第5章「失われたフィルムの行方」
初夏から夏休みへの移ろいは速く、校舎内は期末テストを前に慌ただしくなっていた。みんなが勉強に焦る中、映像製作は一時的な停滞を余儀なくされる。千紗も瑛士も、試験勉強に追われながら、隙間時間で撮影や編集を試みるが、思うように進まない。
それでも、放課後の数十分、瑛士はカメラを持ち出して校内を歩く。ある日は体育館裏で日陰を見つけて涼む生徒を撮り、別の日には中庭でラケットを素振りするテニス部員を遠巻きに撮る。小さな断片だが、積み重なれば彩りになる——そう信じながら、コツコツと素材を集める。
ところが、ある日大きなトラブルが起こった。撮影データをまとめていた瑛士のUSBメモリが突然読み込めなくなったのだ。何度PCに差し込んでも「フォーマットしますか?」という無慈悲なメッセージが出る。焦った瑛士は、あわてて千紗に連絡を取る。
「どうしよう、今まで撮った映像の一部が消えちゃったかもしれない」
放課後、図書室の端で顔を突き合わせる二人。千紗は眉をひそめ、ノートPCで何度かリカバリソフトを試すが、データは戻らない。
「これ、かなり痛いね……撮り直せるものもあるけど、一度きりのシーンもあった。たとえばあの夕陽の角度とか、あの日だけの花壇の様子とか」
千紗の声には動揺が滲む。二人の苦労が水泡に帰すような喪失感が、じわじわと胸を締め付ける。
「ごめん、バックアップをちゃんと取っておくべきだった……」
瑛士は肩を落とす。自分の不手際で、せっかく集めた映像の一部を失ってしまった。彼は無力感と後悔に苛まれ、それは単なるデータ紛失以上に、プロジェクトそのものへの不安を掻き立てる。
「大丈夫、起きてしまったことは仕方ない。また撮り直せるものを撮り直そう。まだ夏休みもあるし、時間は残ってる」
千紗は励まそうとするが、その笑顔は少し引き攣っている。実際、彼女もショックなのだ。
この失敗は、クラスメイトとの信用問題にも繋がる。彼らに「また撮り直しをお願い」と言わねばならないシーンもあるだろう。すでに協力的ではない一部の生徒たちが、これを機に完全に非協力的になるかもしれない。実際、麻里に打ち明けると、
「えー、せっかく映してもらった私のシーン消えたの? 冗談でしょ。もう一回やるとか、めんどくさ~い」
という冷たい反応が返ってきた。
瑛士は一度自分の不甲斐なさを噛み締める。まるで、何も成し遂げられず、ただ失態を重ねるだけの存在のように思えてくる。この挫折は痛い。気がつけば、自分はいつのまにか、この作品に大きく寄りかかっていたことに気づく。映像を完成させることが、自分自身の存在意義を確かめる行為になっていた。
「ダメだな、俺……」
放課後の校庭脇で、瑛士は一人で呟く。風が髪を撫で、遠くで部活生の声が聞こえる。まるで世界が自分を嘲笑しているかのようだ。
その日、千紗はあまり多くを語らず、早めに帰っていった。彼女も気持ちの整理が必要なのだろう。瑛士はそんな彼女を見送り、夕暮れに染まる階段を一人で降りる。足音が空疎に響く中、誰もいない教室を覗き込むと、窓際の机に置かれたままの花瓶が目に入った。中には小さな花が挿してあった。それはかつて千紗が映像の象徴として見つめていた花に似ている。今は淡い夕暮れに茜色を帯びて揺れている。
「もう一度撮り直すしかないのかな……」
瑛士は悔しさと不安で胸がいっぱいになる。
翌日も、USBメモリは復旧せず、消えた映像は戻らない。クラスで報告すると、ため息や不満の声が漏れる。ある者は「また同じこと頼むのかよ」と文句を言い、別の者は「じゃあ、あの撮影シーンなしでいんじゃない?」と投げやりな態度を見せる。こうした声が積み重なり、クラスの士気は下がりつつあった。
そんな中、千紗は必死でフォローに回る。
「ごめんね、私たちのミスで面倒なことになっちゃった。でも、今回のことをきっかけに、もう少し撮影体制をきっちりするから。どんなシーンを撮り直せばいいかリスト化して、効率よく回るよ」
彼女の説得で、一部の生徒は渋々了承するが、麻里は「ほんとにちゃんとやってよね」と上から目線で言い放ち、鷹野は無視したまま。瑛士は小さくなった背中を丸めるばかりだ。
放課後、千紗は瑛士を呼び出した。
「今日、図書室の奥で話さない?」
図書室の隅は静かで、埃っぽい紙の匂いが漂う。一冊の古い詩集が開かれたままの机に、二人は向き合って座る。窓外には蝉の声が残響のように響いていた。
「瑛士くん、落ち込んでるね」
千紗は穏やかに問いかける。その声は、壊れたフィルムを優しく包み込む毛布のようだ。
「……正直、辛い。俺のせいでデータが消えて、みんなの努力を無駄にした」
瑛士は俯く。
「私もショックだよ。でも、失敗は誰にでもあるし、何とかやり直せばいいじゃない。映像なんて所詮データなんだから、撮り直せばいい」
千紗はあっさり言うが、その瞳には不屈の光が宿っている。
「ただ、一つ気づいたことがあるの」
千紗は小さく息をつく。
「私たちが撮っていた映像は、まだただの断片だった。それが消えたとき、私たちは『最初からやり直せる』って気付いたよね。つまり、まだ完成していない段階で、この作品の本質は何だったのか。それが問われているような気がする。もしかすると、失敗から学べることがあるかもしれない」
彼女は決して根拠のないポジティブさでなく、打たれ強い現実主義のような態度を見せる。その姿に、瑛士はほんのわずかだが励まされる。
「わかった。もう一度頑張るよ。バックアップもしっかり取るし、撮影計画も立て直そう。それに、せっかくなら、もう少し明確なストーリーラインを作ろう。断片が散らばっているだけじゃなくて、例えば、クラスのみんなを象徴する何か軸を立てるとか」
瑛士の言葉に、千紗は微笑む。
「そうだね、花火のクライマックスに向けて、何らかの成長や変化が見えるといいかも。例えば、鷹野くんが走る理由を少し示せたら、ドラマが生まれるかもしれないし、麻里さんが求める『キラキラ』をどこかに織り込めれば、それも物語になる」
こうして二人は、失敗を糧に新たな設計図を練り始める。データは消えたが、その喪失感が逆に方向性を明確にするきっかけになりつつあった。
その夜、瑛士は自宅で新たなスケジュール表を作り、撮影リストを整理する。もう同じ失敗はしたくない。撮影許可、編集手順、バックアップ体制、全てをきっちり整えよう。そう思うと、少しだけ胸に灯がともる。失敗は痛いが、ここで諦めるわけにはいかない。
学び、創り直す。この繰り返しが、人々を成長させる。青春もまた、失敗とやり直しの積み重ねだろう。削られたフィルムの一部は戻らないが、新たなシーンを撮ればいい。花火のように、一度は散った光を再び別の形で咲かせればいいのだ。
こうして、瑛士たちは再出発を誓う。この道程は決して平坦ではないが、その先には、きっと心に残る一瞬の輝きが待っている。それを信じて、彼らは迷いながらも前へ進む。
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