乗り込んだ。俺もそっと花束を庇うように立って、「いいか」と低い声で言った。
「俺は、その花の面倒は見ないからな。お前が見ろ」
その言葉に、文利は目を輝かせた。怪訝な顔をする俺に構わず、文利は「うん」と頷く。
「直哉さんにあげた薔薇だから、ちゃんと責任は取るよ」
「だから俺は受け取り拒否だって」
やいやい言い合っている間に、俺たちの自宅の最寄駅へ着く。ホームに降りて、改めてまじまじと彼を見た。棍棒みたいな薔薇の花束を持った文利は、タッパとスーツを着ているせいでかなりいかつく見える。
当の本人はといえば、どこか地に足つかない様子で俺を見つめていた。
「へへ」
「なに笑ってんだ」
俺は文利を引き連れて、一緒に暮らしているマンションのエントランスへ入った。エレベーターに乗ると、薔薇の存在感が否応なしに増す。
自宅へ入り、俺は真っ先に靴下を脱いだ。
「ちゃんとかごに入れてよー」
文利の言葉を聞きつつ、ぺたぺたとフローリングを歩く。洗濯機の横のかごに靴下を放り込んでいる間に、文利は掃除用具を漁っていた。
そしてバケツを取り出し、シンクで水を汲む。たっぷり水を張ったところに、ざぶんと花束をつけた。
「今晩はこれでよし」
ふう、と一仕事終えた様子の文利を置いて、俺はさっさとシャワーを浴びた。寝室へ入ると、ガラスのコップに一輪の薔薇が飾ってある。
こういうところがどうにも憎めなくて、困る。俺は目を閉じて、横むきで丸まった。しばらく経って、寝室の扉が開く。文利が静かに布団をめくって、俺の隣に横たわった。
「おやすみ。直哉さん」
俺はその言葉に、聞かなかったふりをした。
さて、翌日。文利は、花瓶を買ってきた。
大きめの花束をごっそり差せそうなくらいのサイズ感で、そこに花を生けていく。ご丁寧に茎をカットして、花の高さに段差をつけていた。
「仕事が細かいな」
俺がまじまじと花を見つめていると、文利は「まだまだだよ」と、バケツの水を換えていた。たっぷりの新鮮な水に花を生けて、「あと百本ある」とうなった。
「もう人にあげろよ」
「やだ。俺が直哉さんに贈ったプロポーズの薔薇だよ。人にあげたくない」
駄々をこねる文利を、「はいはい」と受け流す。俺は台所へ向かって食パンをトースターへ並べつつ、律儀だなと呆れた。
牛乳パックからミルクを注ぎ、飲む。そろそろ牛乳が切れるから、買ってこなければ。
「あ、直哉さん。パックは開かないで取っておいて」
はいはい。
二日目。文利はホームセンターでロープを買ってきた。
薔薇の花を括ってぶら下げ、干す。ドライフラワーにするつもりらしい。
心なしか、部屋中が薔薇のいい香りだ。
「残り、七十本」
「めちゃくちゃ干したな」
俺が呆れ半分で言いつつ寝室の扉を開けると、そこにも干してあった。
なんか、甘い香りが、ちょっとやらしい。俺はそっと扉を閉じた。
今日も文利は花瓶とバケツの水を換えて、薔薇の世話を焼いていた。
三日目。飲み終えた牛乳パックを洗って、文利が薔薇を生けていた。ガラスのコップは回収されて、洗われた状態で置かれている。
そしてパックがそのまま、剥き身の状態で寝室のベッドサイドに置かれていた。俺は思わず笑ってしまった。赤いブロック体の文字が、なんとも言えずほのぼのとしている。
「ムードがねえの」
「いいじゃん。無駄にするよりは」
文利はぶすくれた顔をしながら、俺にそれとなく顔を寄せる。それを掌で防ぎつつ、「あと残り何本?」と尋ねた。
「六十五本」
「律儀に数えてやんの」
俺がけらけら笑うと、すっかりへそを曲げたらしい。ベッドで布団をかぶって、エビのように丸まってしまった。
それがやっぱり、どうにも憎めない。俺は「ごめんって」と笑いを噛み殺して撫でてやる。文利は何かもごもご言いつつ、手が伸びて俺の身体を引っ張った。なので、そのままベッドへ転がってやった。
四日目。とうとう万策尽きてきた感のある朝。
文利は何本かの薔薇を、プリザーブドフラワーにするべく送り出した。俺はそれを見送りつつ、せっせと薔薇の水を換える文利に尋ねる。
「飽きないの? それ」
「飽きるとかじゃない。ただやるだけ」
ふうん、と俺は鼻を鳴らした。文利は花瓶、牛乳パック、バケツ、すべての水を取り替えている。
本当にマメな奴だ。
「残り、何本?」
「……まだ五十本」
「そんなにしょぼくれるなって」
犬だったら、間違いなくしっぽが下がっているだろう。俺は慰めるように肩を叩いた。
五日目。何本か、くたびれた花が出始めた。
文利は茎を切り直して、蘇生を試みている。俺は背後からヤジを入れつつ、コーヒーを淹れた。
「やーい。コーヒー入ったぞ」
文利用のマグにブラックコーヒーを注ぎ、そっと机に置く。ちまちまと作業をする大きな背中を、ぼんやり眺めていた。
バケツには、まだ大量の花が残っている。
「まだそれ、やるの」
ミルクをたっぷり注ぎつつ尋ねれば、「そりゃあ、やるよ」と、当たり前のように文利が言う。
「だって、俺が贈ったんだから。花も生きてるわけだし」
俺は、文利のコーヒーへ視線を落とした。全く、健気な奴である。
六日目。本当に、万策尽きた。部屋には薔薇の甘い香りが充満し、なんだか俺まで頭がピンクになりそうだ。
文利も俺も、変わらず日常生活を送っている。いつまで薔薇の介護が続くんだろう、と、俺はふと思った。今日も文利はすべての薔薇に新鮮な水をやり、ドライフラワーのために換気を施し、薔薇の香りにまみれている。
俺も腹を括るべきなのかもしれない。いよいよだめになる薔薇も出始めていた。
文利はダメになった花の無事な花びらを取って、押し花にしている。
「そこまでしなくても」
「だって、プロポーズで使った思い出の花だし……」
せっせと小さな花びらを、チラシで挟んで本で挟む、大きな背中。
その大きな手に「なあ」と指を絡めて、俺は尋ねた。
「なんで、そこまでしてくれるの」
文利は、ぱちりと瞬きをして俺を見た。まるで、そんなこと考えたこともないようだった。
「さあ。八年も付き合ってると、忘れるっていうか」
「酷いな」
俺が肩を軽くパンチすると、「暴行罪だ!」と文利が大袈裟に転がる。そのまま俺たちは軽くじゃれあって、それから寝た。
七日目。文利は、今日も薔薇の花に水をやっている。
「なあ、文利」
俺は文利の背中へ、いつものように声をかける。はい、と生返事があって、それから文利は振り返った。
「いつまでそれやるの」
「そりゃあ、枯れるまでだけど」
せっせとダメになった葉っぱをむしり、潰れた茎を切る。
俺はバケツの中の薔薇を、しげしげと見つめた。何本かダメになってしまったとはいえ、文利の世話のおかげか、まだまだ瑞々しい。
「ねえ。これ、もらっていい?」
「もらったつもりじゃなかったのかよ!」
文利が悲鳴をあげる。俺は「そうだけど」と、平然とした態度で流し目を送った。
「あんな空気を読まない贈り物は受け取りたくない。だけど今なら、受け取れる」
俺は、薔薇にそっと手をやる。そしてためらいなく、剥き出しの茎を掴んだ。棘が掌に刺さって痛いけれど、まあ、些細なことだ。
呆気に取られる文利を置いて、俺は寝室へずかずかと入る。そして、花びらをむしって、ベッドへばら撒いた。
「ちょ、ちょっと先輩!」
文利が焦っている。昔の呼び方が懐かしくて、俺は笑みを噛み殺した。
「いいだろ。どうせ掃除するのはお前なんだし」
「またあんたは! めちゃくちゃ言いやがって!」
俺はすべての薔薇の花をむしって、ベッドへぶちまけた。見るも無惨に赤い花びらが散らばり、部屋には濃厚な薔薇の香りが満ちている。
「あーもう、後始末どうするんだよ」
文利は頭を抱えている。俺は「いいだろ」と、ベッドへ腰掛けた。
「薔薇の花、全部俺がもらった。それをどうしようが、俺の自由だろ」
なあ、と、笑いかける。文利は黙ってベッドへ寝転んで、そっぽを向くように背中を見せた。
「……大切にとっておいたのに」
「どれも、いつかはどうせ枯れるだろ」
宥めるように背中を叩く。俺は隣に寝転んで、その背中に抱きついた。
「プロポーズ、嬉しかった。もう一度やって」
俺のおねだりに弱い文利は、仏頂面でこちらを向いた。俺が自分の口元を指で叩くと、そのままキスされる。
「……愛しています。結婚してください」
「俺も! 結婚しよ」
文利は怒ったように唸りつつ、俺を抱きしめた。というより、腕の中へ閉じ込めた。俺はその強い腕の力にうっとりしつつ、なんとか腕を回して抱きしめ返す。
結婚は、口約束なんかじゃ済まない。これから俺たちには新しい生活が始まって、そこには困難があって、きっと並大抵のものじゃない。
だけど俺はこいつの隣だったらどんな無茶でも通ると思うし、文利だって、俺の隣なら、どんな無茶でも受け入れるんだろう。
キスをする。何度も、お互いを確かめるように。
「薔薇の花、残り五十本だっけ」
「あんたも数えてたんだ」
文利が、俺を抱きしめたまま笑う。俺は腕の中で尋ねた。
「なんか、意味あるの」
「さあ。どうでもいいんじゃない」
それもそうだな。俺たちはそのまま笑い合って、花びらの散ったベッドの上で戯れた。
事後処理の掃除はもちろん、二人で一緒にやった。全裸で花びらを拾いあった滑稽さもきっと、一生の思い出になるんだろう。
(約)百本の薔薇アフターサービス 鳥羽ミワ @attackTOBA
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