第6話「骨抜き」


その日の放課後


7月の夕方4時の夏の空は、まだ昼間の名残を残していた。太陽は高く、アスファルトの熱気が靴底からじわじわと伝わってくる。


「お前、昼今日食べた?昼休みの時席にいなかったよな。」


堀田はそう、隣を歩くどこか浮かない顔の隣の君野に呼びかけた。

彼は堀田に呼びかけられると途端に顔を明るくしてみせ

その人懐っこい顔を笑顔にしてみせた。


「お腹痛かったらトイレにいたんだよ。」


「そうか。だから今腹の音がしたんだな。」


「ば、バレちゃった?恥ずかしい。」


そう顔を赤くして目を伏せる。

堀田は彼の黄色いリュックをみる。

そんなに気にしてみているわけでないが、


まるでいたずらされたかのように明らかにボロボロになっている。

いじめは明らかに酷くなっているのは俺もクラスの人間もわかっている。


守るべきなのか、そうでないのか――答えなんて簡単なはずなのに、なぜか俺は一歩を踏み出せない。


歩きながらふと横を見る。

その孤独感が話さなくとも滲み出ている。

痛々しくて、誰か今手を差し出さなければ

最悪なケースになるかもしれない。


でも、俺には関係ない。

関係ないんだ…


堀田の拳が強く握られる。

がんじがらめその複雑な心境はぐるぐると渦を巻いていた。


そして、とある光景が脳裏で思い出されていた。



「なあ、堀田。美咲に告られたんだって?付き合うことになんだってな。おめでとう。」


いつかの放課後、…1ヶ月前か。

誰もいない1年2組の教室で

親友の藤井はそう話しかけてきた。


「ああ。けど…。」


「大事にしてくれよ。美咲は俺の幼馴染だからさ。」


藤井はそう言った。実際は、その悔しさが伝わってきた。

ヤツの顔はどこか吹っ切れた顔をして眉が下がっていたが、


それで俺は大きな過ちを犯したことに気づいた。


知らなかった。

藤井が美咲をずっと好きだったことなんて。

俺もまた、その告白を受け入れたのは

弟の死の穴埋めのためだったなんて

今更言うことはできない。


それに

他人に弟像を押し付ける俺なんて…


堀田の頭の中で

みんなの期待に応える自分の大きな像が

革命で民衆に破壊されるイメージが浮かんだ。



「なあ飯奢るからどっか食べに行かないか。」


しかし、自分の気持ちとは裏腹に

突き動かされるように君野の腕を掴んでいた。

その言葉に君野も驚き、目を見開いて見上げている。


「でもラーメンも奢ってもらったし…。これ以上奢ってもらうなんて申し訳ないよ。」


「じゃあこうしよう。俺たちは今から兄弟だ。」


え?何言ってんだ俺。

冷静な自分が脳みその中で叫ぶ。


「どう言うこと?」


「兄弟なら奢ったって不思議じゃないだろ。それに始業式さ、親睦会ということで男子の数人で駅ナカのアイス屋行ったのは覚えてるか?」


「事故前のことは何にも覚えてない。」


君野はそう首を横に振る。


「そのアイス屋でスマホのゲームで誰が一番相性がいいかって占いしたんだよ。するとどうだ!お前と俺が100%だったんだ。前世が兄弟って出たんだぞ?」


「ほんと?嬉しい!!」


途端に君野が目をキラキラさせて、無邪気に笑う。

堀田はまた、そのキュンキュンがずっと欲しかったと言わんばかりにニンマリと笑う。


「だから気にすんな。な。俺はお前と兄弟。俺が兄でお前が弟。せっかくだからアイス食べに行こうぜ。」



君野がこちらを向いて、まっすぐな瞳でこう言った。


「お兄ちゃん、大好き!」


ぐはっ!!!?


堀田の心に君野の満面の笑顔が刺さった。

予想していなかった破壊力に

ありがとうございます!とその亀裂からお礼の血しぶきが舞った。


「……っ、お前なぁ」


くうっ!!と

顔を手で押さえ、その可愛さを何度もリプレイする。まるで白熱した国同士のサッカーの実況のように

彼の可愛さを解説しながらゴールが決まる。


どうにか返事をしようとして声を出したが、何もまともな言葉が出てこない。


もう完敗だ。

どうにでもなれ。



君野は、俺の反応に知ってか知らずか

その大きな目でじっと見つめてくる。


「お兄ちゃん!」


はっ!!!!?


そう繰り返された瞬間、もうだめだった。

2点目、もう駄目だ勝てやしない。

俺のサポーター達はもう目も当てられないと

激しく落胆した。


――こいつ、危険すぎる。


でも、ふと君野の笑顔が目に入ると、その全てがどうでもよくなる。守りたいとか、大切にしたいとか、そういう単語すら霞むくらいに、ただひたすら愛おしいと思った。


「行こうぜ。」


それだけ言うと、俺は歩き出した。心臓の鼓動を誤魔化すように、少し早足で。

君野は俺を追いかけるようにして笑いながらついてきた。


ああ、もう。やっぱり、こいつには勝てねえ。


すぐに横に着いてきた君野は

先ほどの寂しげな顔が嘘のように笑顔だった。


その後俺たちは学校の最寄りの駅へ。

そこはデパートと駅が一体化しており、駅を出なくてもここだけで十分楽しめる。


俺たちはエスカレーターで4階のフードコートへ。お馴染みのチェーン店、片手で食べられる食べ物が並ぶエリアで首を180度に振った。


君野があまりにもお腹を空かせているので

たこ焼きを食べさせる。

美味しいと笑う君野の顔は

財布の口が何も吐けなくなってもいとわない。


「ソースついてるぞ。」


俺が食べたのは一つのたこ焼きと君野のその口元のソース。


口に合わないと言ったが

実際は

たこ焼きを幸せそうに食べ、頬張る君野の子リスのように膨らんだ頬を眺めていたかった。


なんかこんなのを望んでいた気がする。

友も、いつもケチャップを口につけていたのを拭いていたな…

と、しみじみと幸せを噛み締めた。



「そうだ。ここだよ。」


堀田が君野を引き連れ、施設の奥にあるアイス屋へ。

ここは海外のチェーン店だ。

カラフルで、アイスも鮮やかなマーブル色なものが多く、まさに海外発。


ビビットな色彩の外観が特徴で、どこにあってもその店を見ると心がウキウキする。


「ここでさ、数人で奥の席で食べたんだよな。もしかしたらなんか思い出せるかもな。」


「いいの?たこ焼きも僕が全部食べてたし…。」


「いいって。俺がそうしたいんだ。今は俺の弟でいてほしい。」


「うん!僕、いい思いしかしてないからいいのかなって思っちゃって。」


「ほらアイス頼めよ。お、今トリプル割引だってさ。」


実際そうだ。

友の病気が治ったら

やりたかったことを今やっている。


「シフォンチョコとポップキャンディ、抹茶クランベリーください。」


堀田が慣れたように店員の前に立ち注文を行った。


「ほら、お前も。もちろんトリプルだよな。」


その言葉に君野がいいの?と顔で尋ねる。

堀田が頷くと、また天使のような笑顔で若い女性店員の前に立った。


「ご注文はどうされますか?」


「僕もトリプルで。…バニラ3つで!」


その言葉に店員も堀田も一瞬時が止まる。


「か、かしこまりました!バニラ3つですね!」


店員の動揺が伝わってくる中、

くすくすと笑いながら色とりどりのコーンに乗ったアイスを受け取る堀田。


奥の席に座ると、その堀田のくすくすはゲラゲラに変わっていた。


「あははは!!!それウケ狙いか?」


「え?変かな…。僕バニラ好きなだけなんだけど。」


本気できょとんとしてるから尚面白い。


「いや、芯が通ってていいと思うぞ。お前はブレない男なんだな。」


しかし、そう言った堀田にすぐある疑問が浮かぶ。


「でもよ、お前始業式の時に確か、普通にカラフルなフレーバー頼んでたぞ。」


もし、こんな面白かったら

もっと印象に残っているはず…


君野は覚えていないと言いながら、少し考えて真っ白なアイスを食べながらこう言った。


「僕のことだから、合わせたのかな。バニラ3つここで頼んだら、変と思われるって思ったのかも。」


「自覚はあるんだな。じゃあ俺に変って思われてもいいのかよ。」


その言葉に君野が首を横に振る。

そしてまた天使の笑顔が堀田を捉えた。


「堀田くんはお兄ちゃんだから、甘えてみようと思ったんだよ!」


「だっ…!!」


堀田はまたその笑顔にハートを鷲掴みにされ、脳内で感謝の血しぶきを噴き出した。




そして、

堀田はコーンの先まで食べ尽くす。

君野にゆっくり食べろと指示をしながら

ふと疑問に感じたことを伝えた。


「そういやさ、お前、先週の金曜桜谷に殴られてたな。喧嘩したのか?」


「誰?」


「誰って、お前の彼女だよ。毎日いるのに流石に事故の影響で記憶がないなんてことはないだろ。」


「え?僕彼女いたの?!?」


「本気で言ってるのか?幼児退行ってそういう症状もあるんだな…。」


全く病気のことは知らないが、そう思わなければ納得ができないと堀田は勝手に頷く。


「女の子なの?どんな子?」


「どんな子って、そういや、みんな桜谷のこと知らないな。…愛想はいいけどな。見た目はメガネで三つ編みで普通の女子だ。」


「すごくミステリアスな子なの?」


「うーん、話しかけられれば笑顔だからな。ただお前らがいつもイチャイチャしてるのが気に食わないって男子達もいるみたいだ。だからお前に辛くあたろうとするんだろうな。」


「そうなんだ。なんか、僕ずっとひとりぼっちだと思ってたのに、寂しくなかったのってそういう事だったんだ。」


と、納得している。

テーブルに肘をついてアイスを食べる君野を見る堀田の目は細く、その言葉にまた眉間に皺がよる。


でも深く考えるとその海から戻ってこれないような気がして、

思考を止めた。




「ねえ堀田くん!これ見て!」


「ん?なんだこりゃ。」


午後5時

とある雑貨屋に走った君野。

キーホルダーがかけられた棚から何か二つのキーホルダーを持って

それを堀田の前で掲げてニコニコしている。


それは銀の丸い輪っかにチェーンが繋がっていて、その下に丸いプラスチックにただ「兄」と「弟」と太い明朝体がついているだけのもの。

チープながら値段は300円。

二つ合わせて600円だ。


君野がそれぞれ「兄」と「弟」を手に持っていて

無邪気な笑顔を見せる。


「僕たちだね!僕これ買う!堀田くんも「兄」買うでしょ?」


「金あるのか?」


「明日貯金箱から10円30枚持ってくるよ!」


「いや、そんなに持ってこられても。重いしな。」


「え?じゃあ一日10円ずつ返すよ。」


「これ、そんなにほしいのか?」


にしてもあまりにもチープだ。

落としただけでパキッと割れてしまいそう。


「うん!僕絶対忘れないからね!」


しかし君野は歯を見せて二ヒヒと笑い、二つのキーホルダーを自身の顔に近づけた。


その顔に、堀田にはこのプラスチックのキーホルダーがどんなダイアモンドより輝いているように見えた。


「じゃ、10円ずつ返せよ。」


なんて笑いながら堀田は「兄」キーホルダーを受け取る。


2人はまるで乾杯するように

キーホルダーを掲げそれを見て笑い合った。

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彼女が愛したのは過去を忘れた3人の僕たち @eyeken

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