第5話「ひとりぼっちの君野くん」


 7月初旬


 2日後の月曜の朝


 教室内はいつものざわめきに包まれていた。朝の会の始まる前の時間

 1年2組の生徒たちは各々のグループに分かれ、それぞれ朝の挨拶や昨日の話題などを思い思いに話している。


 その中で、堀田はすぐ横の席の女子二人組が話す話題に耳を傾けていた。


「桜谷さん、しばらく学校に来られないらしいよ。なんでもこの前の土日に海外にいって流行病にかかっちゃったとか。」


「え、そうなの?かわいそー。じゃあ君野くんしばらくひとりぼっちね。」


 その声を聞きながら、真ん中の前の席に座る堀田は机に肘をついている。

 その話につられ、ちらっと後ろをみるが隣の桜谷の席はがらんとしている。

 君野は窓際の席にひとりぽつんと座り、静かに本を読んでいた。


 その様子は周囲の騒ぎに無関心な様子で、ページをめくる手つきはゆっくりとしている。その様子に他の生徒達は無関心を装っているが、いつもとは違う光景に自然とその話題になる。


「いつも2人で一緒だったもんね。君野くん今淋しいよねきっと。」


「そうよね。いつもふたりでラブラブだもんね。」


 クラスの女子達の話題に、堀田も考えを巡らせる。

 桜谷と君野はいつも2人きりで他を寄せ付けようとはしない。

 その光景はおなじみで、誰も邪魔をしようとはせず。いつもこの教室にいるのに、誰もあの2人を知らない異質な存在。


 片方が休んでしまうと致命的だ。

 このクラスの連中も君野も、既に完成されたお互いの距離感に踏み込むべきではないと考えているのかもしれない。


 俺もまた、昨日あんなにアイツの無邪気を堪能したはずなのに

 何故か今はあまり話しかけようとも思わない。

 これが学校という名の社会だ。



「よ。おはよう。」


「おう。」


 真後ろの席の、健康的にやけた短髪で小麦色の肌の藤井が白い歯を見せて笑う。

 堀田と同じエナメルのスポーティーなカバンを肩からかけ、それを机の上にのせた。


 堀田と考え方も価値観も似ているため彼の助言に何度も助けられた

 かなりのナイスガイだ。


 2人で軽い雑談していると、次第に話題は俺の彼女の波田美咲(はたみさき)についてに及んだ。


「なあ、美咲とはいい感じか?」


 藤井はそう、ニコッと笑って尋ねる。


「あ、ああ…。まだ付き合ったばかりだからな…。」


「大事にしてくれよ。俺の幼馴染だからさ。」


 と、藤井は堀田の肩を叩く。

 しかし、肩を叩かれた堀田は藤井にはずっと言えないことがあった。


「藤井、あのな…。」


「ゆうじゅ~~~~~!!!!」


 すると、

 派手な巻き毛の美咲がハイテンションで教室に入ってくる。


 彼女は隣の1組で、学年一の美人と評判だ。

 容姿端麗で、そのスタイルの良さに

 教室内の男子たちは、堀田に絡むその様子を羨望のまなざしで見つめていた。


「なんだよ。ゆうじゅって。」


「私の自慢のカレピなのにその態度はないでしょ!あなたの名前が友樹(ゆうき)だから!ゆうじゅ!かわいいでしょ?」


 と、座り堀田に抱きついた。

 その様子を終始藤井は笑顔で見守っていたが、

 堀田はどこか複雑そうな顔をする。


「どうしたの?元気ないわね。私が来て嬉しいでしょ?」


「ああ。嬉しい。」


「ねえなんでそんな淡白なの!?ねえねえ!今日一緒に駅前の喫茶店に行こううよ!SNSで話題のパンケーキ食べに行こ!!」


「ああ…。」


 堀田は生返事で答える。

 しかし、マイペースな彼女は気にもとめず、机に両肘を付け顔を乗せ、恍惚の表情で堀田の顔の造形美を堪能していた。


「うふふ。みんな羨ましがってるの。ゆうじゅと付き合えると思ってなかったみたいでさ!皆の悔しがる顔見てると本当に付き合ってよかった!て思うの!」


 と、美咲が答えたときだった。



 ガシャン!


 と、

 後ろの方で誰かが盛大に床に何かを散らかす音がした。

 堀田も美咲も藤井も後ろを見ると、君野が派手に倒れている。


 一瞬空気が止まり、静寂になったが

 誰も彼を助けることはなくまた時間が動いた。

 静かに体を起こした君野は、何事もなく自分の席に座る。

 ドジだな…と堀田が思っていると


 近くの女子がこんな話をしていた。


「ねえみた?山田くんさっき君野くんに足掛けてたね。」


「そうだね。コレ、良くない流れかもね…。」


 平和主義の女子たちの言葉に、

 俺はまた後ろを向いて君野を凝視ししてしまう。


「もしかして、君野くんが気になるの?」


 美咲が露骨に怪訝そうな顔で尋ねる。

 ようやく堀田の首が真正面に戻った。


 その言葉に堀田は何も答えず、目線を下に落とす。

 美咲はその反応に途端に笑顔になってこう言った。


「そうよね、あんなボッチくんをイケメンで文武両道のゆうじゅが相手にするわけないもんね!」


「ああ…そうだな。」


 と、感情を殺した返事をした。 






「出席取るぞー。」


 3時間目


 理科実験室。

 白衣の先生が出席名簿片手に生徒の名を次々に呼んだ時だった。


「君野…君野!あれ?」


 どこを見渡しても君野の姿はない。


「ちょっと待っててくれな。」


 理科の短髪の若いメガネの先生は、実験室をでていく。

 そのごとに何事か?と生徒たちはざわつき始めた。



「君野、どうしたんだろうな。」


 実験台を挟んで隣にいる藤井が堀田に問いかける。

 堀田も心配そうにしていると、すぐ横に座る、

 先程君野に足を掛けたと言われていた男子グループがクスクスいやらしく笑っているのを見た。


 堀田はその光景に嫌な予感を感じた。


 10分後、理科の先生の後ろをついてくる君野。

 一番後ろの人数が欠けていたグループの席に座った。


 その君野の顔色は暗かった。

 しかし、その理由を先生含め誰も尋ねることはない。


 しかしどこか

 クラスに漂う暗雲は皆感じ取っている。



 皆黒板に目線を統一する中で、堀田は君野をチラチラと気にしていた。


 脳裏に日曜の彼の笑顔が浮かんでくる。

 それはまさに「弟」のように可愛く、その全てを守りたいと思ってしまうものだった。


 だが、今は気にする一方でいじめを止めるまでではない。


 そんな関係でもないし、あれは塾では仲良しみたいな、そんな特別感のあるものでそれ以上のものでもない。


 俺が助ける義理なんてどこにもないんだ…。


 と、堀田はそうあくまで自分の立場を守ることに努めた。





 その日の昼休み

 君野は、クラスの教室のない側の静かな校舎にいた。

 人気が少ない階段の踊り場で同じクラスの男子複数に囲まれていた。


「おい、金出せよ。」


「でもこれ、お弁当とか飲み物とか買おうと思って…。」


 君野は自分より背の高い、茶髪のリーダー格の山田に金銭を要求されている。黒のマジックテープの財布を手に持っている所を狙われたのだ。


 怯える彼に、山田は右腕を振りかぶり彼の肩にパンチをする素振りを見せる。

 それに肩をすくめた君野は、大人しく財布を渡すと山田はそれをひったくるようにとり、中にあった唯一のお札の1000円を抜き取って床に放り投げた。


「少な。明日は5000円持ってこいよ。」


「そんなお金ないよ!僕、お小遣い少ないし…。」


「親の財布から抜き取れよ。」


「そんなことできないよ!」


 山田は君野の腕を掴む。

 君野の髪の毛を鷲掴みにし、力任せにざらざらした踊り場の壁に背中から押し付けた。


 体格がよく、腕の太い彼に抵抗できず、君野の頬は歯茎が痛くなるほど力任せに押し付けられた。


「離して!!痛いよ!!」


「上納金を持ってくるって言え。」


「…嫌だできないよ…!」


「言え!!持ってこなきゃ明日どうなるかわかるよな?」


 しかし、山田の力に命の危機を感じた君野は

 その言葉を繰り返してしまった。

 満足した連中は、その場を去っていく。



 静かになったその空間に、

 力なく崩れた君野は静かに泣いた。

 そしてすっからかんになった財布を拾う。


 踊り場の小窓から静かな午後の光が入る。

 君野はその日に照らされ、放心状態でその場にしばらくへたりこんでいた。


「ごめんねお母さん…お父さん…お金盗られちゃった…。」


 涙が止まらなかった。

 一生懸命働いてきてくれたお金を僕がくすねるわけにはいかない。


 でも、どうしたらいいかわからない。

 どうしようお金…。


 僕、いままで一人ぼっちだったのに、どうやって学校生活をしていたんだっけ。

 それが全く思い出せない。


 でも、こんな辛いとは微塵も思っていなかったはずだ。


 いつもこんな、孤独で悲しい学校生活を送っていたの?


 今日だって、お母さんは笑顔で僕を見送ってくれた。

 その姿が涙でどんどん霞んでいく。こんな姿見たら悲しむだろう…。


 失意の中

 涙を無理に抑え、トボトボと教室に戻っていった。







 教室に戻ってくると、もう昼休みも後半だ。

 みんなはとっくにご飯を食べ終えて談笑している。


 虚な君野の視線の先は

 真ん中の席で4人グループで席を囲う堀田とそのイケてるグループの姿。


 彼は楽しそうに笑っているが、そこに僕がつけいる隙などない。


 やっぱり、あれは奇跡だったんだ。

 きっと僕なんかに話しかけられたら迷惑だろうな…。


 机の荷物掛けには白いナイロンの袋をかけているが、その中身は堀田に貸してもらった衣服や少しばかりの謝罪の品が入っている。


 でも、あまりにも彼の周囲がキラキラしすぎて入れない。

 得に、彼の彼女は明らかに近づく人を選んでいる。

 僕はそのお眼鏡には叶うことはないだろう。



「ダメだ。渡さないと…。」


 そもそも早く渡さないと失礼だ。

 今日中になんとか…


 君野は堀田に話しかけるタイミングを伺っているうちに

 ついに放課後を迎えていた。





「あ、堀田くん…。」


 帰りの会が終わると、彼は白いエナメルのバッグを持って一人教室をでていく。


 君野もそれに慌ててリュックを背負って一緒にそれを追いかけた。


「ほ、堀田くん!待って…!」


 と、廊下に出て1年生の雑踏の中を歩く

 彼の背中に呼びかけようとしたときだった。


「うわ!?」


 突然リュックを引っ張られた。

 怯えながら振り返ると


「君野!お前こっちこいよ。肩パン対決しようぜ。」


 いじめっ子の山田くんたちが背後から話しかけてきた。

 僕はそれに小さく悲鳴を上げ、思わず足が止まってしまう。


「ごめん…今用事があって…。」


「ああ?お前舐めてんのかよ。弱虫のくせに。」


「舐めてもおいしくないよ…!本当にごめん!」


 僕はそう言ってその場を走って逃げた。

 すると彼らが僕を追いかけてくる。


「逃げんなよ!!」


 そんな小馬鹿にした笑い声が聞こえてくる。

 僕は人をかき分け、全力疾走で走り、堀田くんの背中を見つける。


 お願い…助けて…!!


 声なき声が心で叫ばれた。僕は必死に彼に手を伸ばす。

 昨日の楽しかった彼との思い出が走馬灯のように流れてくる。


 お願い届いて…!!!


 僕はそう、右腕を力強く伸ばした。



「あっ!!」


 山田くんの追手にリュックを掴まれ、僕は後ろに引っ張られた。


 後ろにずっこけ、堀田くんは気づかないまま廊下を歩いていく。

 その前に大きなお腹をした山田くんが仁王立ちで悪名高い顔をして笑っていた。


 僕はその光景に一筋の涙がこぼれた

 そして最後の力を振り絞った。



「助けて!!お兄ちゃん!!!!!!」


 僕は涙を流しながら廊下で大声で叫んだ。

 廊下にいた人達が誰もが動きをとめ、シンと静かになる。

 山田くんとそのいじめっ子たちも僕の意外な行動に一瞬たじろいだ。



「おい!どうした何してんだよ?」


 その間を通り抜けて一人、止まった空間を自由に動けるヒーローのように堀田くんは僕の前に現れた。


 僕はその光景にまるでイルミネーションをみたように、目に光がキラキラと宿った。


 僕の声が、届いたんだ…




「おい、いくぞ!」


 すると、いじめっ子グループはそそくさを逃げるようにいなくなってしまった。

 堀田は君野にかがみ込んで、顔を覗いた。


「大丈夫か?」


「う、うん…。」


 君野の涙がボロボロとあふれる。

 堀田はその様子に察したようにその手を取り、彼を立ち上がらせた。


 廊下の様子はまた時間が動き出したようにもとに戻る。


「堀田くんあの…これ返したくて…。」


「あ、ああ!俺の服!」


「ちゃんと洗濯したんだ…。それでごめんね。日曜日、本当に迷惑かけちゃって…。」


「いや、そんな風には思ってない。それよりお前、あの日どこまで覚えてるんだ?」


「えっと…弟くんが亡くなった話とか、ラーメンを食べたあたりは覚えてるよ。」


「そうか…。」


 堀田はそう答えた。

 しかしその君野の背後には遠くからまだこちらを見ているいじめっ子たちがいる。


 それに少し睨むように目を細めた堀田は

 その光景を見つめながら君野と肩を組んでこう言った。


「なあ君野。このまま一緒に帰ろう。」


「え?いいの?彼女さんと帰らないの?」


「ああ。アイツは今日女友達とカラオケだ。」


「そっか…本当にいいの?」


「いいに決まってんだろ。」


 そう、はにかんでくれた。

 それがとても嬉しくてまた涙が溢れる。


 堀田くんは僕の目にハンカチを当ててくれた。



 ありがとう神様…。

 君野はまだまだ目を潤ませて、この奇跡を天に感謝した。



 そして堀田が振り向いてくれた「お兄ちゃん」の言葉をうけ


 君野は胸の中でこのチャンスを逃すまいとある作戦を考えていた…




 続く
































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