第9章「揺らめく灯と秘めた想い」

 文化祭前日、ついに花火大会の日が来た。天気はギリギリ晴れ、湿った風が吹く夕暮れ。クラスでは映像作品の上映準備が急ピッチで進む。結局、上映教室は変更になり、少し狭い多目的室での上映となったが、そこにスクリーンとスピーカーを設置して、より集中して観てもらえる環境を作った。


 編集はほぼ完了している。花火が上がらなかった場合も想定して、花火なしバージョンは既に完成済み。しかし、花火があるなら、当日の映像を最後にワンカット加えて仕上げたい。瑛士と千紗は、夕暮れから花火会場の土手へ向かう。軽いビデオカメラを手に、クラスの仲間数名も合流する予定だ。


 河川敷に着くと、今年も多くの人で賑わっていた。去年と同じように、あるいは去年とは違う思いでこの場所を訪れる人々。提灯の灯りが揺れ、草の匂いと人いきれが混じる中、軽音部のメンバーが手拍子で口ずさむ歌が微かに聞こえる。麻里は浴衣姿でやって来て、モデル顔負けのポーズをカメラに収めさせてくれた。鷹野はジャージのまま、土手を駆け降り、記録的タイムを狙うと言って笑う。


 「みんな、ずいぶん協力的になったね」

 瑛士が感心すると、千紗は微笑む。

 「だって、みんなが自分の一部をこの映像に残したいって思い始めたから。最初は私たちだけの熱だったけど、それがだんだん伝わったんだよ」

 遠くで準備を進める花火師たちのシルエットが見える。空は紺色に染まり、星は薄く瞬く。風が頬を撫で、草が揺れる。


 いよいよ花火が上がる。閃光と轟音、色とりどりの花弁が夜空に広がる。瑛士はカメラを回し、千紗はその隣で目を潤ませながら見上げる。

 「本当に上がったね」

 彼女は笑う。その笑顔には解放された喜びと、安堵、そして達成感が詰まっている。


 瑛士は不意に、花火を背景に千紗を映す。彼女は照れながらも、静かに微笑む。まるで「私たち、やったね」と言っているようだ。映像のラストシーンはこれで決まりだと、瑛士は心の中で確信する。花火はあくまで背景、メインはその下で輝く人々なのだから。


 花火が終わると、人々は三々五々散っていく。クラスメイトたちも帰り始めるが、瑛士と千紗は少し残って余韻を味わった。静かになった河川敷には、まだ煙が漂い、淡い硝煙の匂いが鼻孔をくすぐる。月が顔を出し、二人のシルエットを川面に映している。


 「これで明日の文化祭には、花火入りの最終版を上映できるね」

 瑛士が言うと、千紗は頷く。

 「うん、これで映像は完成形に近づいた。でも、それ以上に、私には他に言いたいことがあるんだ」

 千紗は急に真剣な表情になり、目を伏せる。


 「何?」

 瑛士は胸が高鳴る。今まで二人は、作品のことばかり話してきた。でも、その裏で瑛士は千紗に対する特別な思いを蓄えていた。この瞬間、彼女は何を伝えようとしているのだろう。

 千紗は少し考え、やがて口を開く。

 「この映像制作を通して、私は自分が生きている理由を探してたんだと思う。自分がクラスに必要なのか、この学校での毎日に意味があるのか、そんなことを考えてた。でも、映像を撮り、みんなを映して、あなたと一緒に編集して、わかったの。この一瞬一瞬が大切なんだって」

 彼女の瞳は月光に濡れている。


 「あなたがいたから、私は最後まであきらめずに進めた。瑛士くんがいなかったら、途中で投げ出してたかもしれない。だから、ありがとう。あなたの存在が、私にとって大きかった」

 その言葉は、まるで愛の告白にも等しいほどの重みを持って瑛士の胸に突き刺さる。彼は喉が詰まるような感覚に襲われ、しばらく言葉が出ない。


 「俺も、千紗がいなかったら、ただ流されるだけの日常だったと思う。映像作りを通して、自分が人や物語に興味があることを知った。あなたがいたから、俺は自分を認めることができた気がする」

 瑛士は素直に気持ちを吐露する。風が髪を揺らし、空気が透き通るように澄んでいる。


 二人は黙って視線を交わす。その沈黙は苦しくなく、むしろ心地よい満ち足りたものだった。青春の終わりなき迷いが、今、この瞬間だけは収斂しているかのようだ。

 「あした、作品をみんなに観てもらおう。どんな反応があるかわからないけど、私たちはもう十分頑張った」

 千紗は笑顔を取り戻す。その笑顔に、瑛士ははっきりと恋心を感じる。


 こうして、最終決戦の朝へ向けて、二人は家路につく。揺らめく灯は花火だけではない。人の心にも、小さな明かりがともっている。それは秘密めいたロウソクの炎のようにゆらゆらと揺れ、相手を照らし出す。千紗と瑛士は、その炎を胸に抱き、文化祭当日を迎えようとしていた。

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