第8章「深夜の図書室に響く導き」

 文化祭まで残りわずか。秋の気配が近づく中、台風が通り過ぎ、天気は回復したが、花火大会は文化祭前日に行われることになった。その日が雨なら、花火は再延期、文化祭には間に合わない。ギリギリの綱渡り状態だ。


 南野に相談すると、彼は意外な提案を出した。

 「花火がなくても、『今この瞬間』を映し出す方法はいくらでもある。例えば、クラスメイト全員の“今”を凝縮したカットを最後に重ねるとか。あるいは、もし本当に花火がダメでも、その『欠落』自体を作品に織り込むこともできる」

 欠落を織り込む、という考え方は新鮮だった。必ずしも完成形は最初に思い描いた通りでなくともいい。大切なのは、この作品が今を生きるクラスメイトたちをどう反射するか。それが伝われば、花火に頼らずともエモーショナルな結末を描ける。


 だが、瑛士と千紗はまだ迷いがある。二人は深夜、図書室で行う特別補習(先生の計らいで映像制作メンバーに貸し出される勉強兼編集タイム)の合間に、編集用PCを持ち込み、作業をしていた。蛍光灯の薄い光が本棚を照らし、紙とインクの匂いが漂う中、キーボードを叩く音だけが響く。


 「鷹野くんの走るシーン、麻里さんのモデル練習、文化部員の苦悩、軽音部の演奏、購買での小さな衝突、理科室の実験失敗……これらを一つの流れにするのが難しい」

 瑛士は困惑する。

 「でも、どのシーンにも“今”が宿っている。自分の理想や、現実への苛立ちや、不安や喜び。その瞬間が全部違う光で輝いてる」

 千紗は画面を見つめ、考え込む。

 「意志を込めるって言ってたよね、南野さん。私たちの意志って何だろう? 私はただ、日常を切り取りたかったわけじゃない。この映像を通して、今生きている私たちを肯定したかったのかも。何気ない瞬間にも価値があるって」

 彼女は自分の指先を見つめる。その声は微かに震えている。


 「瑛士くん、私、正直言って花火に執着してたのかもしれない。派手なクライマックスがあれば、何となく作品が締まると思った。でも、本当は、私たちが撮ってきた日常の断片こそが、本質なんじゃないかな」

 その言葉に、瑛士はハッとする。

 「確かに、花火は単なる象徴だ。もしそれがダメでも、これだけの断片があれば、僕たちは何かを伝えられるかも。クラスのみんなが今ここにいること、それ自体を映し出すことができれば、花火はただのオマケかもしれない」

 二人はアイコンタクトする。深夜の図書室、時計が静かに刻を刻み、外は虫が鳴く。この静寂の中で生まれる決意は、誰にも邪魔されない純粋なものだった。


 そうして、二人は編集方針を変える。花火を中心に据えるのではなく、クラス全員の今を織り交ぜて、最後は一瞬の微笑や視線、あるいは一人一人がカメラを見つめるカットで締めくくる。それは大掛かりな演出ではないが、観る者に「ああ、これが私たちだ」という感覚を与えられるはずだ。


 最初のアイデアを抜本的に修正するには勇気がいる。しかし、時間もないし、悩んでいる暇はない。二人は残った夏休みと放課後をすべて編集に費やし、クラスメイトの協力を得て、最後の仕上げを目指すことにした。鷹野は追加で走るシーンを撮らせてくれることになり、麻里は自宅でのメイク練習動画を提供してくれた。他の生徒たちも、自分が映っている部分について意見や要望を出し、作品は共同制作として活性化する。


 深夜の図書室で作業を続けるうち、ふと瑛士は千紗を見つめる。彼女がこの作品に込める想いは、単なる映像創りではなく、クラス全員を受け止める大きな優しさだった。彼女が織りなす物語に触れ、瑛士はますます惹かれていく。

 「千紗……君は、どうしてこんなに頑張れるの?」

 小さな声で尋ねると、彼女は微笑み、パソコンの光で瞳を揺らす。

 「どうしてだろうね。多分、私も自分の存在意義を確かめたいんだと思う。クラスのみんなを理解しようとすることで、自分もこの世界の一部だって確認したいんじゃないかな」

 彼女の言葉は瑛士の胸を打つ。世界の一部であること、今生きていること、その価値を伝えるために映像を作る。それは瑛士にとっても、まだ見えなかった自分の内面への旅だ。


 夜が明けかかる頃、二人はヘトヘトになりながらも編集のテスト版を作り終える。花火はまだ挿入していない。その代わり、最後はクラスメイト全員が何気なくカメラの方を向く一瞬を連続させることで締めくくっていた。

 テスト版を再生すると、購買や屋上、廊下、体育館、図書室、理科室、部活、そして土手を走る鷹野、メイクをする麻里など、様々なシーンが繋がり、最後に全員がこちらを見つめる。見終わった後、胸に不思議な温かさが残った。


 「これなら、花火がなくても伝わりそうだね」

 瑛士が微笑む。千紗は涙ぐんでいる。

 「うん。もちろん、当日花火が打ち上がれば、それも最後に追加できる。でも、なくても大丈夫。私たちが伝えたかったことは、この映像の中にもうある気がする」

 言葉にならない安心感が二人を包む。深夜の図書室で生まれた決意は、彼らを次の段階へと導いた。


 外は青白い朝の光がにじみ出し、鳥が鳴き始める。学校はまだ眠っているが、二人は確かな覚悟を得た。もう迷わない。花火はあくまで飾り、本質はそこに生きる人々の瞬間なのだ。青春とは、計画通りにいかないからこそ美しい。その不確実性を受け入れ、瑛士と千紗は最後の仕上げに向かって突き進む。

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