空を見上げるひとつの理由

右手

空を見上げるひとつの理由

 予定よりも遅くなってしまった。僕は急いで館内に駆込む。受付は入り口の右側だ。幸い受付に並んでいる人の姿は見えない。

「十三時半からのプラネタリウムを見たいんですが」

と僕は受付の女性に声をかけた。

「十三時半ですと、太陽系でよろしいでしょうか?」

「はい。大丈夫です」

「それでは一万七千円になります」

 女性に言われるがまま端末を受付に設置されているディスプレイに近づける。支払いが済んだことを知らせるピッという音が鳴った。

「四階になります。もうすぐ開始しますのでお急ぎください」

 言われるまでもない。僕はエレベーターに乗って四階に向かった。プラネタリウムはエレベーターの正面だ。僕は入り口脇にいる係りの女性に端末の画面を見せた。

「ありがとうございます。どうぞお入りください」

「ありがとうございます」

 女性からなにか紙を渡された。席に急ぎつつ視線を送ると、プラネタリウム館のキャラクターが印刷されたポストカードだった。いくら科学技術が発達しようがアナログな道具が廃れる気配はない。むしろ流行りが再燃しているようだ。

 プラネタリウムの館内は多くの利用者で混み合っていた。すいませんと声をかけ、リュックがぶつからないように注意しながら自分の席まで進む。Iの16。どうやらここのようだ。リュックを抱きかかえ、その区画でひとつだけ残されていた空席に座り込む。

 座って間もなくプラネタリウムの扉が閉ざされた。間一髪だった。間に合ったことにホッとしつつ、息を整えた。背中に汗をかいているが拭く余裕はなさそうだ。

「本日はプラネタリウムをご利用いただきありがとうございます」

 係員のそんな言葉で説明が始まった。地震が起きた際は慌てずに係員の指示に従うようにだとか、館内は飲食禁止だとか、そんなありきたりの説明が続いた。

 室内の明かりが徐々に落とされていく。見えるのは非常口の緑の明かりだけだ。そんな説明は聞き飽きている。他の客も同じだろうが、法律で説明が義務付けられているのだから仕方がない。僕は退屈しながら上を見た。星がひとつも映されていない真っ暗な天井があるだけだ。僕はこの真っ暗な天井を眺めるのが好きだった。妙に落ち着くのだ。大勢の人に囲まれているのに、まるで個室にいるような気楽さが感じられた。

「南の空にある中央の四つの星をご覧ください。この四つの星を直線で繋いだこの四角形を秋の四辺形と呼びます。さらにこの星から別の星を線で繋いで足、そして頭がありまして、昔の方はこれを架空の生物であるペガサスだと思ったんですね。星座の場合はペガスス座と言います」

 プラネタリウムに映し出された白い点が白い線で繋がりペガサスが映し出される。ペガサスは上下反対だ。

「西の空をご覧ください、金星が見えています。いわゆる宵の明星です」

 プラネタリウムの右側に大きめの白い点が表示される。

「さらに西の空では季節の移り変わりには夏の大三角形と秋の四辺形を同時に眺めることもできます」

 夏の大三角形が表示された時だった。右側の席から風が吹いてきた。時間が短くとも強い風に、髪の毛が浮き上がる。隣を見ると、先程まで座っていた客がいなくなっていた。行き先は金星だったのか。早くて結構なことだ。

 異星間転移装置ITDが開発されて三十五年。紆余曲折を経たのち、装置はプラネタリウムに設置されていた。

 異星間転移装置ITDの欠点は準備に時間がかかることだ。何もない部屋の中で転移までの時間を過ごすのはあまりに味気なく退屈。そのために映画館に設置されることになったのだが、乗客の間から映画の先の展開が気になるとの指摘があった。さらに人気女優を起用して映画を作る事務所が出てきたために、客席が女優のファンで埋まってしまい異星間転移を希望する客が座れないという事態にも発展した。この事務所は通常の映画館を避け、わざわざ料金の高い異星間転移用のシアターでだけ映画を上映していた。商魂たくましいにもほどがあるというものだ。

 この事態を受けて、政府は転移装置をプラネタリウムに設置することにし、特定の人物が出演する映像を上映することは禁止とした。客が狭いスペースに静かに座っていられる場所としてプラネタリウムは適格だったのだ。それ以来各地のプラネタリウムは大人の客で混み合い、どんどん新設されることになった。

 すべては僕が生まれる前の話だ。僕が生まれた時には既にプラネタリウムは乗り物で、それ以前にプラネタリウムが存在していた理由が僕にはよく分からなかった。ただ天井に映された星空を見るためにお金を払うなんてありえないじゃないか。昔の人間は空を見上げれば星が見えることを忘れていたらしい。

「地球のすぐ外側をまわる火星は地球とは約二年二カ月の間隔で接近します。一年周期で太陽の周りを一周する地球とは異なり、火星の周期は約一年十カ月だからです」

 目的地だ。僕は火星が呼ばれたことに緊張して体を縮こませ、リュックを抱きかかえる手に力をこめた。異星間転移の際に手足を伸ばしてはいけないと決まっているわけではなく、姿勢は自由だった。それでも一定数は手足を伸ばしていては体が置いて行かれるんじゃないかとおぞましい想像をする人たちがいた。僕もその一人だ。布団から手足を出して寝ていたら、誰かに掴まれるんじゃないかと想像をするように、手足を伸ばしていたら、手首や足首から先が無くなってしまうんじゃないかという不安に襲われていた。そんな体験談を聞いたことなどないのに。

 ふと、体が浮遊感に包まれる。

 転移だ。

 体に力をこめる暇もなく、体が急に上に引っ張られ、その勢いに耐えようとすると、今度は下に引っ張られた。

 その感覚がなくなると僕はおそるおそる目を開いた。

 周囲は明るい。

 僕は人影がまばらなプラネタリウムの座席に座っていた。

 終わったか。僕はふうっと安堵のため息をついた。やや頭が痛く、乗り物酔いをしたような気持ち悪さも覚えていた。体の不調はそれだけだ。手足を見ても怪我をしたような様子はない。席に座ったまま、頭痛が治まるのを待つ。一口水を飲みたい気分だったが、生憎飲み物は持っていなかった。座っている間にも周囲から風が吹き、人が現れる。すぐに立ち上がる人もいれば、しばらく座ったままの人もいた。

 三分ほどは座ったままだっただろうか。僕は頭痛が治まったのを確認すると立ち上がった。仕事だ。さっさと済ませてしまおう。

 プラネタリウム館を出るとそこはもう火星だ。見上げると、空は赤い。地球では昼間の空は青く夕暮れの空は赤くなるが、火星では昼間の空こそが赤く夕暮れの空は青くなる。このオレンジがかった空の赤さを見るたびに火星に来たのだと実感する。

 目的地の住所を確認すると、第四居住区の西側、W38区画だった。僕は端末の配車アプリを操作して無人交通車を呼び出す。街中を走りながら待機していたうちの一台が停まり、後部座席のドアが開く。端末のディスプレイに表示されている到着までの予定時刻は二十三分。料金は千四百五十九円だ。それだけの節約のために車で二十三分の距離を歩いていくわけにはいかない。僕はなんの迷いもなく後部座席に座り込んだ。

 第四居住区は日本に割り振られた地域だ。通称はフォーシーズンFour Seasons。ダサいと思うが、日本政府が第四居住区の通称を公募してそう決められたのだから文句も言いにくい。日本で四と言えば四季というわけだ。この通称が決まった時に、四国の人たちからはわずかばかりの非難の声が発せられた。日本は北海道、本州、四国、九州と大きく四つの島に分かれているのだから、フォーアイランドとか、フォーランドでいいじゃないかという言い分だった。四国の人たちもさすがにフォーカントリーとは言いにくかったのだと思う。

 地球の日本で例えるのなら新宿のビル街を抜けて調布の住宅街に入ったところだった。窓の外を見ても日本の住宅街にそっくりな街の造りに見るべきところはない。空を見上げなければ地球と見分けがつかないだろう。僕は少し寝ようかと目をつぶった。


 到着しましたという機械音声で目を覚ますと、既に車は停まって後部座席のドアも開いていた。僕は車を降りて体を伸ばす。端末のディスプレイには、ご利用ありがとうございましたと共に、料金千四百五十九円の文字が並んでいる。利用したのは自分なのに、妙に損をしたような気分になった。車は僕が降りるとあっさり走り去ってしまった。冷たいものだ。

 さあ仕事だ。僕はリュックから荷物を取り出し、袋に貼られたシールの住所と中身を確認する。

 大丈夫だ。ここだ。

 僕は目の前の家のチャイムを鳴らした。火星の居住区によく見られる平屋のシンプルとした印象の家だ。白い壁にも玄関の茶色のドアにも木を模した素材が使われ、自然素材を使っているような温かみを演出している。地球から遠く離れた火星に来ても、日本人は木を使った(ように見える)家を求めているようだ。

「はい」

と出てきた恰幅のいい中年男性が僕の顔を見る。

「失礼します。佐伯書房から参りました」

「ああ、anytimeの方?」

「はい。そうです。お荷物の確認をお願い致します」

「そう。どうもね」

 僕は真空パッケージ状態の荷物を男性に手渡す。男性はパッケージに貼られたシールを見る。荷物は本だ。古い推理小説が三冊、江戸時代の将棋棋士について書かれた本が一冊、そして江戸時代の囲碁棋士について書かれた本が一冊。全部で五冊だ。

「ええと、合っているみたいですね。それじゃあ今お支払いしますから」

「お願いします」

 男性は玄関の扉を開けっぱなしにしたまま部屋の奥へと歩いていく。

 男性は料金の後払いを選択していた。端末で男性のanytimeのユーザーページを見ると、買っているのは本ばかり。支払い方法も後払いばかりだった。荷物を確認してから支払いをしたいタイプらしい。僕は普段トラブル防止のために後払いの依頼を受けない。荷物を家まで運んだ後に、お金がなかったとか、クレジットがないと言われてはたまらないからだ。それでも今回の依頼を受けたのはユーザーページに表示されている男性の評価が全て「良い」だったためで、極めて例外的なケースだった。

 anytimeは日本のanytime corporationが開発、運営を行っているアプリである。利用者は特定のお店から品物を選び購入する。その品物をanytimeの利用者に運んでくれないかと依頼をする。利用者は提示された報酬額を見て配達してもいいと思えばその仕事を受ける。個人の運送屋というわけだ。

 現状、異星間の配送は事実上のanytime一強状態にある。異星間の配達を、荷物の料金と報酬額に加えて異星間転移装置の往復料金を負担するだけで依頼できるからだ。火星からの場合、火星内からなら荷物の料金と報酬額だけでいいし、地球からでも異星間転移装置の往復料金を加えるだけで同じサービスを受けられる。ひとつのアプリ上でその二つを両立できるのは大きな利点だった。

 男性は端末を手に玄関に戻ってきた。端末の下には茶色の紙らしきものも見える。あれは封筒?

「料金なんですが、こちらでお支払いしても大丈夫でしょうか?」

 男性が封筒から取り出したのは紙幣だった。円が廃止されてデジタル円に移行する前の最後の紙幣だ。坂本龍馬の一万円札である。新札なのか紙幣には折れやヨレがない。

「ええ、大丈夫ですが、確認させてもらってもいいですか?」

「もちろんです」男性は頷いた。「コードを読み取ってもらっても構いません」

 お言葉に甘え、僕は端末で紙幣の右下にあるコードを読み取る。国立印刷局のマークと印刷された工場、印刷年月日がディスプレイに表示される。

 本物だ。

「すべて本物ですね。でもいいんですか?」

「いいんですかとは?」

「紙の紙幣はプレミアがついて高いんじゃないですか? これだけ綺麗なお札なら、中古市場に流せば額面の五十パーセントはプレミアが付くと思います」

「まあ、それはそうなんでしょうが」

 男性は苦笑いをしていた。

「紙幣なんだから支払いに使った方がいいでしょう。それで料金はいくらでしたっけ」

「五万八千五百三十円になります」

「それじゃあ一万円札が五枚と、残念ですが千円札は手に入らなかったんですよ。小銭も同様です。残りは端末からで大丈夫ですか?」

「もちろんです」

 男性が端末を操作すると、僕の端末のディスプレイにanytimeの通知が表示される。入金されたとの案内だ。金額は八千五百三十円。端末の操作を終えた男性は一万円札を五枚数えて封筒と共に僕に手渡した。僕は一万円札を数える。確かに五枚ある。

「確かにお預かりしました。ご利用ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」

「ありがとうございました」

 僕は紙幣が入った封筒を握りしめたまま頭を下げる。男性もそれじゃあ、どうもと言って目礼をしてドアを閉めた。僕は相手の評価を「良い」にして取引完了をタップする。これで仕事も終わりだ。

 僕は再び端末の配車アプリから車を呼ぶ。男性は報酬額の提示も高いうえに、紙の紙幣で支払いを済ませて行った。額面は五万円でも、価値は七万五千円はあるだろう。男性は慈善事業でもやっているのか?

 無人交通車に乗り込み、プラネタリウムへと戻る。

 それにしても本五冊に大枚をはたく人間もいるものだ。本なら文化庁のデータベースからデジタル国立図書館にアクセスして読めばいい。閲覧には料金がかかるが、本の定価料金の半分ほどでしかない。さらにもう半分と配送料を支払えば、デザインを再現した復刻本を配送してもらえる。そうすれば、今回の五冊の本は一万円もあれば手に入っただろう。

 それを男性はわざわざ六倍近くのお金をかけて当時刊行された本を中古で買っている。

 僕には男性の気持ちは理解できなかった。綺麗な復刻本ではなく、わざわざ古い本を求めるなんて。僕は荷物の中身を見てはいないが、中古本なら小口に焼けだってあるかもしれないし、カバーが破れているかもしれない。ページに書き込みをされているかもしれない。僕からしたら儲かって文句もないが、全く理解のできない買い物だった。

 再びプラネタリウムを通り、地球へと帰る。プラネタリウム館を出ると、既に夜になっていた。

 空を見上げると、月に加え、たくさんの星が見える。

 僕は家に帰る道中、可能な限り空の星を眺めた。やはりプラネタリウムを利用しなくても星は見ることはできる。わざわざ星を見るためにプラネタリウムまで足を運ぶ必要はない。なぜ昔の人間たちは必要のないところにもお金を使ったのだろうと、僕は疑問を抱いたまま自宅のドアを開けた。


                           <了>

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