自家発電

山谷麻也

水力は地球を救う


 ◆村の上映会

 物心ついたころには、四国の山奥にも電灯がともっていた。

 お祭りには、村の真ん中にある神社の境内で、映画も上映された。村の老若男女が地べたに整然と座る中、映写機が回り始める。

 人気の活劇だった。盛り上がりに水をさすかのように、映像が明滅することがあった。すぐさま、近くの民家に伝令が飛ぶ。

「電気を使わないように!」

 近隣の協力もあって、めでたく上映が再開された。


 スクリーンと言っても、白い布を垂らしただけのものだった。おそらく、左右に長い竹竿でも立て、ひもで結んだのだろう。

 その年の祭りの記憶は、ぼんやりながら今でも残っている。


 ◆抵抗勢力

 この地方に電気が引かれた時、村によっては反対するところもあったらしい。

「あんな得体の知れんものより、使い慣れたランプやロウソクがええ」

 というわけだ。


 長兄は昭和一桁の生まれだった。長兄が聴かせてくれた笑い話があった。

「オラんところは電気けるのにマッチなんか使わん」

 と言った子供がいたとか。

 未電化の家に遊びに行き、ランプを灯す瞬間に遭遇したのだろう。少年にとって、素朴な疑問ではある。  


 ◆実験室

 電気に関しては、筆者は忘れられない思い出がある。

 母親の実家は隣村にあった。母親の弟と父親の妹が結婚した関係で、筆者はよく血縁の叔父・叔母がいる隣村に遊びに行った。

 叔父は若い頃、大阪の電力会社に勤めていたと聞いた。肺病を患って田舎に引きこもったが、前職の知識をもとに、自家発電を試みた。


 近くに水の量の豊富な谷があり、そこに小型発電機を設置した。

 叔父の家には、技術畑らしく、発電機の模型らしきものもあった。小さな箱の中にコイルをグルグル巻きにした装置があり、横のハンドルを回すと、豆電球が灯った。

 手を触れると、ビリビリと電気の来る部分があった。従妹とカエルを捕まえてきて、動物実験をした。なんとも、子供は残酷である。 


 ◆漆黒の闇の中で

 夜になり、自家製の電灯が灯る。我が家の電気となんら遜色のないものだった。

 ただ、お祭りの上映のように、電灯が点滅し始めることがあった。たいていは停電。フィラメントの赤い光もやがて消え、家の中は闇に包まれる。


「モバが詰まったな」

 叔父一家は慣れっこになっていたのか、非常事態にも落ち着き払っていた。

 モバとは谷を流れる木の葉や枝のことである。木葉と書いて、モバと読ませていたのかもしれない。叔父は翌朝早く、流れに詰まったモバを取り除きに行った。 


 ◆苦心のモバ対策

 田舎育ちなので、自給自足しろと言われても、(目さえ見えていたら)何とか生き延びる自信はある。現に『過疎化バスターズ』では、主人公が動物ながら、幼少時の体験が役に立ち、消滅集落を再生したり、限界集落の進行に歯止めをかけることができた。


 ところが、シリーズ二作目の『温暖化バスターズ』ではメスのタヌキとともに、人間を重要なキャラクターとして登場させた。しかも民宿経営者という設定だから、ロウソクやランプ生活というのはあまりにも非現実的だった。そこで、近くの川で自家発電することを思いついたのだった。


 とは言っても、叔父と違って、筆者は文系である。

 あまり突っ込むとお里が知れてしまう。そこのところは、民宿の主人も門外漢の文系ということにして大事を取った。


 かねがね、水力発電は温暖化対策に有効と考えていた。もちろん、水力発電を取り巻く環境がもはやバラ色でなくなっていることは、承知している。それでもあえて、このエコな発電にスポットライトを当てた次第である。


 付言すると、現場を知る人間として、やはりモバ対策をスルーするわけにはいかなかった。一家はふだん都内に住み、週末だけ四国の山奥で民宿をやっているので、なおさらである。

 どう解決したか。関心を持たれた方は拙書『温暖化バスターズ』(Amazon ペーパーバック/電子書籍)で。

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自家発電 山谷麻也 @mk1624

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