鳥の居ぬ間に

呪い子

プロローグ『鳥の居』



ねぇ、知ってる?

夢を叶えてくれるっていう鳥居の話!



───何それ?



いや、最近ネットで見つけたんだけどね?

なんでも、逢魔が時にひとりで歩いてると、突然知らない森の中にいてさ。

目の前には寂れた鳥居が一つだけあって……



───それで?



それでね。

その鳥居をくぐると、なんでも願いが叶うんだって!



───へぇー。なにそれ、変な話。



まぁ、ネットの情報だからねー!

……じゃあ帰ろっか?



───うん……あーごめん。


───そういえば用事あったんだった。先帰っててー。



そう?


わかった。じゃあおさきー!



───じゃあねー



みさとも気をつけてねー!



───ありがとー




「ふぅ、やっと終わった」


風見高校。

緑溢れる清らかな自然が売りで、生徒数は100人程度。

所謂ド田舎高校の生徒会室、簡素な机と木製の古めかしい棚、そして唯一力が入っている革張りの椅子が並ぶこの部屋で、私、雛鳥 美怜(ひなどり みさと)は明日の定例会議用の資料を完成させ椅子にもたれかかっていた。


「あー疲れたー」


生徒会室の天井を見上げながら、静かに呟く。

まぁ、その呟きに帰ってくる労いの声は当然ながら無い。独り言なので。


はぁ……高校生の中でも特に青春真っ盛りな、高校二年生の夏だというのに。

私の目の前にあるのは、大量の紙束と乱雑にばら撒かれた筆記用具だけ。


せめて恋人のひとりでも待っていてくれれば、やる気が出るかもしれないのに……全く、世界は非情だ。


「しかし、やっぱ肩こるなぁ……」


高校二年生になってから生徒会を始めたが、やはり事務仕事は嫌いだ。肩はこるし、腰は痛いし、目は疲れる。

部活動でもないのに、放課後も残らないといけないし……


それでも、心の底から嫌という訳では無いが……しかし、どちらかと言うと体を動かしたくなってしまうのだ。

こんな事を考えてしまうようになったのは、いったい何歳の頃からだろうか?


「……そりゃあ、今年からである。

だって、生徒会に入ったのは今年なのだから。」


悲しいかなひとり呟いて、伸びをしてグッと体を反らす。

すると、それに合わせて私の背がパキリと音を鳴らした。


気持ちの良い感覚だ。

事務仕事をやってて最も生を実感する瞬間かもしれない。あー、無限にボキボキできる体になりたいなー。全ての関節から音鳴るようにならないかな……?


そんな馬鹿な事を考えながら、ぼんやりと泳がせていた目線を動かす。

それにより、天井を見上げていた目は映す景色を変えて、後ろにあった壁掛け時計の姿を映し出していた。


趣深い木製で出来た、振り子があるタイプの大変古くさい時計。中の文字盤が掠れてるあたり、動いてるのが奇跡なくらいお年を召してそうである。


えーと、時間は?

長い針が12時で、短い針が───


「げ、もうこんな時間か……」


目線の先に映る時計の針は、上から下へ一直線。

つまり、6時ぴったりを指していた。もう夕方である。

どうりで廊下から聞こえてくる声も無くなっていたし、人の気配を感じないわけだ。


私は机の上に散らばっている文房具をお気に入りの筆箱に詰めると、それを鞄にしまって外へ駆け出した。


「うわー、日が沈みかけてる……」


下駄箱で、ちょっと前まで陸上で使っていた靴に履き替え外に出る。

すると疲れた様子でグラウンドを整備している野球部員達の姿と、彼らをぼんやりと照らし影をおとす夕焼けが私を出迎えた。


「早く帰らないと暗くなるなぁ。

今日は立花先に帰らせちゃったし、暗くなる前に帰らなきゃ


───ッて、やば……!」


いつもの悪癖で独り言を呟いてしまう私、そしてそんな私を不思議そうに眺めている白帽を被った野球部男子。


しまった。またやってしまった。

高校に入ってから気をつけてたのに、恥ずかしい……!


そんな事を思いながら口を閉ざし、俯きながら歩き出すが……

背後からの刺さるような視線が恥ずかしくなって、私は小走りで学校を後にするのだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「うわぁ、恥ずかしかったぁ……!

また独り言しちゃったよ。ほんとにこの癖直さなきゃ、って……言ってるそばからやってるわ私」


学校を後にした帰り道。

一人で茶番を繰り広げる自分のアホさ加減に呆れ、はぁ。と息を吐く。


物心ついた時から独り言を呟いているが、こいつとは切っても切れない糸で結ばれているのかもしれない。

ちなみに糸の素材は因縁とかトラウマとかそんな所だろう。


独り言を呟かないように注意していても、すぐに思ったことが口から漏れるし、 漏れるタイミングもとても悪い。

人前で、お店で、自室で、トイレで、教室で……この独り言で恥ずかしい思いをしたことが人生の内に何十何百、いや何千回にも及んでいるのである。

要するに、昔からの悪癖ということだ。


「帰るの遅くなっちゃったな」


心を落ち着かせるためか、ゆっくりと空を見上げる。


先程まで赤く燃えていた夕焼けは、今まさにその姿を隠さんとしており。

そして、その代わりを務めるかのように、綺麗な三日月が反対側の空からこちらを見つめている最中だ。


コツコツという足音が、辺りに響く。


両側に田んぼのあるコンクリート製の道路は、お世辞にも造りが良いとは言えないだろう。

所々に置いてある、古くなってしまったせいかぱちぱちと点滅する電灯がちょっとだけ怖くて。


ゆっくりと歩みを進めていた足が、自然とその速度を上げていった。


「やだなぁ。やっぱり夜道は1人で歩くもんじゃないなぁ……」


はぁ、とため息をついた。

いつもどうりの田舎の帰り道。

明かりはぽつぽつとしかない見慣れた道。


違っているのは、時間と孤独。

それ以外はまるでいつもと変わらない、いつも通りの日常。


あと少し歩いて、その先の別れ道を右に曲がれば、私の大切な古臭い一軒家が出迎えてくれる。


お風呂に入って、ご飯を食べて、宿題してテレビ見て。


そして、いつも通りの明日がやってくる。






───はずだった。






「……あれ?」


だが、突然事態は急変したのだ。


唐突に目が霞んで、前がよく見えなくなった。

私の視界全体に濃い霧がかかった様な、酷くぼんやりとした世界が広がる。


夢の中に迷い込んでしまったかのような、薄く微睡みがかったような感覚。


なんだろう、目になにか入ったのだろうか?


そう思い、軽く下を向いて目を擦る。

だけど、目に痛みがある訳でもないし……



そんなことを考えながら、目線を元の位置へと戻し───



「……?……森?!なんで?!!」


そう、紛れもない森。

見渡す限り木が生い茂っている、暗い暗い森の中。


こんな場所に足を踏み入れた覚えはない。

私はいつも通りの道順で、慣れ親しんだ帰路を歩んでいたはずなのに……


目に映る知らない景色に、困惑し、恐怖し、取り乱しながらもどこか冷静に周囲を警戒する。

いや、もしかしたら現実逃避的なものに陥っていたのかもしれない。気づかないうちに森の中へ入っていた……?


───兎に角、周囲を見渡して。


そして、視界の端に捉えたそれを、思わず口に出してしまう。


「あ……鳥居だ」


木々に囲まれた、奥の奥。


そこに佇むのは、赤い鳥居。


小さいものではあるが木造で、剥がれかけの赤塗料が時代の変化を感じさせる大変古めかしい鳥居だ。

またその奥に見える小さな社(やしろ)も、遠目で見た感じからして壊れかけだった。


その鳥居を見て、ふと。



友人に聞かされた噂話を思い出した。



「───これって、もしかして。

立花が言ってた夢を叶えてくれる鳥居……?」


夢を叶えてくれる、赤鳥居。


最近ネットで流行っているらしい噂話だ。


なんでも、逢魔が時、つまりは夕暮れ時に一人で歩いていると、突然知らない森の中に立ち竦んでいて……

そして、その先にある鳥居をくぐると、くぐったものが望む願いをひとつ叶えてくれるというものである。


「……」


知らない場所に突然移動して、一瞬は取り乱した私だったが。

友人である立花に聞いた赤鳥居の噂を思い出して、すぐ落ち着きを取り戻す。


……と言うより、好奇心で恐怖が一時的に消えたのだろう。


緑の生い茂る地面を、ざくざくざく、と音を鳴らしながら……私は何かに取り憑かれたように鳥居をくぐった。


「もしかして……私の足も」


その時の私は、冷静さが欠如していたように思う。

いや、ただ単に欲に目が眩んだだけかもしれない。


まぁ、どちらにしろ、私の忌々しい足は壊れかけの小さな社(やしろ)をめざして進んで行った。


欲望のままに、本能のままに。


自らの願いを叶えたいという、その一心で。


「───ッ……!」


しかし、迷わず進んでいた足は鳥居と社(やしろ)のちょうど真ん中辺りで止まった。


いや、止めた。


これ以上進むと、危険だと本能が叫んでいた。

先程までは感じていなかった、社(やしろ)からくる圧倒的な重圧。

心臓を強く握られているような、そんな緊張感。



───あ、駄目だ。これ以上は、いけない。



ガタリ、と思わずその場にへたり込む。

……その威圧感に足から力が抜けてしまった。


あぁ、こんなの初めてだ。

今まで、足が思いどうりに動かないことはあっても、力が抜けるなんてことは無かった。


そう。悔しさで死にたくなった、忌々しいあの時でさえ……


『願いか贄か』


瞬間、怖くて下を向いていた私の頭に、声が響いた。

ビクッと震える体を必死に諌め、上を向く。


『願いか贄か』


獣の唸り声を無理やり言語化したかのような、恐ろしいドスの効いた声。

今まで聞いたことも無いその声の主を探して、霞む目を周囲へ向ける。


『願いか贄か』


しかし、見えない。


まるで私の真正面にいるような迫力を、ひしひしと感じているのに……姿が見えない。


だが、声だけは確実に私の耳に、頭に入って離れない。


「願いか、贄か……」


何処にも見えない声の主は、私にそう語り掛ける。

なんのことだか、何も分からない。

贄になりたくはない。私はまだ生きたい。


───じゃあ、願い……?


そんな時に、へたりこんだ制服の下から、がたがたと震える自分の足が見えた。


そこそこの運動をこなしていたのが分かる筋肉の付いた足。

太腿(ふともも)から脹脛(ふくらはぎ)にかけて大きく肉の着いた、バネのある鍛えられた足。


しかし、最近は走っていないため少し細くなっているのが見てわかる。


そう。

今はもう辞めてしまったが、1年の時は陸上部だったのだ。

大会ではそこそこ良い成績を残していたし、才能があるとも言われた。練習も我ながら頑張っていたと思う。


与えられたメニューは至極真面目にこなしたし、休日は何十kmもの距離を自主的に走り込んだ。


毎日毎日毎日毎日毎日毎日。

朝から晩まで、田舎町の舗装されていない道路をこれでもかというほど走り続けたのだ。


……ならば何故。

そこまでちゃんとしておいて、陸上を辞めたのか。


理由は簡単である。

怪我をしたのだ。


軽い交通事故だった。


学校行事の出先で、角からいきなり飛び出してきた車に跳ねられたのだ。

病院のベットの上で先生から聞いた話によると、加害者の男は携帯を使用しながらのよそ見運転中だったらしい。


幸い、骨などは治ってはいるが、よく見れば肌に縫い跡が見えていて。



そして、そんな私の足を見ながら、先生は告げたのだ。





─── もう、走ってはいけないと。





それが1年の夏。

小中と陸上競技を続けていた私にとって、それは死の宣告も同義だった。


『願いか贄か』


問いかけられる。

残念だと言われた。


『願いか贄か』


問いかけられた。

君ならもっと上に行けただろうと言われた。

しばらく陸上部でマネージャーのような事をした。

皆優しかったが、優しいだけだった。


優しさでは、足は治らなかった。



『願いか、贄か』



ベンチで座りながら、トラックを走る皆を見ていた。


私も、少し前まではその場所にいた。


身体いっぱいに風を浴びながら、目の前に誰もいないあの風景を我が物にしていたのに。



『願いか贄か』



時折、目で問いかけられる。

お前は、可哀想だと。


気を使われた。何度も、何度も。


あの憐憫の目が、私の脳を焼き、言葉を発する為の喉を潰した。


『煩い。走れないのは、私が一番解っているんだ』


憎悪が沸きあがる。


何か言われる度に、憎悪が沸きあがる。


『やめろ。私を憐れむな。お前たちに何が出来ると言うんだ』


心が震える。


気を使われる度に、心が震える。


『いや。皆も、私も悪くない。悪くない……悪くないんだ……』


わかっている。みんなは関係ないし、私も悪くない。

落胆の言葉も、可哀想だと言う目も、気を使われているという思いも、全部私の被害妄想……そう。被害妄想。


悪くないのが解っているから。

だから、こうして出来ることを探して生徒会に入って、毎日毎日毎日毎日忙しい日々を送っているじゃないか。


過度な運動は出来ないが生活に支障はないし、学内での成績も上がってきている。


私がこれから先陸上を続けていても、プロの選手になれた保証は無い。


ならば、今の生活の方が……


今の私の方が、将来のために……



「……」



でも、どうしようもなく、心で燻る。



解っている。



解っているんだ。



私も、皆も悪くない。



悪くない。悪くない。悪くない。悪くない。



そう、悪くないからこそ。




────── 理不尽だ。




「もう一度……」



不公平だ。



「もう一度……」


上に行くつもりだった。


気が済むまで、走り続けたかった。


見るな。そんな目で見るな。


やめて、置いていかないで……


トラックを、みんなが走っている。


ベンチで座りながら、それを見ている。


拳を握りしめる。


手が震える。


頭が狂いそうだ。


今にも叫んで走り出したい。



やめろ、そんな顔で、走るな。



胸が、苦しくなる。


みんなが、走るのを見る度に、胸が苦しくなる。



苦しい。



苦しい。



やめろ、やめろ、そんな顔で、走らないでくれ。


楽しそうに、嬉しそうにしないでくれ。











あぁ……










「その場所で走るのは、私だ。」









『願いか、贄か?』





私は……





「私は……もう一度、走りたい」


気がつけば、そう、呟いていた。



しばらくの静寂。

木々の揺れる音。かすかに吹く夜風が暑くなった私の頭を覚ましていく。


ぐるぐると回っていた思考は徐々にペースを落としていき、途端に冷たく脳を刺した。


こんな得体の知れないものに、何を……


「……やっぱり、やめ『願い。願い。その願い。承った』


「ッ!?ま、まって!私はやっぱりいらな」


慌てて叫ぶ。

しかし、がたがたと震え出した社(やしろ)の音にかき消されて声は届かない。


『さぁ、契約だ』


次の瞬間、社(やしろ)の扉がメキメキときしみ、弾け飛ぶ。

そして、中から何か得体の知れない白い……狼?の様なモノが私めがけて飛びかかってきた。


『代償は、お前の足だ』


「は?」


そして、私の足は、喰われたのだ。


「ぐあァあッッッッ?!!あ、あしッ…足がぁッ……!?」


激痛、激痛、激痛?!

恐怖や、畏怖や、落胆のなによりも耐え難い、激痛!!!


ゴロゴロと転げ回る。痛みが治まらない。

苦しい、痛みで呼吸が整わない!苦しい!


「かひゅっ……!ふッ……ふぅ……ふぅ…!」


必死に息を整える。死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


パニックになった頭が、足を確認しろと言ってくる。

足、ちぎれているのか?!分からない、分からない!

混乱する頭で、足の状態を確認する。


そして、見たのだ。


「……え?なに……こ」


途端、私の意識は暗転した。




最後に見た光景。



それは、私の足が、異物へと変わっていく光景。



人間の足と、獣の、それも恐らくは狼の足が混ざったような、そんな形へと変貌していく光景だった。



薄れ行く意識の中、思う。



あぁ……私は、馬鹿だなぁ。





誰も悪くないのに……




でも、悔し……


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鳥の居ぬ間に 呪い子 @mazinai_co

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画